第八章 存続に向けて

 10月31日。俺はニュースで他のサポーターが合併撤回の署名活動を始めたことを知った。当然のように聖と一緒に学校をぶっちぎってそれに参加するつもりだったのだが、お母さんに拳骨を食らわせられて止められてしまった。

「不機嫌そうだね」

「お前もな」

 聖と一緒に不機嫌な表情でスタジアムに向けて歩く。横浜国際総合競技場での横浜フリューゲルスの試合観戦に向かう道中だ。

 いつもだったら楽しい試合観戦も消滅騒動のせいでちっとも楽しくない。

 当然のようにスタジアムの外でやっていた署名活動にうちと聖家全員で名前を書き、スタジアムの中に入る。

「「なぁ!?」」

 そして俺と聖の声がハモる。当然である。スタジアムのオーロラヴィジョンには昔の横浜フリューゲルスの試合の映像が流れていた。

「ふざけてんのか!」

「これではまるで横浜フリューゲルスのお葬式のようじゃないか!」

 俺と聖が力強く怒鳴る。

「くそったれのお偉いさん達め! もうフリエはなくなったって言いたいのか!」

「まだ消滅していないんだぞ! それなのにこの扱いか!」

「あぁぁぁ! ムカつく!」

「こんなに腹立たしいことはないよ!」

 俺と聖は持っていた応援フラッグを振り回す。それでも怒りが収まらない。

「クソ! クソ! クソ!」

 地面を踏みつける俺。

「落ち着きな」

「ふぐっ!」

 そして母親に拳骨を落とされた。

 その一撃で落ち着いた俺と、俺が殴られるのを見て素直に怒りを収めた聖と一緒にお父さんと同僚が応援団をやっている人達のところに向かう。その途中でスタンドに消滅阻止とプラカードを掲げたフリエサポーターがいる。

(そうだ。まだ消滅って決まったわけじゃないんだ)

 そうは思うが、もうすでに消滅を決定事項のようにしているフリエの偉い人達は気に入らない。

「おじさんおじさん!」

「まだ独身だからお兄さんて呼べって毎回言ってるよな!」

「その年で独身っていうのもやばいよね」

「聖ちゃんも厳しいな! それで何だ?」

「あの映像がムカつくから前言って叫んできていい!?」

「おお、是非やってくれ!」

 許可が出たので俺はダッシュで最前列で柵から身を乗り出しながら大きく叫ぶ。

「おいフリエのお偉いさん! 俺はガキだから大人の考えはわからねぇ! だけどな! 俺は最後まで諦めないからな! 覚えておけよ! 絶対に防いでやるからなバァァァァァァァァァァァァァァカ!」




 オーロラヴィジョンに映された過去の横浜フリューゲルスの過去の試合映像。そのお別れ試合の演出に腹が立っているのは観客だけではない。当然のように選手達も腹を立てている。

 実際に永井と三浦は

「ふざけるな!」

「なんなんだこれは! やめろ!」

 と実際に叫んでいた。

 山口も腹が煮えくりかえるような怒りがあった。そしてそれは試合が近づいても収まらない。

「おいフリエのお偉いさん! 俺はガキだから大人の考えはわからねぇ! だけどな! 俺は最後まで諦めないからな! 覚えておけよ! 絶対に防いでやるからなバァァァァァァァァァァァァァァカ!」

 突然の叫び声にフリエ選手全員が叫び声の中心に声を向ける。そこには一人の少年がフリエの首脳陣に対して罵詈雑言を浴びせていた。

 その言葉に選手達から苦笑が漏れる。

「小学生くらいなのに色々な言葉を知っていてすごいね」

 そうちょっとずれた感心の仕方をしたのはサンパイオだ。だが、山口も内心で同意した。横浜フリューゲルスが本拠地にしている三ツ沢はグラウンドと客席が近く、野次や罵声がよく聞こえるから、罵詈雑言には意外と慣れているが、その発生源が小学生なのは意外だ。

 そして監督のゲルトが手を叩いて全員の注目を集める。

「みんな、こうして僕らを応援してくれるサポーターは間違いなくいるんだ。だから今はまず目の前の試合に集中するんだ」

 それに続いて選手会長の前田が口を開く。

「合併の調印は11月末だ。それまではまだ何が起こるかわからない。こうしてサポーターも合併撤回に向けて頑張ってくれている。だから俺達選手は試合で頑張ろう」





 セレッソ大阪との試合は7対0の得点差で横浜フリューゲルスの圧勝に終わった。しかし、フリエサポーターにとっては試合の後が本番であった。

 全日空スポーツによる合併の話し合いがサポーターとの間で行われた合併に関する説明会であった。

 しかし、全日空スポーツの説明はサポーターは納得できるものではなかった。

『何か方法はあるんじゃないのか!』

『消滅だけは避けてほしい』

 俺のお父さんは全日空の社員である。言わば全日空スポーツの人達とは同僚だ。だけど俺達は他のサポーターに混じって罵る。お父さんには悪いが俺はフリューゲルスの解散だけは絶対に嫌なのだ。お父さんも理解しているのか離れたところで寂しそうにしている。

 俺は悔しくて唇を噛む。

 所詮、俺は子供だ。何もできない現状に悔しくても何をすることもできない。

 すると俺の手が優しく握られる。

 顔を上げると聖が俺の手を握っていた。聖も悔しそうな表情を浮かべている。聖だって俺と一緒に横浜フリューゲルスを応援し続けてきたんだ。なくなることに対して悔しいのは俺だけじゃない。聖だって一緒だ。

 そこに離れたところにいたお父さんがやってきて俺達に声をかけてきた。

「……今日はもう帰ろう」

 お父さんの言葉に俺と聖は力なく頷いたのであった。





 11 月1日。土曜日の試合の翌日は練習が休みになる予定であったが、3日の火曜日が祝日で試合が組まれていたため、横浜フリューゲルスは軽い練習が行われた。

 その時、山口は試合のあった31日に寮の若い選手達が近くの鴨居駅前で「合併撤回」の署名活動をしていたと聞いた。

 クラブハウスの選手のロッカールームにあるホワイトボードには『今日、練習後、横浜駅前で合併撤回の署名活動をやります。希望者は練習後に集まってください』と書かれていた。

 山口は参加者が書かれているところにすぐに名前を書いた。

 そして練習後、選手24人、スタッフ12人、全員を乗せたバスは横浜駅へ向かった。

 時間は日曜日の午後5時過ぎ、山口達がついた横浜駅前はすごい人の量であった。新聞記者やテレビのリポーター、カメラも加わっている。

 そして署名活動を始めるとあっという間に人だかりができた。

「頑張ってください」

「応援してます」

 そんな当たり前の言葉が山口には嬉しかった。これだけ応援してくれる人がいるのだから合併撤回もあるかもしれないと思ったからだ。

 そして15分後、駅員がやってきて困惑したように山口達に話しかけてきた。

「署名活動をやるには許可がいるんです。今日はもうやめてください」

 山口達が署名活動をできたのはたった15分だ。だが、それでも千人もの人が署名をしてくれた。

 これならば合併撤回にも期待できる。横浜フリューゲルスの選手やスタッフはそう思ったのであった。





 11月5日。サンフレッチェ広島の試合から戻ってきた山口達に全日空スポーツの社長と取締役2名から合併吸収の説明が行われた。

 しかし、山口達がどのような質問をしても。

「すいません。私共の力不足です」

 と言うだけで、それはもう質疑応答とは言えるものではなかった。

「新しいスポンサーをちゃんと探したんですか?」

「探しましたが、見つかりませんでした。私共の力不足でした」

 その後も一時間半ほど話し合いが続いたが、何の進展もなかった。時間が経つにつれて選手が感情的になるだけであった。

「合併がは発表されてから今日までの1週間、僕らには何の連絡はなかったけど、いったい何をしていたんですか?」

「いつ合併の話が出たんですか?」

「確か夏頃だったと思います。上が決めたことですから……」

「じゃあ、上の人を呼んでください」

 選手からの言葉に言葉を濁していた社長達だったが、この言葉にはきっぱりと言い切った。

「いや、それはできません。全て私の責任ですので」

 社長の言葉は親会社を完全に庇うものであった。それが山口をさらに苛立たせる。

「選手の保証はどうなっているんだ」

「まだハッキリと決まっていません」

「じゃあ怪我をしても何の補償もないんじゃ試合できないよ。怪我をしたら選手生命に響くんだから。天皇杯とかもみんな出場しませんからね」

 その言葉に社長は急に

「それをしたら永久追放になるから、やめた方がいいですよ」

 その警告を含んだ脅しに山口は完全にキレた。

「俺はもう試合やらないから。7日の三ツ沢のアビスパ福岡戦はホームだから出るけど、その後のコンサドーレ札幌戦と天皇杯は出ないから。いいじゃん、どうせチームなくなるんでしょ、最後のホームの三ツ沢で、みんなパーっとやりますよ。入場料取るんですか? 取ることないでしょ。なくなるチームが、まだお金を取るんですか。サポーターは無料で入れてあげればいいじゃないですか。その方がヤル気が出ますよ。三ツ沢での試合が最後、その後は試合に出ません。オイ、みんな帰ろうぜ。お疲れ様、冗談じゃないよ、ふざけるな!」

 そう山口は怒鳴って外へ出た。

(僕達選手をどう思っているんだ!)

 山口は込み上げてくる怒りを隠すことができなかった。マスコミの質問にも何も答えず、山口は家に帰るのであった。



 翌日、山口は最後まで話し合いに残っていた前田からその後の話し合いを聞いた。

「社長は試合をボイコットすると、選手生命に影響するからやめた方がいいと言われた」

 その言葉に山口は小さく舌打ちする。山口だってボイコットをしたらまずいことくらいわかっている。だが、あれ以上話し合っても有効な打開策は出てこないと思った。だから山口はあんな行動をとったのだ。

 山口は前田を分かれて一人悩む。

 山口達レギュラー選手は全員どこかに移籍できるだろう。しかし、試合に出場していない選手はどうなるのか、その思いがあった。ミーティングではそんな選手達をコンサドーレ札幌や天皇杯の試合に出してはどうかと言う意見も上がっていた。

 試合に出ていない若手選手に聞いても

「できるなら試合に出たい」

 と言っていた。

「だったら若手だけでいいじゃないか」

 と決まりかけたが、監督のゲルトはこう主張した。

「私は勝負に拘りたい。こういう時だからこそ、若手にチャンスを与えることはもちろん大事だ。だけど、勝つことで自分達が正しかったことを示したい」

 山口はゲルトの考えもわかる。消滅という選択肢を選んだ全日空の上層部にこの合併は失敗だったと教えてやりたい。そうも思っている。

「どうすればいいんだ……」





 11月7日。三ツ沢での最後の試合であるアビスパ福岡戦には当然のように俺と聖、そして家族達は横浜フリューゲルスの応援に三ツ沢に来ていた。

 父親から聞いた話では全日空の社内でも、

「選手やサポーターがあれだけ頑張っているのになぜチームをなくすんだ」

 そんな声が上がり始めたらしい。父親が言うにはJリーグが開幕する前の『日本サッカーリーグ』と呼ばれていた頃にチーム経営をしていた人や、実際にスタジアムに全日空の試合を見に来ていた人達が中心にいるらしい。

 俺はそれを聞いて嬉しくなった。これならすぐにでも合併撤回が出るかと思ったからだ。しかし、今でもそれは発表されていない。

 俺と聖は不満に思いながらもスタジアムに向かう。ひょっとしたら合併撤回が試合会場で発表されるかもしれないからだ。

 俺と聖、そして家族達はスタジアムの中に入り顔見知りの応援団達のところに向かう。

「合併撤回されますかね」

「私達が諦めちゃダメよ」

 俺の言葉に応援団の女性が答えてくれる。

 その言葉に俺は弾かれるように最前列に向かう。

「俺は来年も三ツ沢に来たい! 来年も再来年も来たい! 残してくれよ! いいチームなんだ横浜フリューゲルスは!」

 俺の言葉に応援団だけでなく、横浜フリューゲルスの人達も存続を残す言葉を叫んだり、横断幕を張ったりする。

 こんなにいるんだ。横浜フリューゲルスの存続を望む人はこんなにいるんだ。

 だから、だから頼む……


 横浜フリューゲルスを残してくれ……





 山口はサポーターの存続を望む声を聞きながらグラウンドに出ようとする。すると前田が山口に近寄ってきた。

「どうする?」

「隠せ」

 山口の言葉に前田は力強く頷いて他の選手にも伝えに行く。

 これから山口達が行おうとしていることは抵抗としてはささやかなものだ。それでも山口達選手も何かやりたかったのだ。

 そして試合前の写真撮影。山口達はこの時に全日空のロゴであるANAという単語を手で隠したのだ。

 子供のような反抗だ。それでも山口達は何かやりたかったのだ。それと同時に説明も一切しない全日空に対して失望していたのも事実だ。

 だがそれを見ていたサポーターからは拍手がでた。誰もが全日空に対して不信感を持っているのだ。

 そして山口達は円陣を組む。そして山口は静かに口を開く。

「みんな、俺は横浜フリューゲルスが好きだ」

 山口の言葉にこの日のスタメンである楢崎正剛、佐藤尽、前田、薩川、サンパイオ、三浦淳宏、波戸康広、永井秀樹、吉田孝行、久保山由清は静かに聞いている。

「俺は来年も再来年も……ずっと横浜フリューゲルスでやっていきたい」

「ボクもだよ」

 山口の言葉に長くコンビを組んでいるサンパイオが続く。サンパイオの言葉に続々と他の選手達も続く。

 それを聞いて山口は頷く。

「みんな、今俺達は追い詰められている。大企業の強引な方針によってだ。だから俺達は俺達のやり方で全日空に対して示そう」

 そこまで言って山口は全員を見渡す。

「勝って、勝って、勝ち続けて横浜フリューゲルスは残すべきチームであることを」

『おう!』





 アビスパ福岡との試合はあまりいい内容ではなかったけど、無事に勝つことができた。俺と聖は単純なもので試合が始まってしまえば合併騒動のことなど忘れて必死になって応援してしまった。

 だが、試合が終わってしまった直後には横浜フリューゲルスの合併吸収騒動を思い出して顔を顰めてしまう。

 そして最後のホームの試合なのでセレモニーが始まる。

 まず最初に監督のゲルトがマイクを持った。

「全日空、誰でもいい、助けてくれ! 我々は来年も再来年も三ツ沢で素晴らしいサポーターの前でいいサッカーをしたい!」

 その言葉にサポーター達から応援する声が出る。誰だって横浜フリューゲルスをなくして欲しくない。それはサポーターだけじゃなく、選手、監督だって同じはずだ。

 それを証明するようにサンパイオが簡単な日本語で挨拶をした後にポルトガル語で挨拶をした。

 そして最後は前田だった。

「選手やサポーターをないがしろにして決めた合併に怒りを覚えます。フェアプレー精神はどこにあるのでしょうか。僕にも一歳半の子供がいます。これからどうしようかと思うと、昨夜は一睡もできませんでした……」

 その言葉にサポーター全員から声が上がる

「存続に向けて一緒に頑張ろう!」

「一緒に戦い続けよう!」

「フリューゲルスを助けて!」

 そんな叫びや横断幕が振られる。そして選手達が横浜フリューゲルスの旗を持ってグラウンドを周り始める。

 サポーターの叫びは止まらない。俺と聖も大きく叫ぶ。

「まだ諦めてない! 俺達はまだ存続に希望を持ってるよ!」

「戦おう! 僕達もまだ諦めてない!」


 しかし、そんな俺達の思いも裏切られる。


 全日空が突如として横浜マリノスと『合併調印』をしてしまったのだ。

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