第九章 届かなった存続の願い

 俺と聖はいつものように学校を終え、学校でみんなと遊んでから家に帰ってきてそのニュースをみた。

『今日、横浜フリューゲルスは横浜マリノスとの合併調印をしました』

 そのニュースを聞いた時、俺は何を言っているか理解できなかった。サッカーオタク稲室が言うには横浜フリューゲルスは合併調印を行う前にサポーターや選手に先に伝えると約束をしていたそうだ。

 サッカーオタク稲室が嘘を言うとは思えないし、そんなたちの悪い冗談を言う友人でもない。

「聖、このニュースは何を言っているんだ……」

「わからない……このキャスターは何を言ってるんだ……?」

 そんな俺達の思いとは裏腹にキャスターは横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併が決定したことを伝えられる。

「信仁!?」

 そして俺の脳が横浜フリューゲルスの消滅が決定を理解した時、俺は家を飛び出していた。

 もう日が暮れ始めた街中を走る。

 横浜フリューゲルスがなくなる?

 違う、まだ存続の機会はあるはずだ。

 いや、もうない。合併調印をした。

(嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ)

 走る走る走る。

 目的地もなくただひたすらに走る。

 そして川辺にたどり着く。

「なくなるのか……横浜フリューゲルスが……」

 自分で自分の言葉に泣けてくる。

「ふっざけんな……! ふざけるなよ……! なんでフリエがなくなるんだ……!」

 一度決壊してしまうと涙が止まらなくなる。

「くそったれ! くそったれ! くそったれ!」

 俺は川岸の壁に登る。

「バカやろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」





 12月8日。山口達は初めて親会社である全日空と交渉の場を与えられた。その相手は全日空本社関連事業部の部長であり、サポーターとの交渉の場にも当たった人物であった。

 その席で山口は薩川に声をかける。

「おい、一番前に行くぞ」

「おう」

 山口の言葉に薩川は即座に同意して、山口と薩川は最前列に座った。

 そして最初の質問として山口は口を開く。

「貴方はJリーグの理念を知っていますか?」

「知りません」

 山口は当然だろうと思った。知っていれば今回のような騒動を起こすわけがない。そしてその後は薩川が口を開いた。

「貴方はJリーグの試合を今まで何試合見ましたか?」

「5試合くらいでしょうか」

(少なすぎる。そんな人が今回の決定をしたのか……!)

 山口の思いは質問をした薩川も思ったのだろう。薩川も悔しげに唇を噛んだ。

「ところで貴方はどういう立場の人なんですか?」

「私は全日空本社関連事業部。全日空の子会社の経営状況を見る者です」

 選手の質問に部長はそう答えた。

 横浜フリューゲルスは全日空の子会社の一つだ。ここは経営が赤字だ、なんとかしろ。そんな命令が本社から出たのだろう。

 そして部長は考えた。そういえば横浜にはJリーグのチームが2チームある。だったら1チームにすればいいだろう……。

 おそらくはそんな考えがあったのだろう。そのような安易な考えで今回の『合併』を決めたとしか思えなかった。

 話が進むうち、選手達は怒り始めた。なぜならミーティングルームの最中、部長は足を組んで座っていたからだ。

「貴方は僕らの気持ちをわかっているのですか!」

「チームがなくなったら俺達だけじゃなくて家族だって大変なんだ!」

 前田の言葉に慌てた様子で部長は組んでいた足をといて神妙そうに頭を下げる。

「みなさんの気持ちはわかります」

 その言葉にサンパイオが怒り出す。

「いや絶対にわかってない! ここに入ってからずーっと足を組んでボク達の話を聞いているんだから! ナニ! その態度は!」

 サンパイオが口を開いたことで山口も口を開いた。

「貴方にサンパイオがどれだけの選手でどれだけの人物かわかりますか! ブラジル代表でワールドカップに出場したサンパイオが!」

 サンパイオが横浜フリューゲルスにやってきたのは95年からだ。それからずっと山口とコンビを組んでやってきた。だから山口の口は止まらない。

「サンパイオはこんな仕打ちを受けて、僕らと一緒に街に出て署名活動までしたんですよ! フランスでのワールドカップ見ましたか! 大会を通して一番最初にゴールを決めたのがサンパイオですよ! それがどう言うことかわかりますか!? 記録に“得点者サンパイオ”と残る。その横に“横浜フリューゲルス”と記されるんだ! その意味がわかりますか!? 貴方達には絶対に理解できない!」

「そう言うこともわからない人がなんで合併を決めれるんだ!」

 山口の言葉に続いたのは薩川だった。

 山口達ももう何を言っても決定が覆らないことは理解している。それでも言うしかなかった。言わずはいられなかった。なぜならやっと『全日空本社の人間』が説明に来たのだから。

 これまで山口達はなんども本社の人間と話をさせてくれと頼み続けてきた。そのたびに「無理だ」「ダメだ」と言われ続けてきた。

 そして全てが手遅れになってようやく『全日空本社の人間』と話すことができたのだ。

「選手に文句を言われるのも、貴方の仕事なんですね。時間が経って、うまく切り抜けられれば会社から褒められる」

 そんな皮肉が出たとき、山口の隣に座っていた薩川が絞り出すように口を開いた。

「もう合併は覆されないかもしれない。でも、俺は絶対にお前らを許さない。このチームは……この仲間は最高なんだ……」

 そう叫んで人目を憚らずに泣き始めた。山口は薩川と一緒に横浜フリューゲルスの結成から8年間一緒に戦い続けてきた。そんな山口でも薩川が泣いているところなど見たことがなかった。

 そして部長は言いづらそうに口を開いた。

「こっちが持ちかけた以上、途中でやめるわけにはいかないんです。でもこんなに大きな問題になるとは思っていなかった。時間を戻せるなら合併を解消したいと思っています」

 そう思っていることだけが唯一の救いであっただろうか。





 夕方のニュース。俺と聖はまたも見たくもないニュースを見ていた。

 それは横浜フリューゲルスの選手会が全日空に出した声明文

『われわれ、横浜フリューゲルスの選手及びスタッフは、今回の合併が企業の論理先行で決定したものであり、これの白紙撤回を求めて行動してきました。しかし合併調印がなされた今、われわれは親会社である全日空に対して選手、スタッフの心の痛みを理解してもらい、これに対する謝罪を要求してきました。選手、スタッフの前で頭を下げて欲しい、これは最低限の要望であると同時に当然なされるべきものと考えました。これに対する全日空からはいっさいNOということであり、われわれはとうてい納得できるものではありません。

 しかし、誠意ある対応を最後までとれない全日空に対し、これ以上交渉を継続しても無駄であると判断しました。このような親会社の下でわれわれはサッカーを続けていたことが残念でなりません。本日をもって全日空との交渉を終結します。

 しかし、これはわれわれの負けでは決してありません。今日まで一丸となって、今回の合併がなんであったかを社会に問い続けてきたわれわれのプライドの勝利だと考えます。今日以降、天皇杯を勝ち続けることによって、チーム合併の不当性を社会にアピールし続けていくつもりです』

 これに俺と聖は横浜フリューゲルスが本当に消滅するのだということを思い知らされた。

 俺と聖は泣いた。悔しくて、悔しくて。大好きなチームがなくなるという現実を思い知らされて泣いた。

 大人の都合なんて俺達は知らない。

 ただ、なんで横浜フリューゲルスがなくなってしまうのか。それが悔しくて泣き続けた。

 そして俺と聖は俺の部屋で床に寝そべって天井を見ている。

 涙はとうに枯れ果てた。残ったのは虚無感と喪失感だけだ。

 Jリーグが始まり、横浜フリューゲルスの応援に初めて行った時の興奮を覚えている。応援団の人達と仲良くなったことを覚えている。応援団でもなく、ファンクラブにも入っていない俺達を応援団の人達はいつも暖かく受け入れてくれていた。

 そして選手のみんな。試合中に罵声や野次を飛ばしたりもしたけど、それは横浜フリューゲルスが好きだからこそ飛ばしていたことだった。選手のみんなもそんな罵声や野次に負けずに頑張ってくれていた。

「いいチームなんだ」

 俺の呟きに聖は何も答えない。俺は顔を聖の方に向けると、聖は再び目尻に涙を貯め、だが決して流さないように歯を食いしばっていた。

 俺はそれを見なかったことにして再び天井に視線を戻す。

 試合のあった翌日はマリノス山崎やヴェルディ近衛、レッズ近田達と試合結果で煽り合いをして遊んでいた。

 そこにあるのはそのチームが好きだという純粋な気持ちだ。

「信仁、いるか?」

「? お父さん? 今日は早いね」

 いつもは俺が寝たあとに帰ってくる父親が今日は早く帰ってきていた。そして俺の部屋に入ってくる。

「お、聖ちゃんもいるな。ちょうどいい」

「「?」」

 父親の言葉に俺と聖は首を傾げる。そして父親は口を開いた。

「天皇杯の決勝戦。国立競技場に観に行くぞ」

「「え?」」

 例年は我が神保家は正月は父親の実家に帰省するのが常であった。

「お父さんの実家はいいの?」

「さっき親父には連絡してきた。チケットももう買った」

「で、でも横浜フリューゲルスが決勝に行けるとは限らないんじゃ……」

 聖の言葉に父親の顔つきが変わる。

「信仁、聖ちゃん。横浜フリューゲルスはそんなに弱いチームか? 終われば消滅に追い詰められて、素直に諦めて負けると思うか?」

「そんなわけない!」

 俺の前に聖が立ち上がって叫んでいた。

「フリエは強いチームです! だって……だって僕が大好きなチームだから!」

 聖の言葉に俺の心に熱が灯る。

 そうだ。横浜フリューゲルスはなくなる。だが、素直に負けて消滅するような弱いチームじゃない。

「フリエは決勝に残る! 絶対だ!」

 俺の叫びに聖が俺の手を握ってくる。俺はそれを力強く握り返した。

 それを見た父親は笑顔を見せる。

「よし! それじゃあ来年の正月は国立競技場だ!」

「「おお!」」

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