第17話 義兄と交渉をする。
怖い。
怖い怖い怖い。
虐めというものを、初めて体験した。
足が竦んで、涙が溢れて、ろくに声も出せなくなって、自分の居場所が消えていって。クラスメイトが酷く恐ろしかった。つい先日まであんなにも仲良くしていたのに、途端に皆が寝返ってさ。私を標的にしだした。
「あぁ……誰か助けてよ……怖いよぅ……」
カーテンから日光が差し込む。
そうだ、叶人はまだ学校か……ううん、今回ばかりは叶人だってどうしようもないよね……。
先週末は叶人が助けてくれたけど、あれは未然に防げたものだったからだ。私への虐めは遂行されている。クラスカースト最下位になった私は、もうどう足掻いても元の立ち位置には戻れないのだ。
「ぐすっ……わた、し……イラストを、描いてるだけなのに……なん、で……イラストが好きなだけ、なのに……っ……どうして……」
何千時間と絵を描いてきた。
生涯を絵とともにしてきた。
それを踏み捻られたけど、私の怒りと悲しみの行き場はどこにもなかった。
むっかつく、腹が立つ、私のイラストをキモいってバカにしたことがとても気に食わない。
でも、言い返せなかった。将来、私はイラスト業界の第一線を担うプロになるんだ、文句あるかって。
結局、私は弱い人間なのだ。
一人ではなにもできない人間なのだ。
才能もなければ、度胸もない。
それでも叶人と一緒にいると、なんだか楽しくてさ、自分がすっごい活躍できるクリエイターになれるって信じ込めるようになってさ。だから、私は今後も叶人と面白おかしく創作をするんだって、心のどこかで感じていて。
叶人がいたら、私はどこまででも手を伸ばせれる気がするんだ。
だからさ――
「早く帰ってきてよ……叶人ぉ……」
そう口ずさむのも、仕方ないんだ。
***
コンコンとドアの扉がノックされた。いけない、泣き疲れて眠っていたようだ。「入るぞ」と、義兄の声がドア越しに聞こえ、しばらくすると扉が開かれる。
「……いるなら返事くらいしろよ」
「すんっ…………なにしに来たの……」
「可愛い義妹の様子を見に来たに決まってるだろ」
「っ…………」
急に可愛いとか、なんなのもうっ……。
顔が熱くなってきた。きっと頬が赤く染っているから、布団に潜ったままでよかった。少し落ち着いてから起きると、義兄は勝手に私の椅子に座り込んでいる。
「それで、夢花はどうするつもりだ?」
「どうするって……どうしようもないじゃん……摩耶ちゃんだよね、あれやったの」
「まあ確かに……って、知ってたのか」
「だって、私がイラスト描いてるのなんて摩耶ちゃんくらいしか知らないじゃん」
黒板に貼り付けられてたやつだって、私がピクシブに投稿してたやつだし……。
それに摩耶ちゃん、今日は私に一言も喋りかけてこなかった。それで察せれないほど私はバカではないし、今後謝られても簡単に許すほどお人好しでもない。覆水盆に返らず、なんてことわざもあるしね。
そもそも、あの化けぎつねがごめんの一言でも言うか定かではないけど。
「うん……それで、間宮さんのことなんだけど――」
叶人は私が去ったあとのことを一通り説明してくれた。
摩耶ちゃんが元創作者で、中学のコンクールの受賞者で、それで私がライバル視していた相手であったこと。
才能を感じた相手から羨めれるなんて、とんだ皮肉話だったけど……。
「まあ言わなくとも、クラスでの夢花の立ち位置は最悪だろうな。僕らの味方は優雅くらいだし、大半が中立か間宮さんの仲間になるだろうね」
「あはは……摩耶ちゃんの方が交友関係は広いからね……」
「それで、どうするんだ? 夢花は逃げたままでいいのか?」
……逃げる、かぁ。
そんなの嫌だよ。カッコ悪いもん、私の性に合わないもん。
でも、答えを決断することはできなかった。明日学校に行けるかって問われればもちろん行きたくないし、摩耶ちゃんと喧嘩できるかって聞かれれば無理と答える。
私がどうこうして元の関係に戻るなど、一縷の望みもないのだ。
「……まぁ、今は無理もないか」
長考していると、叶人が察したように部屋を出ていった。
結局、翌日は高校に行けずじまいだった。教室では笑い者にされているのかな。
私のこと笑っていたやつらを思い出すと、無性に苛立ちを覚えた。デスクに移り、スケッチブックを開く。
「ふっふっふ、私を怒らせたアイツらが悪いんだ……っ」
鉛筆を走らせる。摩耶ちゃんからその取り巻きまでしっかりとクラスメイトを写し、最後に空から弓矢が降り注ぐよう獲物をひたすら描いた。
「このっ、このっ! あんなやつらは串刺しにされちゃえっ!」
色塗りがないとはいえ、ものの数十分でなかなかのクオリティーの絵が描けた。
多数の人物の配置も、雨霰の状況とのパースもなにもかもが完璧だ。さすがにこの数のキャラを塗ることになったら億劫になる気がするけど……あはは。
「作品名は名付けて大罪人の執行、ってところかなっ!」
死んじゃえクラスメイト、なんてタイトルにしようと思ったけど不謹慎なのでやめておいた。
とりあえずパソコンにデータを取り込み、ピクシブに投稿しておく。完全な仕返しだ、きっと嫉妬心満載なあの子なら見るに違いない。
「…………お腹すいたな」
空腹感に襲われ、私はリビングに向かった。
人一人いない、静かな空間。寂しい心地になりながらも、叶人に早く帰ってこいと念じてテーブルに置いてあったクッキーをつまんだ。
「クッキーかぁ……(もぐもぐ)」
母の日にお母さんに渡すために、一度だけ作った記憶がある。
小学生の時だけど、何度も失敗して泣きじゃくって頑張ってたなぁ……。
「……よし、久しぶりに作ってみよっかな!」
そう決めてからの行動は早かった――。
***
小麦粉や砂糖、卵は家にあったので、バターやバニラエッセンスを近くのスーパーまで買い出しに行ってきた。
帰りに玄関前で叶人と鉢合わせて、なにしてんだこいつみたいな視線を浴びさせてきたけど、気にしないったら気にしない!
お母さんに使われないよう『使用禁止!』とだけ油性ペンで書いて冷蔵庫に閉まっておいた。
自室に戻ると、練習という名の憂さ晴らしを再開し、しばらくすると昨日のように叶人が訪ねてきた。
「学校には来ないのに、絵はちゃんと描いてるんだな」
「どうせ、私のピクシブの投稿見てるからわかってたでしょー?」
キリのいいところで筆を止めて、ベッドに座る叶人の方へ椅子を回転させた。
「まぁな、間宮さんなんか自分の筆箱を投げつけてたよ」
「あっは、なんだか気分良くなってきたなぁ」
「君も大概性格が悪いよね……」
「やられたからやり返しただけですけどっ?」
「そういうところだぞ、他人からやっかみを買うのは……」
叶人はため息をついてから、真剣な顔つきになる。
「それで、君はいつまで停滞しているつもりなんだ? 一方的にやられっぱなしは、僕としても気にくわないんだ」
やっぱり、その話しをしに来たんだ。
叶人が私の部屋に来るときは、創作の話題が関係するときだけだ。彼はきっと、私が今の状況下ではクリエイターとして前進できないと勘ぐっているのだろう。
「そりゃ私だってムカついてるもんっ……でも、多数に無勢のこの戦況じゃあ勝てないのは道理でしょ?」
「夢花一人じゃ無理かもな……でも、君には僕がいる。最強の切り札だろ? それじゃ満足できないか?」
「…………ううん、叶人がいるならきっとなんとかなる」
「だろ? 夢花、僕と取引をしよう――」
悪魔のようにはにかむ叶人。
叶人がゲスい……こほん、ずる賢い笑みを浮かべる時は大抵が常識外の話をすると相場が決まっている。
うわぁ……めっちゃ嫌な予感がするんだけどっ!?
「僕の新作のヒロインを描いてくれ。君が描いてきたどの作品よりも、最高のクオリティーでだ。そうしたら僕が夢花を救ってやる」
え……? そんなこと、でいいの……?
過去一番の出来で提出するのはなかなかの難関だけども。それ自体は頑張ればなんとかなるはずだ。
「描く分には全然構わないんだけど……」
「よしっ、決まりだな。今度の木曜日までに完成させてくれよ」
「うん、わかった……って、は? 今度の木曜って明後日じゃないのっ!? バカなの、アホなの!? そんな短期間で描けるわけないじゃんっ!?」
やっぱりろくでもなかったよっ!?
「出来ないのならこの取引は白紙にするから」
「う、うぅ〜〜……わかったよ、わかったから……」
「僕の相方なんだ、それくらいはやりのけて当然だな」
無邪気な笑顔を見せて、叶人は部屋を去っていった。
本当に忙しいんだから……私のために色々と行動してくれてるのはわかってるけど、もうちょっとくらい一緒に居てくれてもよかったじゃんっ……。
「……最高のクオリティ、かぁ。やるしかないよね、これは取引――私に託された依頼なんだからっ」
取引とは互いに利益を得るためにするものだ。
とどのつまり、この交渉の意図は私を助ける他にもう一つある。
「そんなに作品のキャラ描いてほしかったなら、早く言えばよかったのにな〜」
叶人は作家として、自作のキャラクターのイラストが見たかったのだ。
ツイッターでも、そういう依頼は何度か有償で受けたことがある。作家とは頭良さそうで、意外と単純な人が多いらしい。
デスクに向かい、イラストの参考書に埋もれた液タブを掘り返すとパソコンを立ち上げる。クリップスタジオ(ペイントソフト)を起動し、A6サイズの白紙を表示させた。
新作はネット小説の方で最新話まで追っているので、キャラクターの成り立ちや性格、口調まで全てインプット済みだ。
あとは、私がそれを表現するだけ――。
構造が決まったらラフ絵から入り、線画に移り、色塗りをする。
やることは単純、いつも通りだ。
持てる技量を全て発揮し、間断なく筆を走らせる。大好きなイラストに没頭した私は、徹夜していたことにすら気づかないほど熱中していたのだった――。
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