最終話 「好き」
私は自分が吸血鬼だってことに負い目はあまりない。
吸血鬼なものは仕方ないし、牙が鋭いのは仕方ないし、血が美味しいのも仕方ない。
そういう生き物だから、そういう生き物として生きていくだけだ。
だけどもし、私が吸血鬼なせいで、友達が嫌な思いをしていたら、私は自分が吸血鬼だってことを後悔してしまうかもしれない。
もしかしたら千草は、そんな私を気にかけてくれたのかもしれない。
千草は優しい人間だから。
「吸ってよ。私の血」
「えっ……ちょちょちょちょちょ! 待っ……待とうよ千草」
「吸えー! いいから早くー!」
「周りの人に聞こえちゃうから!」
「あ、そうか……」
ようやくここがただの道端だということに気づいたのか、千草は周りをキョロキョロ見る。
別にこっちを見てくる人はいないけど、会話は完全に吸血鬼そのものだった。
「ど、どうしたの急に……」
「いやだって、羽月が深刻な顔して見てくるから」
「そ、そうかなぁ」
「羽月のせいでヤバいことになってるとか、そういうのじゃないから、その証明」
襟を引っ張って、首元をセクシーに露わにする千草。
そういうのは、相手が吸血鬼とかにかかわらずいかがわしい気がする。
「いや、でも、ここじゃ……」
「じゃあホテル行こうよ。もう一晩中飲んでいいから」
「な、なんでそんな積極的なの……?」
「私はもう止まれないから」
何がだろう。
私が千草を疑ってしまったせいで、千草がおかしくなってしまった。
ただ、よく見ると、千草は恥ずかしそうな顔でぷるぷる震えている。
良かった。いつもの千草だ。
「わ、わかったわかった……何にもないのは、わかったから」
「そっか」
「うん」
「……え、じゃあ、どこでする感じ……?」
「あ、するの……?」
今のは、私が納得したら終わる流れだと思っていたんだけど。
別に私が納得するかどうかは関係ないのか。
「一応、なんか、言っちゃったし。吸わせなかったら、羽月が可哀想だし」
「か、可哀想かなぁ」
「あとは、確かめたいことも、あるし」
「あ……そういうこと」
吸血に関して、気になってることはあるってことか。深刻なことではないらしいけど。
その実験に、私は付き合わされる、ということ、らしい。
「た、誕生日プレゼントってことでさ」
「ああ、うん、それなら……」
ただ、私に話す時の仕草が、まるでいけないことでも始めるかのような仕草で、少し緊張する。
初めて吸血する、という時ならとにかく、一回した後なのに、なんで千草はそんな慌てた様子で……あと、なんで私は緊張しているんだろう。
その答えは考えてもわからない。考えたところで、自分の脳が認めさせてくれないような感覚。
だけど、それでも何となく、私が千草に感じるこの気持ちは、友情とは少し違うのかもしれないと、私は気づき始めた。
◇◆◇◆◇
「血を吸いにきましたって言ったら、どんな顔されたかな」
「いや、母さんは吸血鬼だし……別に、いいんじゃない」
私の家に着き、腕を引っ張って母親に遭遇する前に二階に上がると、羽月はおずおずと私の部屋に入ってきた。
どんな流れでこうなったかは覚えていないけど、羽月は私の血を吸いに私の家に来た。多分、それで間違ってない。
どんな流れでこうなったかは覚えていないけど。本当に。
微かに覚えているのは、私が実験だとか、誕生日プレゼントだとか言って説得しようとしていたこと。でもそれは確か、言い訳めいた戯言だ。
「千草っぽい部屋だね」
「……無個性ってこと?」
「それも含めて千草っぽいんじゃない?」
「なにそれ」
物のない部屋に無理やり感想を言われたって嬉しくない。
……嬉しくないはずなのに、羽月が言うと何故か心が踊るから困る。
私はいつからこんなにチョロくなっていたんだろう。
「それでっ……」
「あ……吸っていいんだっけか」
「それが目的でしょ、羽月の」
「いやぁ、私のっていうか……?」
そう言いながら私を見てくる羽月からは私を辱めようという意図を感じる。
……別にいいけど。今いじられたら確実に恥ずかしいけど、あの時の私は本気で必死だったのは事実だから。
羽月が傷ついていたらどうしようと、必死だった。
「羽月が疑ってくるから」
「あ、私のせいにした」
「両方のせい」
「それならいいけど」
納得したっぽい。
お互いの責任にできたところで、ふらふら不安げに歩いていた羽月はそのまま床に座ろうとする。
椅子ないからな、私の部屋。
ただ、それはどうかと思ったから、ベッドを叩いてこっちに座るように言う。
床よりは、きっといい。
「寝ていいの?」
「馬鹿」
「冗談だって」
と言いつつも、羽月はいつもより動きが固いように見える。
羽月でも、他人のフィールドだと緊張したりするんだろうか。そんなことを考えて、少しだけ何かを先延ばしにしようとする。
「……羽月って、友達の部屋よく行く?」
「あ、雑談?」
「したくないならいいけど」
「したいしたい。話そうよせっかくだから」
「うん……」
自分から提案しておいて何だけど、羽月とはいつも話してるから、せっかくだからと言って話すほどの話題はない気がする。
ただ、この機会にしかできない話を羽月は隠し持っていたのか、
「ちなみに、私友達の部屋来るの初めてだよ」
「……えっ? ……あ、嘘か」
「ホントホント」
「……いや、嘘だ」
「信じてよー」
軽い感じで言う羽月はそんな大事なことだと思っていないのかもしれないけど、私からすればそれは大きすぎる話題だ。
私が初めてなんて、そんなこと。
……絶対嘘なのに、羽月は本当のことを言った顔をしてる。
本当、なのかな。
「私、家が厳しかったから、一人で人間と出会うかもしれない場所とかいけなかったんだよね」
「……ああ、そういう」
「でも高校生になったから解禁。私が勝手に」
「いや、言いなよ、一応」
「言ったら千草と出かけられなくなっちゃうかも」
「……なら言わなくていいや」
薄々、羽月は吸血鬼の中じゃお嬢様なんじゃないか、とは思っていたけど。
そういう家なら、厳しいのも当たり前か。
なら、羽月が友達が少ないのも本当のことだったのかもしれない。
学校の外で友達と遊ぶようになったのも、もしかすると私が初めてで――
「図書館も公園も千草とが初めて」
「……私の思考読んだ?」
「え?」
「……何でもない」
きっと、こんなことを何らかの記念日のように捉えてることがバレたら気持ち悪がられるだろうし、読まれてない方がいい。
私にとって、羽月は特別な友達だ。……友達? 特別な……存在だ。
羽月にとっては私はどうなんだろうと、何度も考えたことがある。
その度に、調子に乗るなと自分を律していたけど。
「なんか静かな空気だから恥ずかしいことを言おうと思うんだけど」
「うん」
「千草と遊んでる時、これが友達を超えた、親友の領域なのか……! って、ちょっと思ってて」
「……ふざけないで言えばよかったのに」
「えへへ……恥ずかしいじゃん」
友達の家に初めて来たからと言って、そんなことを本人に言う時点で、恐らく世間一般から見れば恥ずかしい。
だけどきっと、それだけ初めて友達の家に行く羽月の経験は、貴重なものだったんだろうから、私は恥ずかしいとは思わないでおく。
「……ありがとう」
「こちらこそ?」
「なんで疑問を抱く」
ベッドに座って、隣で「ふへへ」と笑う羽月。
そんな羽月と話している間に、私の顔は吸血について話すまでもなく熱くなっていて
、放っておけば嬉しさだけでオーバーヒートしそうな状態だった。
「……いい話しちゃった」
「自分で言うな」
「……帰る?」
「いい話して逃げる気?」
「嘘だけどさ」
きっと、ここで羽月を家に帰したら、次会った時、羽月と親友としてさらに仲良くなっているんだと思う。そうなれば私はとても嬉しい。
でも、同時に、それじゃ物足りないと思っている私も心に存在している。
眼鏡を掛けないと視認できないようなぼやけた存在だけど、その私は、親友でさえも物足りないとふざけたことをぬかしている。
贅沢を言うな、と思う。
だけど、その私も確かに私の心の一部で、私の心は確かに、その先を求めていて。
「はい……同じところ、吸うんでしょ」
首のところを引っ張って露出すると、羽月はさっきまでのいい話をしていた羽月じゃなくなる。
それは、吸血鬼の顔になったとかではなく、さっきまでの私を親友として見ていた羽月が、どこかへ行ってしまったように見えた。
「千草」
「……なに」
「立ってしたいって言ったら……笑う?」
「なにそれ」
「笑わないでよ……」
フフッと、力が抜けてつい笑ってしまうと、羽月は拗ねたように下を向く。
ただ、私が立ち上がると、すぐに羽月も立ち上がってくる。
そうして、吸血するわけじゃなく、一歩近づいた後、優しく抱きついてくる。
羽月の動きに驚いた後、私も無言で背中に腕を回す。
「……吸いやすいし、こっちの方が」
「……そっか」
それなら、仕方ない。
心臓の音がうるさい自分の身体に言い聞かせるように心の中で呟き、羽月が動き出すのを待つ。
その時間が何秒あったのかはわからない。
きっと十秒以上はあったと思う。十分でも驚かない。当てに行くなら、きっと三十秒くらいだ。
その間、私達は一切喋らなかった。
それは友達同士ですることではなかったかもしれない。
普通は一言くらい喋るところだったかもしれない。
だけど、羽月は最後まで喋らなかった。
「……んっ」
羽月の牙が私の治りたての皮膚を優しく貫いて、口全体で首元を覆う。
二度目の吸血は、羽月が心の準備をさせてくれたおかげか、最初から心地よくて、抱きしめられた時と同じように、どれくらい時間が経ったか感覚だけじゃわからなかった。
一時間くらい、羽月は私の血を飲んでいた気がする。だけど、それが本当なら私に血は残っていないはずだから、多分違う。
幸福感に包まれるように羽月に包まれている時間は私の血が抜けきらないうちに終わり、羽月は艶めかしい音を立てながら私の首元から口を離す。
いろいろなことを考えていた気がした。
羽月が吸血を終えて、お互いの顔を見つめ合うまで。
そして、羽月が手を離して、一歩後ろに下がるまで。
だけどきっとそれは全て余計な思考だ。
私が本当に思っていたことは一つしかない。
離れた後も何も話さない羽月。
腕を後ろに組んで私に優しく微笑む羽月。
私の部屋に現れた天国のような景色を目に刻みつける。
そうして私は誰に急かされるでもなく、自分の意志で、一番に言いたかった一言を口にしたのだ。
「――好き」
私の友達が「血吸っていい?」って聞いてきた 山田よつば @toku_
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