第21話

 かくして、再び開始された写真館内の大捜索。

 館主シメオン・コリンズは微塵も動揺する様子を見せなかった。

「無駄ですよ。隠し部屋? そんなロマンチックなものは当館にはありません。だが、お気の済むまでどうぞ」

 余裕の笑みで肩を竦める。

「破壊された部分の補修費は勿論、ニュー・スコットランドヤード宛てに郵送しますから」


 そのニュー・スコットランドヤードの優秀で勤勉な警官たちの奮闘も敵わず、時間だけが過ぎ去った。

 4階、3階、2階、1階。

 なんの収穫もなく警官たちが破壊道具を手に玄関ホールに戻って来る。

 写真館の捜索は空振りに終わったのだ。後は警部補の退去命令を待つだけである。

 この時、玄関の扉が軋んで、

「警部補、どんな具合です? 進展はありましたか? 凄く時間がかかっているみたいですが……」

 入って来たのは、銀色の髪の薬屋の青年、アシュレー・タルボットだった。

「誰だね、君は?」

 吃驚して問い質す写真館主に警部補が答える。

「今回の件の通報者――情報提供者です。念のため馬車に待機させていたんです」

「アシュレー・タルボットと申します」


――アシュレーだって? 劇団長じゃなく? 彼が通報者?

 暗闇の中のヒューとエドガーも驚いた。

――どういうこと、ヒュー?

――知るもんか。俺はてっきり通報してくれたのは団長かと思ってた……


「残念だが、タルボット君」

 無念そうにまばらな口髭を撫でながらキース・ビー警部補はアシュレーに告げた。

「見当違いだったようだ。二人はここにはいない。これから我々は引き上げる」

「そんな」


――そんな!


 通報者の薬屋の青年と囚われのメッセンジャーボーイたちは同時に叫んだ。

「二人はここにいます。諦めないでください、警部補」


――そうだよ!

――ここで諦めないでくれ、警部補!


君が・・情報提供者?」

 一方、大いに憤慨してシメオン・コリンズはつかつかとアシュレーに歩み寄った。

「では、君がこの騒動を引き起こした張本人か? 無責任にもほどがある! 黒衣と白衣の姉妹を目撃したなどとデタラメを吹聴しおって」

「いえ、目撃したのは僕ではありません。この新月です」

誰だって・・・・? 新月?」

 写真館主はまじまじとそれを見た。青年の腕の中の黒猫を。確かに、銀色の髪の青年の腕の中に黒猫が抱かれている。

「ええ。ですから、決してデタラメではありません。僕たち人間と違って、猫は、嘘は言えませんからね」

 次の瞬間、写真家ははじかれたように笑いだした。

「なんてことだ! バカらしい! 最新の科学捜査を誇るニュー・スコットランドヤードはここまで落ちぶれてしまったのか! コスチュームプレイの警部補に猫の通報者ときたーー」

「いや、お言葉ながらこれは実に近代的で科学的な捜索方法です」

 キース・ビー警部補がグッと胸を反らせて前へ出る。

「順を追って説明しましょう。この黒猫が首に巻いているのは黒衣のレディが身に着けていたお守りです。これを付けて戻って来た猫が飼い主であるタルボット君をこのシメオン・コリンズ写真館へ導いたんです。不審に思った彼は即、警察に通報してくれました。今に至るも姉妹の行方がわからないとなれば、真っ先にここ・・を捜すのは当然でしょう?」


 ――お守りだって? あ!

 エドガーはハッとした。そういえば、新月を公園で放り出して戻って来たヒューに何か違和感を感じたけど……

 ――それだ! 思い出したぞ。手袋を嵌め直した君の右手にポン・フィンがなかった!

 ――責めるなよ。そうさ、俺はお守りを黒猫の首に縛りつけた。あいつが首輪を嫌ってるって聞いたから、嫌がらせをしてやったのさ。これでもう二度と俺の傍には近寄らないだろ? いい気味だ!

 目は見えなくとも気配はわかる。友人の非難の眼差しが痛いヒュー・バード。

 ――なんだよ、何か俺に言いたいことでも?

 ――ああ、ヒュー、君って……

 エドガーは精いっぱい大きなため息を吐いた。

 ――君って、やっぱり、ちょっとザンネン……


「下らない!」

 外の世界ではシメオン・コリンズの哄笑が続いている。

「猫が導いた、などと真顔で言うとはね! 猫なんぞ所詮、畜生に過ぎない。しかも、その薄汚れた毛糸屑けいとくずがお守りだと? そんなもの何処で引っ掛けて来たか知れたもんじゃない。きっとゴミ捨て場でゴミだめに顔を突っ込んだ時に――ギャッ!」

 それは電光石火の動きだった。薬屋に抱かれていた黒猫が写真家の手の甲を引っ掻いた。続いて、腕の中からスルリと滑り抜けて駆け出す。

 猫は第一スタジオの中へ一直線に飛び込んだ。既に幾度も徹底的に調べた室内――そのただ一ヶ所、撮影用の〈月〉の上に大きく跳躍して舞い降りる。

 ガリガリガリガリッ……

 激しく引っ掻き始めたではないか。

 猫を追って雪崩なだれ込んだ一同。

「新月?」

「な、何をする! やめさせろ! この馬鹿猫め、それは私の大切な撮影道具だぞ!」

 血相変えてわめくシメオン・コリンズを押しのけてキース・ビー警部補が叫んだ。

「斧だ! 誰か、破壊道具の中にある斧を持って来い!」

「警部補、これを!」

 斧を受け取るや月の上に飛び乗り、猫の引っ掻いた辺りに振り下ろした――

「ここだ! いたぞ!」

 砕いた箇所を更に慎重に押し広げる。その隙間から、警部補は軽々と黒衣のヒューを救い上げた。

 ――この場面は見事な挿絵(再現画)とともにロンドンタイムズの紙面を飾った。

 月を打ち砕いて、見よ! 今まさに、救出した麗しき黒衣のレディを高々と抱き上げるニュー・スコットランドヤードの新星・若き警部補の勇姿を……!

 勿論、この後続いて、純白のエドガー、そして、15人の娘たちも無事救い出されている。

 15人の〝本物の娘たち〟に関しては更に詳細な記述が必要であろう。

 

 娘たちがいたのは写真館ではなかった。写真館の主シメオン・コリンズ、本名シメオン・グロブナーが有していた実家のベルグラビア地区の邸だった。

 観念して洗い浚い全てを白状したシメオン・コリンズに案内させて、時を移さずその邸に急行したキース・ビー警部補は驚倒した。

 そこで見たのは想像を絶する特異な光景だった――

 城郭を思わせる大豪邸には、古くから勤める年取った乳母と召使い夫婦とその息子がいた。

 古寂びた1階から2階へ上がると様相は一変する。

 部屋のドアは取り外されガラスが嵌めこまれていた。そこから覗くと、床一面に敷き詰めた青い絨毯、様々な形の岩礁――一部は本物で一部は精巧な作り物――が見えた。

 海藻そっくりの植物が至る所で揺れている。その中に娘たちはいた。

 15人の娘たちには尻尾があった。つまり、どの娘たちも魚の装束を纏っていたのだ。

「シダの陰にいる子、岩に凭れている子、尻尾をパタパタと揺らして、なんて綺麗なんだろう!」

 この期に及んでシメオン・コリンズはうっとりと呟いた。

「どうです、警部補、美しいでしょう?」

「こんなもの偽物……似非えせも似非……疑似水族館だ。何処が美しいものか」

「美を理解しない凡人は哀れだな。まぁ、そのために私たち芸術家が存在するのだが。私が撮ったここのお魚たちの写真を見ればあなただってとりこになりますよ」

「写真だと? 撮影しているのか、この……状態の娘たちを?」

「当然――」

 警察官としてあるまじきことに、キース・ビーは容疑者を渾身の力で殴り倒した。


 シメオン・コリンズ・グロブナーの生い立ちは、そのもの水族館の歴史と重なる。

 ロンドン万博で会場となった水晶宮に展示されたワードの飼育箱ワーディアン・ケースを見たのは1851年、3歳の春だった。

 その後、ロンドン動物園に併設された世界初の水族園〈フィツシュハウス〉に目を奪われたのが1853年、5歳の頃。

 1871年、より巨大で完璧な世界一の水族館が移築後の水晶宮に誕生した時、20代になっていた。

 その感動を胸に貴族の青年は写真技術を習得すべく写真先進国のアメリカとフランスに遊学。

 帰国後、写真館を開業し富と名声を手中にした。

 そして、遂に夢を実現させた。今年189×年、自分だけの淫靡な水族館を完成させたのである。


☆ここまでお付き合い下さりありがとうございました! 次回完結です。

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