2

「この屋根、ふわふわで美味しいよヘンゼル!」

「見て! この窓砂糖でできてた! 甘いよグレーテル!」


 もぐもぐ、さくさく、ばりばり


 久しぶりの食べ物。ヘンゼルとグレーテルは、家から屋根だの壁だの窓だのを取り外し、夢中で食べました。

 夢中すぎて、後ろから誰かがやって来たのに気付きませんでした。


「おやおや、いい食べっぷりだねえ」

 しゃがれた声に、二人ははっ、と我に返りました。

 声のした方を見れば、そこにはニコニコと笑って立つ一人のお年寄り。

「ごっ、ごめんなさい! あなたのおうちでしたか!?」

「ごめんなさい! お腹空いちゃってて……」

 慌てて謝るヘンゼルとグレーテルに、お年寄りは優しく微笑みました。

「いいんだよ。気にしないで。それよりも、さ、こっちにいらっしゃい」

 笑顔を崩すことなく手招きをします。

「ほらほら、おいでよ。怒ってないから。ね。早く。家の中に来て」

 本当に怒っていなさそうな表情につられ、二人は誘われるがままにお年寄りに近付いていきました。


 「ヘンゼルとグレーテル」の元のお話を知っている皆さんは、このお年寄りが魔女だと思うでしょうね。


 ですが。


「ほら、おいでよ」


 ここでは。


「そうしたら、もっと美味しいものを―」


 そうではありません。


「食べさせて―」


 何故って。


「も ら え る か ら」


 本物の魔女は兄妹がここに来る前に、とっくにセンサーの餌食になっていたのですから。




 がああああああああ


 耳をつんざくような大声とともに、魔女に化けていたセンサーは大きな口を開けました。

 胸部に届くくらいまで開いた、真っ赤な口に兄妹が驚いている暇もなく、背後の家にも異変が起こりました。


 ぎしぎし ぎしぎし ぎしぎし

 ぞろぞろ ぞろぞろ ぞろぞろ


 二人がまだ手を付けていなかった屋根の一部に、壁の一部に、窓の一部に。

 酷い骨折でもしたかのように、めちゃくちゃな方向に折れ曲がった四肢が生え。無理やり自身の体を家から引き剥がすようにして起き上がり。

 

 がああああああああ

 

 やっぱり大きな口を開け、四つん這いで、すごいスピードで魔女の姿のセンサーと一緒になって襲いかかってきたのです。


「!?」

 わけがわからないながらも、ヘンゼルとグレーテルはとっさに手をつないで逃げ出しました。

 それはもう全速力で。グレーテルなんて、さっき転んで膝を痛めていたのも忘れて。

 息を切らして、走って、走って。けれど背後の四つの気配は、スピードを緩めることなく追いかけてきていて。

 それでも、諦めずに走って走って……




 けれどやがて、二人共立ち止まってしまいました。


 疲れてしまったから? いいえ。

 諦めてしまったから? いいえ。

 木や小鳥の姿をしたセンサー達が、本物の木や小鳥を貪り食っているのに出くわしてしまったから? はい。


 それは想像を絶する光景でした。

 

 ばりばり ばりばり

 数十本の木が、大きな口で他の木の幹や枝やらに食らいつき、咀嚼していました。

 口のある木達は、撒き散らされた葉っぱの一枚まで逃さず拾って食べていました。


 にちゃにちゃ にちゃにちゃ

 ぴぎいいいいい ぴぎいいいいい

 数十羽の茶色い小鳥が、必死に抵抗する他の小鳥達を捕らえて大きな口でその肉を食いちぎっていて。食べられている最中の小鳥達が体の大きさに似つかわしくない悲鳴を上げていました。

 くちばしではなく口のある鳥達は、飛び散った血液の一滴まで逃さず舐め取っていました。




(何、これ…… どういう……)

 おぞましさのあまりに全身が震えだして…… それでも、逃げなきゃ、じゃないと自分達もこんなことになっちゃう、と木を奮い立たせたグレーテルは、「逃げるよっ、ヘンゼル!」と手をつないだ兄に呼びかけました。

 ところが、ヘンゼルは尻もちをつくようにその場に転んでしまったのです。

「どうしたのヘンゼル!?」

「……ごめん、立てない。腰が抜けたみたいグレーテル」

「そんな!? でもここから離れなきゃヘンゼル!」

「もう無理、力が入らない! 君だけで逃げてよグレーテル!」

「何言ってんのヘンゼル!? 引きずってでも……!」

 本当に引きずって走っていこうと試みた、その時でした。


 ぎょろっ

 

 二人には顔を上げなくてもすぐに分かりました。得体の知れない木々と小鳥達が、一斉に自分達の方を向いたのが。

 それと同時に、あのお年寄りと、お菓子みたいな三体の存在が自分達に追いついたのが。


 前にも後ろにも、いるのは自分達を狙っている存在だけ。


 ここまでなんだ。

 昨日までの三日間ほど、何も食べずに暗い森をさまよい続けていた時以上の恐怖に、兄妹は支配されました。

 

 おうちにも帰れないまま、こんなところで死ぬんだ。

 ヘンゼルはグレーテルに、グレーテルはヘンゼルに対する申し訳無さでいっぱいになりつつ、覚悟を決めた…… その時でした。


 げっ

 

 場違いなほど嫌な音がして、思わず顔を上げました。

 そこにいるのはあの大きな口のお年寄り、のはずでした。

 首から下は確かにそうでした。けれど首から上は、たくさんの泡になって空に向かっていくところでした。


 泡の向こう側には、裸足の足と、その持ち主の青い瞳が印象的な人が見えました。険しい表情をしていましたが、二人の姿を認めるとにっこりと笑いました。

 ヘンゼルとグレーテルが困惑している間にも、お年寄りだった存在の首から下も泡になっていき、次々と空へと浮かんでいきました。


 がああああああああ あああああああああああ

 

 お菓子みたいな何か達と、木みたいな何か達、それと小鳥みたいな何か達は、突然現れた青い瞳の人に向かって一斉に飛びかかりました。

 その人は何か達を睨みつけると、大きく飛び上がり、狙いを定めて蹴りつけました。

 一体、また一体。見えないくらいの速さで次々と蹴っていきます。再び、たくさんの泡が舞いました。




 アンヌに蹴られたセンサーは、泡になって死ぬのです。蹴られたが最後、大した傷にならなくとも、全身が必ず泡になってしまうのです。

 けれど実は、攻撃するアンヌにも結構な負担がかかっているのです。

 海の魔女に頼んで人間の足をもらったアンヌでしたが、その足は歩くたびに信じられないほどの、それこそ「ナイフを踏むような痛み」を感じるものでした。

 とうの昔にバッドエンドを迎えた今も、それは変わっていないのです。だいぶ慣れてきたとはいえ、センサーを蹴るのにも、気を抜いていると意識を失ってしまうのではないかと思うほど痛いのです。


 けれど。

 高く飛び上がり、また一体センサーを蹴ったアンヌは、一旦重力に任せるままに落下しました。

 そうして落ちていくとやがて、裸足の両足の裏が細長い何かに触れるのを感じました。

 感じるや否や、ほんの僅かなスペースであるそこを足場にして、再び飛び上がります。

 再び蹴ろうとした…… その時、思いがけず左背後から突然、大きな木のセンサーが現れました。無数の枝を伸ばしてアンヌに襲いかかります。

 が、それは叶いませんでした。


 しゅっ


 そんな音とともに、センサーの太い幹が切り裂かれたからです。




 アンヌと太郎たろうが出会ったのは、数十年前、センサーの出現が初めて確認された直後くらいのことでした。

 アンヌの物語の中に来ていた太郎が、乗っていた車椅子のタイヤが溝にはまって取れなくなってしまい困っていたところを、アンヌが後ろから押して助けたのが最初でした。


 アンヌは人間にしてもらう代償として舌を差し出してしまっていたため声を出すことができず、初めのうちは上手く言いたいことを伝えられずもどかしい思いをしました。

 けれど、何度か会って一緒に過ごしているうちに、太郎はアンヌの言いたいことを一語一句正確に分かってくれるようになったのです。

 言葉になんて、していないのに。


「どうして分かってくれるんだい?」

 そう尋ねてみても、太郎は、

「さあ、なんででしょうね?」

 と苦笑するばかり。自分でも何故なのか分からないようでした。


 そんな風に仲良しになっていくうちに、太郎の過去の話も聞かせてもらいました。今でもかつて家族と住んでいた、もうすっかりぼろぼろになった家に一人で住んでいること。家族との思い出の品を見てものすごく寂しくなる時があること。海が大好きだということ。


 海のせいで全てを失ったのに、海を恨んでいないんだ、と思いました。




 センサーを蹴りまくっているアンヌとは少し離れたところで、太郎は釣り竿を握りしめていました。

 戦っているのはアンヌだけではないのです。


 アンヌの足は地面を歩くと痛みを感じます。けれど釣り糸ほどの細い足場なら、痛くないのです。

 だから、アンヌは今回のようにたくさんのセンサーを相手にする時はいちいち痛い地面に着地せず、太郎が張り巡らせた釣り糸を足場にしたり、その上を走って移動したりすることで、足に負担をかけないようにできるのです。

 細くて透明なため見えにくく、センサーに「空中を走っている」と誤解させて混乱させることもできます。


 もちろん、太郎も糸を伸ばしているだけではありません。

 アンヌに襲いかかろうとするセンサーや、アンヌの位置からでは攻撃できなさそうなセンサーは、釣り糸の先に付いた釣り針で片っ端から切り裂いていきます。切れ味は抜群で、引っ掛けてお年寄りの力で引っ張っただけで固い体のセンサーでもあっさり真っ二つにできるのです。太郎に切られたセンサーは、透明な血液を吹き出し、白い煙になって消えていきます。

 

 近くにいるセンサーはアンヌが、遠くにいるセンサーは太郎が倒すことが多いのですが、今回のような息のピッタリ合った連携プレーを繰り出すことも多いのです。




(よし、最後の一体!)

 そんなこんなで自分と太郎とでセンサーを次々と葬り、最後に残ったケーキのような姿のセンサーに向き直ったアンヌは、糸から勢いよく飛び上がりました。

 そのまま左足をセンサーに向けて放った…… ところで、予想外のことが起こりました。


 がりっ


(!?)

 蹴るのとは違う、激しい痛み。腿より下が、急に軽くなる感覚と、何かがどばっと溢れ出る感覚。


 すぐに分かりました。

(やられた!)

 不味くて食べられないながらも、最後の抵抗として、センサーは差し出されたアンヌの足をあの鋭い牙で噛みちぎったのです。

 離れたところから、まるで自分が片脚をちぎられたかのような悲痛な叫び声が聞こえてきました。


 が、怯んだのはほんの刹那。即座に気を取り直したアンヌは、無事だった右足でセンサーを蹴りました。

 ケーキのようなそれは断末魔と一緒にアンヌの左足をぼとりと吐き出し、泡になって死にました。




 一旦糸の上に腰を下ろしてから、近くにあった大きな木の切り株の上に大の字になったアンヌの目に。 

「アンヌ! アンヌー!」

 凸凹した地面に揺らされながら、必死で車椅子でやって来る太郎が映りました。




 目先の楽しさしか考えられなかったのがいけなかったんだ、と太郎は思っていました。

 龍宮城は確かに楽しかった。けれどだからといって、家族のことを忘れて遊び呆けるなんて。その間に気の遠くなるほどの年月が流れて、大切な人達と二度と会えなくなって、自分のことを知っている人も誰もいなくなるなんて。

 その楽しく過ごした相手との約束さえも守らなかったがために若さまで失って、歩くのも大変になって。

 もう、何もない。どんなに寂しくても痛くても、誰もいない。一人で生きていくんだ。そう思っていました。


 けれど出会ってからというもの、アンヌは太郎が耐えきれないほどの孤独に押しつぶされそうな時や、「アンヌに会いたい」と思っている時に、まるで心を読んでいるかのようにタイミングよくはるばる会いに来てくれるようになりました。


 本当は、ある物語の中に別の物語の登場人物が長時間いすぎると、両方の物語に歪みが生じる、つまりストーリーの内容が変わってきてしまう危険性があるので必要以上に行き来するのは良くないのですが、アンヌはいつも時間ギリギリまで一緒に過ごしてくれるのです。

 離れてしまっても二度と会えないなんてことはないのです。


「なんで分かるんですぜ?」

 そう尋ねてみても、アンヌは、

「さあ、あなたが分からないのと一緒じゃないか?」

 と苦笑するばかりでした。


 アンヌの昔の話も聞かせてもらいました。とある人間に本当に恋をしたこと。歩くとすごく痛いということ。人間が大好きだということ。


 人間のせいで全てを失ったのに、人間を恨んでいないんだ、と思いました。




「アンヌ! ああ、なんてこと……」

 歪な足の断面と、一面に飛散し、広がる血の水たまりに絶句する太郎。

 バッドエンドの主人公達も、センサーに捕食されることはなくとも怪我をさせられることはあります。けれど、通常それらは即座に治ってしまうのです。

 ただ、切断ともなると完治には少し時間がかかります。何十年も戦い続けてきたアンヌですが、ここまでの大怪我をしたのは今回が初めてでした。


 太郎をよそに、アンヌはちょうど手の届く範囲に落ちていた自分の左足を拾い上げると、それを切断面にぴったりくっつけて包帯を取り出し、きつく縛りました。

 そうして太郎を見上げ、汗まみれの顔で笑いました。


「『こうしとけばまたくっつくから平気』って!? そうでしょうけどそういう問題じゃありませんぜ!」

「……」

「『気にしないで』って、無理に決まってますぜ! 治るとしてもこんなに血が出て痛そうでっ…… おいらがもっと早くあいつを殺れていれば……!」

 泣きそうになった太郎でしたが、アンヌが無言のまま「しょうがないよ。あいつらすぐ予想外の動きするんだから。むしろすぐ駆けつけてくれたね。嬉しかった」と伝えてくれたのが分かり、別の意味で泣きそうになりました。


 と、そこに。

「大丈夫ですか!?」

「僕達を助けてくれたんですよね!?」

 目の前で起こる色々に呆気に取られていたヘンゼルとグレーテルが走り寄ってきました。


「……」

「……この人がね、『私達は大丈夫だ。あなた達は怪我はない?』って言ってますぜ」

「大丈夫です! ね、ヘンゼル!」

「うんグレーテル。何てお礼を言っていいのか……」

「……」

「『無事で良かった』って、この人が言ってますぜ。おいらもそう思います。

 ……じゃあ、我々はこれで。もうお別れですぜ」

「え? お別れって……」

「まだお礼も何もできてないのに……」

 慌てて言いかける二人。しかし。

 太郎は二人の言葉を聞こうとせず、柔らかく微笑んで告げました。


「お幸せに」

 途端、視界が歪んで―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る