第8話 義妹のカップ数を知る。
『まもなく――サービスエリアです。休憩時間は10分間です。降車されるお客様は――』
バス車内に運転手のアナウンスが響いた。
「ここが折り返しの場所らしいけど、トイレとか大丈夫か?」
「うん……大丈夫だけど……ふわあぁ……」
夢花を口元を手で覆い、眠たそうに大きなあくびをした。
そして彼女はうっとりとした目で僕を据えて、「聞きたいことあるんだけど……」と続けた。
「なんで4時に叩き起こされて、準備させられて、私はバスに乗ってるの……?」
「これから恐竜博物館に行くからさ」
「……意味わかんないんだけど」
単純かつ明快な回答をしたつもりだったのだが、この義妹はよほど思考能力が低いのか、以前ポスターで見た北陸にある恐竜博物館にバスで向かっていることすらわからなかったようだ。
もう一度だけ、子どもにも理解できるよう噛み砕いて説明してやると、「意味わかんないんだけど」と汚物を見下す視線を向けてきた。
「な・ん・で! 私が叶人と遠出して! 一日まるまる休みの日を潰さなきゃいけないのっっ!!」
「あ、言い忘れてたけど泊まりだから」
「あ、じゃなーい!? そういうことは先に言えっ!? 着替え持っていてないんだけど!?」
「それくらい着いたら買ってあげるよ」
「そういう問題じゃあなーいっ!!」
じゃあどういう問題なんだよ……。
優雅と行くと騒がしそうだし、間宮さんは論外だし、だけどぼっちは避けたいから消去法で夢花になっただけだというのに。
父さんと杏奈さんは仕事で事務所泊まりなのは既に確認済み。変に勘ぐられるのも面倒なので、二人には朝早くから遊びに行くとだけ告げてある。泊まりで明日に帰宅しても、二日連続で出かけていたと説明すれば筋が通る算段だ。
これだけは豪語させてもらいたいが、これっぽっちもデートとか、そういう意図は孕んでいない。
それから一時間半ほどで目的の駅に到着し、降車すると澄んだ空気と恐竜のレプリカ像が僕たちを迎え入れた。
「すうぅぅぅぅ〜〜、はあぁぁぁぁ〜〜! 田舎って本当に空気が美味しいんだね叶人!」
コロッと気分や態度が変わるものだから、本当に自由奔放なやつだ。
「なんでそう君は反感を買うようなこと言うんだ……」
これで当の本人は無自覚なのだから、余計にタチが悪い。
呆れながらも、僕は記念に恐竜の像を何枚か撮っておいた。これだけでも圧巻だというのに、ここから更にバスで乗り換えした先に待つ恐竜博物館は世界屈指のスケールだというのだから、期待がより高まってくる。
ひとまず、近くの服屋で夢花の衣装を見繕って、荷物をホテルに預けに行くとするか――。
***
「キモい、マジでキモイ、いやほんとキモい、ありえないんだけど……っ」
「…………だって、夢花を一人にしたら迷子になるし」
「だからってランジェリーショップまでフツー着いてくるっ!?」
だって君、さっきも一人で走ってって迷子になりかけただろ!?
泣きじゃくりながら電話をかけられたのはつい先ほどの出来事だ。
だからっ、不本意ながらっ、仕方なくっ! 着いてきただけであって! 僕は変態じゃないっ!!
蔑むように再度、「変態」と称された。悲しいかな。
「うぅ〜〜〜〜、無理無理無理! 近寄らないでっ!」
「そこまで邪気にならなくても……」
「じゃあ目を瞑っててっ!!」
「はいはい……」
可視できない部分の装飾品なのに、なにをそこまで恥ずかしがってるんだ……。義理とは言え、ただの兄弟である僕に知られたくないことでもあるのか?
「…………あ、カップ数か」
つい瞑目していた瞳を開いてしまった。そこに映るのは『サイズB』と記された下着を両手に持ち、逡巡している夢花であった。
僕に気づいた夢花は、苛立ちを隠そうともせずに脚を飛ばしてきた。
「こ……このド変態があぁっっ!!」
夢花の蹴りは腹にのめり込み、体が90度に折れ曲がって一瞬だがふわりと宙に浮かんだ。
下半身からドボンと着地し、その後に全身を打ち付けた。
あぁ……痛い……目の前がグルグルする……。
「そのまま記憶も飛んじゃえっ!」
「…………うるさいBカップのちっぱいが」
「――こ、このっ!?」
「うぉいおいおい!? それはダメだ、ガチでダメなやつだ!?」
大の字で仰向けに倒れている僕の頭部目掛けて、義妹が大きく振りかぶった脚を降ろしてきた――
「ちょ、ちょっとお客様!? それは死んじゃいますよ!?」
ところで、僕たちの行方を温かく見守っていた女の店員さんが制止してきた。
僕の顔面すれすれのところで彼女の脚はストップし、なんとか命は間逃れたが……。
「し、死ぬかと思った…………」
なんか目の上に絶世の美女がいるんだけど……これが走馬灯ってやつか……? 赤色のパンツなんて大胆だな。
膝丈くらいまでのスカートにシャツの組み合わせ――いわゆる、店の制服姿の女子が僕を見下ろす形でほっとしている。
「な、なんで邪魔するんですかぁっ!!」
僕を擁護したことを、気に食わないとばかりに夢花は文句垂れはじめた。
「じゃあ逆に、お店を殺人現場にするつもりですか!?」
「こんなゴミクズは死んで然るべきなのっ!」
「せめてうちの外でやってください!」
擁護はどこにいったどこに!?
店だけ無事ならというスタンスらしい。僕を守ってくれたと勘違いして惚れかけたじゃないか……。
下からパンツを覗き込むという神妙な体験をしっかりと脳裏に焼き付け、僕は起き上がった。
「二人とも落ち着いて……」
「アンタのせいよっ!」「お客様のせいですっ!」
「………………はぁ」
僕が罵詈雑言を投げられるという重役をかったおかげで、夢花と店員さんはなんとか静まった。
明らかにクレーマーな夢花だが、難なく対応してくれている店員さんには感謝しか出てこない。罵倒されたけど。
「お二人は恋人同士……? ってわけじゃなさそうですし、どういう関係なんですか?」
すこぶる機嫌を悪くした夢花は一人で下着選びを再開し、暇そうにしていた店員さんが僕に話しかけてきた。
「ただの兄妹ですよ。義理の、ですけど」
「ふむふむ、納得納得。ここら辺の人にしては言葉が訛ってないけど、遠方から来られたとかですか?」
「はい――」
仔細に経緯を伝えると、店員さんの瞳が輝いた。見たところ歳の近そうな女の人なので、僕もつい要らぬことまで口を走らしてしまったかもしれない。
まぁどの道、もう会うことはないからいいけど。
「高校一年生なんだぁ、じゃあわたしの一個下かな」
会話を重ねる毎に、噛み砕いた喋りになる店員さん。
こっちの方が僕も気が楽だ。
「どうりで、お姉さんそこまで年上に見えなかったから」
「逆に、君はまだ中学生かと思ったかな〜」
店員さんはくすりと微笑んだ。
……僕ってそんなに幼く見えるか? 夢花よりよっぽど大人びてると思うけど。
しばらく彼女と談笑していると、夢花が下着を選び終わったので会計を済ませ店を離れた。
なぜだかわからないが、夢花がずっと僕を睨みつけていたのはまた別の話だ。
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