真っ昼間にアポなしで押しかけて捕まえられる相手じゃないと思っていたのだが、目的の人物は意外なことにあっさりと捕まえることができた。


「……君のスーツ姿を昼間に見るのは久しぶりだね、一樹」


 ちょうど仕事と仕事の合間だったのか、書斎でくつろいでいた旦那様はライティングチェアーごとの方を振り返る。


 そんな旦那様に俺は静かに一礼を返した。


「話は聞いているよ。……階段から落ちた瑞葉をかばって、緊急搬送されたそうだね」

「申し訳ありません」

「絶対安静1週間と聞いていたんだけど、この3日間、瑞葉の目がないのをいいことに、言いつけを破りたい放題で動き回っているらしいじゃないか」

「普通の人間とは鍛え方が違います。幸い、頭部の外傷も縫合の必要のない軽度の物でしたし、状況としては軽い脳震盪程度です。瑞葉様が酷く心配なされるので、大事を取っているように見せているだけです」


 本当は翌日から登校できるくらいには回復していたのに、ベッドから起き上がろうとする俺を瑞葉が許さなかった。普段あんなに強気な瑞葉が泣きそうな顔をして止めてくるから、俺も無理は通しにくい。普段の瑞葉への印象を弱っちく作りすぎたかと、自分のキャラ作りを悔いたのは言うまでもない。


 お陰で、あんなヤツに付け入るスキを与えてしまった。


「瑞葉にとって、君が怪我をしたということは、それだけ大事おおごとだったんだろう」

「……今後はもう少したくましい所も見せて、印象の改善を………」

「そういうことじゃなくてね」


 旦那様は苦笑を浮かべて、改めて俺に視線を向ける。


「瑞葉にとって、それだけ君は大切な存在なのだということさ。心の支えと言ってもいい」


 ……そんな自分の心に気付けていない、未熟な所が玉に瑕だねぇ、と、旦那様は溜め息に溶かすように呟いた。


「主の心ごと身辺を守り、安寧な生活を支える。……君は本当に、いいガードに育った」

「……過大評価です」

「瑞葉を危険な目に遭わせたから? 日々続くイジメから救ってやれないから? 現状の根本的な原因を潰せないから?」


 ……瑞葉がクラスメイト達から軽度のイジメを受けていることは、最初から気付いていた。先日なんてスカートを破られていたらしい。


 そのことに気付いてはいたが、瑞葉が気付いてほしくなさそうな素振りを見せたから、俺はそれに気付いていないフリを続けていた。


「でもそれに対する助けを、瑞葉が望んでいない。違うかい? 君は瑞葉が望めば、いつだってどの方面にでも動けるように手を打っているはずだ。だけどそれを瑞葉が助けを求めていない現状で無断で行えば、瑞葉の自尊心に傷が付く。……瑞葉が自力で解決できると知っているから、君は内の激情を押し殺して役を演じている。そうだろう?」


 ……全てを見透かしている旦那様の視線を真っ直ぐに受け続けることができなくて、俺は無言のまま視線を伏せた。


 瑞葉は、昔から強くて、誇り高い人間だった。どんな逆境にも突っ込んでいって、自分で道を切り拓くことができる人間だ。


 今の状況を、俺の力でどうこうすることは、簡単にできる。だけど、それは決して瑞葉のためにならない。ましてや瑞葉は、中学時代に似たような状況から道を切り拓いてみせた実績がある。完璧に道を閉ざされたわけでもないのに、俺が最初からしゃしゃり出るわけにはいかない。


 ……そう、思っている。


 だが結局、今瑞葉が苦しんでいて、そんな瑞葉の苦しみを取り除いてやれないのは、変わりようのない事実で。


 瑞葉が苦しんで悲しんでいるのに、一番傍にいる自分は何もしてやれない。いや、のだから、余計に性質タチが悪いのではないだろうか。


「『守る』と『甘やかす』は紙一重だよね、一樹」


 自己嫌悪に沈む俺の意識に、そっと旦那様の声が触れた。


 ゆっくりと視線を上げれば、旦那様は緩く笑みを浮かべた瞳で、鋭く俺のことを見据えていた。


「一樹、君は普段、瑞葉をよく『守って』くれている。でも、君は同時に昔から、瑞葉を『甘やかして』もきた」


 その鋭さに、体が無意識に緊張する。


 午後の穏やかな日差しに緩められていた空気が、一気にピンと張りつめたような気がした。


「……瑞葉が今、学校で誰をガードとして使っているのか、知っているね?」

「……はい」

「瑞葉は常日頃、君の頼りなさを挙げてガードの交代を主張してきた。『性格的に向いていない』とね。幼馴染というだけで向かないガードを続けさせるな、解放してやれ、と、ずっと言っていたよ」

「……」

「君の『甘やかし』のせいで付け込まれたと、思わないかい?」


 俺がガードから外された間、学校で瑞葉のガードを引き受けたのは、あの時瑞葉に接触していた2年のGクラス生、鷹羽樂だった。鷹羽側からの打診を、瑞葉が受け入れたのだという。


 鷹羽からの積極的なアプローチや洗脳的な言葉以外に、俺が目の前で倒れてしまったことも瑞葉の心に打撃を与えたのだろう。『ふわふわ可愛くて頼りない、幼馴染でもある一樹』をなるべく危険な場所から遠ざけておきたいという瑞葉の心は、事あるごとにひしひしと感じてはいた。


 だから、利用されたのだ。あの、鷹羽樂という男に。


 ギリッと奥歯が鳴ったのが自分で分かった。握りしめた拳が、力の込め過ぎで小刻みに震える。


「……ちょっと、君を責めすぎちゃったかな。君は、瑞葉を思って演じてくれているだけなのに」


 そんな俺の肩に、フッと温もりが宿った。


 その温かさに顔を跳ね上げれば、いつの間にか立ち上がっていた旦那様が俺の肩に手を置いていた。笑みに緩んだ表情は変わっていないが、今度は瞳の奥まで柔らかな感情がにじんでいる。


「瑞葉も、まだまだ子供だね。自分から忘れて、自分の望む幻想を君に押し付けたのに、今度はそんな君を頼りないって突っぱねようとするなんて」


 ──こわいカズキはキライッ!!


 耳の奥で、幼い日の拒絶の声が、こだましたような気がした。


 記憶の中にある声に、一瞬痛んだ胸を持て余す。


 ……昔、俺は、瑞葉の心に大きな大きな傷を付けた。


 その傷を隠すためなら、俺はどんな役割だって演じてみせる。瑞葉が望む『僕』を作って、完璧に纏ってみせる。可愛くて、ふわふわしてて、気弱で、瑞葉が思わず守りたくなるような……『僕』を守るために己を奮い立たせるような、そんな『使えない』人間を。瑞葉の心を傷つける『俺』の存在を悟らせず、完璧に振る舞ってみせる。


 たとえそれが『甘やかし』と呼ばれる行為でも。


「……すっかり話し込んでしまって、君からの本題を聞きそびれていたね」


 わずかに痛む心臓を握り拳で軽く叩いてごまかす。その間に旦那様は話題を変えていた。そういえば当初の予定を切り出せていないと思い出した俺は、姿勢を正すと改めて口を開く。


「ご報告と、……お預けしている物の、一時返還をお願いいたしたく、伺いました」

「……私が甘やかしを指摘したのは、間違いだったかな?」

「いえ。旦那様が仰られたことは、全面的に正しいと思います。それでも俺は、この甘やかしをやめようとは思わない」


 暗に『言われなくても甘やかしをやめるつもりだったのか』と問うた旦那様に、俺は静かな声で答えた。その言葉に数拍間をおいて頷いた旦那様は、俺が報告を口にするよりも早く書棚の先へ歩を進める。


 書斎の中に1棹だけ置かれたローチェスト。その前まで足を運んだ旦那様は、ローチェストの上に置かれた刀架から一振りの日本刀を取り上げる。


「……報告結果から判断なされなくて、よろしいのですか?」

「そこまで待つ必要はないよ。君の方からこれを求めたならば」


 旦那様は無造作に俺の元まで日本刀を持ってくると、気負うことなく俺の方へ優雅な凶器を差し出した。


「代わりにひとつ、答えてくれないかな?」


 その上で旦那様は、ひとつ問いをこぼす。


「甘やかしをやめないのは、誰のため?」


 即座に答えの声は出なかった。


 だけど、俺を真っ直ぐに見つめていた旦那様がわずかに目を瞠る。そんな旦那様の瞳に映り込んだ俺は、せつなげともやるせないとも言える微笑みを浮かべていて……


 ──その瞬間、空気を切り裂くようなけたたましさで、俺のスマホからアラートが響いた。


「っ!? これは……?」

「っ失礼しますっ!!」

「一樹っ!?」


 旦那様が戸惑った声を上げる。だが俺はその全てを無視して旦那様の手にあった日本刀をひったくると勢いよく書斎を飛び出した。同時にジャケットに突っ込んだスマホを引っ張り出す。画面には瑞葉のスマホの位置情報が表示されていた。瑞葉が自分のスマホから救援を求めた証だ。


「瑞葉……っ!!」


 奥歯を噛み締め、走る足に力を込めると同時に、日本刀の鞘に結わえてあった紐に頭を通して背中に負うように日本刀を帯びる。


 スマホをジャケットに突っ込んだ俺は、インカムを装着すると声を発した。



 唇から零れ落ちた声は、瑞葉が知らない、低く殺気のこもったガラの悪いのものだった。





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