討伐、おかわり!
私室で昼食をとった国王は、執務室へとむかう。
直通の廊下は、シンと静まりかえっている。
ここには、かぎられた人間しか入れない。
窓からの陽だまりが、
その合間を縫って、ひかえめな
昼下がり特有のぬるい風が、眠気をつれて、やってくる。
だれもいないのをいいことに、国王はおおきなあくびをした。
「ご機嫌うるわしゅう、国王陛下」
死角から声をかけられ、あやうく飛び上がるところだった。
壁に背中をあずけていた青年が、ゆっくりと体を起こす。
国王の御前であることに、
青年を見据えた国王は、平常心を装って、口を開く。
「なぜ、おぬしがここにいる」
問われた青年――ギルバートは、ここでようやく、臣下の礼をとる。
「陛下から
「
「とてもおもしろい冗談です。――話を進めても?」
にっこりとギルバートがわらう。
初対面の人間がみれば、愛想のいい青年に見えるだろう。
しかし国王は、彼の目の奥が、わらっていないことを知っている。
「
「来月下旬だと? そのような時期に――」
「陛下」
ギルバートが、
「単身討伐だった理由を、お聞かせ願えますか?」
「聞いてどうする」
「なぜ、ブラットリー副所長が、私宛の命令書を持っていたのか」
涼やかな碧眼が、おもしろそうに弧を描く。
「
「くだらんことを、言うでない」
国王がわらいぶくみに答える。
そのふてぶてしい態度にも、ギルバートは笑顔をくずさなかった。
「魔獣対策費の横流し」
国王が一瞬、ことばに詰まる。
それを見逃すギルバートではなかった。
「
追い打ちのように、たたみかける。
のぞきこんだ国王の目は、わかりやすく泳いでいた。
国のトップが情けない、とギルバートは胸中でため息をつく。
おっさんをいじめて喜ぶ趣味はないので、早々に解決策を提示してやることにした。
「すべてが丸くおさまる方法を、ご存じですか?」
「……なんじゃ」
「この書類に、
ギルバートは
国王は、しばしギルバートと休暇申請書を見比べる。
しぶしぶ手に取り、ざっと目を通して、国王は歩きだす。
「玉璽は執務室だ。押印後は、よきにはからえ」
「仰せのままに」
年相応の笑顔を見せたギルバートに、国王はあきれたようなため息をついた。
しろい
壁と調和する、ひかえめな扉だった。
正面の扉より、ひとまわりちいさい。
献身的な彼の態度を横目に、国王は執務室に入る。
広い室内は、南向きの大きな窓がならぶおかげで、陽当たりがよく、明るい。
廊下とくらべ、
壁のいたるところに金がほどこされ、豪奢な調度品が、絶妙な塩梅で配置されている。
天井のシャンデリアは、大粒のクリスタルが
暖炉の上には、天井まで届く、おおきな鏡がはめこまれている。
それが映し出すのは、対面の壁のタペストリーだ。
四百年前に織られたとされる、宗教画のタペストリーは、歴史的価値が高い。
国王が執務をするのは、深い
めだつのは、四本の足に控える、金で高彫りされた兵士だ。
アンティークデスクをはさむように、イスが一脚と二脚に分かれて置いてある。
政務の
国王が使用しているのは、一脚の方で、背もたれはゆるやかな半円だ。
部屋には、他にも、ローテーブルが二脚あった。
いかにも座り心地がよさそうなソファやイスが、ローテーブルの周囲をかざる。
ひじ掛けや足は金でつくられ、厚い座面は、白地に金糸で
それだけ置かれていても、
これぐらいの家具がないと、殺風景になってしまうだろう。
そう思わせるほどの広さが、この執務室にはあった。
国王は、アンティークデスクに着席する。
離れた場所で待機する、ギルバートの視線を、痛いほど感じる。
その取っ手に指をかけたとき、正面の扉がひらいた。
「いらっしゃいましたか。よかったです」
安堵の色を前面に押し出した優男が、数枚の書類を持ってあらわれた。
「
国王が言葉を探している間に、宰相がアンティークデスクにたどりつく。
そうして、彼は、ゆっくりはっきりと発音した。
「
「なんじゃと!?」
驚きのあまりイスから立ち上がった国王に、宰相はうなずく。
「至急、対策を講じましょう。まずはお座りください。――ギルバートくんも」
そう言って、
指名されたギルバートが、宰相を
「けっこうです。用が済めば、すぐに退出いたします」
視線を国王に移す。
かちあったダークグレーの瞳が、余計なことをいうな、と訴えてきたが、無視をした。
「では、なおさら座りなさい。君の用は、今、済むことはない」
「どういうことでしょうか」
「
にっこりと宰相が笑う。
その笑顔のまま、デスクの休暇申請書を手にとった。
「なるほど。
「宰相閣下。玉璽のメンテナンスなど、聞いたことがございません」
低い声のギルバートにも、宰相はからりと答える。
「それはそうでしょう。君は国王になったことがないのだから」
「陛下は
「ええ。ですから今朝、陛下からお預かりいたしました。そうですよね、陛下」
「お、おお、そうじゃったな。すっかり忘れておったわ」
安堵したように笑う国王に、ギルバートは
「自身の行動を記憶していないとは、認知症ではございませんか? 病状が進行するまえに、臣下として、
ギルバートは、威圧的に国王をにらむ。
早くそこの引き出しを開けろと、目線で
国王の額に、汗がにじむ。
宰相が、パンッと手をたたいた。
「はいそこまで。
「……必要ありません。時間の無駄です。さっさと始めましょう」
その表情は、ものわかりのいい生徒を褒める、教師のようだった。
「『影』からの報告があったのは、本日昼前。わかっているだけで、牛型魔獣ヘビーモスが一頭と、狼型魔獣ダイアウルフが二十頭ほどの群れです」
国立公園の地図を広げ、宰相がペン先でだいたいの位置を示す。
「ダイアウルフは、行動範囲がひろい。そこで、機動力の高い竜騎士団に、出撃していただきたい」
「了承いたしました」
なげやりに
不審げに見返す彼に、決定事項を口にする。
「国立公園を立入禁止区画に指定しました。付近の住民の避難は完了しています。悪魔との融合も許可しますので、今日中に、
「今日中!?」
身を乗り出したギルバートの、両肩を手で押さえる。
彼が立ち上がるのを阻止しながら、宰相は、言い聞かせるように説明する。
「国立公園は王都のとなり。城壁で区切られているとはいえ、魔獣が王都に入って来ないとは限りません。早急な討伐が必要なことぐらい、竜騎士団長のあなたが、わからないはずはありませんよね」
ギルバートが、奥歯をかみしめる。
「さきほど、グリズリーを討伐したばかりです」
うなるような声音に、宰相は同意する。
「すばらしい
お願いの
この会議で決定したことは、すぐに王命として発令されるだろう。
それは、ここにいる全員が、わかっていることだ。
耐えるように目を伏せるギルバートを見て、宰相はわずかに良心が痛むのを感じる。
昨夜の褒章授与式に加え、午前中の単身討伐。
その直前で、一度倒れたとの報告も上がってきている。
それなのに単身討伐の王命を下したのか、と竜騎士団から抗議がきていた。
そこまで
宰相は、わざと明るい声を出す。
「ねえ、陛下。今日中に達成できたら、認めてあげてもいいんじゃないですか? 彼の長期休暇」
「そ、そうじゃな」
いきなり振られた国王が、どもりながら答える。
肯定にとれる返事にも、ギルバートの顔が晴れることは無かった。
「宰相閣下。さきほど国王の私室に、
仄暗い瞳を向けられ、相互理解がなしえなかったことに、宰相にはすこしばかり残念な気分が残る。
だがすぐに、気持ちを切り替える。
はなから他人とは、わかりあえるとは思っていない。
かるく息を吐いて、いつも通りにほほえんだ。
「そのようなつもりは」
「どのようなつもりだろうと、かまいません。休暇を確約していただけるなら、派手に踊ってみせましょう」
彼の碧眼が、スッと細まる。
宰相は、それを
「頼もしいことです。では、仮に陛下が渋っても、私がなんとかするとお約束いたします」
ギルバートがイスから立ち上がる。
こんどは、それを止めなかった。
「国王陛下ならびに宰相閣下。御前を失礼いたします」
見惚れるような優美な礼をとって、ギルバートは振り返らずに退室した。
国王が、待っていたかのようにため息をつく。
「宰相。あのような時期の休暇を確約するとは、いささか悪手ではないのか」
「なにをおっしゃいます。魔獣に国を荒らされれば、建国記念祭どころではございませんよ」
そういって、数枚の書類を差し出す。
それは、いまから国王が作成すべき、魔獣討伐命令書だった。
「さあ陛下。口ではなく手を動かしましょう。今日中に終わらないと困るのは、私ではなく陛下です」
「おぬしまさか、明日はそのまま休むつもりか!?」
「あたりまえじゃないですか」
「こんな大変なときにか!?」
「おおげさな。魔獣は今日中に殲滅されるのですから、問題はありません」
国王は、あっけにとられて、絶句する。
そんな彼にかまわず、宰相はすらすらと言葉をならべる。
「今の時代、ワークライフバランスを整えるのは基本ですよ。貴重な人材を、過労で失うのは、惜しいと思いませんか?」
「言いたいことは、わかるがな」
不服そうな国王に、宰相は首をかしげた。
「どうなさいました? まだなにか?」
「よりにもよって、あやつを、私室に通すことはなかろう」
ぼやいた国王に、宰相は明朗な笑い声をあげる。
彼に脅されたことが、よっぽどのストレスだったらしい。
だが宰相には、その苦情を受け付けるつもりはない。
「勘違いなさいますな。彼を通したのは、玉璽のある通行手形――陛下のご威光の、賜物ではございませんか」
一片の曇りもない笑顔で告げられ、国王は、降参するように羽ペンを手に取った。
「アルデじゃないか! ひさしぶりだな!」
病院を出たところで名前を呼ばれ、アルデはふりかえる。
「おまえ、どうしてたんだよ! だまって引っ越すなんて、みずくさいじゃないか」
駆け寄ってくるのは、おさななじみの少年だった。
「リネ、ひさしぶり」
名を呼ぶと、リネは歯をみせて笑った。
「時間あるか? ちょっと話そうぜ」
「うん。午後から休みだから、だいじょうぶ」
「やすみ……? 働いてんのか?」
声のトーンを落としたリネに、アルデはわらってみせる。
ちょうど昼時でもあったため、屋台で軽食を買って、ちかくの公園のベンチに座ることにした。
肉増しのラップサンドをかじりながら、だいたいのあらましを話しおえる。
リネを見ると、まばたきも忘れて、こちらを凝視していた。
「いや、おまえ、それって……」
「うん。前よりいいもの食ってるわ。ブレイデン公爵家の
「え、うらやまし……くはない、こともないけど」
「どっちだよ」
リネの態度に、アルデが笑う。
破産したとはいえ、穏やかな日々をすごしている。
「庭師もやりがいあるし。まだ見習いだけど」
最近では、人目に付きにくい場所の、花壇や樹木の選定を任されるようになった。
あるていど好きにしてもいいので、自分の作品が形になっていく高揚感がある。
「ただ、まあ」
「なんだ?」
「金が足りない」
さきほど病院から発行された、請求書の金額をおもいだす。
支払期限はまだ先だとはいえ、一か月の給金よりも入院費のほうが高い。
「ふたりぶんの入院費は、子供が稼げる額じゃないしな」
アルデは自分に言い聞かせる。
軽く吐いたはずの息が、ため息になった。
父親は、意識不明のまま。
母親は、意識をとりもどしたが、精神を病んで精神病棟に移った。
なんとかしなくてはいけないが、どうすればいいのかわからない。
「帰りに
勤務に影響がでない範囲で、休日に働くことは、許可をもらっている。
できることをやるしかない、と肩をすくめると、リネが真剣な顔をしていた。
「あのさ、国立公園で、魔獣が目撃されたの、知ってるか?」
「しらない。そうなんだ」
国立公園は、王都のすぐそばだ。
しかし王都は、城壁で囲まれており、魔獣が侵入してくる心配はない。
「俺のにーちゃん、
「ふうん。たいへんだね」
アルデは、おもいっきり
そんなアルデを、リネがちらりと見た。
なにかを言いよどんでいるようすに、アルデは軽く笑う。
「なに?」
「いや、その……」
「なんなの? 言ってよ」
「うん……薬草があったら、高値で買い取るって」
「ん? それ、俺と関係ある?」
意味がわからなくて、聞きかえす。
すると、リネが意を決したように、顔をあげた。
「薬草、取りに行ってみたらいいんじゃね?」
「取りに行く? え、国立公園に?」
「そう」
「だって、立入禁止だろ?」
「そうだけど……それってさ、魔獣に会う可能性があるからだろ? でも、会う可能性なんて、めちゃくちゃ低くないか?」
「俺に聞かれても」
「パッと取ってパッと帰ってくればいいんだよ。短時間で稼げるぜ」
アルデは、しばし考える。
リネは、よかれと思って提案してくれている。
危険はともなうが、たしかに、魔獣なんてめずらしいものに会う確率は、たかが知れている。
薬草が手に入れば、支払えるかもしれない。
さいわいなことに、アルデは庭師の見習いだ。
薬草の形状や生息地、採取方法は頭に入っている。
「もし取れたら、リネの家にもっていけばいい?」
リネが、うれしそうにうなずいた。
それから、すこしばかりバツの悪そうな顔をする。
「たきつけといてなんだけど。無理はするなよ、アルデ」
「わかってる。行ってみて、みつからなかったら、すぐ帰るよ」
こぶしを軽くぶつけて、リネに別れを告げる。
アルデは、散歩に行くような軽い気持ちで、国立公園にむかって歩きだした。
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