同作者による『白百合の病』のスピンオフ。不治の病に侵された孫を見つめる老ピアノ教師の穏やかで切ないまなざしが全編を包み、『白百合の病』とは違った角度で主人公の少年・ミヨシ君像を浮き上がらせます。
雛鳥のような孫の姿を優しい祖父の目線で見つめる導入部の「間奏曲」。
曜日ごとに区切られた一週間の出来事に主人公の最後のきらめきを切り取った「前奏曲」。
そして「譚詩曲」では、さらに二人の生活を細やかに掘り下げた十年間を描きます。
さりげなくこだわった小道具を配した日常の風景も、心情を代弁するかのようなピアノ曲も、すべてが物語に素晴らしい効果をもたらし、個性的で優雅な筆致がこの透明感のある美しい物語を支えています。
少年のかたちをしたまま青年になったミヨシ君。彼が発する祖父への感謝と愛の言葉は、永久不変であり、彼もまた「幸せな男の子」だったのでしょう。
切なく、儚くも、強い想いに満ちた物語です。
幸せには、その「長さ」は関係がないのかもしれない。
そんなことを思いました。
この物語は、作者様の作品「白百合の病」のスピンオフに位置付けられる作品です。
主人公であるミヨシくんは、不治の病気である「白百合の病」を抱え、十歳の頃の発症から成長しない体のまま、歳を重ねます。
全身の関節が少しずつ変形し、痛みを増していく病状をただ受け入れ、死に向かって歩くしかないミヨシくんと、孫である彼を深く愛し、その人生に寄り添って歩くおじいちゃん。二人の道のりが、おじいちゃんの視点で描かれています。
病の苦しみと、刻々と迫ってくる死への恐怖に、人知れず悶え苦しむミヨシくん。それでも老齢の祖父にそんな自分を決して見せることのない彼の優しさに、胸が強く痛みます。
幸せには、その「長さ」は、関係がない。
濁りのない純粋な愛情に包まれた時間を永遠に留めておけるならば、それは紛れもなく、永遠の幸せ。
移り変わり、色を変えていく。そんな不可抗力の悲しみを永久に遠ざけた幸せ。
ミヨシくんも、おじいちゃんも、そんな幸せを手にしたのだと。
深い悲しみの後に、仄かに、そんな祈りにも似た思いが胸に残ります。
美しいピアノの調べが、物語の中に絶え間なく流れ続けます。それは時に悲しく、時に強い痛みを伴い——やがて穏やかに。
危うく透明で、それでも決して壊れることのない「大切なもの」。
それをはっきりと見たような深い余韻の残る、大変美しい物語です。
作者の別作品「白百合の病」のスピンオフ作品です。
「白百合の病」の患者・ミヨシくんの祖父にあたる、ピアノの先生の視点で物語が進んでいきます。
ミヨシくんと先生。
家族の絆だけでなく、ピアノの教師と生徒という立場でも繋がれた二人の会話は、やはりピアノの、音楽の話がとても多く。
文字の流れ、時間の経過が、作中に登場するピアノ曲に沿って進んでいくようです。
悲痛な嘆きではなく、ピアノの音に表現される揺らめきが、二人の空気を形作っています。
ピアノの音が好きな方なら、間違いなく美しい言葉が流れるこの作品に入り込んでしまうはずです。
いつまでも、二人の人生という名の揺らめきを感じていたい。
澄んだ気持ちに浸らせてくれる、文学的であると同時にとても音楽的な作品です。
ピアノ教室を開いている主人公の男性は、奇病を持った孫と暮らしていた。孫はピアノと折り紙を好んだ。ピアノではドッビュシーがお気に入りだった。しかし主人公の孫が病んだ「白百合の病」は、徐々に孫の体を変形させ、死に追いやる。もちろん、指も例外ではない。十歳にして成長を止め、心だけが成長する。今、孫は二十歳だ。主人公は自分が孫にしていることは、自分の自己満足なのでは? と思い病み、シャーマンの所に通った。ただ、孫が今幸せなのかを問うために。そして、孫と同じ病で他界した娘(孫にとっては母)は、幸せだったのかを問うために。シャーマンの所に行った日は、よく眠れた。
孫に直接、今は幸せか? と問うことはしていないはずなのに――。
そんな中、一人の女性がピアノ教室を訪れた。ピアノにブランクを持つ女性だった。その女性の声を、孫は母と同じ声質だと言う。
病の進行を遅らせるために、小鳥を籠に閉じ込めたのは正解か?
孫は本当に幸せなのか?
主人公は答えのない問いを繰り返す。
これは『白百合の病』の前章にして、表裏一体。
是非、御一読下さい。
ミヨシ君がササオカさんに出会うまでの日々がおじいちゃんであるピアノの先生の視点で描かれています。
おじいちゃんのミヨシ君への想いに共感できるとともに、祖父であるからこそ見えるミヨシ君が美しく綴られています。
前作の「白百合の病」がササオカさんの視点からだったのに対して、おじいちゃんからの視点なので、よりミヨシ君を近く感じます。そして、祖父だからこその悲しみが伝わってきます。
今回もピアノの音が溢れていて、そのピアノと響き合うような美しい文章が見事です。
ミヨシ君は決して不幸ではないと思わせてくれるラストが素敵です。
まさにこれこそ純文学。美しい調べをご堪能ください。