番外篇終了のための、あとがきと云う名の伝言


 朝・昼・夕・夜。

 皆さまは、どの時間帯がお好きですか?


 私は「夕」が、いちばん好きです。

 春~夏ならば十八時三十分から二十時ごろまでの、

 秋~冬ならば十七時から十八時三十分ごろまでの、

 不思議な色の時間。


 昼と夜の、あわい。その境界線に佇んで日の暮れていくさまに一日の終わりを重ねて「しみじみ」するのではなく、私の場合、「いまから始まる」という気がするのです。本能が夜行性なのね。

 前世は「おしゃれ猫ひいなฅ^◕ﻌ◕^ฅ(遊井そわ香さま命名・絵文字も、そわ香さまによる)」だったに違いありません。


 そんな前世の記憶を今世に引き継いでしまったから、「朝」と「昼」はまぶしくて仕方ないのです。眩しくて眼を開けているのも、つらい。つまり、起きているだけで地獄の時間。しかし、世の中は昼行性の方々に都合よく廻っているものですから、私は毎日、視界に宵闇眼鏡サングラスというアイテムを装備して、地獄の時間を生き永らえております。早く宵闇の刻にならないかしらって待ち侘びながら、晴れの日は、ほとんど一日中、宵闇眼鏡サングラスが必須です。


 低気圧は雨と頭痛を運んでくるけれど、曇りというお天気は大好きです。眩し過ぎる太陽光のほうが余程よっぽど、片頭痛のトリガーに成り得るのですから。来世は片頭痛の猫ぢゃなくて、朝陽を爽やかに感じる少女に生まれ変わってみたいものですね。


 そんな私は自由に単位を取って時間割を組めた学生時代、午后ごごの最終の学科を取って、季節によっては眩しさの残る道を帰宅するのではなく、「いまからめざめる」遊び場へ立ち寄るのが日課でした。


「夕」からめざめる貴重な遊び場。

 それがライヴハウスでした。

「夜」から始まり「夜明け前」まで続いた少人数のうちあげ。

 それはファミリーレストランで開催されていました。


 コロナ禍、あの楽しかった遊び場は閉鎖されたり消滅したり。

 もう行きたくても行けない場所になりました。途端に楽しかったあのころの記憶がよみがえってきて、思い出をベースにミロクちゃんの独白モノローグ対話ダイアローグが生まれてきたのです。


 グルーピーの皆サマは実在しました。

 月夜の大移動エピソードも実話をもとに生成しました。

 記憶が色褪せないうちに書き留めることができてしあわせです。


 朝方から学業や仕事に従事される方々は、午前二時を廻ると眠くて仕方ない御様子でした。勿体無もったいないことに、楽しむはずのうちあげの席で眠ってしまわれるのです。一方の私は、午后二時まで眠ってライヴとうちあげに参戦しておりましたから目パッチリ。同じく目パッチリな夜行性とおぼしきお仲間さんたちとはなし合った、人生あれこれ。


 バンドのお兄サマに「若い身空で」なんて云われましたっけ。

 あなただって若いぢゃないのって思いましたけれど、云いませんでした。

 思い返してみますと、その御方は「若い」って表現するには似合わない、真に「わかい」モノとして生きておられたのです。


「若い」を「わかい」と書くとき、

 世俗から遠いところに魂を咲かせる柔和やさしい花を想います。

 その花は少年で在りながら老年のよう。

 人生の盛りの「余白」の時間に生命の嫩葉わかばを咲かせていた稀有けうさなぎ


 年齢不詳の嫩者わかものもとき寄せられた人々は、

 各々に死にたがりで生きたがりでした。

 絶対的に咲いていたい嫩葉たましいを持て余して、

 夜な夜なライヴハウスに集う雛鳥ひなどりたち。

 千切れそうな心を必死に繋ぎ止めていた雛鳥たち。

 そんな心象が、ありありと浮かぶのですね。


 あの狂おしさは何だったのでしょう。

 嫩者わかものが嫩者のままで居られる魂が寄りあつまっていたのかしら。


 淡闇うすぐらさが世をおおう時間になりますと、私の宵闇眼鏡サングラスは、ようやく外れて、陽傘パラソルも暑苦しい長手套アームカバーも不要で外を歩くことのできる貴重な時間が始まります。申し遅れましたが、私の眼と肌は太陽光に殊に弱いのですね。ゆえに「夕」と「夜」に癒されるのです。


「昼」と「夜」のあわい、つまりは「宵」と表現される時間を散歩しておりますと、徐々にそらが暗くなって、駅舎の電燈が遠目に明るく眩しく耀かがやいています。その耀きは、客電が落ちて暗闇になった世界にともるステージの照明に何処か似ていて、駅舎に滑り込む電車が、私をあのころのライヴハウスに運んでくれたら素敵なのにって、トトロの世界を走る猫バスみたいな夢をえがきながら帰宅します。


 そして小説を書くのですけれど、悪いことに太陽光だけではなく、つと螢光燈けいこうとうも画面の発するブルーライトもこたえるようになってきました。もしかしてWEB活動に不向きな猫!? 登録二年目を迎える以前に、そう勘付いてしまったのですが、カクヨムという魂の集い場を辞めることはできません。だって楽しいんですもの。


 しかながら魔の光は更にレベルを上げたように感じられ、目を開けていられる時間が少ないのが現状です。一年前に比べて(本人比)、読み合いという行動が充分にできていないと感じて心痛むところ、申し訳ございません。


 本日をもって過去作品の再掲示も一段落しました。

 休み休み、持続可能な範囲の活動を楽しんでいきたく思っております。


 番外篇までお付き合いくださって、ありがとうございました。


 夏に使うのは相応ふさわしくないのだけれど、

 いちばん好きな御手紙の結びを書きます。


「いずれ春永に」


 季節がめぐるころ、三度みたびの再会をねがっております。


    二千二十一年八月八日 宵澤ひいな

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アノレキシアの百合 宵澤ひいな @yoizawa28-15

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