第16話 義妹は去れど、雨は止まず。

「あいつ、午後から雨の予報なのに傘忘れて行ってる…………ったく、はあ」


 玄関の靴箱の上に、黒色とピンク色の折りたたみ傘が並んでいる。言うまでもなく前者は僕の、後者は夢花のものだ。

 カバン、重たいのは嫌いなんだよ……。


 さすがに見て見ぬふりができるほど廃れてはいないので、二つとも背負っていたカバンに放り込む。


「災い転じて福となす、か……今度、僕の作品のキャラでも描いてもらうとするか」


 これも恩を売るいいチャンスと考えれば悪くはない。あの義妹があだで返してこなければの話だけれども。


 ガチャリと玄関扉を開けると、どんよりとした空間に見舞われる。黒く浮かぶ雨雲に、肌を蒸らすような湿った空気、歩を遮る水溜まり。夜中も豪雨だったが、この調子では昼前にまた降ってきそうな勢いだ。


 雨に濡れることは苦手なので、急ぎ足で高校に向かう。

 ……そういえば夢花のやつ、一人で先に出ていったけど大丈夫かな。

 先週末、あんな狼藉にあわされたばかりなのだ。登校なんかしたくもないだろうに。


 それに……あの問題はまだ解決されていない。

 杞憂だといいけど、なんて思いふけり曇り空を眺めながら歩くと額に水滴が衝突した。道路脇に生えている木の葉から落ちてきたようだ。


「不吉だな……濡れるのは嫌いなのに……」


 学校に着くと、途中で優雅と遭遇した。「ちおっす」なんてどこの民族の挨拶だと突っ込みそうになりながらも、「おはよ」とだけ返事をしておいた。

 僕らの教室は三階のため、道中の時間で彼にはあの一件の経緯をそれとなく説明しておいた。いざと言うときの駒……ごほん、ピンチヒッターになってもらうためだ。


「なあ叶人、やけにオレらのクラス周りに人集りができてないか?」

三階に上がり、廊下にでると優雅が怪訝そうな表情でそう言う。


「ああ……なんでだ……?」


「転校生でもやってきたのか? それにしちゃおかしな時期だよな」


 ……まさか、まさかな。

 あまりにも喧騒が激しいことに違和感しかない。

 紛雑した観衆を押しのけてクラスの中に入ると――


「あぁ…………っ……な、ん…………ゃ…………」


 ――瞳の色を失った夢花が、黒板を見つめて立ち竦んでいた。

 自信過剰なあの夢花が頬に涙を伝わせ、膝を震わせて、なんでと自問自答していたのだ。


 黒板にはプリントされた夢花のイラストが貼り付けられ、キモいだのオタクだのと差別や侮辱の言葉が連ねられていた。


 クラスメイトの大半は侮蔑や哀れみの視線を向け、クスクスと笑うやつもいれば夢花の耳に入るような声量で悪態をつくやつもいる。

 他人の意見などさほど気にしないあの夢花が、やられたらやり返す精神のあの夢花が、泣いて戦慄くことしかできないでいた。


「………………夢花」


 なんだよ、なんなんだよこれは。ふざけるなよ。


「おいおい、叶人……これはちょっとマズイんじゃあないか……?」


「ちょっとどころじゃないよ……」


 ……最悪だ。先手を打たれた。

 この事態だけはなんとしてでも避けなければならなかったのに、元凶を始末するのが遅れた。これをしでかした犯人も、その言動もわかってはいるのに、間に合わなかった。


「……ぐすっ………なんで…………どうして……っ」


「悪くない……お前はなにも悪くないよ……」


「…………か、叶人……」


 夢花が僕に気づくと、ぐしゃりと顔を歪めた。

 途端、制服の袖で目元を覆って教室から逃げ出していく。校門を駆けて抜け出す夢花と、追い打ちをかけるように大粒の雨が降り出したのが教室の窓から見えた。


 ……せっかく傘持ってきたのに、帰りも余分な荷物があるままじゃないか。

 追いかけようか悩んだ末、僕はここに留まった。


「なぁ優雅……これから僕は激昂するからさ、もしもの時は止めてくれよ」


「オーケー、任せとけ。ミステリー小説で鍛えたオレの推理が外れてたらな」


「ああ、それでいい」


 クリエイターがクリエイターを貶めることはあってはならない。だがそれ以上に読者が作者を貶めてはならない。


 小説を読んでその作品に難癖を付けるのは構わないが、作品の作者にまで非難を浴びさせるのはご法度だ。作者は作品を作るためにいる。


 決して、読者から罵倒されるために作者がいるわけではないのだ。

 それはイラスト業界でも同じことで、だからこそ僕は許せなかった。

 その掟を知っている創作者であり、創作者でない彼女がかけがえのないクリエイターをどん底に叩き落としたことが許せなかった。


 夢花を末席の名に連ねさせたあの女を、僕は……絶対に許さない。

 静寂になった中、僕はある人物のもとに接近した。

 誰よりもせせら笑いしていて、誰よりも化けの皮を被っていた――間宮摩耶のもとへ。


「叶人くん……可愛そうだねゆーちゃん、大丈夫かな……(くすっ)」


「っ…………おい、いい加減にしろよ。体育館裏にアイツらを差し向けたのも、あの黒板も、なにもかもお前がやったのはわかりきってるんだよッ!!」


「え〜、なんのことかなぁ? 証拠でもあるのかなっ?」


 目を細めて、不気味な笑みを浮かべる間宮さん。

 怒りを少しでも発散させるため、拳を強く握る。そうでもしないと手が出そうだった。ムカつく、腹が立つ。こんなにも気分が悪いのは久しぶりだ。


 枷が外れたのか、ふつふつと怒りの感情がオーバーヒートしていった。


「金曜の手紙を渡すタイミング、あまりにも都合が良すぎなかったか? それに手紙の文字、見覚えがあったんだよ。勉強会をしたときの君の文字とそっくりだったのは僕の記憶違いか? あの手紙はまだ処分していないから、確認したいのなら帰った夢花に撮らせて送らせるよ。ちょうど帰宅したころだろうからな」


 流暢に論すると、間宮さんの顔が曇った。

 クラスメイトからも衆目を集める。


「……たまたま文体が似ていただけって可能性もあるじゃん」


「可能性なんて言う時点で、自分がやったと証言してるもんだぜ間宮。お前はそんなダサいやつだったのか?」


 優雅も横入り参加する。

 言葉の揚げ足を取るのがなかなか上手い。これもミステリー小説の効力か、はたまた主人公のセリフをパクっただけなのかは定かではないが、助力を促しておいてよかった。


 苦し紛れに「うるさいゴミムシが……」と、間宮さんは八重歯を見せる。


「なんなら、間宮さんに肩貸したあの男どもから強引に証言を得てこようか? きっとすぐに吐き出してくれるよ」


「っち…………はぁ、そうだよ。全部わたしがやったんだよ」


 もとより、夢花がイラストを描いていることは僕を除いて君しか知らなかったんだから、問いただすまでもなかったけど。


「やっと白状したか……で、動機はなにって問い詰めたいところだけど――間宮さんが中学までイラストを描いていた――のは折り込み済みで説明してくれよ」


「っ――!? な、なんで知ってるのっ!? わたしだって誰にもそのことは話してないのに!」


「――山屋真美、って名前に聞き覚えはあるよな?」


 瞬時に間宮さんはビクリと肩が上げ、青ざめていった。


「そのプロフィール名を見て、違和感を覚えたんだ。答えを導き出すまでにそう時間はかからなかったけど……ひらがなに直すと、文字を並び替えると間宮摩耶になるって」


 なんでかな、こう僕の周りには本名を取って並び替えるだけの簡単な作者名にする人が多いのは。


 内心くすりと微笑みながら、饒舌に二の矢三の矢を放った。


「この土日を丸々費やして山屋真美について調べてたんだ。なかなかに苦戦したけどその結果、山屋真美のツイッターアカウントを発見した。そこで彼女の絵描き歴や、中学生コンテストで受賞しておきながらなぜ姿を消したのか、全てわかったよ」


「消したつもりだったんだけどなぁ、あのアカウントは……まだ残ってたなんて……」


 僕の話しの意図を、彼女だけは的確に理解していた。クラスのじゃじゃ馬どもはこれっぽっちも理解が及んでいないだろう。

 少し間をおいて、間宮さんは自白しだした。


「そうだよ、妬みだよ。わたしがゆーちゃんを貶めたのは、ゆーちゃんの作品が才能で溢れてたからだよ」


 諦めたように、間宮さんは自分の机を大きく叩きつけて吐き出した。


「すごい完成されてたんだよ、あの作品は。キャラクターが綺麗だった、少しも線画は歪んでなくて、遠近感の表現も上手で、才能の差を肌で感じたの。あのゆーちゃんの作品以外は、受賞してしてないようなもんだよ……」


「とどのつまり、嫉妬心でこんなつまらないことをしたってこと?」


「書き手の叶人くんにはわかんないよ、わたしの気持ちなんて……絵を描き始めてさ、かなり勉強して、それでコンテストに挑戦して打ちのめされて……才能なんてモノがあるから、不平等で生きずらいの。だから、私は絵描きを辞めた」


「………………」


 そうか……ツイートの内容から薄々感じてはいたけど、やっぱり……。

 悔しい、ムカつく、ズルい。そんな負の感情が募り、この一件を引き起こしてしまったわけか。


「わかるよ。僕もそうだったからな……でも、それでも、他人を貶していい理由にはならないよ。どれだけ惨めになろうが、苦しい思いをしようが、前進できないやつはそこで成長しなくなるんだから」


「……さい……うるさい、うるさいうるさいっ! 黙れ、書き手風情がわたしの気持ちなんかわかるもんかっ!」


 机の中から教科書を取って投げつけてくる。

 ここまで自棄になられては、もう聞く耳も持っていないだろう。


「叶人……ここまでだな」


「ああ、そうだね……これ以上、優雅にだけ物が当たるのも流石に可愛そうだ」


 事が終わり、それぞれが自分の席に戻ると粛然とした。

 ただ、雨が強く打ち付ける音だけがやけに響いたのだった――。

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