第18話 義妹、お兄ちゃんと呼ぶ。

「じゃあ手筈通り、頼んだからな」


「おう、任せとけ。これでオレの株も上がるしな」


「そうなったら優雅にも彼女ができるかもね」


「ハーレム王に、オレはなるッ!」


 はいはい、と適当に流して優雅の家を後にした。

 種は撒き終わった……あとは、僕の裁量しだいか。

 悪鬼羅刹になろうが、嫌われ者になろうがなんとしてでも夢花をあの呪縛から解放する。


 だって、だってアイツは――僕の相方だから。こんなところで潰れてもらっては困るのだ。


 可愛いからとか、義妹だからとか、そんなのは関係ない。こんなイラストを描いておいて、惚れさせておいて、このまま停滞するのは僕が許さない。


 夢花から送られてきたイラストをスマホで眺めながら、僕は口元を緩ませたのだった――。





***





 この前の雨天とは打って変わり、燦々と太陽が光を照らす快晴だった。次のステージに登るにはもってこいの晴れ舞台である。

 間宮摩耶への快進撃と、夢花が殻を破るこの金曜日がついにやってきたのだ。


「いや〜、お待たせお待たせっ! 数日ぶりの学校だから寝坊しそうになっちゃった、えへへ」


「ふっ、お気楽だな……今さら怖気付いてくれるなよ?」


「うん、任せて! だってね、私が描いたキャラが、イラストがすっごく背中を押してくれるからさっ!」


 玄関にやってきた夢花は、にぱあっとはにかんだ。

 彼女は両手を胸に添え、瞑目して「ありがと」と呟く。開いた瞳からは、力強い生気を感じた。

 はっ……とんでもない天才だよ、お前は。だからこそ、僕が、この手で――


「羽ばたかせてあげるよ、義妹」


「二人で飛ぶんだよ、ラノベイラスト業界のてっぺんまでねっ!」


「ふっ、そうだな。なんたって僕らはパートナー――運命共同体なんだから」


 ガチャリとドアノブをひねり、日光が僕らを迎えた。

 歩道を進んでいくと、隣から伸びてきた手に腕が奪われた。


「……ちょっとの間だけ、こうしててもいい?」


「控えめだけど、君の胸の感触が楽しめるから僕は構わないよ」


「なんでそーやって雰囲気を台無しにするかなぁ!? 裸も覗かれてるし、もうそんなに気にならないけどっ! サービス料金は高いからねっ!」


「そうだよな、義理とはいえ兄妹だもんね。今度直接触らせてもらうよ」


「これ以上は彼氏にしかさせないからー! そんなに触りたかったら頑張って私を口説き落ちしてねっ!」


「ははっ……それはなかなか骨が折れそうだな……」


 学校の敷地に入ると、腕を組んでいないにも関わらず注目を浴びた。柔和な顔つきも、夢花はどんどん固くしていく。多数の視線が、きっとあの時の記憶を彷彿とさせているのだろう。

 教室の前につくと僕が先に入室した。状況確認のためと、夢花に転機を作るためだ。


「……よし、上手くやったみたいだな」


 教壇、黒板、机の上、壁などそこら中にセロハンテープで貼り付けられたイラスト。まるであの時を再現したような……否、それ以上の豹変ぶりだった。ただ、床には一枚たりともプリントされたイラストはばら撒かれていない。ちゃんと配慮していたようでなによりだ。


 二次元の世界に吸い込まれたような、そんな錯覚をする。

 前日に優雅に頼んでおいたのだ、朝一に登校して準備をしておいてくれと。席につく優雅を見やるとグッドポーズを作り出した。


 ありがとよ、優雅……お前のおかげでなんとかなりそうだ。


「摩耶ちゃんったら〜、これはさすがにやりすぎじゃない〜?」


「あ、あはは……ほんとね、なんでだろうね……」


 間宮さんの取り巻きや、その他のクラスメイトはてっきり彼女が仕向けたものだと勘違いしていた。間宮さんは酷く困惑していたが、それでいい。最終的にアイツがやっとことにしておけばこちらに責任は及ばないのだから。


 さて、膾炙した夢花の悪評を正せてもらおうか。


「いやぁ〜、プロ顔負けなイラストだなぁ〜。誰がこれを描いたんだろうなぁ〜?」


 間宮さんに近づき、皮肉を込めて言い放った。すかさず彼女にギロリと睨まれ、察したように口を開いた。


「……なるほどね、叶人くんの仕業ってわけ」


「さて、なんのことだかサッパリ。それにしても、間宮さんもこの絵が凄いと思わないか?」


 机の絵を一枚手に取り、間宮さんの視界に映らせた。じっとそれを見つめた後に、視線を逸らされる。


「っ…………べつに、どこも凄くないし」


「あぁ、そっかぁ! 素人にはわからないよね、ごめんごめん!」


「なっ〜〜〜〜!?」


「君のチンケなイラストよりも、こっちのキャラの方が生きてるよね。ほら、ハイライトの入れ方が上手すぎて肉感がよく伝わってくるよ。あ、素人だからわかんないか、ごめんごめん! 悪気はなかったんだ!」


 ……もう、少しだ。我慢しろ、夢花のためだ。続けるんだ。

 逆上したのか、間宮さんは立ち上がる反動で椅子を蹴飛ばし机を大きく叩いた。烈火のような形相でキリッと僕を睨みつけてくる。


「わたしのイラストをバカにするなっ! わたしのキャラクターはチンケなんかじゃないっ! 全世界の誰が描いたイラストよりもわたしのが一番なのっ!」


「…………」


「だからわたしのイラストを貶すような真似はやめろっ!!」


 現場が騒然となった。間宮さんが涙目になって激論する姿が、想像の余地を超えたからだ。彼女の取り巻きでさえも目を丸くしていた。


 だが僕はそれに動じず、間宮さんに正面を切って酷薄に告げた。


「いいや、夢花が君に劣っているところなんか一つもないよ。間宮さんとじゃあ技術、精神ともに雲泥の差があるさ」


「……ない…………そんなことないっ! わたしは負けてないっ!」


「負けてるよ。僕も、夢花も、他の絵描きだってみんな君が敗北したと思ってるさ。コンテストの審査員だって、間宮さんが劣ってると判断したから夢花に金賞を授けたんだろ?」


「そんなこと、ない……もん……ぐすっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁん――」


 間宮さんの目尻から大粒の涙が流れる。

 罪悪感に苛まれながらも、僕は追い打ちをかけた。


「惨めだな、泣けば問題が解決するとでも思ってるのか? そんな甘い考えだから誰からも尊重されないんだよ」


「ひぐっ……そ、そんなこと、ない……もん……っ」


「まぁ? 下手くそなイラストしか描けない君には関係のない話かもしれないけどな」


「や、やめてよぉ……ひくっ、わたしは下手くそなんかじゃないもん……っ」


「じゃあ君はこれを真似できるか?」


 再度、彼女に夢花のイラストを差し出す。

 真似なんか出来るわけがない。たかが才能の差で絶望し、匙を投げるようなクリエイターが、ひたすら努力を積んできた夢花と肩を並べることなんて到底不可能なのだ。


「…………それは……無理、だよ……わたしには才能、ないから……っ」


 僕は歯を噛み締めた。不覚にも、自分にも似ていると思ってしまった。才能にすがりたい気持ちはわかるよ。でも、そんな無い物ねだりしたってどうにもならないんだよ……。


「自暴自棄になるな。絶望したならその分努力しろよ……なんのために創作を頑張ってきたんだよ……たった一度どん底に落とされたからってな、諦めたらそこで終わりなんだよ!」


「才能の壁は絶対に越えられないの……才能の二文字の前には、努力なんて無意味なの……兄妹になって一緒にいたら叶人くんだってわかるでしょ? 特別なんだよ、あの子は」


「特別? ふざけるのもたいがいにしろよ――」


 ―― 私は叶人より早くデビューして有名になってやるもん!

 ―― よしっ、でーきた! ほら見て、上手いでしょっ!

 ―― 私はそんな邪な考えで創作者の名に泥を塗ったりはしないっ!!

 ―― 叶人や色んな人に支えられて、今の私がいるの。今の作品ができているの。


 いつだって創作を楽しんできた夢花を、上達するために努力してきた夢花を、本気で取り組んできた夢花を。『特別』や『才能』の一言で片付ける間宮さんの言動に酷く腹が立った。


「…………確かにアイツは才能で溢れてるよ。僕だって羨むくらいとんでもなくな。それでも――」


 僕は息を荒くてして怒号した。ありったけの想いを間宮摩耶という元クリエイターに伝えるために。


「夢花はな、何千時間とイラストに人生賭けてるんだよッ! 毎日睡眠時間を削って、参考書を読みふけって、何回も色塗りを研究して、やっとここまで辿り着いてるんだよッ! それでもまだアイツのことを侮辱するなら、お前も、お前らもッ! 僕が全員ぶっ飛ばしてやるッ!」


 動悸を抑えて、僕は教室を覗く夢花を見やった。顎をコクリと動かし、こっちに来るよう指示をする。


「っ……ゆ、ゆーちゃん……なんで、ここに……」


 義妹の登場を想定していなかった彼女は、目を疑うようにうろたえた。

 下唇を噛み憤怒しているが、同時に涙を流して哀しみを抱いている夢花がいた。静かに、力強い雰囲気を醸し出して僕の隣まで来る。「摩耶ちゃん……」と、語りかけるよう夢花が口を開いた。


「私は、中学の頃にね……とある同年代の絵描きに嫉妬してたんだ。初心者のくせしてさ、とんでもないイラストを描いててさ。人生で初めて負けたって感じたんだ――」


 過去を振り返るように、饒舌に話を進めだした。

 僕も覚えのないことだったので、聞き逃さないように耳を欹てた。


「その人のキャラは私のなんかよりも生き生きとしててさ、まるでお前のキャラは死んでるって告げられたみたいで。圧倒的な才を感じたんだ。幼稚園から絵を描いてた私の努力が、たかだか数日数ヶ月ぽっちで越されちゃったんだよ……ほんと、私って滑稽だなって思ったよ」


「そ、それってまさか……」


「うん、摩耶ちゃんのことだよ。私はアナタを羨んでいたの」


「嘘……そんなこと、あるわけがない……っ」


 そうか、恐竜博物館でのあれは間宮さんのことだったのか……皮肉な話だな、互いに羨みあった結末がこれなんて。


「あるんだよ、だって摩耶ちゃんもそうだったんでしょ?」


「それは、そうだけど……」


「気持ちはわかるよ。でも、私は摩耶ちゃんのこと絶対に許さないから」


 すぅ、と大きく息を吸って夢花は怒号した。


「私の心を折ったくせに、勝手に舞台から降りるなんて許さないっ! 勝ち逃げなんて許さないっ! そんな些細なことで絵描きを辞めることも許さないっ!」


「なっ…………」


「下手くそだと自覚してるならもっと努力しろっ! 納得いくまで描き続けろっ! そして私ともう一度勝負しろーっ!!」


 肩を上下に揺らして、ありとあらゆる感情を吐き出した夢花。だがそこにやり返しの概念は存在しなかった。純粋無垢な創作者が、元創作者を励ました。それが現状だ。


 夢花を手助けしてやった僕でさえ、全く持って感服してしまう。清々しいくらい創作者としては良い奴なのだ。佐伯夢花という女は。

 間宮さんは瞠目し、真正面から夢花のことを睨んだ。


「そんなの、ゆーちゃんの勝手だよっ! わたしはもう絵描きを――クリエイターをやめたんだよっ! 嫉妬に狂って他の創作者を貶めて、今さらどんな顔して絵を描けばいいのっ!?」


「そんなことどうだっていいよっ! 今になっても嫉妬心が消えなかったのは、絵を描くことが好きだからなんでしょ!? 本当は絵を描きたいと思ってるんでしょ!?なら描けばいいじゃんっ!!」


「……そんなの、そんなのゆーちゃんの勝手だよ!」


「そうだよっ! 私のわがままだよっ! 文句あるかーぁ!!」


「っ…………」


「私は摩耶ちゃんにイラストで見返したしやり返した! だから摩耶ちゃんも最高のイラストで私に復讐してっ!」


 夢花は息を切らして、間宮さんはたじろいでいた。

 夢花の圧倒的な完封勝ちで、雌雄は決したようだ。


「わかったよ…………でもわたし、謝らないから」


「うん、それでいいよ。でもその代わり――」


 ――パチンッ!

 痛快なほどのビンタが炸裂した。しかも両手で同時に。


「痛ったぁ!? やっぱりゆーちゃんは敵だよっ!? うぅ〜〜〜〜っ」


 間宮さんはかがみこみ悶えていた。

 そんな間宮さんが密かに微笑んでいたのは、横から眺めていた僕しか知らなかった――。






 ***






 二人の一件は幕を閉じた。

 学校中の誰もがその話題には触れずに、禁句だと認識が広まったらしい。

 まだ夢花と間宮さんの仲が元通りになったわけではないが、ともに黙りを決め込むわけでもなく、僕がフォローしなくとも上手くやっていた。


「……さて、と。やっと小説書けるなぁ」


 放課後、自宅へ帰ると紅茶とポテチを用意して、それを口に運んでいた。

 私室でパソコンと睨めっこをする。

 ……久しぶりだな、小説の世界に入れたのは。

 ここ最近はドタバタしていてなかなか集中できなかったが、ようやく自分が作品の主人公とリンクできた――ところで、夢花が部屋に入ってきた。


「……なんでちょっと不機嫌なの?」


「このちっぱいが……やはり僕の壁になるか……」


「は? 意味わかんないんだけど殴られたいのかなぁ?」


 背中に回している左手とは別に、右手で軽くジョブを打って僕を威嚇してきた。


「僕が悪かったよ……それで、どうしたんだ?」


「あー、うん……ええとね、その。特に用はないんだけど」


 質問を送ると、途端に夢花の歯切れが悪くなる。

 夢花はモジモジとイモムシのように身体を捩り、頬を赤らめていた。

 なんだよ、気色悪いな……厄介事はもう勘弁してくれよ。


 嫌悪感を抱きつつ夢花の返答を待っていると、後ろにやっていた手を僕に差し出してきた。


「――これっ、叶人にあげるからっ! たまたま作ってみたんだけど! 一人じゃ食べきれなかったから叶人にも分けてあげるだけだからっ!」


「う、うん……ありがとう」


 手のひらにはクッキーを袋詰めしたものが置かれている。

 驚きながらもそれを凝視すると、お店で売っているような完成度の高いものから、歪な形や焦げた色をしているものまで多量のクッキーが混ざっている。


「不味くても文句言わずに食べることっ! わかった!?」


「わ、わかった……貰ったからにはちゃんと食べるよ」


 クッキーを受け取ると夢花は颯爽と部屋を出ようとしたが、扉の前で立ち止まった。


「それと、ね…………助けてくれてありがと、お兄ちゃん」


 そう言い残すと、バタンと力強くドアを閉めて出ていってしまった。

 ……ったく、忙しいヤツだな。そんなところも、まぁ、割と、いや、ちょっとだけ可愛いけどさ……。

 袋の口を開き、ざっと適当につまんで口に放り込んだ。


「なんだ……意外と美味しいじゃん」


 不覚にも口元をニヤつかせていたのは、また別の話だ――。

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義兄妹になった物書きと絵描きの相性が最悪すぎる件について!? にいと @hotaru2027

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