聖女育成のハウツー ~最低ランクの公爵令嬢を伝説級の存在にする方法~

日向伊澄

プロローグ 天才執事の契約

 重厚で立派な木の扉を開けると、初老の男性が腕を組んでいた。


「おお、待っていたぞ。フレデリック君」


 公爵家当主でもある彼は、俺の名前を呼び、目でこちらへ来るように促す。


「貴重なお時間を割いていただき光栄です」

 品のよい雰囲気を醸し出している公爵が俺に笑いかける。


 俺の家——つまりソロモン家は侯爵の爵位を持っており、クレイヴェン家とも面識があるのだが、未だかつて公爵のここまで薄気味悪い笑みを見たことはない。


 密かに警戒していると、公爵は朗らかな声を出して。


「ああ、そこまで心配する必要はないぞ。何、簡単なことだ」

 と笑顔を浮かべながら言ったかと思うと、急に真剣な顔つきになり。


「私の娘のために、執事として命を差し出してほしい」

「はぁ。詳細を教えてください。致死率がそこまで高そうでなければ大丈夫です」


 少し目を逸らせば、大量の金貨が積まれてある。それに、公爵家とコネを持つことができたら俺の家も少しは格が上がってくれるだろう。魔術師養成学校に通っていることもあり、命と命のやり取りは慣れていることもある。


「む、思ったよりもあっさり承諾するのだな」


 公爵は拍子抜けしたような表情を浮かべている。仮にも命を差し出せと言っているからか。こちらとしては王宮に勤める必要もなければ軍に所属する必要もないので願ったり叶ったりなのだが。あまり縛られたくないので極力軍には所属したくないのである。


「はい。そんなことより詳細をお願いします」

「う、うむ。先ほども言った通り、私の娘であるフィアメッタの執事及び家庭教師及び守護を頼みたいのだが。無論報酬は弾む。具体的に言うとそこにある金貨すべてだ。任期は高等学校を卒業するまでの5年。できるか?」


 思ったよりも美味しい話だな。公爵令嬢とあって守護は大変そうだが、軍に所属して毎日ハードな訓練に明け暮れるよりもまだ楽だろう。無論、務めるにあたっては全力を出すが。


「はい、喜んで」

「君ならそう言ってくれると思ったよ」


 そこでやっと裏表のない笑顔を浮かべる公爵。俺の心も一旦ほぐれる。


「ちなみに、フィアメッタ様の成績表はありますか? 家庭教師も務めるならば、絶対にいる資料ですので……。この場で見るだけで結構です。でも、公爵家のご令嬢とあれば俺のしている心配は必要ないと思うのですが、一応」


 俺の言葉に、公爵がたらりと冷や汗を流す。なぜだろう、嫌な予感がする。


「あのー。何なら口頭だけでもよいのですが」


 おずおずと俺が追加の言葉を口に出すと、公爵はより一層挙動不審になりながら言う。


「ああ、すまんね。うん、当たり前だな。こんな要求をされるのは当たり前だな……」


 不自然に俺から目を逸らしながら、引き出しから一枚の紙を取り出す。

 なんだ、ちゃんと用意しているじゃないか。

 一安心し、公爵から紙を受け取ったのだが。


『フィアメッタ・クレイヴェン 総合ランク:D 年齢:13 学年:1

魔術:E 剣術:C 知識:B』


 一瞬、己の目を疑った。

 俺の通っていた魔術学校と評価の決定方法が同じだとすると、これは高等部に上がれないレベルだ。SからEまでの六つで能力が表される。ちなみに相対評価だ。総合ランクがEの場合、退学となるのだが——。


「えっと、フィアメッタ様はどちらの学校に通われているのですか?」

「カヴァリエーレ女学院なのだが……」

「姉妹校ですね。ちなみに、俺の通っている学校と評価基準が違うということは」

「ないな」


 公爵も俺と同じ学校に通っていたので、一縷の望みにかけて聞いてみたのだがその希望さえも潰えてしまった。

 いや、まだ残っていたらしい。


「ちなみに、退学・留年基準が違うということは?」

「ないな」


 最後の望みもあっさりと折られてしまったようだ。

 しかし、公爵家といえば高い魔力を持つことで有名なのだが、この子は違うのだろうか。何なら魔術より剣術のほうが適性ありそうだ。といっても、カヴァリエーレのなかでは平均なのだが。


「あの、魔術回路に異常があるということはないのですか?」

「入学前に調べさせた結果ではなかったな。潜在的な魔力は高いと言われもしたのだが、生憎と魔術が出せないのであれば潜在的な魔力があろうがなかろうがさして変わらん。一応初級魔法の一部は使えるらしいのだが、それだけではどうにもならないからな」

「ふむ……」


 公爵は眉毛をハの字に曲げながら言った。魔力はあるのに実力が出せない娘を案じているのだろう。キッパリないと言われるよりも難しいのかもしれない。


 精神的な問題だろうか? それはそれで難航するだろうが。初級魔法の一部だけ使えるというのも引っかかる。


「念のため聞きますが、俺に期待していることは」

「無論、フィアメッタのカヴァリエーレ卒業だ。ちなみに、娘は帝国魔術師団に入りたがっているそうだ」

「最高倍率じゃないですか」


 微笑まれながら言われた言葉に、思わず苦笑いを浮かべる。

 帝国魔術師団といえば、魔術師のトップ集団ともいえる存在だ。名門魔術師養成学校や騎士養成学校の魔術コースを選んだ者のなかでも一握りしか試験に合格できないとされる。


 合格してからも決して楽な道のりではなく、仮に運よく入れたとしても初日で逃げ出す者が続出するらしい。いくら強いからといえど、同じく他国の精鋭と戦うことも多いがゆえ、仲間が死ぬ様子も見届けなければならない。精神力も必要なのだ。


「そんな苦い顔をしないでくれ。何、君なら入れないことはないだろう」

「俺の場合入る気持ちがありませんから、そんなことを言っても無駄でしょう」


 ぶっちゃけ言うとトップで合格できることはないかと思うが、入団自体は可能だろう。


 しかし、それは土壌があってこその話だ。

 いくら潜在的な魔力が高かろうが、初級魔法しか使えないのならば帝国魔術師団に入団できるよう指導など不可能に近い。


 それに、魔力はあるけれど魔術を繰り出すことができないとなれば、恐らくこれは精神的な問題だろう。そんな精神力の持ち主にはこんな職業なんて向いていない。国から見てもすぐ辞めることが見えている者の入団など迷惑でしかない。


「言いたいことは分かる」


 俺の胸中を察したのだろうか、公爵は鷹揚に頷くとさらに言葉を紡いだ。


「私が頼みたいことは帝国魔術師団の入団ではない。無論、それが問題なくできるのであれば最善なのだが」


 微笑みを消して、言う。


「諦めさせて、もっと別な道を歩ませてほしいのだ」


 娘の夢を全否定する、残酷な言葉を。

 確かに、それが現実的な選択だろう。任務内容がそれならば、本格的なコース決めがある中等部三年の夏ごろまでにご令嬢の夢をへし折らなければならないことになる。


 公爵も、これが娘にとって最も酷い言葉となるのが分かっているのだろう。固く結んだ口元からは葛藤が垣間見える。当たり前だ。娘の夢に溢れた言葉を一番聞いてきたのだろうから。


 だから、俺にこんなことを頼まなければならないのだ。


「酷な任務になるだろう。でも、これは私ができることではないのだ。やってくれるだろうか、フレデリック君」


 蒼く真剣な目が俺を見据える。

 一回了承してしまったら、もう戻ることはできない。俺は何としてでも、件の令嬢をトップに引き上げるか、ボロボロに夢を打ち砕かなければならないのである。


「承知いたしました」


 重い責任を感じたが、それでも俺は了承した。

 生憎と、夢に破れる者の姿はたくさん見てきているのだ。


「うん、そうか。ありがとう。では、4月1日にここに来てくれるだろうか。できれば泊まり込みでやってもらたいのだが」

「いいですよ。ここまできたらとことん付き合います」

「本当にありがとう、フレデリック君」


 そう言い、哀し気な笑みを浮かべた公爵。


「では、失礼します」


 俺はそれから目を背けて、退室する。

 廊下で艶やかな銀髪の美少女を見かけて、胸が苦しくなった。

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