はじまりはじまり

「ブランクの物語が書いてもらえるって!?」


 呼ばれたメンバーの中で一番最後に「人魚姫」の物語に飛び込んできたエレーニは、開口一番そう叫びました。


「遅い」

「なあ、本当なのか!?」

 横目で睨んでくるカンダタをスルーし、エレーニは自分を呼んだ瓜子姫うりこひめに問いただします。


「本当だよー、ブランクちゃんになってみたら断片的な情報ではあったけど見えたんだよーヒヒヒッ! 思いついてだいぶ時間が経ってから書いてもらえる物語って確かにあるもんね!

 良かったねー、『自分』に出会えて! おめでとうだね、ヒヒヒッ!」

 いつもと同じ、はしゃいだ調子の瓜子姫。


「マジでかー! 良かったじゃねえかお前、作者に忘れられてなくて!」

 エレーニはブランクの顔の前まで飛んでいって笑顔で言いました。ブランクはみんなと初めて会った日と変わらず、ぼんやりとした表情のままです。


「……そうだな。死ぬことも存在がなかったことになることもなくて何よりだ」

 スルーされた件については怒らないことにし、エレーニ同様ブランクに言葉をかけるカンダタ。


「……」

 かがんでブランクの頭を撫でるアンヌ。

「『あなたはこれから生まれるんだよ。書いてもらえて読んでもらえる。あなたを好きになってくれる「読者」もきっといるよ』と。

 本当におめでとうですぜ!」

 通訳しつつ、自分の気持ちも伝える太郎たろう


「……ゲーム、本当に楽しかったよ。あなたのこと忘れないね」

 みんなとは対象的に無表情なロボット姿のルイーズ。

「あたしのこと、忘れちゃうかもだけど…… あたしはずっと忘れないから」


「思いっきりお祝いしたいところではあるけど、そんなに時間ないんだよね」

「うん。そろそろブランクちゃんは物語の中に呼び出されちゃう。そしたらお別れだね。ヒヒヒヒヒ」

「そう、だよね……」

 寂しさを隠しきれない表情で、それでもコスタスはブランクに微笑みかけました。


「羊達のこと、思い出させてくれてありがとう。君の物語がハッピーエンドになれるように願ってるよ」

「……」

「『最高のハッピーエンドだといいね』ですか。おいらも賛同しますぜアンヌ!」

「ヒヒヒヒヒ、ブランクちゃんらしいハッピーエンドをね!」

「……うん、お幸せに」

「ウチらの分まで幸せになるんだぞ!」

「お前のハッピーエンドを読めるのを楽しみにしているぞ」


 みんなは口々に、ブランクがハッピーエンドになれるように望みました。


 そうしていたら、ぼーっとしていたブランクが、くるりとみんなに背を向けました。

 みんながおや、と思ったのと、みんなの頭の中に知らない声が響き渡ったのは同時でした。




 ありがとう


 でも


 ブランクは


 バッドエンドがいい




 みんなが息を呑んでまばたきをし……

 目を開けた時には、あの原稿用紙のようなブカブカの衣服を身に着けた、白地に黒い点々のある髪の、ぼんやりした主人公は、「空欄」は、「白紙」は、どこにもいなくなっていました。




「はあ……」

 

 数日後、太郎は自宅で一人溜め息をついていました。

 水陸両用の車椅子に座ったまま壁に後頭部をもたれかけてぼんやりしていたら、玄関の戸を開けてお客さんが入ってきました。


「あ、アンヌ。いらっしゃい」

「……」

「はあ…… あ、いや、別に何でもありませんぜ。ただその、ちょっと複雑な気がするってだけで」

「……」

「ほら、今そこで蚊取り線香焚いてるんですが、蚊がいっぱい飛んでる気がするし、ゴムの焼けるような匂いまでする気がするんですぜ……」


 アンヌは、やっと太郎だけに分かる言葉を発しました。

「それはそうだろうね。だってそこでボンボン燃えてるの、蚊取り線香じゃなくて車椅子のスペアのタイヤだものね」

「わー! わー! わー! あ、ありがとう。わー!」

 こんなこともあろうかとアンヌが水差しで持ってきてくれていた水をぶっかけたことで、火は一応無事に消えました。


「ほ、本当ありがとうですぜ…… でっ、でもっ、みんなよく間違えますよね!? どっちも丸いですもんね!?」

「いやー、間違えるって話聞いたことないねえ」

「……ぼーっとしてて…… それでうっかりしちゃっただけですぜ……」

「いやー、あなたは普段からこのレベルのうっかりをやらかしまくってるけどねえ」

 真っ赤になってしまった顔を、満面の笑みを絶やさないアンヌから逸らす太郎。


「でも恥ずかしがることはないよ。さっき他のみんなにも少し会いに行ったんだけど、みんな心なしかぼんやりしてたし…… 私も、きっとみんなと同じこと考えてるから」

 火照りをある程度冷ましてから、太郎はアンヌの方に向き直って口を開きました。


「ブランク殿、軽々しく言うもんじゃありませんぜ…… バッドエンドなんて悲惨なもんですぜ」

 大きく頷くアンヌ。

「私達みたいな思いをせずに、幸せに過ごしてほしいところなのにね」


「あの言葉って…… おいら達にまた会いたいと思ってくれたってことなんですかね?」

「バッドエンドになったら会えるものね。私達と一緒に過ごしたのがそれほどまでにいい思い出になっていたのだとしたら、それは何よりだけど……」

「でも、あれから会いに来ないってことはハッピーエンドになれたんですぜ、きっと!」

「分からないよ。もしかしたらものすごい長編で、まだ結末に辿り着いてないのかもしれない」

「あ、ああ、そうですね……」

「第一、ブランクは物語になって設定を与えられたんだ。思考も記憶も容姿も全く変わってしまってると思う。瓜子姫は設定を少し見たみたいだけど、いざ書き始めると最初の設定からだいぶ変えるっていう作者もいるからね」


 太郎は車椅子で進み始めました。アンヌも後をついて歩き始めます。

「……おいら達のことを、忘れてしまったかもしれない。仮に覚えていて会いに来てくれたとしても、おいら達の方が変わってしまったブランク殿に気付けないかもしれないと?」

「うん。しかも物語は、今この瞬間も無数に誕生し続けてる。その中からブランクの物語を見つけ出すのは容易ではないよね」


 玄関の段差に設置された、以前アンヌが木材を蹴って加工して作ってくれたスロープを降りる太郎。

「『読者』が存在する限り、作者も存在し続ける。というより、全ての『読者』は作者になれますものね。本当に、途方もない数の物語が生まれ続けてますぜ」

 澄み渡った大空を眺めつつ、太郎の車椅子を後ろからそっと押して進むアンヌ。

「バッドエンドもハッピーエンドも…… 中にはきっと一概には言えない物語も」

「周囲から見たらバッドエンドだけど、主人公にとってはハッピーエンドみたいな?」

「そう」


 しばらく、二人は何も言いませんでした。

 どれくらい経った頃か…… 太郎が少し空を見上げてから、言いました。


「でも、会いたいですよね」

「会いたいよ。色んな意味で望むべきじゃないけどね」

「自覚してた以上に楽しかったんですね。おいら達」

「楽しかったよ。あまり望ましいことではなかったかもしれないけれど」


 進み続ける二人の視界には海が見えてきました。

 あの日ブランクと出会ったあの海は、あの日と変わらず綺麗で穏やかで。ただただそこにあるだけでした。

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