第10話

 もはや目を瞑っていても行けるニュー・スコットランドヤード。

「テレグラフ・エージェンシー社からメッセージをお届けに参りました!」

 キース・ビー警部補のオフィスに到着した二人。ヒューが差し出した封書を若き警部補は開封もせずにポイッとデスク横の屑入れに放り込んだ。

「ようこそ、待っていたよ。今日欲した配達物・・・は君たち自身だ」

 警部補は椅子を指し示す。

「まあ、座りたまえ」

 すぐに配下の警官が良く冷えたミント水の瓶を二本持って来てくれた。警部補はデスクの抽斗から取り出したマクビティビスケットの封を目の前で開けるとテーブルに置いた。次に、自分用にスコッチウィスキーを出してグラスに注ぐ。一気に飲み干してから、言った。

「フン、大丈夫、今は勤務時間外だ。僕は勝手に居残ってるのさ」

 言い訳するところがこの男らしい。警部補は続けて、

「まずは、君たちから先に訊こう。どうだ、頼んでおいた件、何か気になる情報はないかい?」

 ヒューとエドガーはサッと首を振る。代表してヒューが答えた。

「残念ながら何も情報はありません。仲間にも頼んであるのですが、今の処、変わった物音を聞いたり、怪しい光景を目にしたメッセンジャーボーイは一人もいません」

「また二人、やられた」

 ひどくしわがれた声だったので2人ともそれを言ったのがキース・ビー警部補だとは気づかなかった。

「つまり、新しい失踪者が二名出たということさ」

「え?」

「まさか、そんなことが……」

「シティのベアリングス銀行の銀行員、ロジャー・ライアン氏の娘――姉妹だ。名は、姉がエセル16歳、妹がエレイン15歳。我々のところに連絡が来たのは今日の朝で娘たちがいなくなったのは昨日だ」

「昨日……」

 ヒューとエドガーが顔を見合わせてその意味を確認し合っている間に警部補は訊いて来た。

「さて、メッセンジャーボーイの諸君、良いニュースと悪いニュース、どちらを先に訊きたい?」

 思わずエドガーが叫ぶ。

「じゃ、悪いニュースから」

「悪いニュースは〈犯人は未だ捕まっていない〉」

「では、良いニュースは?」

 それを訊いたヒューにキース・ビーはシニカルに笑って――この表情はちっとも彼に似合っていなかったが――答えた。

「〈今回は手掛かりがある〉いいかい、昨日の失踪日、つまり、いなくなった日に姉妹は知り合いに目撃されている。今までの失踪者はその最後の姿についての情報が皆無だというのに! どうだ、これは凄く良い傾向――希望溢れる要素だろう?」

「姉妹が目撃された――その場所は何処なんです?」

「水晶宮」

「昨日……水晶宮……なんてこった! キース・ビー警部補、僕たちその日――」

 思わず立ち上がったエドガーの言葉は宙ぶらりんに終わった。隣に座るヒューが腕を掴んだからだ。待ての合図。付き合いも長くなるとわかる。友人の黒髪の下の灰色の瞳が『止せ』と告げている。

 ストンと腰を下ろしたエドガーに代わりヒューが落ち着いた声で尋ねる。

「警部補、そのことに関してもっと詳しく教えていただけませんか?」

「うむ、失踪日のその日、姉妹は朝食を食べに食堂ダイニングルームに降りてこなかった。とはいえこれはよくあることだったので両親は気にしなかった。中流家庭の娘たちの甘やかされた育て方についてあれこれ言う権利は我がロンドン警視庁には無いからな。で、午後のお茶の時間にも現れなかったことから、家族は不審に思い、夜に至って大騒ぎになり、翌朝、警察に駆け込んだ――」

 ここでスコッチのグラスに2杯目を注ぐ。一口飲んで唸り声を上げてから、

「ニュー・スコットランドヤードは、この件の最高責任者である僕が・・陣頭指揮に当たり、姉妹について朝から徹底的な捜索を開始した。その結果、失踪当日の午後4時頃、姉妹によく似た娘を水晶宮近辺で見かけたという情報を入手したのだ!」

「4時頃か……その時、娘さん達は二人だけでしたか? そばに誰かいませんでしたか?」

 ヒューが静かな声で確認する。

「目撃したのは姉妹の友人で、テニス仲間だという青年だった。その人物が言うには、水族園の中で人出が多かったし、水槽の方が明るく場内は薄暗い。はっきり断言はできないそうだ。あくまで『ただ一瞬、チラッと見て似ていると思った』とのこと。連れがいたかどうかもよくわからないそうだ。だが、こんな証言でも何もないよりはましだろう?」

 キース・ビー警部補は鳶色の目をしばたたいた。

「姉妹の写真をみるかい? ったく、結構な時代になったものだ。肖像画なんてもう必要ないな。猫も杓子も素敵なポートレートを持っている」

 この言葉にヒューとエドガーはちょっと紅潮した。そう、彼らも今やその〝素敵なポートレートを持っている〟側の人間だから。

 警部補が差し出したのは完璧な冊子型肖像写真ポートレートだった。写っている銀行家の姉妹もこれまでの失踪者同様、大変美しく可愛らしかった。世の無情や残忍なことなど微塵も知らない無垢の瞳、天使の微笑を煌めかせている。今その瞳は何を見ているのか? あるいは、もう既に何も見ることができなくなっているのだろうか?

 ヒュー・バードが立ち上がった。

「申し訳ありません、キース・ビー警部補。今日は僕たち、何も、役に立つ目新しい情報を提供できませんでした」

 警部補に娘たちのポートレートを返す。その手首に腕輪が揺れている。そう、あれは妹のミミが結んだものだ。エドガーは思い出した。ポン・フィン、良い終わり……美しい結末……

 ヒューはきっぱりと告げた。

「でも、次回お会いする時は、僕たちはあなたに良い知らせお届けすることができるかもしれません」

「おお! どんな些細な情報でもいい。期待しているぞ、メッセンジャーボーイズ!」


「あー、驚いた! 『昨日、水晶宮』と聞いた時はドキリとしたよ。僕たちが水晶宮を出たのは2時半頃だったよね。時間はちょっとズレてるけど、とはいえ僕たちも同じ日に同じ場所にいたってことになる。なあ、ヒュー?」

 ニュー・スコットランドヤードの正門を出るや、エドガーは我慢できなくなって矢継ぎ早やに問いかけた。ヒューは何も答えなかった。それきり、その夜は、ヒューは一度も口をきかなかった。唯思いつめた顏で虚空を睨んでいた。

 それなのに――

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