第20話 第七王女の冒険 その後
翌朝。
僕はまどろみの中にいた。いつの間にか床で寝ていたらしく、体のあちこちが痛い。ふと視線を巡らすと、離れた場所にハストンが寝ていた。彼は毛布もなく酒瓶を抱っこした状態でいびきをかいていた。
頭痛はひどいし、のどもからからだ。
何時まで飲んでいたか覚えていないほどの二日酔いだった。ハストンも似たり寄ったりに違いない。
けれど、そんな僕らは――
「あぁぁぁぁぁぁっっっぅぅぅぅう!」
建物内に響き渡った絶叫で、一気に覚醒した。
僕はすぐさま駆け出した。半秒遅れてハストンが続く。尋常な悲鳴じゃない。
何かあった。
ナーシィかルルカナか。どっちの悲鳴かもわからない。
二階の部屋の扉を勢いよく蹴破り臨戦態勢に入る。
すると――
「ハルマ、ルルカナが……」
と、ベッドの上で寝グセをつけたナーシィが困惑顔で振り向いた。
横になっていたルルカナが、「痛い、ほんとに痛いの」と泣きじゃくっている。
僕より先に、ハストンの安堵のため息が聞こえた。
「後遺症が一晩で来たのか」
「早いね。僕なら半日はかかる」
「俺なら完全に丸一日だ。……歳の差だな」
「あの、私……ルルカナにお礼がしたくて、握手を……」
おろおろと戸惑うナーシィに、ハストンが「大丈夫、大丈夫」と苦笑してベッドに近づいた。
そして、毛布をひっぺがして、ぎゅっと目をつむって痛みに耐えるルルカナに聞いた。
「それが、魔力を使い切った反動だ。危険だって言っただろ? あんまり動くな。大丈夫か?」
「こんなに痛くて、大丈夫なわけないでしょ!」
ルルカナが体を起こしかけて、目を見開く。そしてそのままバタンと倒れて転げまわった。
「痛い、痛い、痛いっ!」
「だから、動くなって言ってんのに。あっ、ナーシィ、心配するな。うちのルルカナはこういう体質なだけだ。ちょっと変わっててな……できれば内緒にしてくれると助かるが」
ナーシィがこくこくと頷いてから、ルルカナの耳元に向けて「昨日はありがと」と一言つぶやいて、ベッドを降りた。
「ゆっくり、休んでね」
「……ハルマのためだから、お礼なんていい。私の方が年上だし」
ルルカナは顔を隠すようにしてぼそりとつぶやいた。
ハストンが微笑を浮かべて僕に視線を向けた。こうなると治るまでには時間がかかる。今日一日は動けないだろう。
「ルルカナ、また体が治るころに様子を見にくるよ。力を貸してくれてありがとう」
「……うん」
ルルカナの小さな返事を聞いて、僕は踵を返した。
魔力使いの反動はきつい。少し動くだけでも激痛が走る。かと言って、僕がずっといてもどうしようもない。
多少、痛みを和らげることもできるけれど、それはハストンがやるだろう。お父さんの活躍を奪うわけにはいかない。
ナーシィの手を引いて、静かに扉を閉めた。
***
朝もやが出ていた。
日が昇り切っていない大通りは閑散としていて、人もまばらだ。もう少ししたら市場が開く。
この時間なら、学校にも間に合いそうだ。
「いや……ちょっと待てよ……」
ぞくりと背筋が震えた。酒を飲んで完全に忘れてた。
ナーシィに外泊させてしまったじゃないか。
『外を案内してきます。夜までには戻ります』なんて短いメッセージで、アントレットとミャナンの二人を放置してしまった。
「ハルマ……どうしたの? 顔が青いよ?」
「……い、急ごう。手遅れだろうけど」
僕は仮面をつけてから、素早くナーシィを抱きかかえた。「きゃっ」と小さな悲鳴をあげたが、今は気遣う余裕もない。
やばい。
やばいぞ。
今までの信用が水の泡だ。
「違うんです!」
僕は誰にともなく言い訳して、全力で駆けだした。朝もやすら吹き飛ばすほどの風が、大通りを舞った。
***
敷地内には難なく潜入した。
僕が慌てている理由に気づいたのか、ナーシィも固唾を飲んで抱っこされている。
窓は出てきたときのまま鍵が空いている。わざと開けてくれているのだろうか。
廊下側から入るべきとは思ったけれど、怖くてとてもじゃないが踏み込めなかった。
音もなく室内に忍び込み、ナーシィに着替えるよう指示を出す。
色々と回ったので、彼女の服の裾は汚れている。
あのアントレットが見逃すとは思えない。
「いや、僕は何を血迷ってるんだ? ナーシィに着替えさせても意味がないぞ……」
「ハルマ、その通りだぜ。むしろそのままの方が無罪を証明できたんじゃないか?」
「プニオン、無罪ってどういう意味だい?」
「お前がナーシィに手を出したって証拠を隠滅しようと――」
「出すわけないだろ!」
プニオンのからかいの言葉。ありもしない罪の捏造に、僕は慌てる。
と、奥の部屋に消えたナーシィが扉から顔だけ出して言った。
なぜか真っ赤だ。
「……シャワーも浴びてくるから。一日流してないし」
「う、うん。ごゆっくり」
何がごゆっくりだ。
こんな場面を見られたら誤解を与えるだろうが。
ポケットが震える。プニオンが笑っているのだ。
「これで、もう言い逃れできなくなったな。あとで聞かれるぜ? なぜ先にシャワーを浴びさせたって」
「だから、やめろって。それでなくても、アントレットさんには――」
「私が何か?」
「ひうっ!?」
氷のように冷えた声が、廊下側の入り口から聞こえてきた。なぜか冷気とともに、アントレットとミャナンが入ってくる。
よく見ると、二人の目にクマが見える。
もしかして一晩起きていたのかもしれない。
「おはようございます。ハルマ」
「お、おはようございます……」
「白地に黒い涙目の仮面がとってもお似合いですが、外していただいても? お顔がよく見えません」
「もちろんです、Ms.アントレット……何なりと言う通りに」
「では、そちらの椅子にかけてください」
アントレットが厳しい視線を丸テーブルの方に送る。
僕はぎくしゃくした動きで、腰を下ろした。対面に、二人が座る。
空気はとても冷たい。
「一通り説明していただいても?」
「すぐに! 難しい話ではありません。ナーシィがどうしても外に出たいというので、僕が案内しました」
「夜はどこにいましたか? お酒のにおいがしますが」
顔がぎくりと強張った。答えに友人の店の名前を出すわけにいかない。世話になったハストンやルルカナに王家が目をつけるのだけは避けないと。
酒も飲みすぎた。
「ハルマさん、夜までには戻るって……」
ミャナンの追撃が痛い。僕は確かにそういうメモを残した。
でもラールセンとアネモネに会い、呪いの解除方法に思い当たって予定を変更した。
「まさかと思いますけど……良くないお店なんかに出入りしていませんよね?」
「まさか! その点は信じてください! ナーシィの名前に傷をつけるようなことは決して!」
アントレットが瞳を細めて、奥の扉を一瞥する。
有無を言わせぬ恐ろしさを含んでいて、僕の背筋が震えあがる。
「なぜ、身なりを整えさせたのですか?」
「ナーシィがそう望んだからです……」
「そうだとしても、先に私たちに報告してくださるのが筋では? ことと次第によっては――」
何かやましいことを隠していないか。
視線にそんな意図が透けて見える。
これは本格的にまずいな、と考えた時だ。奥の扉が勢いよくバンっと開いた。
頬を膨らませたナーシィがバスタオルを体に巻きつけ、菖蒲色の髪からぽたぽた雫を落としながら出てきたのだ。
「ハルマは、何にも悪くない!」
「ナーシィ様、お帰りなさいま――へっ?」
間の抜けた声を漏らしたのはアントレットだ。僕に非難めいた視線を向けていたミャナンも、目を見開いた。
ナーシィが額に張りついた前髪をかきわけて、顔を見せた。
そこには、白い肌があった。
黒い紋様が一つもない、ナーシィの肌だ。
あっけにとられるアントレットに近づき、ナーシィが言った。
「ハルマが治してくれた。体も」
彼女は留めていたバスタオルを少しだけ外し、背中を露わにした。
腕も足も、全部白い。
アントレットが嗚咽とともに、ナーシィを抱きしめた。
すぐにミャナンが続いて、横から抱きしめる。
「理由はよくわかりませんが……こんな日が……こんな日が来るなんて……」
「良かったです……ナーシィ様……」
「二人とも、ありがと。『呪い』ってやっつけられるものだった。ね? ハルマ? あれ?」
きっとナーシィはきょろきょろしているだろう。
僕はもう窓の外に出て隠れた。
あの場面に僕は必要ない。ナーシィの言葉と、彼女の顔だけで、アントレットとミャナンは理解してくれる。
「ここからは、三人でゆっくり話すのが一番だ。僕はちゃんとナーシィを送り届けた」
「とかなんとか言って、色々と追及されると怖いからだろ?」
「……それもある。プニオンも、アントレットさんの目を見たかい? ぞっとするほど怖かっただろ?」
「付き人ってよりは親みたいなもんなのかね」
「かもね。ナーシィが治ったことを泣いて喜ぶくらいだもん」
「ハルマはこれで退散か?」
「そのつもり。それに……僕もあんまり学校を休むわけにもいかないから。三人と話していたら、登校時間に遅れる。行きつけのパン屋が閉まる前に昼食も手にいれたい」
「ちょっとは金があるんだから、たまには食堂でも行ったらいいじゃねえの?」
「ぼっちで言ったら虚しいだけだろ……」
「仮面つけてラールセンに声かけてみたらどうだ?」
「怖い冗談はやめてくれ……」
僕は眉をしかめつつ、その場から動き出した。
部屋の中から、アントレットとミャナンの張り切る声が聞こえる。「髪が傷んでいます」とか「体にけがは?」といった具合に。
寝ていないはずなのに体力がすごい。
僕は「ご迷惑をかけました」とつぶやき、姿を消した。
気だるそうな警備兵の姿を確認しながら、城壁を飛び越えて敷地外に出た。
陽光がまぶしかった。
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