中庭に面した日当たりの良い部屋。


 この間よりも並べられている座布団の数は多い。


 床の間には生け花とフラワーアレンジメントが両方飾られていて、いつもより何だか室内がにぎやかしかった。


「中高合同の展示会は盛況で終わったそうだな。わしも邪魔させてもらったが、どの作品も大変良かった。取り仕切りに当たった なのは も かのこ も、本当にご苦労だった」


 床の間を背にしてわたくし達の前に座したお父様は機嫌よく笑う。


 それを受けて口を開いたのは、かのこ の斜め後ろに控えた拓人さんだった。


「そーっすよね! そう思いますよねっ!! かのこ様、メッチャ頑張ってたんすよ! もっと褒めて差し上げてくださいっ!! ぜひっ!!」

「拓人……っ!!」


 対してわたくしの斜め後ろに控えた高人さんは苦々しい声で拓人さんを呼ぶ。柔らかで親しみやすい雰囲気を醸す拓人さんに対し、今日も高人さんは厳寒の冷たさを隙なく纏っていた。


 そんな二人にもお父様は鷹揚に笑いかける。


「はっはっはっ! 確かに拓人の言う通りだ。かのこ はよく頑張った」

「えへへっ、ありがと、お父様!」

「なのは も」


 褒められたことを素直に喜ぶ妹と、主を褒められたことに目を輝かせる妹の付き人が微笑ましくて、思わず瞳を細めた瞬間、お父様はわたくしの名前も呼んでいた。


「なのは も、本当によく頑張ってくれた。お前が次代であると思うと本当に頼もしい」

「そっ、そんな……!」

「なぁ、高人。お前もそう思わないか?」


 不意に話の矛先はわたくしの付き人へ向く。


 思わず高人さんを振り返ると、いつものごとく氷のように冷たい視線とかち合った。ヒヤリと心臓が冷えて、肩は勝手にビクつく。最近、以前よりは耐性が付いてきたと思っていたのだけれど、さすがにあの氷のように冷たい言葉を かのこ と拓人さんの前で聞くのはつらい。


 わたくしは次に来るであろう言葉に備えて、思わず身を固くした。


 そんなわたくしを一瞥した高人さんは、ふぅっと軽く息をついてからお父様の言葉に答える。


「当然でございます、御当主様」


 冷たい声と、冷たい眼差し。


 怖いけれど、それがいつもの高人さん。


「なのは様ならば必ず見事な成功を収めると、最初から分かっておりましたので」


 ……だけど今紡がれた言葉は、『いつもの高人さん』より、ほんの少しだけ温かい。


「はははっ、高人は相変わらず手厳しい」


 今までとわずかにニュアンスが違う言葉。


 その変化に気付かなったお父様はいつものように鷹揚に笑い、変化に気付いた拓人さんはパチパチと目を瞬かせる。だけど拓人さんはそこに突っ込むことはなく、小さな変化は簡単に流されてしまった。


 しばらくお父様と話し、学校に向かうべくお父様の前を辞する。


 高人さんと拓人さんは車の手配のために先に出てゆき、忘れ物をしたという かのこ は一旦部屋に戻っていった。広くて威厳があってその分薄暗い廊下を、わたくしは一人玄関に向かって進む。


 ──……あ。


 玄関から入り込む初夏の爽やかな日差し。


 その中に立つ人影を見付けたわたくしは、無意識の内に足を止める。


 今日も隙なく制服を着込んだその人は、玄関の壁に軽く背中を預けて立っていた。外の日差しをぼんやりと眺めているせいか、わたくしの方に彼の視線は向いていない。


 不意に、彼の指が静かに動いてスルリと胸ポケットからパスケースが抜かれた。わたくしが贈った黒革のパスケースを片手で器用に開いた彼は、そこに視線を落とすと静かに微笑む。


 パスケースの中に何が入れられているのか、この距離から判別することはできない。だけど、そこに花が入れられているならば……


 呼吸さえ忘れてその光景に見入るわたくしの前で、高人さんは片手のまま器用にパスケースを畳んだ。そのままフワリとパスケースを持ち上げた高人さんは、そっとパスケースに口づけを落とす。


 ──かのこ と篤義、拓人さんへのお土産は、寺ヶ崎へ行った当日に渡した。だけどわたくしは、高人さんへのお土産だけ、渡すのを後日に遅らせた。


 高人さんに贈る花を、用意したかったから。


 わたくしはキュッと胸元で手を握りしめる。熱を集める頬が熱い。


 パスケースに添えた押し花のカード。


 使った花は赤いゼラニウム。


 花言葉は……


 ──……高人さんなら、知ってますよね?


 そんなわたくしの心の声が聞こえてしまったのだろうか。流れるような動作でパスケースを胸ポケットにしまった高人さんは、わたくしの方へ視線を投げた。


 高人さんの表情は、逆光になってしまってよく分からない。


 だけど、わたくしの勘違いでなければ。


 初夏の光が見せた幻影でなければ……


「お出かけになられるお時間ですよ、なのは様」


 フワリと目元をやわらげた高人さんが、わたくしへ片手を差し伸べる。


 そこにある空気は、花心をくすぐる春の日差しのように柔らかで。


「……はいっ!」


 その手を求めて、わたくしは小走りに廊下を進む。一瞬で柔らかさは消えてしまって『廊下は走らない』と子供が受けるような注意を受けてしまったけれど、わたくしの手が触れるまで高人さんの手は下げられなかった。






 赤いゼラニウムの花言葉は。


『君がいて幸せ』






【case2 END】


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