捌
──おわっ、た……っ!!
事情聴取は、わたくしがさっきまで買い物をしていた革小物のお店の事務所で行われた。
警備員さんの他に駆け付けた警察も交えての聴取だったから、わたくしは悪いことをしていないはずなのに酷く緊張してしまった。だけど、華宮の名に恥じない、毅然とした対応はわたくしにもできていたと思う。
──結構時間がかかってしまったわ。高人さん、どこにいるかしら……?
そんなことを考えながらお店の表口を出る。キョロキョロと左右を見回すと、植え込みの縁にゆるく腰かけた高人さんの姿が見えた。拓人さんの演技をやめたせいなのか、今度は周囲に人垣ができていない。
わたくしはそちらの方へ足を向けて……すぐに足を止めて近くの柱の陰に身を隠した。
予期せぬ人物が、そこにいたから。
「……へ~、せっかくのデートだったのに、随分災難だったねぇ?」
「デートじゃない。なのは様の気晴らしだ」
「名目はそうでも、高人の中じゃ立派な『デート』だったんだろ? だから俺が今日の話をした時、烈火のごとくブチ切れたんじゃん」
「拓人……!! 一々余計なことは言わなくていい……っ!!」
拓人さんの格好をした高人さんの前に立っていたのは、眼鏡をかけてブラックスーツを着込み、黒髪になった……つまり高人さんの格好をした、拓人さんだった。
高人さんと拓人さんは外見を入れ替えているわけだけれど、今は中身まで演じているわけではないから、二人を見慣れているわたくしが見間違いをすることはない。
「それで! そっちはどうだったんだ」
「万事つつがなく。……あー、でも親父にはバレてたかも。最期に『ちゃんと伝えておくように』って言われちまったし」
「かのこ様には?」
「かのこ様には最初から隠してねーもん。むしろノリノリでお披露目してきたわ。メッチャウケてくれてさ~」
「……そうか」
──え、え? どういうこと? 高人さんは拓人さんに自分の格好をさせて、休暇申請を出してまで出席するはずだった重要な会議に、拓人さんを影武者として出席させていたの? それほど休むわけにはいかなかった会議をすっぽかしてまで、わたくしの外出についてきたの?
漏れ聞こえてくる会話から流れを推測してみたけれど、余計に訳が分からなくなった。
今日の外出を提案したのは、本物の拓人さんだった。拓人さんの発言から推測すると、高人さんはその計画にとても怒っていたらしい。だというのにわざわざ、拓人さんに化けてまでわたくしの外出に付き合ってくれた。わたくしの行動に、ひとつも文句を言うこともなく。
気に入らなくて受け入れられないならばいつものように外出を却下すればいいだけだし、自分が同行できないから受け入れられないという理由だけならば、ガードを拓人さんに任せて自分は会議に行っていても構わなかったはずだ。元より拓人さんはそのつもりだったのだろうから。
それなのに高人さんはどの道を選ぶこともなく、一番面倒な手段を以ってわたくしに付き添ってくれていた。
「それで? なのは様の方はどうだったの? 楽しそうにしてらした?」
「……普段よりも、明るかった」
「ほーら、言った通りだったじゃん。いつでもどこでも厳しく締め付けるだけがガードの能じゃないんだからさ」
そしてその混乱に拍車をかけるかのように、拓人さんから爆弾発言が落とされた。
「いっつも本当は甘やかしたくて甘やかしたくて仕方がないくせに」
──……甘や、かす………?
それは、『氷の貴公子』と呼ばれる高人さんに最も似合わない言葉なのでは……?
「俺のフリしてなのは様を甘やかしてみた感想はどーよ? 楽しかったでしょー? だからさぁ、高人だってもっと……」
「あれで甘やかしただと? まだまだ足りん。できることならもっと手取り足取り、デロッデロに甘やかしたい。もっとやりたいことがたくさんあったのを なのは様に合わせてどれほど我慢したことか。というかあんなクソ野郎のせいで なのは様のせっかくのお休みが台無しじゃないか。やっぱりあいつを今すぐ
「あーはいはいはいはい。それ以上は犯罪臭が漂うからやめようねー」
怒涛の勢いで高人さんから流れ出るほの暗い感情を拓人さんがスパッと両断する。そんな二人をこっそり見つめるわたくしは、きっと目が点になっていることだろう。
──え、高人、さん……? どこからどう見ても高人さんに間違いないはずだけれど……高人さん、…………えっと、高人さん?
「高人はほんっと、なのは様が大好きだよなぁ」
混乱の極致にあったわたくしは、上手く隠れていることもできていなかったらしい。
知らず知らず柱の陰から身を乗り出していたわたくしと、拓人さんの視線がバチッとかち合う。
その上で口元に柔らかな笑みを浮かべ、そっとその唇に人差し指を立てて、拓人さんはとても大切な質問を高人さんに向けた。
「なぁ、高人。そんなに なのは様のことが大好きでデロッデロに甘やかしたいって内心では思ってるくせに、なんで普段あんなに なのは様に厳しく当たるんだよ? 『高人』としては なのは様が大好きでも、『藤波』として見たら なのは様は『華宮』として不服なのか?」
「不服があったら仕えない。なのは様を侮辱するつもりなら、お前といえども叩き潰すぞ」
「そりゃそうだよなぁー。お前が何もかも完璧にこなすの、全部 なのは様の付き人でいるためだもんなぁー。武道も、学業も、俺達にとっては必須ではない華道まで納めたのも、全部全部 なのは様に一番近い位置をキープするためだもんなぁー?」
「……なのは様は、華宮の次期当主になられる御方だ。俺は間違いなくそう思っている」
拓人さんからの追及をかわし切れないと観念したのだろう。高人さんはいつになく小さな声で拓人さんの問いに答え始める。
「あの歳にして、あれだけ花の心を聞き届けて花を活けることができる人間は、華宮の中にもいない。なのは様御自身も努力を惜しまれない御方だ。使用人や御弟子衆にも分け隔てなく接するお人柄も、華宮として凛とあられる御姿も、いつだって次代華宮の主にふさわしい。……御自身に自信がない所だけが、玉に瑕だが」
高人さんの口からスラスラと紡がれる讃辞に、思わずわたくしは呼吸さえ忘れた。
初めて、だった。高人さんがこんな風に言っている所を聞いたのは。
「俺は、なのは様のすばらしさを、よく知っている。……だが、誰もが人を素質だけで見てくれるわけじゃない」
わたくしは高人さんの言葉にグッと奥歯を噛みしめて気を引き締めた。
──感動、している、だけじゃ、駄目。
わたくしは、高人さんの本心を知りたい。……知って、心で受け止めなければならない。
それが、わたくしに心身ともに尽くしてくれる高人さんへ、わたくしが尽くすべき誠意だもの。
「華宮の次代当主を誰にするかで派閥争いがあることを、お前も知ってるだろ」
「
「当然だ。華宮の外が騒いでいることなど、なのは様も、かのこ様も、篤義様も知らなくていい。御姉弟の情に外から亀裂など入れていいはずがないからな」
高人さんと拓人さんは、付き人として不穏な空気を一瞬纏う。
だけど、残念ながらわたくしは、その争いのことを随分前から知っていた。いくら二人が優秀な付き人で最大限気を配っていてくれても、そういう話題はどこからともなく聞こえてきてしまうものだから。
歳が離れた弟・篤義が生まれてから、『家は男が継ぐものだ』と強硬に主張している一派がいることは知っている。
己の考え、権力、野心。
華宮の中も、付き人御三家も、御弟子衆の中も、色んな感情と打算をはらんで揺れている。
お父様がわたくしを跡目にと考えて公表していても、かのこ派や篤義派が完全に消えることはない。わたくしの派閥があることも、様々な思惑からわたくしにすり寄ってくる人間がいることも、……それを高人さんが阻み、行き過ぎれば潰していることも、うっすらと察している。
「その声に付け入られないようにするには……潰されないようにするには、なのは様により完璧に近い形で常にいてもらうのが最上策だ。俺の守りに不足があっても、隙さえなければ付け入られる確率は限りなく低くなる」
不意に高人さんは、うっすらと纏っていた不穏な空気を脱ぎ去った。淡々と語る言葉には、固い決意が垣間見える。
「俺の心を満たすためだけに、甘やかして、真綿に包むようにしていたら、いざという時に なのは様は己で己を守れない。それは決して、なのは様のためにはならない」
その言葉は、桜花がフワリと舞い降りるように、静かにわたくしの心に落ちた。
「甘やかせば、俺の心は満たされる。きっと、今よりずっと幸せな日々だろうな。なのは様はあんなに俺に怯えないだろう。距離も縮まるかもしれない。もしかしたら、……いつもあんな風に、笑いかけてくれるかもしれない」
高人さんの右手がスルリとジャケットの内側に入る。
次に出てきた時にその手が握っていたのは、あの無残に切り裂かれたパスケースで。
「でもそれじゃ、ダメなんだ。なのは様を、ダメにしてしまう」
高人さんの指は愛おしそうにパスケースの縁を撫でると二つ折りになった中を開いた。
そこに入っていたのは、色も薄れた押し花だった。
ビオラの押し花が貼られたカード。
高人さんがわたくしの付き人として引き出された時、わたくしが勇気をかき集めて渡した、あのカードだった。
ビオラの花言葉は『信頼』。だからわたくしはあの日、高人さんにその花を贈った。
「怖がられようとも、怨まれようとも、……たとえ、それが原因で嫌われようとも。……一番近くにいられる俺が、一番厳しくあらねばと思ったんだ。どんな逆風にさらされても、なのは様ご自身で凛と咲いていられるように。その美しい姿を、誰にも手折られないように」
わたくしのいる場所からは、高人さんの顔は見えない。見えているのは背中と、わずかに手元だけ。
だから正面に立つ拓人さんが、何を見て表情を緩めたのかは分からなかった。
「……そっか」
小さく呟いた拓人さんに高人さんが視線を上げる。二人はそれだけで何か通じ合うものがあったのだろう。わずかに瞳を細めた拓人さんは、最後にチラリとわたくしを眺めると何も言わずに去っていく。
残された高人さんは、まだわたくしに気付いていないようだった。そんな高人さんにどう声を掛ければいいのか分からなくて、わたくしはソロリソロリと、まるで忍ぶように高人さんへ近付いていく。
立ち位置がずれて、高人さんの横顔が見えた。
──……あ。
その瞬間、わたくしはもう一度足を止めていた。
フワリと高人さんの長い指が持ち上げられる。指の間にはパスケースが挟まれたままになっていた。瞼が伏せられた顔の前まで持ち上げられたパスケースが、そのままフワリと高人さんの唇に触れる。
一瞬だけ。
音もなく、気配もなく、落とされた唇。
短いのに、さりげないのに、何だかその仕草は神聖な誓いを立てているかのようで。
──高人、さんは。
きっと、ずっと、今まで人知れず、この仕草を繰り返してきたのだろう。心の奥底にある感情を、氷の表情の下に沈めて。厳寒の冬、草木の種を沈めた湖が、
──もしも、わたくしが、高人さんに甘やかされても、強く、凛とあれる人間になれたら。
その神聖ささえ感じる光景に目を縫い付けられたまま、わたくしはキュッと己の胸元を握りしめる。
──貴方は、沈めた色鮮やかな
苦しいような、狂おしいような、冬の土の下に埋もれた種が、必死に春の温もりを求める飢餓感。
今までなかった感情が、酷く苦しい。
数度その場で深呼吸を繰り返して、わたくしはそっと彼の名前を呼んだ。
「高人さん」
もう偽るつもりはないのだろう。彼はわたくしの声に素直に振り返った。そのたった一瞬でそれまで浮いていた柔らかな表情は氷の下に隠される。
だからわたくしの方が、今度はふんわり笑ってみせた。
「お待たせ致しました。……まだ行きたい場所があります。お付き合いいただけますか?」
その表情に面喰ったかのように高人さんはクロモジの瞳を一瞬見開く。ほんのり頬に赤みがさしたのは、気のせいだったのだろうか。
「なのは様のお望みのままに」
立ち上がった高人さんがわたくしの方へ片手を差し伸べる。
その手に己の手をフワリと重ねて、わたくしは次の一歩を踏み出した。
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