第七章 十月二十九日
「信仁! 起きたまえ信仁!」
「うぅん? なんだよ聖。俺はもうちょっと寝たいんだけど」
俺が気持ちよく寝ていたら聖が部屋に突撃してきて俺を叩き起こしてくる。
「寝ている場合じゃないぞ! これを見たまえ!」
布団に潜ろうとする俺を無理矢理起こし、俺にスポーツ新聞を突き出してきた。
俺は新聞が嫌いだ。小説は読めるのだが新聞を読むと頭が痛くなってくる。
「朝から嫌がらせはやめろよ聖。俺が新聞苦手だって知っているだろ?」
「いいからこの一面を見たまえ!」
いつもの聖の冷静な表情じゃない、焦った表情。そこで俺は何かまずいことが起きていることに気づく。慌てて新聞を受け取った一面には驚愕の言葉が書かれていた。
『横浜フリューゲルス、横浜マリノスに吸収合併』
「……は?」
一瞬、何を言われているか理解できなかった。
「おいおい……デマにしては冗談がキツすぎるぞ」
「冗談なものか! 僕も朝起きてこの新聞を読んで、冗談だと思ってコンビニに他の新聞を見に行ったが、全部がこの記事を書いていた!」
聖の言葉にようやく現実として俺の脳が現実として受け入れ始める。
「吸収合併なんて言葉を飾っているが、事実上の消滅だ!」
聖の言葉が俺の脳天を突き抜ける。
横浜フリューゲルスがなくなる? 昨日まで普通に応援していたチームがなくなる?
俺はベッドから飛び起きて自分の部屋から飛び出る。目的地はリビングだ。
「お父さんはいるか!?」
全日空の社員であるお父さんなら何か知っているかと思ったのだ。しかし、リビングには不機嫌そうなお母さんがいるだけだ。
お母さんは不機嫌そうな表情を隠すこともなく口を開く。
「お父さんならもう仕事に行ったよ」
「あぁぁぁ! そうだよねぇ!」
俺のお父さんは職場まで割と距離があるので、平日は俺が起きる前に会社に行って、寝た後に帰ってくるという生活をしている。
「それとお父さんもフリエのことは聞いてなかったって。新聞を見て驚いていたよ」
お母さんの言葉に俺は頭を抱える。数少ない情報源が見事に絶たれてしまったからだ。そしてお母さんは朝食を用意しながら俺に声をかける。
「うちの家族にとって大事件が起きても普通の人達には変わらない日常なんだ。朝食食べて学校に行きな」
お母さんの言葉に俺は力なく頷くだけであった。
「神保! どういうことですの!」
朝のチャイムが鳴るギリギリに聖と一緒に教室に入ると、即座に新聞を手にした山崎がやってきた。
「俺と聖も今朝の新聞で知ったんだよ」
「性質の悪い冗談じゃありませんの!?」
「わかんねぇよ!」
山崎の言葉につい俺も苛立って怒鳴ってしまう。仲裁に入ってきたのは近衛だった。
「冷静になろう。同じサッカーを愛する者同士で争っても意味がない」
近衛の言葉に俺は乱暴に自分の席にランドセルを投げつける。隣の席にはいつも遅刻のような時間でやってくる近田もすでに来ていた。
「おはよう。フリエは大変なことになったね」
「ふざけた話だ。よりにもよって合併吸収だと? 事実上解散じゃないか」
「なんとかできないかなぁ」
近田と一緒に首をひねっていると、前の席の友人が俺達の方を向いてきた。
「去年のエスパルスの例もあるからどうにかなるかもよ」
「それは本当かサッカーオタク稲室!」
助言をしてきてくれたのはサッカーだけでなくスポーツ全体のオタクである稲室であった。
「去年のエスパルスの騒動の時はサポーターとかが署名活動をして解散を阻止していたよ」
「それですわ!」
稲室の言葉に反応したのは山崎であった。
「私達マリノスサポーターにとっても宿敵であるフリューゲルスの解散は見逃せませんわ! それにフリューゲルスがなくなってしまっては横浜ダービーもなくなって盛り上がりにかけますわ!」
「そうだね。ここでフリューゲルスがなくなってしまっては神保を煽る楽しみも半減するしね」
素直に「フリエがなくなったらつまらない」という山崎と割と最悪なことを言う近衛。
「ここでフリエがなくなったら嫌な前例が作られることになるから、防ぎたいところだね」
そして割とJリーグのことを考えたことを言う近田。
「今回の出来事はファンとかサポーターのことを無視した Jリーグの理念を無視したことだから撤回できるかもよ」
そう助言してくれる稲室。そして近くによってきていた聖が俺を見てくる。
「どうするんだい、信仁」
聖の言葉に俺は席から立ち上がり片腕を大きく振り上げる。
「よし! 横浜フリューゲルス解散は絶対に阻止するぞ!」
『おぉ!』
「そ、その前に学校の授業を受けてね……」
悲しげな担任の先生の言葉が印象的だった。
山口がフリューゲルスのクラブハウスにやってくると、駐車場には新聞記者はもちろん、テレビ局のリポーターが集まっていた。
山口が横浜フリューゲルスの解散のことを聞いたのは前夜の三浦からの電話であった。三浦は永井から聞いたそうだ。これまでチームのことは最初に山口のところに入ってきたので三浦も山口に連絡をしてきたのだ。
その三浦の問いに山口が返したのはわからないと言うことだった。
だから山口はクラブハウスに来る途中でコンビニに寄ってスポーツ新聞を買ってやってきたのだ。
山口が車から降りるとサンパイオが待っていた。山口はサンパイオに新聞を見せながら口を開く。
「これ、見た? いったいどう言うことなんだ」
「信じられない。こんなことブラジルやヨーロッパじゃ考えられないよ」
山口の言葉にサンパイオは首を傾げながら話す。
それから二人は慌ててクラブハウスに入る。すると異様な空気が広がっていた。
挨拶をする選手もいなければ、いつものように軽口を叩く選手もいない。監督のゲルトも選手全員も顔が引きつっていた。
「これからどうなる?」
「俺たちどうしたらいいんだ」
そんな言葉しか出ていなかった。
そんな山口のところに選手会長の前田がやってきて慌ただしく言葉を交わした。
「まず、最初になぜマスコミに流れたのか、それを謝罪してもらわないと。そして、今後のことをどう考えているのか、そこをきちんと聞こう」
そう会話をしてから山口はミーティングルームに入る。
山口達がミーティングルームに入ると、そこに集まっていたのはトップチームの選手だけでなく、現場のスタッフ、ユースの監督、コーチ全員が集まっていた。
そこに全日空スポーツの社長と取締役二人が現れ、『合併』が決まったことを記した用紙を配った。
そして社長がおもむろに口を開いた。
「新聞やテレビで、もうご存知だと思いますが、合併ということになりましたので……」
その言葉にただでさえ溜まっていた山口の怒りが沸点を超えた。
「そうじゃないだろう! まず最初にマスコミに流れてしまったことを謝罪するのが最初だろう!」
山口はそう言ったが、社長達は用意された文章を読むような謝罪をするだけであった。
「なにかみなさんから質問がありましたら……」
そんなふうに事務的にミーティングを済ませようとしている社長を山口は信じられない者を見るような目で見てしまう。
昨日まで一緒に戦っていたじゃないか。僕がスカウトされた時も絶対に入団しろよって声をかけてくれたじゃないか。社長に就任した時も「サッカーのことはわからないけど、できることがあったらなんでも力になるから」と言ってくれたじゃないか。
山口達はそれを信じてチームと強くするために意見を言い、社長もそれについて真剣に考えてくれたじゃないか。
それが今日に限って急変していた。本当に事務的でいつもの態度から急変していた。
そこで選手会長の前田が質問を始めた。
「なんでマスコミに先に流れたんだ」
「その件については、申し訳ありませんでした」
そこで社長は再び頭を下げた。
「今後のことはどうなっているんですか? 選手はどうなるんですか?」
「それはまだ詳しく決まっていません。強化本部長を中心にやってもらいます」
「他のスポンサーは探したんですか?」
「探したがダメでした」
チームのために自分がなんとかする、などという言葉はなかった。何を聞いても「何も決まっていない」の返答が帰ってくるだけだ。
そして質問が終わると足早にミーティグルームを出てしまっていった。
「なんなだよ、これ。どういうことだよ」
その場に残って困惑する者、ミーティングルームを出て二、三人で固まって話し合う者などクラブハウスは異様な空気に包まれていた。
しかし、どうすることもできなかった。どうしたらいいのかさえわからなかった。
午前中にはセレッソ大阪戦に向けての練習が始まる。しかし、誰一人としてユニフォームに着替える選手はいなかった。そんな雰囲気を察してゲルトが全員に提案した。
「この状態じゃ練習はできない。いったんみんな解散しよう。でも二日後には試合がある。試合に出る気がある選手は午後からの練習に集まってくれ。試合も近いから練習はしよう。でも気持ちの整理がつかなければ出なくてもいい」
その言葉に呆然と立ち尽くすことしかできない者、すぐに車に乗って帰る者もいた。
山口はサンパイオに近づいて声をかける。そんな山口にサンパイオは怒りの篭った声で答えた。
「これで説明は終わりなのか? 信じられない! 選手、スタッフを人間として見ていないんじゃないか。こんな紙切れ一枚渡されて、それで済むのか!」
そう怒りを露わにした。
山口もサンパイオと別れ、携帯電話で家に連絡する。
「新聞の通り合併だってよ。練習中止だから一回帰るよ」
山口の言葉に山口の妻が動揺するのがわかった。だが、山口にはどうすることもできない。
マスコミに囲まれ通り一辺倒の返答をしながら山口は車に乗り込み、エンジンをかける。
「本当になくなるのか?」
その質問に答えてくれる人はいなかった。
「というわけでやってきたぜ駅前!」
俺の言葉に答えてくれたのはマリノス山崎、ヴェルディ近衛、レッズ近田の三人。こいつらはサポーターとして応援するチームを見る目はないが、サッカー好きの同志だから心強い。
「きみ、また余計なこと考えたろ」
「むしろ俺が余計なことを考えないことの方が少なかった件について」
「なるほど。それもそうだ」
聖の納得を得たことで俺は全員にノートを配る。
「? なんですの? この白紙のノートは?」
「ぶっちゃけ署名活動ってどうやっていいのかわからんから、とりあえず道ゆく人に名前を書いてもらおう! それを俺の父親に全日空の偉い人に直接持って行ってもらう!」
「個人の伝手をフル活用する感じ、僕は嫌いじゃないよ」
「近田の同意も得られたことで署名活動を始めよう!」
「神保、その前にクラス委員長としていいかい?」
「? なんだ?」
ヴェルディ近衛の神妙そうな表情に俺は首を傾げる。すると近衛は重々しく口を開いた。
「これ授業用ノートだよね。これが真っ白ってちょっと問題があると思うんだけど」
「それじゃあ署名活動開始な!」
「逃げたね」
「逃げましたわね」
「あ、逃げた」
聖とマリノス山崎とレッズ近田の三人に突っ込まれたが俺はスルー。俺の授業用ノートよりフリエ存続の方が大事だ!
そんな俺達のやる気は開始30分で鎮火された。駅員さんに言われたのだ。
「ごめんね。駅で署名活動をするのは許可が必要なんだ」
おのれ規則め! こんなことで俺のフリエ愛を鎮火できると思うなよ!
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