猫も食わない

「……しかし」

「行きなさい。……は、私が……」

「……ろしくおねがいしま……」


 人の話し声に、ギルバートの意識が浮上する。

 カーテンの開閉音、人が動く気配、消毒薬の匂い――。

 眉間みけんに力をいれて、まぶたを持ちあげる。


「気付かれましたか」


 ギルバートをのぞきこみ、安堵の息を吐くのはゼノだ。

 聞こえていた声が彼と結びつかず、あれは夢だったのかとぼんやり考える。


 気を抜くと、また眠りそうになり、ギルバートはまばたきを繰りかえす。

 視界が明瞭めいりょうになるにつれ、頭がはっきりとしてきた。

 カーテンで仕切られたベッドに寝ており、医務室いむしつかと身を起こす。


「――ッ!」


 右腕みぎうでに激痛がはしり、しばらく耐えるあいだに、ひきつるような違和感に変わる。

 目のまえにかかげた腕には、縫合ほうごうされたおおきな傷があった。


「だいじょうぶですか?」


 適当に返事をし、自身の格好をみおろす。

 戦闘でボロボロになったはずだが、着ているのは清潔な騎士服だ。

 うでの傷をおもんばかってか、半そでの夏服だったが、紺色のそれはサイズがおおきいような気がした。

 胸元から包帯が見えており、処置後に着替えさせられたのかとぼんやり思う。

 

「薬です。飲めますか?」


 ゼノが、水がはいったグラスとともに、ちいさな銀のトレイをさしだす。

 上にのった錠剤じょうざいの量に、ギルバートはゆるく眉をよせた。


「……多い」


 だした声が、ひどくかすれている。

 ゼノが記憶をたどるように天井を見やって、ギルバートに視線をもどす。


鎮痛剤ちんつうざい抗生物質こうせいぶっしつ気止けどめ、造血剤ぞうけつざいに栄養剤です」


 ギルバートは、右手をのばしかけて痛みに動きを止め、左手でうけとりなおす。

 億劫おっくうに感じながら錠剤を口に入れ、水で流しこんだ。


「エリオット副団長は、ベルを竜舎りゅうしゃに戻しにいきました」


 ベルとは、エリオットの竜の名だ。

 ギルバートは首をかしげる。

 聞こえていたのは、たしかにエリオットの声だった。

 夢でないなら、もうひとりの聞き覚えがある声の持ち主は――。


「おきたのか、ギルバート」

「……父上」


 カーテンをひらいて現れたのは、ブレイデン公爵家当主、ディビット・ブレイデンだった。




宰相さいしょうが知らせてくれた。定期総会で登城していたのが幸いだったな」

「そうですか。わざわざご足労そくろういただき、ありがとうございました。お帰りはあちらです」


 ギルバートの慇懃無礼いんぎんぶれいな態度に、ゼノは固まる。

 国内三大公爵家の筆頭ひっとう、ブレイデン公爵家の親子仲が悪いとか知りたくな――いや、俺はなにもきいていない。

 おもわずカーテンのすみにこっそり寄って、気配を消してたたずむ。

 エリオットに頼まれていなかったら、秒で逃げだしているところだ。


 ゼノが医務室をおとずれたのは、さきほどのこと。

 魔力切れの症状もおさまり、レスターとともに帰還すると、中庭で丸まっているベルを見つけた。

 寒さに弱い竜のこと、外気温が下がるなかに放置してはおけないと手綱たづなを引くが、彼女はてこでも動かなかった。

 仲良しのこむぎで先導を試みるが、ひたいをくっつけ合うあいさつはするものの、それだけだった。

 レスターの指示で、エリオットを呼びに来たが――席を外すあいだ、ブレイデンきょうを頼むとたくされてしまった。

 荷が重い!! と叫ばなかった自分を褒めてやりたい。


 レスターは、本調子でないゼノにかわって、ゼノの竜こむぎの世話を引き受けてくれた。

 だから、あと半刻ほどは、彼の援護えんごは望めない。

 敵が多いギルバートのこと、誰かが付き添う必要性は理解している。

 ギルバート団長を見守るかんたんなおしごとだろ、とレスターに茶化されてやってきたが、まさかこんな状況にほうりこまれるとは、だれが予測できただろうか。


 そんなゼノの心情とは裏腹うらはらに、ディビットは悠然ゆうぜんとギルバートを見据みすえて、ゆったりと口をひらく。


「聞きたいことがある。この腕輪うでわに見覚えは?」


 ディビットが、金の腕輪をかかげる。

 鎮座する大粒の希少宝石パライバ・トルマリンが、照明を反射してあおくまたたいた。


「それは……人に貸したものですが、なぜ父上が」

「うちの庭師見習いだと名乗る子供が持っていた。赤髪の少年で、名前はアルデ。彼の身元に間違いはないか?」

「急に転移室に現れたのなら、相違ありません」

「ふむ。転移術士からの話と一致するな。ではうちに連れ帰り、ロベルトに聞いてみるとしよう」


 そういって、サイドテーブルに腕輪を置いた。


「馬車で来ている。おまえも乗っていきなさい」

「けっこうです。母上によろしくお伝えください」


 固辞したうえに、さっさと出ていけと言わんばかりのギルバートにも、ディビットはどこ吹く風だ。


「クリスティーナに伝えることは、もうひとつありそうだ」


 やわらかく微笑むディビットの瞳が、スッと細まった。


「ギルバート。――なぜ右耳にピアスをしている」

「通信術具です」

「そういうことではない」

「質問の意図が不明瞭です」


 うとましそうなギルバートに、ディビットは直球に問う。


「おまえは同性愛者なのかと聞いている」

「…………は?」


 ぽかんとしたギルバートが、たっぷりと間をあけて、一文字だけを口にする。

 言葉をなくし、ディビットの真意を探るように、彼の顔をつぶさに観察する。

 たいした収穫も無く、ギルバートの首が横にかたむいたところで、ディビットがつづけた。


「右耳にひとつだけピアスをつけるのは、同性愛者であることを公言こうげんするという意味だ」


 ギルバートは、皆が右耳右耳とうるさかったわけを、ようやく理解する。

 無意識にピアスにふれて目を伏せ、しばらくしてから目線を上げる。

 そして、おおきくうなずいた。


「左耳にも開けます」

「なぜそうなる!?」

「過去には戻れません。てきとうに穴を増やすほうが現実的です」


 こんどはディビットが言葉をうしなう番だった。

 首を左右に振って、それでも否定を口にしないのは、他の策が思いつかないからか、ギルバートの頑固さを知りつくしているからか。


「話は終わりましたね。これ以上のご心配は不要です。どうぞお帰りください」


 追い打ちのようにギルバートが告げるが、ディビットはすでに落ち着きをとりもどしていた。

 切り替えの早さは、さすが公爵家当主といったところか。


「エリオットが戻るまで、おまえを見ていると約束した」

「もう目覚めました。付き添いでしたら、彼がいます」


 いきなり振られ、ゼノは変な声が出そうになるのをなんとかこらえる。


――やめて団長。俺をまきこまないで。


 こめかみに汗がつたうのを感じながら、完全に気配を消せなかったおのれの未熟さを恨む。

 ディビットが、ゆったりと首をかしげた。


「君は?」

「はっ……はじめまして。竜騎士団二年目の、ゼノ・クサナギと申します」

「そうか。息子がいつも世話になっているね」

「いえ、こちらこそ……」


 話してみると、ディビットはおだやかな人柄に思える。

 礼儀れいぎうとい自覚があるゼノが、ひそかにホッとしたところで、するどい声音が割りいってきた。


僭越せんえつながら申しあげます。公爵家のご当主がいらっしゃると、周囲はよけいな気をつかうはめになります。早々にご退室ください」

「ははは、私に気をつかう必要はないよ、ゼノくん」

「は、はあ……」


 いたたまれない空気のなか、ゼノはなんとか返事をする。

 冷や汗を流しながら、動くこともできずに考える。

――団長のお父さんは、本気でわかっていない? それともわざと? 後者ならこわすぎるんだけど、いったい何が目的で――。


「しかし、エリオットも立派りっぱになったものだ」


 あごを触りながら、ディビットがうなずく。

 ゼノは直立したまま、耳だけをかたむける。


「ローガン侯爵家こうしゃくけの次男か。――彼なら、アンジェリカの婿むこにふさわしいかもしれんな」

「――は?」


 すさまじいほどの怒りが、その一文字にこめられている。

 無関係のゼノが、おもわず背筋をふるわせるほどだ。


「ギルバートの補佐ほさとしても優秀――ならば、ブレイデン公爵家も安泰あんたいだ」


 周囲をかえりみることもなく、ディビットがひとりえつはいる。

 おそるおそるギルバートを見たゼノは、瞬時に後悔した。

 彼の顔が、おそろしすぎる。

 目も口も憤怒ふんぬにゆがみ、瞳孔どうこうがひらききっている。


「――すべてまるく収まるな。どうだ、ギルバート。エリオットを、アンジェリカの婚約者フィアンセに――」

「――ふざけるな!!」


 ギルバートはこぶしをサイドテーブルにたたきつける。

 シンと静まる空間で、はねた腕輪うでわだけが、みみざわりな音を立てた。


「なぜ貴様が勝手に決める? 何の権限けんげんがあってのことだ」

「……おまえの口のききかたは、前当主にそっくりだ」

御爺様おじいさまはすばらしい方だった。アンジェリカのしあわせはアンジェリカが決める。――貴様とは大違いだな」

「親だぞ、私は」

「ああ、そうだ。アンジェリカより先に死ぬことが確定している存在だ」


 ディビットが苦笑する。

 ベッドの上で半身を起こしているギルバートを――その服からのぞく包帯を目で辿たどり、あまりの多さに首を振る。


「おまえはそうではないと、言い切れるのか」

「アンジェリカがしあわせに天寿てんじゅをまっとうするまで、俺は死なん」

「根拠のない自信は、ただのおごりだ」

「稀代の魔人を知らないとみえる。イブリースに宣言すれば延命ぐらい――」


 パンッ、と乾いた音が響いた。


「――やめなさい、ギルバート。それだけは」


 ゼノから見てもわかるほど、ディビットの手がふるえている。 

 頬をたたかれたギルバートが、ベッドをとびおりディビットの胸倉をつかんだ。


「貴様の指図は受けん! えらそうに口出しをするな!」

「――自分の命をなんだと思っている。私はおまえの親でもあるんだ」

「それがなんだ! 俺のすべては、アンジェリカのためにある!」  


 おろおろとふたりを見比みくらべるゼノの耳に、ブチリと引きちぎれるような音が届く。

 ギルバートの利き腕がみるみる赤く染まり、縫合した傷が裂けたことを知る。


「団長! ベッドにお戻りください!」


 ようやく我に返ったゼノが、ギルバートを押さえにかかる。

 彼をなんとかディビットからひきはがすが、ギルバートの興奮はおさまらない。

 血だらけの腕で、ディビットにつかみかかろうともがく。


「アンジェリカは俺が守る! この命に代えても!!」


 そのとき、いきおいよくカーテンがひきあけられた。


「――なにをしているのですか!?」


 はげしい一喝に、皆の意識が向かう。

 エリオットがすぐさまギルバートとの距離をつめた。  

 

「また傷が……! おとなしくなさい!」


 有無を言わさずギルバートの体を持ちあげて、ベッドに押さえつける。

 あばれるギルバートの足が、エリオットの腹を蹴りつけた。


「エリオット! 貴様、いい気になるなよ!」

「なにがあったんですか?」


 エリオットは、ギルバートを取り押さえながら、ディビットに問う。


「君の話だ、エリオット」


 不可解な顔をするエリオットに、ディビットが苦笑顔を向ける。


「アンジェリカの、婿候補むここうほに――」

「ふざけるな! ぜったいに許さん!!」


 ギルバートのわめく声を聞きながら、エリオットは特大のため息をついた。


「ギルバート団長」


 憎悪をあらわにした碧眼へきがんが、返事のようにエリオットをにらむ。


「俺がその話をお受けすることはありません」

「――貴様! アンジェリカのなにが不満だ、言ってみろ! 殺してやる!!」


 その瞬間、エリオットがものすごくめんどくさそうな顔をしたのを、全員が目撃した。


「……俺の独断で決めることではありません。貴方の決定に従うと約束します。それでこの話は終わりです」

 

「ただいまー。ギルくん、いいこにしてたー?」


 のんきな声とともに、ブラットリーがあらわれた。

 黒い医療カバン片手に、ベッドを見やり首をかしげる。


「ギルくんを手籠てごめにするの?」


 質問されたゼノは、即座そくざに首を横に振って否定ひていする。


「――終わるはずねぇだろ! あいつがアンジェリカの敵であることは明白だ! 排除しないかぎり、なんどでもアンジェリカを利用する!」


 ギルバートが声をあらげ、身をよじってディビットをにらみつける。

 きょとんとしたブラットリーが、ディビットをみとめて破顔はがんした。


「ギルくんのパパだ。まためてるの?」 

「ブラットリー副所長。これはお見苦しいところを」


 ディビットの挨拶あいさつに、ブラットリーはクスクス笑いながら医療カバンを広げた。


「ぼくの地元に、『おやこげんかは猫も食わない』って言葉があるよ」

「マクスウェル伯爵領で? どのような意味でしょう」

「何でも食う海街の猫でさえ見向きをしない――よほどまずいものか、誰も相手にしないもの。ギルくんの怪我がなければ、後者だけどにゃー」

「いやはや、お恥ずかしいかぎりです」


 ふたりの会話はおだやかだ。

 暴れるギルバートと、おさえつけるエリオットが見えていないようだが、そうではないことぐらい、ゼノにもわかる。

 これだけ図太くないと貴族はつとまらないのか、と学習するとともに、自分の存在が場違ばちがはなはだしい気がして、それでも退室の許可が出ていない現実に途方に暮れる。

 なぜだか猛烈に、こむぎに抱きつきたい気分だった。

 

 ブラットリーが医療器具をならべる。

 薬瓶のラベルを確認し、注射器を手に取った。


「ギールーくん。鎮静剤ちんせいざい、打つよー」

「やめろ! 俺にさわるな!!」


 ギルバートが渾身の力で身をよじる。

 拘束を振りきった腕がくうをはらい、ブラットリーがひょいと針を遠ざける。

 ゼノはあわてて加勢に入り、血だらけの右腕をおさえつけた。


「うわあああああ!!」


 激情に駆られ、ギルバートが絶叫する。


「あはは、きのいい魔人だねぇ」


 ブラットリーは鼻歌でも歌いだしそうなようすで、ゼノがおさえるギルバートの右腕に、注射針を差しこんだ。




 だんだんと、ギルバートの動きがにぶくなっていく。 

 抵抗が弱まり、まどろむようにまぶたがゆれる。

 エリオットは、ギルバートの拘束を解いて、ディビットに向きあった。


「ギルバートは、俺が責任をもって見ます。ゼノ、ブレイデン卿を下までお送りしろ」

「は、はい!」


 これ以上、この親子を一緒にしておくわけにはいかない。

 ゼノに異論は無かったが、当のディビットがエリオットを見据みすえて動かない。


「エリオット。私はブレイデン公爵家当主として、君の本心を聞くまでは帰れない」


 ギルバートがうめいて、体を起こそうと身じろぐ。

 ブラットリーが笑いながら、ギルバートの右腕――裂けた傷をつかむ。

 苦痛の声とともに、ギルバートがベッドに逆戻りするのを、ブラットリーはにこにこと見つめた。


「あーあ。せっかく綺麗に縫合できたのに。ぼくが過労で倒れたら、ギルくんに添い寝してもらおっと」


 ギルバートがなにかをつぶやいて、目を閉じる。

 罵倒ばとうたぐいだと思われたが、誰の耳にも聞き取れなかった。


「うん、眠ったね。いまなら再縫合しても良いかな」


 エリオットは背後にちらりと目線をやって、ディビットに向きなおる。


「ギルバートの怪我が心配です。それ以上のことは、今は考えられません」

「では、息子の怪我が完治すれば、答えを聞かせてもらえるのかな」


 口先だけでごまかされない相手だとは知っている。

 しかし、重傷のギルバートよりも、アンジェリカの将来をうれう発言が解せない。

 記憶のかぎりでは、彼はギルバートのことを一層気にかけていたというのに。


 ギルバートが口出しできない状況――それでも、ギルバートが同席している場で、言質げんちをとってしまおうというのか。

 おりしも、この場には王族と一般人がひとりずつ。

 それは公式の立会人としての最低条件であり――エリオットの返答しだいでは、この会話が、ディビットによって公式の発言とされる可能性が高い。

 法的効力を持ってしまえば、撤回するのは容易ではなく――エリオットがアンジェリカの婚約者フィアンセとして、正式に認められてしまう。


 ――なぜ。

 このような場所で、まるで思いつきのように決めることではないはずだ。

 国内三大公爵家の筆頭、ブレイデン公爵家の当主ともあろう御方が、なにをそんなに焦ることがある。


 ――定期総会。


 そこで、何かがあったと仮定すれば、それはギルバートにとっても悪いこと――まさか、アンジェリカの婚約者を、国が斡旋するということは――。


 エリオットの脳裏に浮かんだのは、現国王のまご――御年十四になられる、ナサニエル殿下だ。

 皇太子の長子であり、王位継承権は第二位。

 十五歳である公爵家令嬢のアンジェリカは、身分も年齢もつりあいがとれる。

 もしそれが締結されれば、ギルバートは未来の王妃の兄――国に一生、飼い殺しにされてしまう。


 エリオットは、おもわずディビットを見つめる。

 ディビットは、エリオットの仮説を肯定こうていするようにうなずいた。


「私は、子供たち・・の自由としあわせを願っている」

「……わかっています」

「高貴なるお方は、気が短い。建国記念祭は再来月にせまっている」

「国の慶事とするつもりですか」

「……君の勘の良さには目を見張るものがある。こちらの申し出を正式に受けてほしいぐらいだ」

 

 エリオットは答えない。

 そんな戯言ざれごとを聞いている場合ではない、と身のうちに湧きあがる怒りを、なんとか自制する。

 ディビットはこちらの――ギルバートの味方だ。

 ならば、協力を――国内三大公爵家筆頭の力を、存分にふるっていただこう。


 エリオットは顔をあげ、ディビットをまっすぐに見つめた。

 

「――考える時間をください」

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