epilogue

 気が付いたら、グレーテルはヘンゼルと一緒に真っ暗な森の中を歩いていました。

 襲いかかってきたあの変な存在も、助けてくれた人達も、どこにもいません。転んだ膝の痛みも、もうありませんでした。

 物語に出現したセンサーがみんな倒されると、物語の中の時間がセンサーが現れる前に巻き戻るのです。それにより、センサーに食べられてしまった存在も、みんな何事もなかったかのように元通り復活できるのです。


 そんな仕組みは知らないグレーテルはわけが分からなくなりつつも、とりあえずヘンゼルに話しかけました。

「不思議な人達だったねヘンゼル」

「誰がだいグレーテル?」

「あんなに歳が離れてるのに、どこか私達みたいで。

 兄妹…… とは違うんだよ。でもうまく言えないけど、なんかそれに似てないこともない関係性の人達だったなって」

 ヘンゼルは、本当に分からない、という風に首を傾げました。

「だから、誰の話だいグレーテル?」

「え?」

 何言ってるのヘンゼル…… と言いかけて、言葉に詰まりました。


 今自分が誰の話をしていたのか、分からなくなったのです。

 混乱しましたが、そんな混乱も、すぐに何かに飲み込まれるように消えていき…… そして、何もなくなりました。




 忘れてしまうのです。

 物語の中に出現したセンサーが全て倒されたら、ハッピーエンドの登場人物達は忘れ去るのです。センサー達に関することだけでなく、それを倒してくれた存在達のことも全部。そうしないと、物語の内容が歪んでしまうから。




「……暗くなってきたねヘンゼル」

「寒くもなってきたねグレーテル」

「怖いね…… でも私がここにいるからねヘンゼル」

「ありがとう。僕もここにいるよグレーテル」

 全てを忘れた兄妹は身を寄せ合い、しっかりと手をつなぎ、濃い闇の中をゆっくりと歩いていきました。




「あの子達、これからが大変なんだよね。こんな暗くて寒い中さまよったり、魔女に食べられそうになったり」

「ね。でも心配いりませんぜ。ハッピーエンドですから」

「……そうだね」


 今は不安でいっぱいであろう二人に向けて、切り株に横たわったままアンヌはそっと心の中で呟きました。

「お幸せに」




 と、不意に背中にしわしわの手が当てられたと思ったら、優しく上半身を起こされました。

「?」

 何だろうと思う暇もなく、両脇の下に両腕を通され。滑るように車椅子に移乗させられていました。

「ちょっと! これっ、あなたの」

「平気平気」

 太郎たろうは跳ね上げていた車椅子のサイドガードを下ろし、アンヌの足を「痛いかもしれませんが」と言いながら注意深く片方ずつ持ち上げ、スリッポンを履かせました。そうして、そっとフットサポートに乗せました。

 自分の腰を抑え、よろめきながらも立ち上がると、車椅子の後ろに回りました。

 かた、かた、かた、かた。

 太郎のゆっくりな歩き方に合わせ、ゆっくり動き出す車椅子。


「何してるんだい!? やめて、腰痛めるよ!」

 振り向いて口をパクパクさせるアンヌの無言の訴えに、太郎は微笑みを返します。

「ちょっとは運動もした方がいいんですぜ」

「まさかこのまま帰る気!? そこまで歩けないだろう!? 無理しないで!」

「でもあなたは、いつも無理して歩いておいらのこと押してくれてますぜ?」

 アンヌは少し黙り。けれど続けました。

「……あなたのことなんだから、無理してるなんて思わないさ……」

「……そうなんですね…… なら、おいらも同じですぜ。無理でもないし辛くもない」

「……」

「今くらいは、甘えてほしいってことですぜ」

 アンヌはやっと微笑んで、太郎に伝えました。

「ありがとう」


 二人は見つめ合いました。

 太郎が足を止めました。

 相手の顔をもっと近くで見たくなって、お互いに思わず近付いて。

 そうして、相手に対する思いを、あなたが世界中の誰よりも…… だと、あなたを……してると、伝えそうになって……


 ぱっ、とお互いに顔を背けました。




 いけないのです。

 バッドエンドの主人公達は、決して幸せになってはいけないのです。幸せになってしまったら、ハッピーエンドが大好きなセンサー達に食べられてしまうから。

 だから、ある程度不幸なままでいなければならないのです。

 痛くても我慢したり、寂しくても我慢したり。


 もちろん、本当はみんなだって幸せになりたいのです。

 アンヌと太郎も、自分が相手をどう思っているか、相手が自分をどう思ってくれているか、とっくに気付いているのです。

 愛と呼びたいのに愛と呼べない、こんな夜を越えたいのです。今とは少し違う関係性になりたいのです。

 

 けれど、それは許されていないので。

 物語として存在し続ける限り、二人が本当の気持ちを相手に伝える日が来ることは、決してないのです。




 それでも、みんなは。




 太郎は再び、歩き始めました。

 かた、かた、かた、かた

 

「でも、帰りつく前にへばったらごめんなさいですぜ……」

「何言ってるんだい。その頃にはある程度治ってるかもしれないから、またあなたが座って、私が押せばいいんだ」


 かた、かた、かた、かた

 少し不器用に進む車椅子の音が、夜の森に静かに響いていました。

 

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