第20話
*
さあ、おいで、みんな、
出ておいで、怖がらずに。
シダの陰にいる、君。岩に
可愛い尻尾をパタパタと揺らして
静かな時間が流れて行く。
君たちはなんて綺麗なんだろう……!
シー、
ゆっくり出ておいで。
僕のおともだち。
永遠の宝物たち……
*
ひとつ大きく息を吐いて、エドガーは目を開けた。
夢を見ていたのか?
ここは
「畜生、まんまとやられちまった! アシュレーに警告されてたのに……」
思いのほか近くで響く声。ヒューだ。
「何処? 君は何処にいるの?」
「おまえの真横だよ。写真家め、お茶に薬を入れやがった。駄々っ子を眠らせる家庭の常備薬……マザーズ・フレンドかナーサリーマジック、乳母の
幸い(と言うべきか?)縛られてはいないが全身がマヒして身動きできない。二人はもつれる舌で何とか会話を試みた。
「僕たち、捕まっちゃったんだね? ここは何処?」
「わからない。狭い
ボソリとヒューが言った。
「ごめんよ、エドガー、俺が悪かった。今回俺はドジばかりやらかしてる……幸運のお守りのおまえすら巻き込んで……全て俺の責任だ」
深く息を吸い込む。独り言のように囁いた。
「やっぱり一人で乗り込むべきだったんだ。それなのについ、優しいおまえに甘えちまった。おまえが一緒にいることに慣れて――俺はおまえと二人ならなんだってできると錯覚しちまった。薬屋の件でミスったから、それを挽回しようと焦ってもっと大きなミスを犯してしまった。ホントに、ごめん、エド」
「謝るのは僕の方さ、ヒュー」
虚空を見つめてエドガーが
「いつもどおり、僕がついていながら、肝心な時にやっぱり何の役にも立てなくて、ごめん」
エドガーは間を置かず、すぐに続けた。
「でも、嬉しいよ」
「嬉しい?」
「最低限の約束は果たせそうだ。『いつも、どんな時も僕は君の一番傍にいる』 ね? そうだろ?」
「バカヤロウ……」
暗くて、良かった。暗い上に薬のせいで視界が狭くて、良かった。ヒューは思った。でなきゃ涙をエドガーにみられるところだった。それだけは死んでも嫌だ。
エドにだけは永遠に強い男、クールなヒュー・バードとして憶えておいてもらいたい。そしてエドだけは――
どんなことをしても無事にここから逃がしてみせる。俺の命に代えても。天使の陪審員の前に
ヒューが歯を食いしばって悲痛な決意をした、その時――
急転直下、世界の向こう側から怒号が響き渡った。
壁越しで幾分くぐもって聞こえたとはいえ、二人の耳にも、確かに届いた。
「ニュー・スコットランドヤードだ! 通報により、この写真館の建物内を
なんと頼もしい声! キース・ビー警部補だ。
「これは一体どういうことです? こんな夜半、いきなり押し入って来られて――困りますな」
続いて、応対するシメオン・コリンズの声も伝わって来た。
「館内には現在私しかいません。従業員は全員帰宅しています。ここで一体何を捜そうと言うのです?」
「私はキース・ビー警部補。特命を受けて公にはしていないとある事件――娘たちの連続失踪事件を担当している。今回その関連が疑われる事案が発生した。本日夕方、若いお嬢さんが二名、消息を絶った件に関して、その二人らしき人物がこの写真館に入ったと言う通報を受けたのだ」
警部補は快活に事実だけを述べている。
「情報によれば、二人は姉妹で、姉は黒衣、妹は純白のドレス…
――劇団長のことだな!
息を殺して聞いていたヒューの瞳が輝く。
――ありがたい、通報者は彼か。ここに来ることを教えておいて良かった!
「ああ、そのお二人なら――確かに当写真館に来館なさいました。夕刻で本日の営業は終了していて、助手たちも退社時間だったので私が館内を案内しました。満足なさって帰って行かれましたよ。もう2時間も前のことです」
澱みなく答える写真館主シメオン・コリンズ。
「ご姉妹のお住まいは何処か等々、詳細な話は伺っておりません。何しろ当館にいたのはほんの数分ですので」
――嘘つき野郎め! だが、2時間前と言ってるってことは俺たちは2時間近くも意識を失っていたわけか。未だに体を動かすことも、大声を上げることともできないとは。娘たちも皆こんな風に薬を飲まされて自由を奪われたんだな……
「よろしい、捜索なさりたいなら思う存分そうされたらいい」
写真館主の自信に満ちた声が館内に
「但し、何事もなかった場合は責任を取ってもらいますからね? ご存知と思いますが私はこの町の名士と懇意です。こんな不名誉を受けてただで済ませるつもりはありません。然るべき処へ訴え出ますよ。警部補も覚悟なさっていただきたい」
口調は
「捜査に失敗して嘲笑の的になったのはロードヒルハウス殺人事件担当のジョナサン・ウィツチャー刑事でしたか。そんな哀れな先輩と同じ末路を自ら選択なさるとは、警部補は大変勇気がおありだ」
「私の将来について、貴殿に心配していただかなくても結構です。よし、始めろ!」
号令一下、バラバラと足音がして警官たちが館内に散って行く。
それにしても流石、キース・ビー警部補だ。蜂の一刺、輝ける新星、特注のインバネスコートとディアストーカーは伊達じゃない。伝説の名探偵に負けない推理力・行動力ではないか!
ヒューとエドガーは心から安堵した。これで一件落着、起死回生。自分たちが発見されるのも時間の問題だ。のみならず、行方不明の15人の娘たちも、この館の4階でどうか全員無事に救い出されますように……
だが、しかし――
「1階、何も見つかりませんでした」
「2階、不審なものはありません」
「3階、何一つ、見当たりません」
「4階、残念ながら、何処にも何もありません」
数十分後。結果を報告する警官たちの声が
――そんな、嘘だ!
ヒューとエドガーは暗闇の中で
――俺たちは
――これはどういうこと? ねぇ、ヒュー、警官たちは一体何処を捜しているの?
「馬鹿な」
キース・ビー警部補も歯ぎしりした。
「クソッ、ここは写真館ではなく魔術館か?」
先の行方不明の15人の娘たちはともかく、急造の姉妹、ヒユーとエドガー、メッセンジャーボーイの二人は絶対ここにいるはずなのに? 一体どんなトリックを施しているんだ?
「ハッ! 隠し部屋か?」
若きニュー・スコットランドヤードの警部補は足を止めた。
「ベイカー街の探偵の話にもあった、あれか?
クルリと身を反転させたキース・ビー。拳を固く握りしめると配下の制服警官たちに命じた。
「よし、もう一度、館内を徹底的に調べるんだ! 警察馬車から破壊用工作道具類を全て持って来い! 鉄のハンマー、木槌、鋸、斧……必要とあればそれらを使っても構わない。建築上違和感を覚えるような壁のでっぱりや梁、階段の下に注意を払え! 衣装室の戸棚や更衣室の鏡の裏、緞帳の後ろ等々、徹底的に捜査しろ!」
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