第15話 義兄は悟った。
ランキング、というのは作品を評価する一種の指標である。
もちろん、ランキングという制度だけで作品の優劣が決定されるわけではないが、順位が高ければ高いことに越したことはないだろう。
その蠱惑的な制度はクリエイター業界で切っては離せないもので、無論のこと小説やイラストにもランキングというものが存在する。
私が恒常的に活用しているイラスト投稿サイト、ピクシブでもランキングが備え付けられているが、未だに一位という栄誉ある席を簒奪したことはない。
大抵がプロのイラストレーターや、中国をメインとする海外の凄腕絵師らが占領しているのだ。
「ふふっ、えへへ……」
いつかは負かしてやると心に誓っているが、私がこんなにも気分がいいのはそのランキングのせいだった。
言うまでもないが、私が一位になったわけではない。叶人の新作がランキング一位になったのだ。
影からこっそりと応援していた身として、こんなに喜ばしいことはない。
ふふん、やっぱりこの作品は一位であって然るべきなのっ!
日間に獲得したポイントでランキングが変動する仕組みだが、ここ三日間くらいは連続首位であった。
すでに週間のランキングも一位に躍り出ている。月間一位も時間の問題だろう。
「どうしたのゆーちゃん? いつにも増して気分が良さそうだねっ」
スマホの画面を眺めてニタニタしていたのがバレたのか、一緒に登校している摩耶ちゃんに訳を聞かれた。
ぐぐぐ、私と叶人の秘密を天敵である摩耶ちゃんに教えてはいけないと本能が叫んでるっ!
「うんっ! 最近ちょっといいことがあってねっ」
「そっかぁー……でも忘れてない? 今日からテスト始まるよ?」
「うっ……摩耶ちゃんそれは言わない約束だよぉ!?」
「あはは〜、ごめんごめんっ」
コツンと頭を叩き、てへっと舌を出す摩耶ちゃん。あざと可愛い……きっと叶人もこれにやられてしまったのだろう。
私もあざとさ身に付けなきゃな、なんてアホらしい考え事をしているうちに学校に到着した。
席に着き、教科書を広げて試験の最終確認をしていると遅れて義兄がやってきた。すました顔で、余裕ぶっているのが腹立たしい。
「ふわぁ〜、睡眠を取りすぎて逆にまだ眠たいよ」
「むっっっっっかつくぅ!!」
一夜漬けとは言わないけど、私が睡眠時間を削ってまで勉強していたというのに、この男はっ!
とりあえず後ろから椅子を蹴飛ばしてやった。
「僕の将来は作家って決まってるんだから、赤点回避できるくらいの学力でよかったんだけどなぁ……君に少し分けてあげたいよ」
「くうぅぅぅぅ……っ」
ガンガンゴンバンドン。とにかく蹴りまくった。
「や、やめっ……ぅ〜〜〜〜……」
「ぷっ……舌噛んでるぅ、ウケるんですけどぉー」
「………………期末テストは勉強教えてやらないからな」
「ふ、ふんっ! 叶人なんかに教わらなくたって自力でなんとかするもんっ!」
ウザったい義兄と話して、少し肩の力が抜けた。
周囲の生徒らも柔和な雰囲気で雑談をしていたが、先生が現れてから空気感が一気に緊迫しだした。
開始五分前になるとテスト用紙がみんなに配布され、カチカチと時計の音がやけに耳を燻った。長身が動いた途端、テスト用紙が一斉に裏返る――。
***
「っ〜〜〜〜、やったぁ…………」
三日間にわたる試験日が終えて翌週の月曜日。採点済みの回答用紙が手元に戻ってきた。
副教科はともかく、追試がある教科だけは赤点を回避できている。平均60点台の私の回答用紙。無知蒙昧な私でも、気合いでなんとかなるものだ。
億劫なテスト期間も過ぎ去ったし、あとは創作に熱を注ぎ込むだけだねっ!
「おかしいな、僕の平均点を上下逆さまにすると夢花の平均点になるぞ」
「喧嘩なら今すぐ買うけどっ?」
「冗談冗談、夢花にしてはよく頑張ったんじゃないか?」
「ふ、ふんっ、本気出したらこんなもんだもんっ!」
からかいに来た叶人だが、兄として気にかけてくれているのだろう。少し背中がむず痒くなる。
「あはっ、どこかのゴミ虫は現国だけ落として追試らしいけどね〜」
「ま、まぁそういうこともあるよ……興梠くんもかなり頑張ってたし……」
「アイツは君たち以上にバカだったってことだな」
そういえば肩を落として、嘆いて、この世の終わりのような顔をしてさっきトボトボと廊下に出ていってたっけ。思い出し笑いしたのか、摩耶ちゃんなんて吹き出していた。
「せっかくだし、赤点回避のお祝いでカフェにでも行くか?」
「さんせーっ! 叶人の奢りでパフェ食べたーいっ!」
「も〜、ゆーちゃんったら! わたしも食べに行くけど……って――あぁ!」
摩耶ちゃんは突然に素っ頓狂な声を荒げ、背負っていた通学カバンの中をガサゴソと探り一枚の手紙を取り出した。
「これ、ゆーちゃんに渡してくれって他クラスの子から頼まれて……」
背面に『from佐伯夢花』と記されているのを目視し、気分がゲンナリと下がった。またか、とは思わずにいられなかったのだ。
「摩耶ちゃん、それって……」
「どう見ても夢花宛の手紙だな。また懲りずに告白か? こんな性悪女のどこがいいのか……」
「ゆーちゃんのことそう思ってるのは叶人くんくらいだよ〜」
憮然としてため息をつき、私は受け取った手紙を雑に開封した。もはや叶人に言い返す気勢もない。
中身を拝読すると、決まり文句のように好きだのなんだの戯言が書かれている。やたら女の子が書いたような文字なのは気になるが、相手の名前だけ見て下駄箱に返却してやろう。
送り主を確認するために下に視線を流すと――私は体中から血の気が引いていった。
「ぁ…………っ…………」
名前の代わりに、高校生活の中で最として恐れていたことが記されていたのだ。
『キモいイラストを描いてるのがバラされたくなかったら、放課後に必ず体育館裏に来い』
相手の足元を見るような、脅迫じみたメッセージが目に焼きついた。
いつ……いつバレたの。上手く隠し通してた。摩耶ちゃんや、興梠くんや、その他の人にだって。絶対にバレてはいけないと私自身が悟っていたから。だから嘘や誤魔化しを重ねてきたのに。
なんで、どうして。そんな言葉が幾重にもなって蠢いた。
「…………か……おい、夢花! 聞いてるのか!?」
「あ、う、うん……大丈夫……私、なんともないから……」
「なに言ってるのかサッパリわからないし。それちょっと貸せ」
緩んでいた手元から手紙は簡単に横取りされ、叶人が文面を読み、摩耶ちゃんは剣呑な顔つきになる。
「…………夢花、このこと誰かに話したのか?」
「う、ううん……思い当たる節はない、かな……」
「……そうか」
叶人は手を顎に添えて、摩耶ちゃんは私の腕を握っていた。
このあと私はどうなるのだろう。こんな狡猾な手口のせいで、好きでもない相手と恋仲にさせられるのだろうか。それとも虐められるのか。予断を許さない状態に、頭がおかしくなりそうだ。
少しのミスで、私の成りが瓦解していった。
「…………私、行ってくるよ。二人は先に帰ってて」
今回ばかりは叶人に取りつく島もない。これは絵描きである夢花夏目ではなく、佐伯夢花である私自身の問題だ。だから創作以外のことでアイツには関与させないし、してくれる理由もない。
そうだよ、私のレゾンデートルはクリエイターであることだけなんだ。叶人だってそれ以外、私のことなんて興味ないんだ。いつだって私たちを繋いできたのは創作だけだ。
狭くなった視界の中、私は教室を抜け出た。
「おい、待てよ夢花ッ! 待てって――」
必死に叶人が引き止めてくれているのかな。そんなことがあればいいな。
廊下から階段まで移動し、ふらついた身体を固定するように手すりを掴みながら階下へ進む。
昇降口で上履きに替え、校内の端にある体育館を迂回して裏側に回る。告白スポットで有名な場所らしいけど、どんどん気分が悪くなっていく。
ようやく辿り着くと、見知らぬ男子生徒が三人も待ち構えていた。
「……やっと来たかよ、おっせえな」
見覚えもない男子三人組の一人が、私を見るやいなや刺々しい言葉を投げてきた。
「私になんの用……? てか、誰……?」
「ははは、名前も覚えられてないってか。とんだコケモノ扱いだな、俺らは」
「お前が告白やラブレターを散々無視し続けてきた相手だよ」
「……振られた逆恨みってこと?」
「まあ、そうとも言うかもな」
……じゃあ、なんでアンタたちがイラスト描いてること知ってるのよ。
ケラケラと薄汚い笑みを浮かべる彼らが不快に思えて仕方ない。腑に落ちないことも多すぎる。
「で、私になにしようってわけ……?」
「あぁ、このあと俺らとホテルでちょっと付き合ってくれればいいからよ」
三人が同時に吹き出した。
「クズが……っ」
「あ"? 逆らえれる立場だと思ってんのか? お前が気色悪いアニメ絵を描いてるってこと、吹聴してやってもいいんだぞ?」
「…………それは」
困るどころか、そんなことをされれば私の居場所がなくなってしまう。
それを阻止するためにここに来たのだけど……どの選択肢も結果は最悪なものばかり。
逡巡していると、一人の男が痺れを切らしたのか私に寄りかかってきた。
「どうすんだよ――って、そうだそうだ。忘れてたよ、お前のピクシブとやらのアカウントを教えてもらうのをよ」
「っ……!? な、なんで、アンタたち知ってるんじゃないの……?」
一体全体、どういうことだろう。
コイツらは私の秘密を知っていたから脅迫してきたんじゃ……? てことは、別の人から眉唾物の情報を授かって……?
なんとなく真相が掴めてきたが、誰が入れ知恵したのかがまだ見えてこない。
「まあいいや、ホテル行ってから聞こうや」
「や――」
「やめろよお前ら。汚い手で僕の妹に触んな」
手首を掴まれそうになり反射的に悲鳴をあげようとしたのだが、遮るように義理の兄の声が響いた。
な、なんで……っ、なんで叶人がここにいるの……!?
曲がり角に身を潜めていたのか、突然の登場に困惑した。よく見れば摩耶ちゃんも物陰に隠れてそばに居た。
「は? 義理の兄妹だからって自分のモノ扱いか? 調子乗ってんじゃねえぞ」
敵意剥き出しの視線が叶人に集まる。
三人組が叶人に近寄り、徐々に距離を詰めていく。緊迫した空間で、私はただ怯えていることしかできなかった。
「夢花はずっと僕のなんだよ。未来永劫、僕の相方をしてもらう予定だからな」
「だから調子乗ってんじゃねえぞッ!!」
「や、やめてっ――」
うち一人が、叶人に向かって拳を奮った。
倒れる叶人の姿が容易に想像できて、思わず目をつむった……のだが、空を切る音以外に衝突したそれらしきものが聞こえてこない。
恐る恐る瞼を上げると、侮蔑の眼差しを彼らに向けながら退屈そうにする叶人がいた。
え、え……殴られてたんじゃあ……? どうなってるの……?
「これからの出来事は正当防衛の範囲内だから、どうなったって責任取らないからな――」
冷却されたような、酷薄なセリフを吐き出す叶人。
次の瞬間には、殴りつけてきた男がダウンしていた。叶人が腹に蹴りを入れていたのだ。
見事にバタリと倒れ、下手をすれば傷害事件になりかねないだろうが、きっと叶人のことだから動画や音声で自衛のための証拠を残しているだろう。
でなければ――叶人がこんなにも怒りに任せて暴力を奮うはずがない。
二人目三人目も殴って避けて蹴ってを繰り返して、十数秒も満たないうちに相手を立ち上がれなくさせていた。
「大丈夫だったか、夢花?」
いつもの優しい義兄の声音に戻り、安堵した。
見守っていた摩耶ちゃんも小走りで駆けつけてくる。
「うん……助けてくれて、ありがと……摩耶ちゃんも、様子見に来てくれてありがと……」
「ううんっ、ヒヤヒヤしたけど二人とも無事でよかった!」
「えへへ……でも、意外だったなぁ。叶人があんなに喧嘩強いなんて」
「ああ、戦闘シーンにリアリティを付けるために自分自身で体験したからな。妄想で」
「ふふっ、なにそれ…………ばーか……」
そういうところが玉に瑕なの、あほ……。
心が火照ってきた。ドクドクする、熱い。
永遠に僕のもの、とか大胆すぎるんだってば……あれ、ちょっと違ったっけ? ま〜いっか♪
「……よしっ! 清々したし、さっきの続きにしよっか♪」
「続き……? ああ、僕の奢りでカフェのことか……いいよ、それくらい」
「叶人くんは太っ腹だね〜っ」
呆れた顔で歩き出す叶人。それに添って私と摩耶ちゃんも続いた。
摩耶ちゃんが腕を絡ませてきて、足取りが重くなったが今は気にもならない。だって心はとても軽かったから。
摩耶ちゃんがツンツンと肩を小突いてきて、耳元で囁いてくる。
「(ねぇねぇ、ゆーちゃんってイラスト描いてるの? ちょっと見てみたいなぁ)」
「(えっ!? う、う〜ん……摩耶ちゃんにならいいかな……?)」
「(やったぁ……!!)」
私はピクシブのマイページを開き、投稿したイラスト集をスライドさせた。
覗き込むようにまじまじと眺められて少し恥ずかしかったけど、叶人に批判された時に比べたら随分とマシだ。
……やっぱり、前よりも上達してるよね。
一か月前と今とではまるで月とすっぽんのように感じる。線画も綺麗になったし、なにより塗りがより鮮明になった。中学のイラストコンクール、ライバル視していたあの作品にだって今なら勝てる自信がある。
明日から休日だし、もっと練習しなきゃね!
「………………まさか、な」
絵と睨めっこしている摩耶ちゃんと、それに浮かれている私は叶人が息を詰まらせていたことなんて知る由もなかった。
そうだ。共犯者の存在も、普通であれば『イラスト』なんて単語を使わないことも、昨日までなら摩耶ちゃんに絵を見せなかったことも、なにもかも。この時ばかりは、私はなにも考えずにいたのだ。
――週明けに、人生最大の事件が起こることとなる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます