医務室では、お静かに
王城と騎士団本部は、隣接している。
アーチの前後で、がらりと雰囲気が変わるため、用途が違う建物であることは、一目瞭然だ。
王城は豪奢な壁紙がふんだんに使われているが、騎士団本部に入ると、とたんに地味になる。
調度品のひとつも置いていない簡素な廊下を、ギルバートは早足で歩く。
今日中に
どうしても牛型魔獣ヘビーモスに対抗できる編成が思いつかず、自分ひとりで倒すのが、一番かんたんで確実な方法だとの結論に達する。
狼型魔獣ダイアウルフの群れは、エリオットに丸投げしよう。
そう決めたと同時に自分の執務室に着いて、ギルバートは扉を開けた。
「ギルくん、おかえりー!」
あたりまえのように待ち伏せをしていたブラットリーが、明るく手を振る。
彼が陣取るソファの周囲は、よくわからない部品や工具でいっぱいだ。
室内の
「おまえ……ちゃんと片付けろよ」
まったく悪びれたところのないブラットリーが、ソファに乗っていた機材を払いおとす。
耳障りな音に、ギルバートはおもわず眉をしかめる。
ブラットリーが、ソファの空いた部分を強調するように、ポンポンとたたく。
報告の手間が省けたと思うことにして、ギルバートはおとなしくソファに腰を下ろす。
「
ブラットリーの赤眼が、よごれたレンズ越しでも分かるぐらいに、かがやいている。
ちゃんと見えているのか、と何度目かの疑問とともに、こいつ、俺のことを売ったんだよな、とぼんやり思う。
ブラットリーの態度に、罪悪感のかけらも見当たらないため、ギルバートは考えるのをやめた。
事実、彼の研究は役に立っている。
帰還の腕輪に目線を落とし、ちいさく息を吐く。
「そうだな。すごく楽だった」
「くわしく!」
ブラットリーが、さらに身を乗りだしてきた。
「魔力は、ほぼ要らないな」
「発動時の
ギルバートの返答にかぶせるように、ブラットリーが質問をたたみかける。
三人掛けのソファが、ものすごくせまく感じる。
「重力……は、気にしたことがない」
「
「大差ないと思う……というか、そこまで気になるなら、自分で試してこい」
ギルバートは、帰還の腕輪を、手首から抜きとろうとする。
つなぎ目がない腕輪は、手をすぼめても、骨にひっかかってうまく抜けない。
「どうやって抜くんだ、これ」
「回しながら、すこしずつ押し上げていけば抜けるよ。……たぶん」
ギルバートが腕輪と格闘しているのを見ながら、ブラットリーは語尾にちいさなつぶやきを付け足す。
腕輪には、ギルバートの手首に合わせて収縮し、その直径で固定する術式が組んである。
これで落とすことはない、と満足していたが、正直、外すときのことを考えていなかった。
「あのねギルくん。借りたところで、転移魔術が使えない人間に、違いはわからないから」
だからひとまず、外すのはあきらめてください。
そんな本音をこっそり混ぜて、ブラットリーはわらう。
一方のギルバートは、ブラットリーの正論に、
「……そう、だな」
では、自分が使うしかないのか。
そう思いながら、腕輪から指を離す。
実をいうと、ソファに座ったあたりから、ものすごい疲労感がおそってきて、あたまが回っていない。
しかし、考えるべきことは、山積みだ。
――すぐに王命が発令されるから、エリオットに討伐隊の編成をまかせて、その間に俺がヘビーモスを討伐したほうが……ダイアウルフは行動範囲が広いから、見つけるまでが難儀だな……。
「ギルくん、どうしたの?」
名前を呼ばれ、ハッと顔をあげる。
ブラットリーがいるのを忘れていた。
「だいじょうぶ? 疲れてる?」
二択ならイエスだが、そうも言っていられない事情がある。
「わるいが、おまえと話しているひまはない。エリオットを知らないか?」
「ええー。ぼくといるのに、他の男の名前を出すのぉ?」
「おまえ、年中ふざけてるな」
ギルバートが、あきれ顔でブラットリーを見やる。
「ひどいなぁ。ぼくはいつだって真剣なのに。いまもほら、ご
ブラットリーが、
虹をとじこめた水晶ーーアイリスクオーツには、複雑な術式が組み込まれている。
「ほんとうか!? おまえ、すごいな!」
「でしょー? ふたりがひとつずつ耳につけて、魔力を流すと、どんなに遠くにいても会話ができるよ」
「魔力を流すだけでいいのか?」
「うん! 試作品だから、一対しかないけど。リオくんと繋がれば、とりあえずは事足りるんでしょ?」
「そうだな。いやまて、これピアスか?」
ギルバートの耳に、ピアスホールは開いていない。
彼の困惑に、ブラットリーは心得たようにうなずく。
「だから、いまから
「……いまから?」
「だいじょうぶ。ギルくんの主治医であるぼくがぁ、責任をもって、やりとげてあげるから」
ブラットリーが立ち上がり、ギルバートに手を差し出す。
その手をつかみ、ギルバートはうすく笑った。
「では、患者を売る、ご立派な主治医様に、おまかせしようか」
考えるのはやめたが、許すとは言っていない。
そんな意を込めて、つかんだ手に強い力を込める。
ブラットリーは、痛がるどころか、おもしろそうに目を細めた。
「その研究費は、回り回って、ギルくんのためになるんだよ」
そう言って、ギルバートを引き上げる。
立ち上がった彼にむかい、やはり、ひとかけらの罪悪感も見せないまま、無邪気ともいえる笑顔をみせた。
ギルバートの執務室からは、徒歩五分。
南の階段を下りて、長い回廊をすすんだ先にある。
医者が常駐しており、24時間体勢で、なにかとケガの多い騎士団員のフォローにあたっている。
趣味が高じて医師免許を取得したブラットリーも、医者のはしくれだ。
医務室に入ると、勝手知ったるといったかんじで、薬棚を勝手にあさる。
「ギルくん、そこに座って」
「ああ」
ブラットリーが準備したのは、ガンタイプのピアッサーだ。
引き金をひくと、バネの力で針が飛びだし、穴が開くという単純な造りだ。
ギルバートの右耳を検分し、開ける場所を決める。
消毒液の独特な香りが、鼻をつく。
ピアッサーで、彼の耳たぶを
「いくよ」
バチン!!!
「うおっ!!?」
「あははは! ギルくん、すごい反応!!」
いきおいあまってイスから落ちたギルバートが、右耳を押さえたまま、放心する。
信じられないことが起こったような顔で、ブラットリーを見上げた。
「……予想の百倍、うるさかった」
「耳元だからねぇ。はい、手ぇどけてー」
ブラットリーは患部を再度消毒し、通信術具を穴に差し込み、キャッチで止めた。
「わー、似合うー!」
ギルバートの右耳に、アイリスクオーツの虹色が映える。
耳の後ろ、ピアスキャッチからは、長さの違う三連のチェーンが垂れている。
繊細なチェーンの、地金は白い。
鏡ごしではうまく把握できずに、ギルバートはブラットリーに問う。
「これ、白銀じゃないだろうな」
「だいじょうぶ、
ギルバートが動くたび、チェーンが揺れて、きらめく。
ブラットリーは、それに
「想像どおりだぁ。すごくきれいだし、かわいい」
「かわっ……!?」
ギルバートが、なんともいえない複雑そうな顔をした。
邪魔そうに、チェーンを指ではじく。
「このかざり、必要か?」
「うん。アンテナの役割を果たしているから」
――嘘だけど。
そう胸中でつぶやき、ブラットリーは、にっこりとわらう。
「……そうか」
あっさり信じるギルバートに、心からの笑顔がこぼれた。
「じゃあ、あとはリオくんに――」
「ギルバート団長。ここでしたか」
医務室の扉が開いて、話題のエリオットがあらわれた。
タイミングの良さに、ギルバートとブラットリーは目を見合わせて、ニヤリとわらう。
「いらっしゃい、リオくーん! とっても、会いたかったぁ」
「よお、エリオット。おまえちょっとここに座れ」
ギルバートが立ち上がり、直前まで座っていたイスを指定する。
「なにを企んでいるんですか」
不審げなエリオットにかまわず、ブラットリーが腕をひっぱる。
ギルバートは背後にまわり、エリオットの背中をイスの方へと押した。
嫌な予感しかないエリオットが、足に力を入れる。
「あれ、ぜんっぜん、うごかない」
「おまえ、
めずらしく
これはぜったいに、
「詳細の説明を」
説明を求めるが、ふたりはまったく聞き耳をもたない。
「いいから、おすわりだ!」
「座ったらぁ、手はお
彼らが、とてもおもしろがっていることだけは、わかった。
「……お断りします」
「おいおい、団長命令だぞ」
その
視線でギルバートの異変を探ると、きょとんとする彼の右耳に、見慣れない飾りがあることに気付いた。
しかも、そこからうっすらと血がにじんでいる。
「なんですかこれは!」
「いって!」
おもわず両手で彼の顔をはさみ、右耳が見えるように首を固定する。
「ピアス……開けたんですか!?」
「おい、はなせ!」
ギルバートが、抗議するように、エリオットをたたく。
手を離したエリオットは、ブラットリーに鋭い視線をむけた。
「ブラットリー副所長」
「え、なに?」
「ブレイデン
低い声で問うと、ブラットリーとギルバートが、そろって首をかしげた。
エリオットが、額にこぶしをあてて、うなる。
「なんとお詫びすれば……っ!」
ギルバートは、ふしぎそうにエリオットの顔をのぞきこむ。
「エリオット? 何の話だ?」
「貴方は、ブレイデン公爵家の嫡男ですよ! もっと自覚をもちなさい!」
「自覚? してるしてる」
「しかも……よりによって、右耳……なぜ……」
「なぜって……これ、通信術具だぞ?」
右耳をさして、ギルバートが告げる。
「俺とおまえで、
つきつけられた指を手でどけて、エリオットはため息をつく。
ギルバートの右耳をにらみながら、しばし考える。
通信術具がどれぐらいの精度かは知らないが、
しかもさきほど、魔獣討伐の王命が、竜騎士団に下った。
自分とギルバートは、いつも別部隊になるため、通信術具が役に立つ可能性もある。
ブラットリーはこう見えて、高い技術力を
いちど試してみるのも、ひとつの手か。
そう結論づけて、あきらめてイスに座る。
ブラットリーがピアッサー片手に、エリオットの左耳を検分しはじめた。
「リオくんは、左耳ね」
「……やっぱり。わかってやりましたね、ブラットリー副所長」
「ええー? なんのことぉ?」
とぼけながら、エリオットの左耳を消毒する。
ピアッサーで、耳たぶを挟み、ねらいをつけた。
「じゃ、いくよ」
バチン!!!
「!!?」
予想の百倍は大きな音に、エリオットは目を見開いて肩を揺らす。
彼のめったに見ない挙動に、ギルバートとブラットリーは、腹をかかえて爆笑した。
「おまえのせいで、追い出されたじゃねーか」
「ええ? 共犯だよぉ」
他の医者からうるさいと叱られ、三人仲良く医務室から追い出された。
ギルバートは、無言でとなりを歩く、エリオットを見上げる。
彼の左耳には、自分と同じ通信術具の、アイリスクオーツのピアスがはまっている。
しかし、彼のキャッチは、目立たないほど小さい。
「なぜエリオットのは、アンテナが無い」
「どちらか片方で、だいじょうぶだから」
――嘘だけど。
そう胸中でつぶやき、ブラットリーは、にっこりとわらう。
その笑顔をうさんくさげに見やるギルバートが、不意に足を止めた。
ちょうど回廊が二手に分かれた場所で、左に行けば、ギルバートの
「ブラットリー。執務室のガラクタを、撤去しておけ」
「ガラクタじゃなくてぇ、
「どちらでもかまわん。俺が帰るまで残っていたら、全部捨てるからな」
ギルバートは身をひるがえし、右の通路に足をむける。
帰還の腕輪が澄んだ音をたて、右耳の飾りとともにきらめいた。
蜂蜜色の髪のあいだから、白金のチェーンがゆれる。
窓からの陽射しをうける背中は、しなやかで神々しい。
ブラットリーは、そのうつくしい生き物に目を奪われて、立ち尽くす。
彼をいろどる術具は、すべて自分が作ったものだ。
あらためて自覚すると、体の芯からふるえるような歓喜がわきあがってきた。
悪寒にも似たゾクゾクとした感触に、鳥肌が立つ。
血が
ギルバートの背中と、それを追うエリオットが見えなくなっても、ブラットリーはその場を動けなかった。
ひとり通路に立ち尽くしたまま、
「ギルバート団長、どちらへ?」
執務室とは逆方向にむかう彼に、エリオットが問う。
「クソ術士のところだ。王命の
「おひとりで、ですか?」
「帰還の腕輪がある。いつでもここに帰ってこられる術具だ」
腕輪のはまった右手を軽くかかげて、ギルバートはつづける。
「王命より、自分の命の方が大事に決まっている。あぶなくなったら、すぐに逃げ帰ってやるから安心しろ」
「だからといって、単身討伐を選ぶ理由にはなりません」
「ひとりのほうが都合がいい。知っているだろ。おまえは竜騎士団員から討伐隊を結成し、ダイアウルフの
話は終わりだとばかりに、足早に去ろうとするギルバートの、腕をつかんで引き留めた。
「貴方はさきほど、単身討伐から帰還されたばかりです。せめて、すこしなりとも休憩を」
「必要ない」
断言し、わずらわしげに腕をふりはらう。
「昼食もとっておられないのでは」
「一食ぐらい、抜いても死なん」
歩く速度を上げるギルバートに、エリオットはあきれながら着いていく。
「またそのようなことを。騎士は、体が資本です」
「帰ったら、食べる」
「食べてから、討伐に行かれてはどうですか?」
エリオットの言葉を、ギルバートは鼻でわらう。
「今日中に殲滅しろと厳命された。気になって、食事が喉を通らない」
のらりくらりと
すでに転移室は、目と鼻の先。
ギルバートは、こうと決めたら、曲げない頑固さがある。
エリオットはあきらめて、ギルバートを見送ることにした。
「くれぐれも、ご無理なさいませんよう」
「エリオット」
めずらしく、彼が振りかえる。
その右耳にゆれる飾りに、一瞬気をとられ、彼の顔に視線を戻す。
エリオットの視線をうけて、ギルバートが不敵に笑う。
「あとで連絡する」
右耳の飾りを見せつけるように、彼が顔をかたむける。
そうして、転移室へと入っていった。
ギルバートの言動を思い返し、エリオットがおおきなため息をつく。
あれでは、あたらしいおもちゃを与えられた子供だ。
そのうえ彼は、疲労で判断力が落ちていることに、気づいていない。
指摘して、
早急に合流できれば、彼への危険は格段に軽減される。
ギルバートに、単身討伐をさせる気がさらさらないエリオットは、すぐさま
自然ゆたかな国立公園は、希少な動植物の楽園だ。
みはらしのいい原っぱと、林と、山がある。
けしきを楽しみながら、野生動物を観察できるので、観光客にも人気だ。
やわらかい下草をふみしめ、アルデはあたりを見渡す。
立入禁止令が出されているので、人の気配はない。
しろい
鳥がさえずり、ここちよい風がアルデの頬をなでる。
薬草は、湿りけをおびた地面に生える。
アルデは、
下ばかり見ていたので、気づくのが遅れた。
なにかの臭気を感じ、顔をあげたアルデが見たのは、巨大な牙で土を掘りかえす、牛のような魔獣だった。
大木の幹に手をつけたまま、アルデの足は凍りつく。
ヒッと息をのむと、悲鳴は音にならず、空気だけが
下手に動けば、気づかれるほどの距離しかなかった。
アルデは、ガクガクとふるえる足で、ゆっくりと後退をこころみる。
こちらを向くな、とただひたすらに願いながら。
鼻息あらく、首をふった魔獣が、顔をあげる――アルデの願いもむなしく、目が合ってしまった。
歪んだ牙がのぞく口で、魔獣が
地響きのような野太い
逃げだすこともできないまま、アルデは衝撃に備えて身を固くした。
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