第22話 禁断の依頼 2

 静謐な空間に、味噌汁をすする音が響く。

 今日は玉子焼きと味噌汁とごはん。加えてお刺身もついている。ハストンには、「魚をなまぁっ!?」と何度もドン引きされたけれど、最近はそんなこともない。

 ダンジョン産のブリは美味しいし、タコも美味だ。異常に大きいので探闘者にとっては危険な狩りになるらしい。

 その割に、食べる人が少なくて物好きな店主がきまぐれに出品する程度なので、意外と高級品だったりする。

 いずれ機会があれば、僕が釣りに出かけたいと思っている。


「ハストン……どうかな?」


 トンっ、高い音が鳴った。

 ネギを切ってなかった、とぶっきらぼうに包丁を鳴らし始めた彼の顔はとても険しい。

 湧き立つ焦りや怒りを必死に抑え込もうとしているようだ。

 僕は、もう一度訪ねた。


「ねえ、ハストン……どうかな?」


 聞こえてるのはわかっている。

 カウンター越しに声をかけているのだ。聞こえないはずがない。

 がん、と山もりのネギを乗せた小皿がカウンターに乗った。新鮮なネギの香りが食欲をそそる。

 が――奥からのぞく視線はとても怖い。


「いいわけないだろ! ルルカナに紹介したいだあ? ハルマと同じ歳のやつを? 六年も離れてるだろうが!」

「ちょっと、落ち着きなよ……口は悪いし、目も血走ってるよ」

「落ち着いていられるか! ルルカナは俺の娘だぞ!」

「知ってるって……」

「まだ十歳だぞ!? 男なんて早すぎる!」

「いや、一応顔つなぎだけって――」

「顔をつないでどうなる!? どうせ、すぐ手をつけようと狙ってやがるんだろうが。……この瞬間もルルカナの背後を……こ、殺す。<黒鋼の鎚>」


 このパパ、ダメだ。話が通じない。

 娘を溺愛してるのは知ってるけど、こうまでひどいとは。

 ルルカナの親離れより、親の娘離れが深刻だ。

 それに、<黒鋼の鎚>を本気で構えるんだから。この場で振り下ろせば周囲はがれきの山になるってわかるだろうに。


「わかった、わかった。当面は、僕がのらりくらり機会を引き延ばすよ」


 玉子焼きをひと切れ、ひょいっと口に運んで味わう。怒り狂っていても、味は正確。今日もすばらしい仕上がりだ。

 この世界に転生して、ハストンに出会えてとても良かった。

 色んな意味で、ここは僕のオアシスだ。


「……悪いな、ハルマ。あいつにはまだ早すぎる。そういうのは、もっと経験を積ませてからだ」

「気にしなくていいって。『偶然』に、僕が話を聞いただけだから」


 ――言えないな。

 僕が女子との場のセッティングを条件に、紹介を引き受けてしまったなんて。

 ばれたら、ハストンに殺される。

 でも、ほんとにルルカナだって知らなかったんだよ! あのカッツが十歳に惚れるなんて思わないだろ!


「それにしても、報告してくれて助かった。やっぱり学校ってやつは危険が多いな。ガードでもつけたいくらいだ」

「そ……そうだね……ほんとうに……」


 お椀をかたむけて、味噌汁をごくりと飲み干した。

 底に残った、溶け切っていない味噌の塊がのどを落ちていった。辛い。


「なあ、ハルマ」

「なに?」

「そういえば、お前、まだ女にモテたことないのか?」

「ごほっ!? え? え? どうしたの急に? そりゃ……ないけど……」

「そうか。いや……ふと思ったんだ」


 ハストンが眉をぎゅうっと寄せてから、ため息をついた。

 苦渋の決断をしたような顔が、ダンディさを引き立てている。何やってもかっこいいのはずるい。


「もし、ハルマが……その……どうしてもモテなくて、ずっと独身でいるって決めたら――」

「怖いこと言うのやめてよ。まだ十六だよ? 望みは――」

「いいから聞けって。もし、そうなったら……俺は…………構わない」

「ハストン?」

「前の世界からの付き合いだ。ハルマのことはよーく知ってる。娘が、もし……気があるなら……」

「ルルカナのは、そういうのじゃないよ」

「ハルマ……」

「ルルカナは、ハストンに抵抗してるだけだと思う。まだ、十歳だよ? ルルカナも学校の成績はあんまりなんだってね……単に魔力が使える僕に仲間意識を抱いているだけか、幻想の兄に対するあこがれってところじゃないかな」

「だが……」

「さあて、食事も終わったし帰るよ。ハストンもそんなに気にかかるなら、もっとルルカナと仲良くする方法でも考えた方がいいんじゃない? 反抗期がなくなるほどにさ」


 僕はそそくさとコートを羽織って片づける。カウンターにお椀と皿を戻し、あっけにとられるハストンの前にお金を置いた。


「じゃあね。あっ、明日はルルカナと市場を回る予定なんだ。それは許して。この前のお礼だし」

「あっ、ああ……」


 ばたんと背の低い扉を閉めた。物悲しさが漂う空気が消えて、ほっと息を吐いた。

 ちょうど星がまたたき始める時間だ。

 細い路地を抜けて、大通りに出た。


「無理してるなあ。お父さんってのも大変そうだ」


 苦笑いが顔に浮かぶ。

 強くてかっこいいハストンでも、娘にはかなわないらしい。

 一度も見たことが無い、泣きだしそうな顔をしていた。

 あんな顔はあまり見たくない。

 少なくとも、ハストンが気持ちの整理をできるまでは、カッツとの約束は先延ばしにしてしまおう。

 クラスメイトに溶け込むことは大事だ。女子との食事の場もほしい。

 でも、ハストンの顔を曇らせてまで必要ない。


「ごめんね、カッツ。あの子はダメだ。でも……ルルカナの気持ちだけは確認しておいた方がいいか。カッツを知ってるって可能性はあるもんな」



 ***



「知らないし、無理」

「……まあ、そうだと思った」

「ハルマが声かけた理由ってそういうことだったんだ。てっきりナンパでもしてるんだと思って……ちょっといらっとしたけど」

「し、しないよ……でも、これはハストンには内緒だよ」

「うん。ハルマが出入り禁止になったら困るもん」


 ルルカナの視線が痛い。

 鋭いなあ。今の話だけで、ハストンが何をするかだいたいわかるらしい。

 彼女は「ふふふ」と蠱惑的な笑みを浮かべて、僕の片腕をするりと取った。

 今日は休日。

 ナーシィの件に協力してくれたお礼の意味もあって、ルルカナとデートすることになった。市場を回るだけだけど。

 でも、これが彼女のご褒美らしい。ナーシィと回ったところは全部回りたいと言ってるので、少し駆け足で行動しないといけない。

 まあ、ルルカナ相手だと、僕も気を遣わないから楽で助かる。


「これ、どう?」

「よく似合ってる」


 白いブラウスに水色のスカート。ちょっときわどい。

 くるりと回ると細い足が見えた。

 ハストンは知らないだろうな。もし見てたら発狂しそうだ。

 口笛を吹き、鼻歌を歌いながら、ルルカナは上機嫌だ。パインジュースの店では、「ナーシィよりがんばるから」といない人間に張り合って、全部飲み干してしまった。

 意地でも負けたくないらしい。

 僕にはいまいち理解できないけど、楽しそうなら何でもいい。


「え? ナーシィは仮面つけてたの!?」

「お忍びで出てきてたからね」

「それ早く言って! 私もほしい!」

「いや、でも用意してな――」

「仮面祭りがあるくらいなんだし、探せばあるって! いこ、ハルマ。走ろ!」

「ええっ? 仮面祭りはだいぶ先だし、ルルカナは別にいらないだろ?」

「ハルマとお揃いがほしいの! これから一緒に仕事するんだから!」


 ルルカナはどこにそんな力があるのかというパワーで、僕の手を強く引く。市場の人並みをするすると抜けて走る彼女は、とても速い。

 明るくて、元気で。笑顔がとびきり魅力的な子供だ。

 ハストンが大事にしたくなる気持ちがわかる。

 と、それはそれとして、聞き捨てならないセリフを聞いてしまった。

 僕と一緒に仕事をする?


「これにしよ、ハルマ! まあーっくろ!」


 ルルカナが両手にもって僕に向けた。片目しか空いてないのが珍しい。

 白い三日月が、塞いだ方の目から口元に大きく描かれている。


「私は、これ!」


 彼女が手に取ったのは、黒地に左上を交差点とする白十字の仮面。頬にはハートマーク。

 本当にペアで作ったのでは、と思える作品だ。


「いくらですかー?」


 彼女はサイズに満足し、僕の顔に仮面を当てて店主に尋ねた。

 防具を売る店らしく、種類は少ない。見つかったのが奇跡と思えるほどに。

 ルルカナはショルダーバッグから可愛らしい財布を出して、さっとお金を払った。僕は出す暇もない。


「はい、どうぞ!」

「ありがと。でも僕が出すのに」

「いいの、いいの。私がハルマに買いたかったから。それに……お仕事で、使えるかも……でしょ?」


 ルルカナは精一杯背伸びして耳打ちした。すべての事情を知っている彼女は、嬉しそうに微笑む。

「ウインドのパートナー」だから、と言われて僕は苦笑いせざるを得なかった。

 そして――


「ウインド?」


 との声に、僕は悪寒を感じて、がばっと振り向いた。

 長身の茶髪。クラスメイトの中で最もモテる男、ラールセンが仮面を取り落としてこっちを見ていた。

 また……か。

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