第8話

 かくて、とんとん拍子にその計画は実行された。

 バード姉弟とタッカー兄妹の4人が肖像写真ポートレートを撮りに行くことに選んだ、評判が良くて価格も手ごろな〝そこそこの写真館〟は、オックスフォードストリートにあった。その名も〈エッフェル写真館〉。

 19世紀末、一般庶民にこの〈ポートレート撮影〉は大流行した。それまでのお堅い、形式ばった記念写真ではなく、日常をうかがわせる楽しく軽妙なショットが人気を呼んで、家族はもとより、兄弟、姉妹、仲の良い友人、男同士、女同士でも気楽に写真館へ押しかけて写真を撮ってもらうようになったのだ。

 この種の写真は現在にも数多く残っている。アンジーが言及したとおり、一番人気は月の上に乗っているもの――それも三日月が多い。写真館のスタジオに設置された大きな月をボートやブランコに見立てて、寄りかかったり、跨いだり、ぶら下がったり、様々なポーズで撮影されている。どの写真からも弾けるような笑顔とともに近代の新しい生活を謳歌する幸福な人々の様子が伝わって来る――


 撮影当日、晴れやかな顔で落ち合った4人だった。

「一生の宝物になる!」

 目を輝かせてエドガーは言った。

「病気で寝ている父さんも、これでいつでもミミに会えるって喜んでいるよ」

 エドガーの父はセビロー通りの名店で働く腕の良い仕立て屋だった。だが数年前、胸を病んで現在自宅療養中なのだ。病が病なだけに伝染うつるのを恐れて幼い娘には寝室に入るのを禁じていた。

「母さんも大賛成さ。凄く乗り気でね」

 母のエミリーは今日の日のために大急ぎでミミのドレスを縫い上げた。そして、家を出るエドガーを抱きしめてこう言った。

「ありがとう、エド。あなたは父さんと母さんの誇りよ。この撮影費用はあなたが払ってくれるんですもの、あなたが自分で稼いだ、そのお金で。こんなに立派に育ってくれて、母さん、嬉しいわ!」

「よ、よしてよ、母さん。僕は当たり前のことしてるだけさ」

 母自身、毎日、リバティ百貨店の服飾部で働き詰めだ。元々お針子だったとはいえ、病で倒れた夫に代わって現在その細腕で家族を養っている。そんな、決して弱音を吐かない母が初めて見せる泣き顔だった。

 でも・・、とエドガーは思った。悲しみの涙じゃなくて良かった! 

 母の目に煌めくのは、頼もしく成長した息子を称える喜びのソレだったから!

 玄関先で改めてエドガーは服装を整え、帽子キャスケットをキュッと被り直した。自分を一人前にしたメッセンジャーボーイの制服に心からの感謝を込めて。

 以上は、エドガーが誰にも告げず自分の胸の中にだけ納めた、撮影当日の朝の輝かしい秘密である。

「ヒュー! 会いたかったぁ!」

 ヒューの顔を見るや否や、ミミは飛びついてキスの雨を降らせた。

「ひゃあ、よく見せておくれよ、ミス・タッカー。今日は一段とお美しい!」

 実際、母特製のドレスをまとったミミは〈小公女〉のごとく可愛らしかった。真っ白なシフォンのワンピース。幾重にも襞を寄せた大きな襟、パフスリーブの半袖にさざめくレース……兄と同じ金の巻き毛に絡めた水色の細いリボンが何と愛らしいこと。

「まあ、こちらが噂のミミちゃん、エドガーの自慢の妹さんね?」

 初体面となるアンジーも思わず絶賛する。

「ヒューも隅に置けないわ。こんな素敵な恋人がいるなんて!」

「恋人じゃありません。私はヒューのフィアンセです」

「こ、こらこら、ミミ」

「初めまして、ヒューの綺麗なお姉様。お姉様はエドの何ですか?」

 おしゃまなミミにアンジーは笑いを噛み殺して答えた。

「ウフフ、じゃ、私はエドガー君の花嫁候補ってことで、よろしくね、ミミちゃん!」

 言うまでもなく、アンジーも素敵だった。こちらも雪のような純白のタフタのドレス。喉元までの高い襟、膨らんだ袖は肘のところで蝶々のように優雅に結んである。帽子のプリムに飾った矢車菊の青が瞳と同じ色なのも効果抜群だ。

「アハハハハ」

 突如、腹を抱えて笑い転げるヒュー。

「まったくアンジーは冗談が上手いよな! おまえみたいなチビスケの花嫁候補ときた、ちょっと言えないコントだ、笑えるぜ、なぁ。エド?」

「君って……ほんっとデリカシーがないよな」

 大いに傷ついてそっぽを向いたエドガーを押しのけてミミがヒューの腕を取る。

「ヒユー、私ね、ヒユーにプレゼントを持って来たの。ホラ、この前いただいたマーブルの御礼よ」

 ミミが小さな手に乗せて差し出したものは色取り取りの毛糸で編んだ腕輪だった。

「なんて可愛いの! ミミちゃんが編んだの? クロシェ編みがお上手ね?」

 アンジーに褒められてミミは頬を染める。

「ありがとう、アンジーお姉様。ママに教わって一生懸命作ったの」

 早速手首に結んでヒューはいかにも彼らしい博学ぶりを披露した。

「こりゃ、凄いや、ありがとう、ミス・タッカー。君にもらったこの〈ポン・フィン〉大切にするよ!」

「ポン・フィン?」

 エドガーを含めて首を傾げる3人に、

「そう、ポン・フィタともいう。これ、17世紀のポルトガルの教会から広まったお守りにそっくりだ。真心を込めて編んで大切な人に渡す――」

 ヒューは手首の揺らした。

「腕輪が切れた時、願いが叶うのさ! だからポン・フィンは〈美しい結末〉〈良い終わり〉って意味なんだ」

「ほんとに、何でも知ってるな、ヒュー! ポン・フィンか……」

 エドガーは妹を振り返った。

「さて、このお守りに何を願うんだい、ミミ?」

 てっきり『ヒューのお嫁さんになれますように』と言うと思っていた兄は妹の答えを聞いて少々驚いた。 幼い妹は真剣な顔でこう言ったのだ。

「勿論、『ヒューの命をお守りください』よ。『どんな時もヒューの身が安全でありますように』」

「いいことを言うじゃないか」

「ありがとう、ミミ!」

 感激してヒューはミミを抱きしめる。アンジーも涙声で、

「なんて良い子なの、ミミちゃん!」

 小さな天使は皆を見回すと得意顔で言い切った。

「だって、私が大きくなるまでヒューには絶対元気でいてもらわないと困るもの」

 一同、大爆笑。

「やっぱりなー」

「結局、それか!」


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