第十一章 天皇杯決勝

「さっむ」

「確かに寒いね」

 俺の言葉に聖はマフラーに口元を埋めながら返してくる。俺達がやってきたのは国立競技場。

 そう、横浜フリューゲルスは天皇杯の決勝進出を決めていた。相手が弱かったわけじゃない。準々決勝はJリーグで二度対戦して二回とも負けているジュピロ磐田。準決勝は横浜フリューゲルスと僅差の試合ばかりを繰り広げていた鹿島アントラーズ。

 準決勝の鹿島アントラーズ戦はわざわざ大阪まで行って応援していた。そして勝利を決めた時は聖と一緒に大号泣した。

 そしてやってきた決勝戦、対戦相手は清水エスパルス。清水エスパルスは何の因果か横浜フリューゲルスのJリーグ開幕戦の対戦相手だった。

「勝つよね」

「勝つさ」

 聖の言葉に俺は自信満々に頷く。

「山口と楢崎は日本代表だし、サンパイオに至ってはブラジル代表だぜ? 薩川はカードの累積で出れないけど、三浦とか永井達だっている。絶対に勝ってくれるさ」

「そうだね、きっと勝ってくれるよね」

 聖の言葉に俺は聖の手を握る。聖も強く握り返してくる。

 いくら分別のわからないガキである俺と聖でも理解できることはある。

 それは勝っても負けても今日が横浜フリューゲルスの最後の試合であるということ。

 悲しいに決まっている。悔しいに決まっている。

 でも、俺と聖はそれらの感情も全部飲み込んで横浜フリューゲルスを最後まで応援しようと決めた。

 それが最後まで戦ってくれる横浜フリューゲルスの選手達に対するお礼だと思ったから。

「……あれ?」

 俺は聖と手を繋ぎながら首を傾げる。

「お父さん、ゴール裏はこっちの入り口じゃなくない?」

 そう、いつもと並ぶ入場口が違っていたからだ。俺の言葉に俺と聖の方に父親が振り向く。そして楽しそうに笑った。

「今日はいつもと違うところだ。バックスタンド……いつもはゴール裏から見ているけど、今日は横から見るぞ!」

「「おぉ!」」

 横から見るということは試合が見やすいということだ。

「せっかくの決勝戦だからな。見やすいところがいいだろう」

「でも、そこでいつもみたいに騒いでいいんですか?」

 聖の言葉に今度は俺の母親が振り向いてきた。

「いい、聖ちゃん。周りが騒いでいなかったら私達が騒いで周りも巻き込めばいいのよ」

「この言い草が完全に君の親だよね」

「ちょっと何を言ってるか理解できませんね」

 失礼な言い草である。母親が言っているのは『周囲が静かだったら自分達が騒いで騒がしくすればいい』と言っているだけで、本質であると言うのに。

 そして俺達はスタジアムに入って客席へと入る。

「わぁ!」

「おぉ! スッゲェ見やすい!」

 初めての客席に俺と聖はテンション爆上がりである。しかも試合が見やすいなら尚更だ。

「よっしゃぁ! 聖、声出していくぞ!」

「もちろん!」





 山口はスタジアムを見渡しながら感慨深くなる。

 横浜フリューゲルスのJリーグ開幕戦も清水エスパルスであった。しかし、その時の横浜フリューゲルスは人気チームとは言い切れず、地元にもあまりサポーターがいなかったためにホームゲームでありながらスタンドはエスパルスカラーに染まっていた。

「ついにここまで来たんだな……」

 しかし今はどうだ。スタンドはエスパルスのオレンジをはるかに超えるフリューゲルスの青と白だ。

「やった」

 思わずそう呟いていた。山口が横浜フリューゲルスで最初に抱いた夢。『いつかスタンドをフリューゲルスのカラーに染める』というのは叶ったのだ。

「おう、ヤマ。Jリーグの開幕戦もエスパルスやったな」

「賀茂さん」

 そこにやってきたのは横浜フリューゲルス初代監督の賀茂であった。山口も横浜フリューゲルスの初期メンバーだ。思い入れがある人だった。

「あの頃から今でも残ってるの俺と薩川だけですよ。薩川は今日、出場できないから最後は俺だけですよ」

「エスパルスは誰が残っておる?」

「今回のスタメンでは澤登、長谷川さん、真田さんくらいですかね」

「そうか。それしかおらんようになったか。ヤマ、頑張れよ」

 賀茂はそれだけ言い残してその場から去っていく。山口もアップへと戻る。

 山口はいつものように薩川とアップをしようと思ったが、その薩川がいない。よくよく探してみると他の選手に隠れるように、後ろの方で体をほぐしていた。

 薩川は準決勝の鹿島アントラーズとの試合でレッドカードを食らって今日の試合には出場できない。それを申し訳ないと思っているのだろう。

 だけど今日は関係ない。

「薩川、前に出てこいよ」

 今日は試合に出る選手も出ない選手も、一緒に一丸になって戦うんだ。少なくとも山口はそう思っていた。

 その思いに気づいたのか薩川も苦笑しながら山口のところにやってきた。そして二人でアップをする。

 今日でフリューゲルスのユニフォームを着てできるアップは最後になる。

 その考えを山口は捨てた。

 とにかく今日の試合を絶対に勝つ。全員で勝つ。そう決めた。

 そしてアップが終わって全員でロッカールームに引き上げる。

そして山口はロッカールームに戻るとペンを用意した。

「薩川、ちょっといいか」

「? なんだよ」

 不思議そうに近寄ってきた薩川に山口はペンを渡す。そして明るく言った。

「インナーシャツにお前のサインくれよ。俺がゴール決めたらユニフォームをめくってそのサインを見せてやるからさ」

 山口の言葉に薩川は照れ臭そうにしながらインナーにサインをした。ぶっきらぼうに言った。

「期待してねぇよ」

 予想していた通りの反応に山口は笑ってしまった。

 そして試合開始時刻が近づいていく。それに連れて若手の選手達から緊張が溢れてきた。心のどこかで『この試合が横浜フリューゲルスの最後の試合になる』ということがわかっているんだろう。

 運動をしている人ならば誰しもが通る『最後の試合』。だが、横浜フリューゲルスの選手、スタッフ、サポーターは理解している。天皇杯決勝が『横浜フリューゲルス最後の試合』だということに。

 そして試合前、監督のゲルトが口を開いた。

「90分、自分達の試合をしよう」

(その通りだな)

 山口は内心で同意する。

 久しぶりの国立競技場での試合、しかもスタンドは五万人の超満員。空は透き通るような青空だった。決勝戦に条件は全て揃った。あとは横浜フリューゲルスらしいサッカーをして、そして勝つだけだ。

 山口がふとみるとロッカールームの出口で薩川が選手一人一人と握手していた。山口も薩川と力強く握手をする。

 そしてグラウンドに出る。超満員のスタンド。透き通るような青空。

「さぁ、試合開始だ」


 一九九九年元旦。第78回天皇杯決勝戦。午後1時33分。


 試合開始

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