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 信じられない。ありえない。


 後ろからの呼びかけを無視し、ずかずかと大股で歩き去りながら。

 コスタスは数日前の自分に対して、腹を立てるほど後悔していました。




 事の発端、数日前。


 コスタスはこれまでチャプターを組まず、ずっと一人でセンサー達と戦ってきました。

 (こういう単独で戦うバッドエンドの主人公を、チャプターに対して「センテンス」と呼びます。「センテンス」からきているらしいです)

 色々と大変なこともありましたが、それでも一応無事にやってきました。


 ところがその日。少し油断した隙に、人の姿をしたセンサーに背中からお腹に貫通するほど、深々と刃物を刺されてしまったのです。

 激痛の中、それでも咄嗟にそのセンサーを退治することはできましたし、刺された傷もそう時間がかかることなく治りましたが、酷く不安になりました。

 今回はセンサーだから良かったものの、またこういうことが起こって、今度は取り返しがつかないことになるかもしれない…… と。


 そういうわけで、これまで避けてきたチャプターを組むことを考えようと思いました。

 バッドエンドの主人公達は、どの物語にも属しないとある空間に赴き、そこで古今東西の様々な物語を読むことができます。(この空間は『図書館ライブラリ』と呼ばれています)

 そこで様々なバッドエンドの物語を調べ、条件に合い、なおかつセンテンスである二人(正確には『二人』という言い方はおかしいんですが、面倒なので『二人』と呼びます)に手紙を送ってみたのです。

 「もし良ければなんですが、今度センサーが現れた時に一度一緒に戦ってくれませんか?」と。




 それで、数日経った今日。

 またセンサーが出ました。コスタスはいつも通り、真っ白のふわふわマフラーで首だけでなく口元までをしっかりと覆い、その物語の世界に駆けつけました。

 

 来てくれるかな…… とドキドキしながら物語の世界に飛び込んだ途端、二人のセンテンスの姿を見つけ、緊張を続けながらも少しほっとしました。




「え、えーと、初めまして…… あ、あのお手紙を出させていただいたコスタスです…… 『オオカミ少年』の主人公です……」

「ハハ、手紙でナンパしてくるぐらいだからもっとグイグイ来る奴かと思ってたわ」

 大人が両手首を合わせて両手のひらを広げたくらいの大きさのコウモリは、ガチガチのコスタスを見て笑いました。


「なっ、ナンパって! そんな、そんなこと……」

「冗談に決まってんだろ!」

 コウモリは黒い翼をバタバタさせてひとしきり笑ってから、自己紹介をしました。

「ウチは『卑怯なコウモリ』のエレーニだ。せいぜいよろしく、と言っておく。

 で? そこのボッロボロの死装束のお前は誰よ?」


 エレーニのつぶらな瞳を向けられた、まるで新旧大小様々な傷だらけの皮膚を骨の上に直接貼り付けただけのように痩せた大人の人は、寄りかかっていた木から背中を離しました。

おれか? 己の名はカンダタという。『蜘蛛の糸』の主人公だ」


「そ、それじゃあ、自己紹介も終わったところで…… 今日は来てくれてありがとうございます。よろしくお願いします……」

「いつまで固まってんだ? 嫌いなんだよそういう堅苦しいの!」

「そうだぞ。己達なんぞに気を使うな」

「う、うん……」

 

 良かった。自分であんな「条件」を設定しておいてこんなことを思うのはおかしいけど、思ってたよりはいい人達みたいだ…… 片方は人じゃないけどそれでも……

 コスタスが内心胸を撫で下ろした、その時でした。


「それはそうと、一つ聞きたいんだが」

「え!?」

 カンダタにずいと寄られ、コスタスはたじろぎました。

「お前、チャプター組みたい理由、まさか人魚姫と浦島太郎うらしまたろうのところに憧れてとか、そんなんじゃないだろうな?」

 鋭く細めた、ギラリとした光の宿る目。

「そ…… そんなわけ、ないじゃない」

「ならいいんだ」

 返事を聞いた途端、あの怖い目の光を消してコスタスから離れるカンダタ。

「聞くまでもねーだろ! あんな優等生のいい子ちゃん共と一緒にするわきゃねーだろ!」

 またしても大笑いするエレーニ。


 アンヌと太郎は、センサーが発見された直後のまだ混乱が残る時期からチャプターを組み、数多のセンサー達を葬って数多の物語を救ってきたベテランとして一目置かれる存在なのです。


 カンダタの質問で少し気まずい気分になってしまいつつも、ともかくコスタスは話を進めようと口を開きました。

「じゃあ早速だけど、退治を始めがてら、ぼくの能力について説明するよ」


 


 集合した森の中から少し歩き、村の近くまで来たところで、三人は白い犬の姿をしたセンサーを見つけました。がりがりがりがりもしもしもしもし音を立てて、周囲の岩や草花を無我夢中で貪り食っていました。

「いたな。じゃ、お手並み拝見といこうか」

「うん。それじゃあ……」 




 コスタスは音もなくセンサーの背後から近寄りました。ある程度の距離まで来たところで、マフラーを下げて口元を顕にし、センサーに向かって、ただ一言。

「消える」

 と呟きました。


 次の瞬間、まるで始めからそこに誰もいなかったように。センサーは、痕跡一つ残さず消え去っていました。




「……あ? 何だ今の? あれで終わりか?」

「そう。地味でしょ?」

 首を傾げているカンダタに、口元を隠しながら戻ってきたコスタスは苦笑いで応じました。

「ぼくは言ったことを事実にできるんだ。さっきはセンサーに向かって『消える』って言ったから、その言葉通りあいつは消えた。ただそれだけ」

「いやいやいやいや…… 一緒に戦ってほしいとか言うから弱いのかと思ったらお前…… チートじゃねえか」

 呆れ顔のエレーニ。

「そんなことないよ。なんだかんだ制約が酷いんだ。

 たとえば、『今この物語にいるセンサーが全員消える』とか『二度とセンサーが発生しない』、『センサーを生み出しているがなくなる』系は試しに言ってみたことあるけどダメだった」

「いの一番に解決したいところなのにな……」

「あと、とっくに消滅しちゃった物語の復活とか…… 自分の物語をハッピーエンドにする、とかもダメだった」

「あんまデカイもんは無理ってことなのか何なのか…… 都合悪りいな」

 苦々しい顔のエレーニ。

「ぼく自身も基準がよく分からないんだけど…… そういうわけで今みたいにセンサーを消すのと、飛び道具で攻撃された時に『外れる』って言って当たらないようにするのにしか使えない」


「本当か?」

 首を傾げるカンダタ。

「はい?」

「本当にそれだけか? 他に試してみたことあるのか? たとえば、何か食い物を出してみるとか」

 コスタスは少し考えてから、マフラーを下ろして何もない空中に向かって言いました。

「カレーパン三つ!」

 言い終わるや否や、あつあつのカレーパンが三個空中に出現しました。




「ま、まさかできるとは…… しかもなかなか美味しい」

 自分でもびっくりしながら食べているコスタス。

「なんで今まで試さなかったんだ、もったいねー…… そしてそこそこ美味い」

 両の翼で抱え込むようにしてかぶりついているエレーニ。

「センサー退治にばっかり意識がいっちゃって…… それに、あまり贅沢すべきじゃないでしょう? ぼく達は……」

 一口食べてはマフラーで口を隠し、また一口食べては隠しを繰り返しつつ答えるコスタス。

「そうかもしれねーけど…… それよりお前、何だその食べ方」

「……ぼくはね、自分の能力を自分の意志で制御できないんだ。常に発動状態になっちゃってる。でもこのマフラーで口を隠しておけば、喋ってもその内容が事実になることはないんだ。

 ぼくの能力は、一つの対象に対して使えるのは一度だけ。万が一何かの拍子に誰かに『死ぬ』なんて言っちゃったりしたら取り返しがつかないから、必要ない時は隠すようにしてる」

「何か特別なマフラーなのか?」

「そうでもないんだけど、多分無意識に心理的なブレーキがかかるんじゃないかと思う」

 コスタスは一旦言葉を切り、少し悲しげに目を伏せました。

「……このマフラー、ぼくが育ててた羊達の毛で作ったものだから」

「……そうかよ」

 何かを察したようにぶっきらぼうに答え、エレーニは次の一口を大きく頬張りました。


「ぬう…… 自分で提案しておいてアレだが、長年食事という行為をしてこなかったために味というものが分からん……」

 カレーパンを咥えてしゃぶっているだけのカンダタ。

「お前そりゃ分かんねーだろ、噛め」

「んぐ…… 噛めたがやはり分からん…… まず何故カレーパン……?」




 そんなことをしつつ、腹ごしらえも済んだところで三人は本格的に退治に取り掛かることにしました。

「平均的なセンサーの増殖スピードを考えたらそんなに焦らなくても大丈夫だとは思うけど、早いに越したことはないから」

「そうだな。ところで、コウモリのお前は何ができるんだ?」

 ビーズのような瞳は、そう問うたカンダタをちろりと睨みました。

「舐めてやがんのか? 見てろ、すげえから」

 ちょうど近くに猿の姿をしたセンサーが二体いました。こちらに背を向けて四本脚で歩いています。人々が住んでいる村に向かっているのは明白でした。


 エレーニは素早く飛び、一方のセンサーの首筋に噛みつきました。

「?」

 噛まれたセンサーは、何が起こったか分からない、という風に首筋に手を当てました。




 その直後。

 噛まれたセンサーは大きな口を開き、襲いかかりました。自分の隣を歩く、もう一体のセンサーに。

 顔を食いちぎり、脳を啜り。息もつかずにばきばきばきばきと大きな音を立てて、腕を、お腹を、足を。全身を。

 そうして、一体のセンサーは悲鳴を上げる暇もなく。もう一体のセンサーのお腹に完全に収められました。

 跡には透明な返り血で濡れた一体の猿の姿をした生物だけが残りました。




「ほーらすげえだろ! 見たか? ウチはな、血を吸った生物を操れるんだ! 普段はああしてセンサー同士に共食いさせるのに使ってるぜ。ただ連中の血って、色だけじゃなく味もないから飲んでも面白くねーんだよな、うん。

 ……あ?」


 無反応なのに違和感を抱いて振り返ると、ものすごく冷めた顔をしたカンダタと、その隣で小刻みに震えるコスタスが目に入りました。

「んだよ、センサー共だって猿に化けて本物の猿食ったりするだろ? それと同じだ」

「まあ分かったが…… 疑問なんだが、そのやり方だと全てのセンサーを殺せないのではないか? 一体だけ操って他のセンサーを皆食わせたとしても、その一体が最後に残るだろう?」

「ああ、そこも抜かりねえぞ」




 がっ


 何かと思ったら、先程共食いをしたセンサーが自分の手首に噛み付いた時に発された声でした。


 がっ あっ げっ


 手首からおびただしい量の色のない血液を吹き出しながら、センサーはその場に倒れました。

 やがて、頭や手足の末端から少しずつ全身が真っ黒な闇となり、光の中に溶けるように消えていきました。




「用済みになったら、ああして自殺させりゃいいんだ。うん。

 ……あ?」


 またしても無言なので振り返ると、ものすごく冷めた顔をしたカンダタと、その背後に隠れて小刻みに震えるコスタスが目に入りました。

「んだよ、どうせ殺すならどんな方法使ったって同じだろうが」

「そうかもしれんが……」

「ウチのやり方否定するんなら、お前のやり方を見せてみろよ」

「……そうだな」

 カンダタは手入れされた様子もない、背中の中ほどにまで届くボサボサの黒髪をかきむしりました。自身と20cmほど身長差のあるコスタスを背後にくっつけたまま、周囲を見渡します。

 やがて、悠々と村に向かって歩んでいる一羽の雉の姿のセンサーを見つけると、下げたままだった自分の右手の拳を、開きながら素早く頭上へと掲げました。




 すると。


 ぱっ


 センサーのいる付近の地面から目が痛くなるほど濃い赤色の液体が飛び出したかと思うと、まるで意志でもあるかのように一滴残らずセンサーの全身に降りかかりました。


 けーーーーーーーん


 既に体のところどころから骨を露出させつつも、じゅううううう、と肉の焼ける音と、もうもうとした黒煙と、激しい悲鳴を上げてのたうち回るセンサー。

 が、やはりそんな行動も虚しく。やがては羽も肉も骨も残らずどろどろに溶けて消えていきました。




「見ての通りだ。己は念じながらああして手を上げることで、地獄の血の池の一部を呼び出すことができる。生きた肉体を持った者があれを食らったが最後、絶対に耐えられない」

「お前だってなかなかエグいことしてんじゃねえか」

「こういう能力なのだ…… っ!?」

 突如走った痛みに、カンダタは慌てて首を押さえて振り返りました。小さな桃色の舌で自分の口の周りを舐めているエレーニ。

「お前本当に何も食ってなかったろ? 血めっちゃ不味いぞ?」

「お前…… まさか」

「初対面のセンテンス、しかも『悪』の奴なんて信用できねえからなー」

「ふざけるなこの駄コウモリ!」

 エレーニに掴みかかろうとしたはずのカンダタの両手はしかし、急に方向を変え、自分自身の腹部を強かに殴りました。

「ぐえっ」

 うずくまり、心なしか少し青ざめた顔でエレーニを睨むカンダタ。

「返せよ、己の血…… 己のものだ……」

「無茶言ってんじゃねー」

 バカにするようにケタケタ笑うエレーニ。

「ちょっ、ちょっと、喧嘩やめてよ! これから協力してセンサーをやっつけなきゃいけないのに!」

 二人の能力にまだ怯えつつも慌ててコスタスが止めに入ると、二人はお互いから目を逸らしました。


 とりあえず止めてくれたかな…… と安心する間もなく、今度はコスタスの首筋に何か温かいものが触れ、同時にチクッとする痛みと、何かを吸い出される感覚がありました。

「!?」

「お前のは美味いな」

 反省の色もなくニヤニヤしている小さなコウモリが、いつの間にか目と鼻の先に。

「ぼ、ぼくまで……」

「何かしらの役に立てるかもしれねーからな」

「役に立てる……」

「どうする? ビビっちゃった? 帰る?」

「……乗りかかった船だ。誰が降りるか」

 まだお腹を押さえつつも、カンダタは立ち上がりました。

「それに、己の作者にはこの物語を元に書いた作品がある」

「あっ、そういうの気にするタイプなんだ?」

「少しな。……そう言えばお前らも作者は同じだとされてるはずなのに初対面なんだな。本当に人によるのだな……」

 ほんの僅かながらも空気が緩んだのを見計らい、コスタスは呼びかけました。

「よしっ、じゃあみんなで頑張っていこー!」




 一方、その頃。


「頑張ってね!」

「こんな大変な役割を担ってくれるなんてすごい!」

「やっぱりお前は特別な子だと思っていたよ!」


 この物語の主人公は近所の人達や育ての両親からそんな期待の言葉を投げかけられながら、せっせと刀を研いでいました。来たる戦いに備えてです。誰もが尊敬の眼差しで、主人公を見ています。


 が。


(ふざけんなよお前ら! 無理無理無理無理! 私には無理だっつーの! 怖い怖い怖い! だって鬼だよ、鬼! いやー!)

 笑顔の主人公の内心がそんなんであることには、誰も気付いていませんでした。


(何でもかんでも『特別な子』の名のもとに押し付けやがってー! 特別でもなんでもないのに! ただ…… ただ桃から生まれたってだけじゃんーーーーー!)

 心の中でそう絶叫する桃太郎ももたろうでした。

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