第6話 義兄がカッコイイ!?
「ほぉ……」
振り返ると、叶人が駅構内のポスターを眺めていた。
「ね、ねぇ……ちょっと、子供じゃないんだから……っ」
隣に義兄の存在がないと思いきや、小学生みたいに恐竜の広告を興味津々に見入っていた。
普段は大人ぶっているのに、急に子供っぽくなるきらいがあるのが玉に瑕だ……もったいない。
服買ってくれたり、さり気なく歩道側を歩いたり、色々と気配りを利かせてくれるのに……高くなったポイントがダダ下がりだよ。
せっかく男女がデートしている最中の、最高の構図が閃きそうだったのにっ!
カラオケでiPadになんとなくラフの線画を描いたけど、それも結局ボツにしちゃったし……。
コイツの近くに居れば少しでも収穫を掴めると思ったが、欠片も成長に繋がりそうにない。
「いや……なにか掴めそうなんだ。霞んでるモヤが、晴れそうな……」
ぶつくさと独り言を呟き始める叶人に、私は違和感を覚えた。
「なにかが降ってきそうな、そんな気が…………」
「……………………」
「恐竜、か…………博物館と、あとなにかが揃えば…………」
…………なにそれ。なにそれ。なにそれ。
焦点か合っていない叶人は、ポスターではない茫洋とした、"なにか"を見つめていた。きっとそれは、私もよく知っているもので、私の手では届かないものだ。
瞬間的な発想でしか手に入れられない、"なにか"ということだけ私にもわかった。
「…………違う、それじゃない……それじゃあ足りない……」
……なによ、それ。
……叶人には、なにが見えてるっていうの。
「(…………これが天才、か……)」
壁を感じた。
叶人の後ろ姿さえ、感じさせない大きな壁。
雑踏とした人混みの中で、ただ一人。
私だけが叶人の並外れた才能を肌身で触れた。
こんなものを知るために、付いてきたんじゃないのに……才能を羨むために来たんじゃないのに……才能を妬みたくなんてないのに……。
私は悲壮感に苛まされた。
「もっと、もっと…………」
「す、すとーっぷ! もう予約の時間が迫ってきてるからぁー!」
「あ……ごめんごめん、行かなきゃね」
「うん……」
叶人は再び歩を進めるが、私は足枷を引きずって歩いているかのように、足取りが重くなってしまった。
……最低だ。
創作者が創作者に嫉妬することなどよくあることだが――邪推な行動に移してしまうのは、クリエイターとして失格だ。
過去一番の罪悪感に襲われ、自責の念に駆られ、心が苦しくなった。
あぁ…………私って、醜いな…………。
こんなことなら、義理の家族になるんじゃなかった。こんなことなら、義理の兄妹になるんじゃなかった。
こんなことになるなら……イラストなんて描かなきゃよかっ――
――ペチンッ!
私は私の頬を両手で叩いた。
「ゆ、夢花……? バカだバカだと思ってたけど、ついに頭までおかしくなったのか?」
「おかしくなーいっ!!」
弱気になっちゃダメだ。
私にだって、微かだが才能はある。あとは沢山努力したらいい。指針が定まって、むしろ喜ぶべきだ。そして追いつく、いや、追い越したらいい。
私は叶人にあっと言わせてやることを、心に誓ったのだった――。
***
「着いたよ」
叶人が指さした。
「(あっ、え〜〜っ!? た、高くないここのお店!?)」
あっ、と言わされた私だった。
レストランっていうから、ごく一般的な家庭が訪れるチェーン店かと思ったのにー!? なにこの高位階級の人族が集まりそうなお店はー!?
叶人の父は社長だった、なんて事実を今更ながら思い出したがもう手遅れだった。
重たそうな木製の扉を叶人は押し進み、冷や汗をかいた私はそれに続いた。
「………………(どうしよう)」
受付の看板に記されたメニューを見ると、食べ飲み放題のお店のようで一番値段の低いコースからでも5千円からだった。
財布と相談なんてことも敵わないし、私の財布には相談する余裕すらなかった。どうしよう……。
「予約していた佐伯です」
「はい、スペシャルコースでご予約のお客様ですね――」
す、スペシャルコースぅ!?
それ一番高いやつじゃん!? 一人1万円っておかしくないっ!?
やばい、足が震えてきた……キモチワルイ……。
店員さんに案内され、私たちは個室に向かう。
黒染めされている、見るからに高級そうな木製のテーブルとイスに腰をかけた。
「――ステーキ、ハンバーグ、ローストビーフを10g単位で注文できるから。好きなだけ頼んでね……って、どうかした?」
私の濁りきった表情を汲み取ったのか、叶人は「あぁ」と納得したように声を出した。
「言ってなかったけど、僕の奢りだから」
「…………ふぇ?」
お、おごり……? 今、奢りって言った?
「僕持ちでいいから、好きなだけ食べて」
間違えじゃなかった……?
「あ、ありがと……でも、いいの……?」
素直に受け取るべきだとわかっていても、遠慮の気持ちがそうさせなかった。
二人合わせて2万円。ラノベなら軽く数十冊は買えるだろう。
そんな痛手を負えるほど、私たち高校生のお財布事情は優しくない。それなのに、この義兄はあっさりと「いいよ」と答えたのだ。
「僕、夢花の所持金の100倍は貯金あるから」
「は? 頭でも打ったの?」
「やっぱ割り勘に――」
「いやーっ、叶人様はすっごく頭いいですねっ!」
「綺麗な手のひら返しだな……」
仕方ないじゃん。割り勘になったら、お母さんから借金しなくちゃいけなくなるもん。
でも、もしその話が本当だとするのなら、叶人の貯金額は30万円以上もあるということになるが。一体、どうやってそんなに……。
叶人の部屋を覗いた限り、本ばかり買って貯金できるタイプではないのは自明だ。
しばし考えてから、思考ロックした。目の前に豪華な食事が待っているというのに、肉好きの私が我慢出来るはずもない。
適当に盛り合わせで注文し、運ばれてくると、
「「いただきます――」」
私と叶人はすぐさま手を合わせ、それを頬張った。
「ううぅぅぅ〜〜〜〜っ、美味しいっ!!」
衝撃が走ったと言わんばかりに、私は舌鼓を打つ。
「うんっ、美味いね。来たかいがあったよ」
叶人の舌も唸ったようで、口角が少しだが上がっていた。
「私、口直しでサラダとポテト欲しいっ! どっちが多く食べれるか勝負ねっ!」
「望むところだ。義妹に負けるわけにはいかない!」
注文用のタブレットから幾つかサイドメニューを選び、私は烏龍茶をゴクリと飲んだ。
さすがは最高位コースなだけあって、肉以外のメニューも豊富である。ここにもタピオカあるし。
和気あいあいと叶人と駄べり、どんどん肉を胃に収めていく。
私はハンバーグにケチャップを付けていると叶人がフォークとナイフを置き、代わりにスマホを手にした。
「急にどうしたの?(もぐもぐ)」
「君はその食べながら話す癖を直した方がいいよ……ネタが浮かんだから、メモってるだけ」
へぇ、こんな時でも……。(もぐもぐ)
それより――
「私ってそんなに行儀悪い!?(もぐもぐ)」
「そんなどころかとても悪い」
ズバッと言葉の刃が放たれた。
「うっ……」と呻き声をあげ、苦しむように胸元を抑えた。演技だけどねっ!
「こ、心に深い傷を負いましたぁ……叶人のせいでもうしばらくイラスト描けないかもしれません……」
「あっそ。その間に僕は先を行くから」
たった三文字で私の演技は看破された。むぅ……。
「さ、先に夢を叶えるのは私だからねっ! 私が先にプロになるから!!」
「ん……? 僕の夢はプロになることじゃないぞ……?」
齟齬をきたしたのか、叶人は渋面になる。
「え……? ラノベ作家になることが夢じゃないなら、なにが夢なの?」
素直な疑問だった。
プロは一種のスタート地点というが、完全なゴール地点だ。
プロになれば自分の作品が全国の書店に並ぶというのに、そのゴールを夢と言わずになんと言うのか。
「僕の夢は……――」
一瞬、躊躇したようにも思えたが、叶人はキッパリと告げた。
「僕の作品の絵を描いてくれる、美少女イラストレーターと結婚することだ」
ふむふむ、つまりは――
「それって私への告白っ!?」
「どうしてそうなった!?」
「ほら、私って可愛いし〜? 絵も上手だし〜? ついでに義理設定だし〜?」
「否定できないのがムカつくな……」
「ふっふっふ〜、こんな妹を持てて叶人は幸せものだねっ!」
義兄は「うぜぇ……」と面倒くさがっているが、そんなことは気にもとめず私は新しく注文したノンアルコールのカシスオレンジを呷った。
「あっ、もしかして……私が叶人の担当イラストになって、結婚を拒み続けたら叶人の夢は叶わなくなるんじゃあ!?」
「とんだ性悪女だなッ! 君なんかにプロポーズするかぁ!」
ちぇー、っと私はフォークでステーキを刺した。
はぁ……私って、そんなに魅力ないかなぁ……おっぱいないからかなぁ……。
「おっぱいマッサージしたら少しは大きくなるかなぁ……」
メロンパンサイズくらいのそれを揉みしだくと、叶人がバツが悪そうに目を逸らした。
ふーん? ふっふーん? なるほどなぁ〜?
なんだか妙に心が高ぶってきた私は、ドリンクを口に含んで叶人に追撃した。
「寄せたら大きく見えるよっー! ほらぁ!」
谷間を作るように、左右から圧力をかけると叶人はむせ込んだ。
えへえへ、ざまぁーみろっ!!
慌ててお茶を飲み、落ち着こうとしているところを私は逃さなかった。
「どう? 叶人も触ってみる〜? 今なら特別に――」
……あれ? 私、今なんて言った?
まぁいいか。ノリに乗ってきたこの調子を崩すわけにはいくまい。
「はあぁぁぁぁっっっ、あっっっついぃ〜、これ脱ごうかなぁぁぁぁっっっ!!」
「君、なんか顔赤くないか……って、まさか!?」
叶人が私のカシスオレンジのグラスを手に取り、匂いを嗅いだ。
すると、途端に視界がボヤけてくる。
「……手遅れか。やけに飲むペースが早いと思ったら……」
「あれ、叶人どこにいるの……っ」
なんだか頭が痛くなってきた。
目蓋も重くなってきたし……すごく、眠た……い……。
――パタン。
テーブルを枕にして、少し意識は残しているものの私は船を漕いでしまった。
「ただでさえ可愛いんだから、勘弁してほしいよ……普通はアルコールが混ざってたら気づくだろうに……バカな義妹だな……」
義兄は私の分まで肉を食し、店員を呼んだ――そこからの記憶は、ない。
***
頭に温もりを感じた。
小学生の頃に亡くなった、父親に撫でられたような優しい温もり。
交通事故に巻き込まれて鬼籍に入った父だった。当時、それはとても悲しんだが、今になって引きずっているということも別段ない。
ただ、そんな優しい温もりに当てられて、久方ぶりに記憶の引き戸が開けられた。
ゆっくりと目を覚ますと、そこには――
「っ……お、おはよう夢花」
なぜか焦っている、偏屈な義兄がいた。
身体が少し揺れていたが、それはタクシーに乗車していたから……って、状況が把握しきれない。
どうして私がタクシーなんかに……はっ!? それよりお肉はっ!?
そうだ……なんとなくだが思い出してきた。
食事中に、多分酔っちゃって、それで……お、おっぱいを……。
「うぅ〜〜〜〜っっっ」
顔に熱が篭もっているのを、ハッキリと自覚した。
「ったく……子供があんなのを飲むからだよ」
「……さ、触ってないよね…………?」
「…………そういうのはせめて、もう少し成長してからにしてくれ」
「………………うざい」
私は安堵し、あまりにも距離の近い叶人から少し離れた。
「ねぇ……私の、頭撫でてたでしょ……」
「さ、さぁ……気のせい、じゃないか?」
「ほらっ、目逸らした! 眠れる美女にセクハラするなんてサイテーっ!」
「タクシーに乗るやいなや、君だって僕の肩を枕にしてただろ!? お互い様だ!」
「なっ――!? それ叶人の幻覚だからぁ!!」
しばらく丁々発止を繰り返して、帰宅した。
タクシー代は、叶人曰く「半ば脅迫しながら交渉してタクシーチケットを貰ったから」とタダで済んだらしい。お店の人がアルコールの入れ違いをしたのだろう。
物書きだからか、そういうところは頭の回転がいいようだ。
私室に戻ると、ベッドに飛び込んで顔を枕に沈めた。
…………カッコよかったな。
元々、ルックスのポテンシャルは直樹さん譲りで高いのだ。
「あ……お礼、言ってないや」
すっかりと忘れていたのでラインで『ありがと』とだけ送っていた。
見た目が良い上、非常に気配りができる性格で、私には憎まれ口を叩くけど性根はとても優しい。
ほんのり異性として見てしまったが、恋心とは呼べない。単純にイラストの一枚絵として見ていただけなのだ。きっとそうだ。
それでも、"義理の兄妹は結婚ができる"という雑学が私の脳内を蝕んだ。
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