第13話

「凄く有意義だったね!」

 外へ出て薬屋の看板を見上げるとエドガーは深々と吐息を吐いた。

「あの銀の鎖の意味もわかったし、エルダーフラワー茶とクランベリークッキーは最高に美味しかった。良家の家庭の常備薬についての知識も得ることができた」

 ヒューは答えなかった。ヒューが口を開いたのは通りを向こう側へ渡って更に暫く歩いた後だった。

「気づいたか、エド?」

「何を?」

「猫が案内してくれた階段は下へも続いていた」

「え?」

「あの家には地下室がある」

 かなりまごつきながらエドガー、

「そ、そりゃ、ロンドン中の家には大概地下室があるよ。ちっとも珍しいことじゃない」

「これからもう一度引き返して調べるぞ」

 こんどこそ、エドガーは息を飲んだ。

「まさか! それは無茶だ! 許可を得ずそんな真似は出来ないよ。いくら僕らの制服――テレグラフ・エージェンシー社のメッセンジャーボーイの制服が最強の鎧だとしても、それは出来ない。見つかってみろ、家宅侵入になる。誘拐魔より先に僕らが逮捕されちゃうよ」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず(Nothing venture Nothing have)だ。キース・ビー警部補は情報を欲している。彼の衰弱した顔を見たろう?」

「だったら、ここまで見聞きした情報を警部補に伝えよう。地下室の捜索は警部補に任せればいいよ」

 ヒュー・バードの決意は固かった。肩に掛けていたローラースケートをエドガーに渡す。

「身軽な方がいいからこれを預かってくれ。おまえはここで待ってろ。俺一人で行くから」

 言うまでもなく、エドガーは受け取らなかった。

「君を一人で行かせると思ってるのか? 僕たちは、ずっと二人で走って来たんだぞ」

 口を真一文字に引き結んで、言った。

「OK. 君が行くなら、僕も行く」


 結局、ローラースケート2足は、沿道の羊の足を売っている屋台――どんなことがあっても絶対それを履けっこない太った店主に預かってもらった。

 再び薬屋の看板の下に立った二人。

 できる限り静かに扉を押し開けた。まず首だけ突っ込んで聞き耳を立てる。物音はしない。アシュレーは階上の温室へ戻ったようだ。抜き足差し足で店内を突っ切り奥のドアへ。こちらのドアも慎重に開ける。ヒューが確認した通りドアの横の階段は下へ伸びていた。

 その暗い穴は石炭袋コールサックを思い出させた。奈落の底に繋がっているように見える。だが、ここでひるんでなるものか。まずヒューが慎重に降り始める。エドガーも続いた。ほどなくドアに行き着いた。

 鍵はかかっていない。ひんやりする真鍮のノブを握って開けると中はもっと真っ暗で、湿った空気と独特の匂いがした――

「?」

 なんだろう、この匂いには憶えがある。

 とにかく中に入り、ぴったりとドアを閉める。

 ポッっと明かりが灯った。ヒューがマッチを擦ったのだ。ヒューはすぐにその火を、同じくポケットから取り出した短い蝋燭に移した。

「そんなものまで持ってるのか?」

「夜のロンドンで道に迷った時のためさ」

 こういう姿を見るたびにヒューが物凄く大人に思えるエドガーだった。だが今はそんなことに感嘆している場合ではない。

 蝋燭の炎に浮かび上がったものを目にして二人は衝撃を受けた。

「これは……一体……」

 地下室の中にはズラリと細長い木箱が並んでいた。

 何のような? ――そう、あれ、ひつぎのような……

「これを持っててくれ」

 ヒューはエドガーに蝋燭を委ねると一番近い箱の蓋を持ち上げた。

「う?」

「あ!」

 中に入っていたのは土だった。

 嗅いだことのある匂いは、この、土の匂いだったのだ。

 ニャア――

 文字通り、二人は飛び上がった。

 いつの間に入り込んだのか、いや、ずっと前からそこにいたのか? 一番奥の木箱の上に黒猫が乗っているではないか。黒猫は置物のように丸まったまま動かず、金の目で二人を見つめている。

「もういい、これで充分だ、戻ろう」

 蝋燭を吹き消してヒューが後退あとずさる。

 黒猫の存在まで搔き消えたかのような暗闇の中、手探りでドアを開けた。そのドアは、ヒューに続いて部屋を脱出したエドガーが閉めた。

 階段を上り、薬屋の店内を突っ切って、外へ――

 表の通りへ戻ってヒューとエドガーは止めていた息を吐いて新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 二人ともグッショリと汗をかいていた。


「これで二つの謎が一挙に解けたな!」

 ヒューがパシッと両手を打ち鳴らす。

「二つって、どの謎さ?」

「まずひとつは、水車小屋の一夜からロンドン街道を薬屋の荷馬車で帰ってきた時に、おまえ、言ったろ? 帰り道、俺は御者台にいたがおまえは荷台の中にいた。その際〝黒猫はずっと空き箱の上で眠っていた〟って」

「うん。でもそれがどうして謎なのさ?」

「考えてみろ、黒猫の乗っていたのは前夜、猫たちを入れてきた箱だった。文字通り空き箱・・なら不安定で、道中揺れて弾んで、とても黒猫はのうのうとその上で寝てなんかいられなかったはずだ」

 エドガーは頭の中でその時の様子を思い起こしてみた。確かに、箱は動かず猫は静かに眠っていた。

「だから、箱には何かが入っていた。もらわれて行った猫たちの代わりに。それが――」

「土だった!?」

「そう。それで同時に二つ目の謎もかたがつく。俺が水車小屋の中で夜通し聞いた音。耳障りな音はやっぱり夢や空耳なんかじゃなくて、あの薬屋が、俺たちが寝てる間に外の土を掘り起こしていた音だったのさ」

  ザクザクザクザクザク……

「前夜掘り起こしておいた土を猫市の後で、または途中で、隙を見て空になった箱に入れて薬屋はロンドンへ戻った。その土は今、俺たちが見て来た地下室の木箱の中にある――」

「でも何故? どうしてアシュレーは土なんか持って帰ったのさ? そっちの方が僕にとっては一番の謎だけどな」

「そんなものは謎でも何でもない」

 ヒューの灰色の目が凍える犬の星シリウスのように輝いている。

「何故、薬屋は土を持って帰ったか。何かを覆い隠すためだ。こう言えばいいか? 何かを埋めるために」 

 もう一度、ヒューはゆっくりと繰り返した。

「何かを埋葬する・・・・ために」

 勢いよくヒューは身を翻した。

「さあ、エド、ローラースケートを回収してニュー・スコットランドヤードへ行くぞ。キース・ビー警部補に知らせるんだ!」


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