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 ここは、とある物語の中。

 鬱蒼と茂る森の木々に遮られて分かりづらいですが、よく晴れています。


 そんな森の中から、かたかたかたかた。何かの音が聞こえてきます。

 

「やっぱり舗装なんてされてませんぜ、森の中なんでね……」

 音は、森の道なき道を進む車椅子から出ているものでした。コンクリートで固められてなんていないので凸凹している上に、小石やら小枝やらがたくさんあるので、振動してそんな音が出ていたのです。


 そんな車椅子には、真っ白な髪を後ろでひとつ結びに束ねた、着物を着たお年寄りが座っていました。

「それはそうと、もう少し行ったところのはずでしょ?」

 お年寄りは振り向いて、車椅子を押してくれている人に尋ねました。

 膝丈のデニムを履いた、十五歳くらいで太陽のような金色のショートヘアのその人は何も言いませんでした。けれど、お年寄りにはその人が「そうだね、気配は近付いてきてる」と言いたいのだと分かりました。

「ね。どこにいるんだか……」

 押してくれている人は、やはり何も言いません。けれど、お年寄りにはやはり「もうちょっと色々探してみないとね」というその人の気持ちが感じ取れました。


「そうですぜ…… ただその、ちょっと一旦休憩しません? だいぶ歩いたし痛いでしょうぜ、アンヌ?」

 アンヌと呼ばれたその人は肩を竦めました。

太郎たろうってばすぐそれ。自分だってすぐ『腰が痛い』って長く歩けないくせに」

 太郎と呼ばれたお年寄りは苦笑いして返しました。

「アンヌこそいつもそれですぜ。『ナイフを踏むような痛み』って教えてくれたの、どこのどなたでしたっけ?」

「……本当、そういうところだよ、あなたは。大体、今は休んでる場合じゃないだろう。どこに『奴ら』がいるか、分から」


 アンヌは突然足を止めました。

 顔に浮かべていた笑みを一瞬で消し去り、深い深い海の色のように青く澄んだ目を釣り上げるやいなや、ばっ、と振り向きました。

 あたりにたくさん生えている木のうちの一本に目をつけると、薄水色のスリッポンを脱ぎ捨て、大きくジャンプし、その木の太い幹を力いっぱい蹴りつけました。




 するとどうでしょう。


 ごぼっ


 木からそんな音とも声ともつかないものが聞こえたかと思えば、アンヌが蹴りつけたあたりに、ぽこっと四角い穴が空きました。

 穴の中はまっかっか。上と下には、三角に尖った小さなギザギザがたくさん生えています。


 ごぼっ ごぼっ ごぼっ


 穴から出るどこか苦しそうな響きに合わせて、蹴られた木はどこか苦しそうに、枝や幹をよじり始めました。まるで、動物のようでした。けれど、それも長くは続きませんでした。


 ぶくぶくっ ぶくぶくっ ぶくぶくっ


 ごぼっ、とは明らかに違う音とともに、木の幹や枝や葉っぱが、徐々にシャボン玉のような泡に変化して空へと漂っていったからです。


 ごぼっ ごっ、ぶくぶくっ ぶくぶくっ ぶくぶくっ ぶくぶくぶくぶくぶくぶく


 やがて、木は根っこまで泡になって空へと浮かび上がっていき、跡には葉っぱ一枚残りませんでした。




「すごいですぜアンヌ! 今のセンサーだったんですね! 気付きませんでしたぜ!」

 太郎はとてもはしゃいでアンヌを褒めました。アンヌは一旦笑顔を取り戻し、けれどそれから真面目な顔になって応えました。

「ありがとう。でも分かっただろう、この辺にいるよ、センサー」

「ですね。気を引き締め」


 今度は太郎も気付きました。

 遥か頭上、空に。突然あの、嫌な気配が現れました。矢のような速さで、こちらの方に向かって来ます。

「……今度はおいらがやりますぜ」

「遠いものね。任せる」

「はい」

 太郎は車椅子の背もたれにかけてあるリュックから、細長い何かを取り出しました。銀色のロッドがきらきらと輝く釣り竿でした。

 木の葉っぱが生い茂っているせいで見えづらいながらも、どうにか気配の持ち主の大体の位置を把握し、しわしわの両手でしっかり掴んだ釣り竿を思いっきり空に向けて振り上げました。




 するとどうでしょう。


 先端に付いている釣り糸が、ぴーんと伸びました。目にも留まらぬ速さで、どんどんどんどん。伸びて伸びて伸びて……


 やがて太郎は、「しゅっ」という小さな手応えを感じました。

 仕留めたと確信した太郎の心に呼応するように、天に向かって伸びていた釣り糸は、目にも留まらぬ速さで縮み、元通りの長さになりました。

 それと一緒に、透明な液体を撒き散らしながら、地面にぼとりと落ちてきたものがありました。


 茶色い小鳥のようでした。けれど、普通の小鳥と違うのは、ギザギザの歯がたくさん生えた四角い大きな口を開けていたことでした。

 もう生きてはいません。ちょうどお腹のところで上半身と下半身、真っ二つに分かたれていましたから。

 そんな小鳥のようだったものも、長くはそこにありませんでした。

 上半身も下半身も、撒き散らされた無色無臭無味の液体も。まるでドライアイスのように、白い煙を出しながら、少しずつ小さくなっていき、跡形もなく消滅してしまったのですから。




「相変わらずお見事だな! 狙い定めるの本当上手だよね!」

 釣り糸の先に付いていた液体も煙になって消えたのを確認し、太郎は照れたようにアンヌを見ました。

「ありがとう」




 さて、世界観の説明を1mmもしてませんでしたね。タイミングが分からなかったんです。ごめんなさい。


 「読者」である皆さんはこれまで、「昔話」や「童話」、「おとぎ話」と呼ばれる物語にたくさん出会ってきたのではないかと思います。

 もしかしたら、そうした物語にはハッピーエンドの物が多いと思っている人もいるかもしれません。

 ですが、そうとは限りません。命を落としたり、大切な存在を失ったり。そうして主人公が不幸になる、バッドエンドの物語もあるわけです。


 で、ここ数十年。

 そんな物語達の世界に、「センサー」と呼ばれる危険な存在達が時々出現するようになりました。

 センサー達はハッピーエンドの物語が大好物。だからハッピーエンドの物語の世界に現れては、怪しまれないように人間や動物や植物や物などに姿を変え、その物語に登場する存在を片っ端から食べ尽くすのです。

 ギザギザの歯が無数に生えた大きな口で。人間も動物も植物も物も。みんなみんなみーんな。

 そうして全てを食べつくされてしまった物語は、物語として成立し得なくなり、この世から消え去ります。

 全ての「読者」の記憶からもその物語は消えるのです。最初から書かれなかった、どこにも存在しなかったのと同じことになってしまうのです。


 とんでもない話です。けれど、もちろん対抗することはできます。

 センサー達は、バッドエンドの物語は不味くて食べられないのです。

 だから、バッドエンドの物語のキャラクター、それも、中心となってお話を動かしていた主人公達は、それぞれ特殊な能力を身につけ、センサー達を退治することにしたのです。

 物語を、救うために。


 とはいえ、一人だとやはり大変なのでできるだけ誰かとグループを組んで。このグループを、バッドエンドの主人公達は「チャプター」と呼んでいます。物語の「チャプター」にちなんでいるらしいです。




 で、お気付きいただいているかもしれませんが、さっき釣り糸が伸びる釣り竿でセンサーを切り裂いていたお年寄りが浦島太郎うらしまたろうです。

 亀を助けて龍宮城に行ったけど、開けちゃいけない玉手箱を開けちゃった、あの浦島太郎です。

 一緒にいる、一言も声を出していないアンヌという人。あの人は人魚姫です。

 人間の王子様を好きになって、自分も犠牲を払って人間になったのに結局結ばれなかったあの人魚姫。

 「『人魚姫』って名前じゃないの?」と思うかもしれませんが、あれは人間が勝手にそう呼んでるだけで、本名じゃありません。あなたは自分の子どもに「人間姫」って名前を付けますか? それと同じです。




 つまりそんなわけで、チャプターを組んでいる二人は、とある物語にセンサーが出たと聞いて駆けつけてきたのです。


「今回もさっさとみんなやっつけて、さっさと帰りましょうぜ!」 

「もちろん!」

 やはり無言で、ガッツポーズで応じてから、アンヌは「ところでさ」と続けました。

「甘い匂いがしてこない?」

「ん…… お、本当ですぜ!」

「だろう? ということはだ」

 一度言葉を切り、屈んで太郎と目を合わせてからアンヌは続けました。

「近くにいるかもだよ。このお話の主人公達が」

 太郎は頷きました。

「ですね。しっかり守らないとですぜ」




 二人の読み通りでした。

 

「ねえ、これ、夢かな……?」

「違うと思う。さっき転んで擦りむいた膝が痛いから」

「じゃあ、本当に……?」

「うん、そうみたい……」


 お腹を空かせたふらふらの兄妹は、信じられない光景にしばし呆然と立ち尽くしていました。

 が、どうやら夢ではないと判断するや、顔を見合わせ、どこにこんな力が残っていたんだろうと自分でも驚くくらいの勢いで、その家に駆け寄っていきました。


「あの屋根、ケーキでできてるよヘンゼル!」

「あの壁、パンでできてるよグレーテル!」

 お互いにそう呼び合いながら。木々の隙間から舌なめずりするセンサー達の存在など、知る由もなく。

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