第19話 第七王女の冒険 6

 <強欲の天秤>の瞳が消えたのを見た。

 ぱっくり開いた金の玉の中に見えたのはがらんどうの闇。あろうことか、そこに、ナーシィが吸い込まれた。

 僕の隣に立っていた彼女はふわりと浮かび上がった瞬間に、物理法則を無視して小さな穴に消えた。


「間に合ってよかった」


 安堵の息を吐いた。

 吸い込まれる寸前にナーシィの足首に手を伸ばせて良かった。目もくらむような光が放たれたことは、今まで一度もない。

 彼女の隣にいなかったら、掴むことはできなかったろう。


「……ハルマ、大丈夫?」

「僕は大丈夫。ナーシィは? 痛いところない?」

「うん……ここ……どこだろ?」


 不安げな少女はゆっくり立ち上がって周囲を見回した。

 地面が真っ白だ。絵の具で塗りつぶしたような白。空も似たような色で、目が痛いほどに明るい。遮蔽物はなく、地平線まで延々と平らな地面が伸びている。

 一言で言えば、何もない。

 ふと、リンゴのダンジョンでの似た経験を思い出した。

 最奥の扉の中は別世界だった。そこまで歩いてきたオアシスや砂漠とまったく違う世界だった。

 たぶん、<強欲の天秤>が作った世界――ということだろう。

 前の世界でもとびぬけて不思議なアイテムなら不可能じゃないはずだ。

 ナーシィの視線を受け止め、僕も立ち上がる。

 すると――白い空が一際明るさを増した。


「『呪い』が最期にあがきたいそうだ。吾輩の経験でも初めてのこと。これは……珍しい」


 その声は、男とも女ともつかないもの。間違いなく<強欲の天秤>が言っている。この状況を面白がっているようだ。

 僕は、嫌な予感があたったなと思いつつ、首を回した。

 そこには、真っ黒なアリ塚のようなものが現れていた。


 ***



 ナーシィの目の前で、黒い塊がぐにゃりと形を変えた。真っ白な世界が、そこに闇を集めたようにも思えた。

 細長く伸びたと思ったら、頭が象られ、手足が生えた。

 その姿は、まさに自分と瓜二つだった。


「ナーシィ、僕がやるよ」


 ハルマの頼もしい声が聞こえた。彼は、片手に奇妙な剣を持っている。

 薄青みがかった刀身がどくんと脈打ったように見えた。


「ハルマ、待って」


 しかし、ナーシィはそれを止めた。

 止めないといけないと思ったからだ。


「私が……がんばるから」


 ナーシィは意を決して前に出た。

 その意気込みに、ハルマはふっと口元を曲げて「がんばって」と送り出してくれた。

 全身にじんわりと力が満ちていくような感覚が広がる。


「あなたが……私の『呪い』なの?」


 ナーシィはその一言と同時に、今までのことを思い出した。

 医者にあきらめ顔で「どうにもなりません」と言われたこと。その後、アントレットとミャナンの前で大声で泣いてしまったこと。

 いつの間にか、自分でも「どうしようもない」と諦めていた。


 それが、数日でひっくり返った。

 買い物係を募集したら、ハルマがやってきた。

 初めて出会った自分を見て、顔の紋様じゃなく「その状態で立っていて大丈夫ですか?」と体の心配をされた。

 自分の人生の中で、絶対に忘れることはないだろうと思う。

 そして、それ以上に彼はすごかった。

 引きこもりという殻をあっさりこじ開けてしまった。天と地がひっくり返ったほどに驚いて、今まで見ないフリをしてきた、たくさんの興味があふれ返った。

 わがままは、ハルマがかなえてくれた。

 たった一日。でも、パインジュースを飲み、ちょっと変わったラールセンと、しっかり者のアネモネに会った。

 ハストンという名のハルマとわけありっぽい大人と、ちょっと生意気なルルカナに出会った。思い出すだけで恥ずかしくなるような意地もはった。


(そっか……今、私は『呪い』にありがとうって思ってるんだ)


 そう思うと、全身から力が抜けた。目の前の真っ黒な自分を冷静に見つめた。

 端からぼろぼろ崩れている。

 きっと、消える寸前なのだと思った。


「何を伝えたいの?」

「オレガ……ソダテタ……カラダ。オマエ……ヲ……ツクッテヤッタ」


 たどたどしい発音だったけれど、黒いナーシィの言葉は聞き取れた。


「ダイジニ……シテキタ」


 ナーシィは素直にうなずいた。『呪い』が言いたいことが、なぜか心にすとんと入ってきたからだ。


「ありがとう。とっても感謝してる。でも……もう耐えられないから。外の世界を知っちゃったから。ハルマに連れ出してもらったから」


 ナーシィが両手を上げて、手のひらを向けた。


「オ、オ、レノ……カラダ!」

「あなたのものじゃない!」


 体の中のマナを操る感覚。

 それは『呪い』のおかげで自然と身についている。自然に排出できないマナを抑えるため、アントレットとミャナンにできるだけ心配をかけないため、産まれてから必死に自分で抑え込んできた。

 その結果、ナーシィが体に貯められるマナは多い。普通なら倒れるほどの量でも彼女は涼しい顔で立っていられる。今のマナを操るなど簡単だ。

 そして、放出する感覚もハルマに教わった。

 あの時と同じ。

 もう大丈夫。自分の体を覆っていた『呪い』の力は感じない。


「消えちゃえっ!」


 ナーシィは十年間の想いをぶちまけた。

 足の裏、頭のてっぺん、すべてのマナをかき集めるつもりで、手のひらに集中させ――一気に放った。


「ォォォォォォォッツ! ナ……シィィィィッ」


 光が途方もなくあふれ出し、黒いナーシィを押し流すように圧倒した。

 漆黒の塊がとうとう崩れた。

 腕や足がぼろぼろと崩れ去り、すべてが白い世界に戻った。

 ナーシィの胸の中がすうっと軽くなった。

 自分でやっつけた――という実感がひしひしと湧いた。


「ハルマ、私、『呪い』をやっつけたよ!」


 ナーシィはぴょんぴょん飛び跳ねて――気を失った。



 ***



 倒れかけたナーシィが僕の腕の中で気を失っている。小さく呼吸しているところを見ると心配はないだろう。

 体内のマナをあれだけ放出すれば、こうなるのも当然だ。


「にぎやかなお嬢ちゃんだな」

「十年付き合った『呪い』との別れだ。ナーシィもいろんなことを考えたはずさ」

「だろうな。あの『消えちゃえっ!』ってセリフは良かったぜ。惚れそうなくらいすがすがしい」

「セリフはともかく……あの技は使わないように言い聞かせないとダメだね。<強欲の天秤>に力を抜き取られた『呪い』は一撃として……」

「この惨状だからな」


 プニオンは「すげえよ」と感心しているけれど、ナーシィのマナの放出量は尋常じゃない。

 『呪い』は跡形もなく消しとんだし、白い大地は大蛇でも暴れたようにえぐれている。


「こんなの、同年代の友達に向けて撃ったら、武器の防御を貫いて死ぬかも……」

「ラッセルドーンなら、笑って弾くんじゃねえの?」

「あの人を基準に考えたらダメだ。ナーシィがまだ十歳だと思うと末恐ろしい……ルルカナもハストン並みの魔力を持っているし、僕の周りの子供は強すぎる」

「そのうち、ハルマと力関係が逆転したりしてな。二人のケンカを止めようとして、吹き飛ぶハルマか……それちょっと面白いな」

「恐ろしいこと言うなって……って、それよりも――<強欲の天秤>、いつになったら戻してくれるんだい?」


 僕は上空に向かって、大声を上げた。

 空の光が増した。


「もう良いのか?」

「十分だよ」

「ならば、戻そう」


 僕らは白い光に包まれた。

 気づいたときには、『おしゃべり妖精亭』の元の場所に立っていた。

 ハストンが幸せそうな顔で気を失ったルルカナの顔を眺めていたところに遭遇し、僕は気まずくなって視線を逃がした。


「ご、ごほん……ハ、ハルマの方は終わったんだな」

「まあ、おかげ様で。無事何事もなく」

「何事もないわけないだろ? <強欲の天秤>であんなことが起こるなんて初めてだぞ。こいつは『異空間に飛ばしたが、すぐ戻る』としか言わないし心配したんだ。やっぱりこっちで使うと副作用があるのか……って、ハルマ、その生暖かい目をやめろ」

「だって、ハストン……全然僕らのこと心配してる顔じゃなかったよね?」

「そんなわけないだろ。俺は、心の底から心配して――ハルマ? どこ行くんだ!?」

「二階貸してくれる? ナーシィはマナを使い果たして気絶してるし、ちょっと休ませるよ。ルルカナも床に寝かせるより、上に連れていったら?」

「そ、そうだな……俺としたことが……」

「最近、ルルカナと仲悪かったの?」

「……ま、まあ……前に話した件で、口聞いてくれなかったりで……」

「色々と大変なんだね」

「その一部にハルマも絡んでるがな」

「ん? 何か言った?」

「いや……」


 僕はナーシィを腕に抱えて階段を昇る。後ろからハストンがルルカナを抱き上げて続いた。

 廊下を抜け一番奥の部屋に。

 今は空き部屋で、旅に出ている奥さんが使っていたとか。もちろん詳しく聞くのもはばかられるので、突っ込んでは知らない。

 大きなベッドに、ナーシィを優しく寝かせた。パジャマはないけど、仕方ないだろう。しばらく寝たら目を覚ますはず。


「大きくなった……」

「そう?」

「ハルマにもそのうち分かる時がくる。子供の成長は一瞬だ」


 ハストンが感慨深そうに言って、ルルカナをナーシィの隣に寝かせた。

 こうしてみると姉妹みたいだ。


「ハルマはどうする? 地下室貸そうか?」

「前の世界のアイテム部屋はやめとこうかな……気づいたら転生してたとか、怖いから。色々副作用もあるみたいだし」

「冗談にならないところが怖いな」

「僕は、一階で寝るよ。ナーシィもすぐ起きるかもしれないし。あとで毛布だけ貸してくれる?」

「もちろんだ。だがその前に――」


 階段を降りながら、ハストンは僕の肩に手を回してきた。

 彼の年齢は僕よりだいぶん上になってしまった。

 でも、その横顔にはいつか見た前の世界の顔が浮かんでいて――


「久々に、飲み明かそうぜ。お前が持ってきてくれた金のリンゴとリンゴ酒でな。うまいぜ、あれは」

「あっ、早速食べちゃったわけ? 一緒に食べようって言ったのに」

「ほんのひと切れだけだ。今晩空いてるんだろ? 昔話でもしようぜ。俺の秘蔵の酒も出すからよ」

「仕方ないなあ……一応未成年だから、少しだよ?」

「心配すんな。この世界は十二で成人みたいなもんだ」

「そうだっけ?」

「細かいこと気にすんな。さあ、そうと決まったら大人のつまみでも作るわ」

「手伝おうか?」

「元パーティの料理番に任せとけ、リーダー」


 ハストンは朗らかに笑って、カウンターの奥に入った。よくわからないけど、センチメンタルな気分なのだろう。

 いいさ。たまに僕もそういう時がある。

 一晩くらいつきあうよ。


 僕らは、その後、昔話に花を咲かせながら飲んだ。

 そして、とても大事なことを忘れて、一階で酔いつぶれて寝てしまったのだった。

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