第21話 禁断の依頼

 午前中の授業が終わった。

 今日は座学だけで実習がないのがすばらしい。外での模擬戦や体力測定は僕のメンタルに少なからずダメージを与えるからだ。

 教室でぶっちぎりにマナの扱いが下手で、量も限られる僕は、先生にもほとんど見放されている。

 暗がりや洞窟で力を増す短剣ノクトは、炎天下ではまったく斬れないし、生徒の武器が作り出すマナの障壁に傷すらつけられない。

 他の生徒が切磋琢磨して同格の戦いを見せる中、僕は訓練用のマナを帯びた木人形に打ちこみをするというメニューを与えられることが多い。


「かと言って、かっこつけて<千変鋼>を使えば、次の日は学校を休まないといけなくなるもんね……はあ……何とかこの魔力をマナに変えられないもんかな……」

「一回だけ、使ってみるってのはどうだ? 全員の度肝抜いて――」

「プニオンの言うことも考えたことはあるけどさ……度肝抜いて、その後どうするの? って話なんだ。きっと前の世界と同じだよ。祭り上げられて、あとに引けなくなるんだ。しかも、僕の場合はみんなと違って一回動いたら一回休みってハンデがあるからね。ほんと厄介な体質だよ……」

「まあ、そればっかりは――」


 プニオンが何か言いかけて口をつぐんだ。

 教室の扉ががらりと開いたからだ。

 ちなみに、室内にいるのはいつも通り僕だけだ。今日は行きつけのパン屋で新作マフィンが売っていたので、いつものプレーンと二つ買ってきた。

 飲み物は少し変わったぶどうのジュース。なかなか手に入らなかったのに、今日は一本だけ購買に残っていた。


「よっしゃ、ハルマ一人だな。話をするならやっぱ昼休みだな」

「カッツ、どうしたの? 僕に用事?」

「ちょっと、頼みがあってな」

「僕に?」


 自然と目が丸くなる。僕がカッツに頼むならまだしも、彼が僕に頼むようなことは思いつかない。

 商家の長男として、手に入らないものはないだろうに。

 成績最下位に勉強教えてとか、技を教えてってのもないだろう。

 カッツが隣席の椅子を引いて腰かけた。

 気まずそうな表情と、あたりをはばかるような様子が珍しい。

 いつも、「何だって用意してやる」って自慢げな態度の彼はどこにもいない。


「ハルマ……お前がいつも食べてるパン絡みの話なんだ」

「これ?」


 僕はちぎったベーグルを持ち上げる。口に放り込む前の何の変哲もないパンだ。

 カッツがぽつりぽつりとしゃべりはじめた。


「そこのパン屋はさ、うちの家と付き合いがあるんだ」

「え? そうなんだ……」

「俺もちょっと仕事手伝っててな。たまーに納品に行ったりするんだわ」

「全然知らなかった」

「だろ? まあそれはいいんだけど……この前、そのパン屋の前を通ったときにな――」


 カッツがなぜか気恥ずかしそうに額をかいた。

 彼のこんな顔は初めて見る。


「めちゃくちゃかわいい子がいたんだ」

「……へ?」

「もう天使みたいな子でさ。思わず俺は足を止めた」

「……う、うん」

「よく見れば、その子が買ったパンは、ハルマがいつも買うそいつだ」

「これ?」


 僕は嫌な予感がしつつも、ベーグルに視線を落とす。本当にただのプレーン味だ。

 カッツの視線が何かを思い出すように遠くなる。


「パン屋のおっさんにさ、『これもどうだい?』って違うパンをすすめられて、その子なんて言ったと思う?」

「さあ……」

「『一個分しかお金が無いので』って言ったんだ!」

「へえ……僕と似たような境遇かな」

「その声が、すげーきれいなんだ。俺は、思わず震えた。この子の力になりたいって!」

「わかった……わかったから、ちょっと近い」


 熱く語るカッツの瞳は僕の知ってる瞳じゃない。熱という熱をすべて集めたような――はっきり言えば暑苦しい。

 カッツってこんな情熱的だったんだ。

 あれ? そういえばどこかラールセンにも似てる気がしてきた。


「で……僕に頼みって?」

「その子との橋渡しをしてほしいんだ」

「えーっ!? 無理無理っ! 僕だってそんな子知らないよ! パン屋で誰とすれ違ったかなんて覚えてないって」

「わかってる! でも、ハルマならあのパン屋に毎朝通ってるだろ! その子も制服着てたから、時間さえ合わせれば、近づけるはず」

「ち、近づくっていうか――」

「ハルマに接点を作ってもらって、俺を紹介してもらう」

「無理無理無理っ! 僕にそんな器用なことできるわけないじゃん! 絶対、怖がられて逃げられるって!」

「大丈夫、作戦は考えた。その子がパンを買っているところに、ハルマが偶然パンを買いにくる」

「それ偶然じゃないって……」

「見ると、その子はハルマと同じベーグルを買っている。『僕もそのパン好きなんだ』、にっこり」

「作戦、雑っ! にっこりじゃないよ!? 難易度高すぎるし、カッツがやればいいだろ!? なんで僕が!」


 僕は大混乱でそう言った。見知らぬ女子に声をかけて、しかもそのあと自然にカッツを紹介するなんて高等技術は持ち合わせていない。

 そういうのはスクールカースト上位の面々だけだ。

 ラールセンなんか最適だ。

 カッツの視線が、さまよって落ちた。


「……出会いってのは、大事なんだ。俺の経験上、友人の紹介ってやつは結構うまくいく。俺が逆の立場でも、初めて会う人よりは警戒心が薄くなる」

「そ、そうなんだ」

「ガードの固いところに行くより、ハルマを通じて緩んだところにすっと入り込む。ハルマは人畜無害な顔つきだし、ぎらぎらしてないから、相手は安心する」

「……僕のメンタルダメージが大きいんだけど」

「無理を言ってるのはわかってる。だから、それ相応のお礼はする。俺の全力をかけて、近いうちにハルマが望む相手との食事会をセッティングする」

「え……僕が望む相手と?」

「誰がいい? アネモネか、ミツかチルル? ユイでも、ターニャでもいい」

「な、なんでターニャの名前まで……」

「あいつ、よくハルマを見てるから、何かあるのかって思ってるんだけど違うのか? まあ、ともかくなんでもいい。ハルマが全員っていうなら、全員でもいい。どうだ?」

「ど、どうだって言われても…………そんなこと、できるの?」


 ああ、僕は何を聞いてるんだ。

 カッツの話に乗ってしまった。

 心境を悟られただろう。彼の表情がにまにまとほころんでいった。

 こうなると形勢逆転だ。


「ハルマ、言っとくけどこういうのは早い者勝ちだぞ。いい商品には誰もが群がる。商家にいると嫌でもわかる」

「いや……そ、それとこれとは別だと……」

「ハルマは、パン屋でちょっと声をかける。俺は、お前の望む女子との場をセッティングする。苦労せずクラスの四強と場をもてるなんて、なかなかないぞ? できるのは、あのラールセンくらいだろう」

「ほ、ほんとにその子にカッツを紹介するまででいいの?」


 僕はとうとう折れてしまった。

 こんなチャンスはめったに無いと思ってしまったからだ。クラス内で声をかけるんじゃなく、あのよく知ったパン屋の前で偶然を装うだけでいい。

 いや、でも、どうやってカッツを紹介する?


「難しかったら、何度目かの出会いで俺を連れていってくれればいい。一緒に登校してるんだ、って感じで」

「なるほど……それなら、僕にもできるかな……」

「やってくれるか!」

「……がんばってみるよ」

「助かる!」

「カッツって、意外と情熱家なんだね。もっと……なんていうか、冷めてるような感じかと思ってた」

「そうか? まあ、でも……こんな気持ちになったのは初めてかもな。あの子の横顔を見て、声を聞いたときに、なんか熱くなったんだ」

「……それ、言ってて恥ずかしくないの?」

「別に。ほんとのことだからな」


 カッツは平然と言い切った。本当にそう思っているのだろう。

 人前で女子をべた褒めするなんて行為は、僕には無理だ。

 気持ちをストレートに表すって意味で、この世界は進んでいる。カップルは人目を気にせずべたべたするし、木陰でキスをしている場面にも何度か出会っている。

 そのおかげで、ぶつかっちゃうことも多いみたいだけど、結構さっぱりした性格の人が多くて大事にはならないらしい。


「あと、ハルマ……もう一つだけ頼みがある」

「えっ? も、もう無理だよ……声かけるだけでもいっぱいいっぱいなのに」

「いや、そういうんじゃなくて……その子を好きになるなよ。俺が先に目をつけたんだからな」


 カッツの真剣な表情に、僕は首を縦に振った。

 カッツが一目で気に入った人か。彼の好みは全然知らないけれど、横顔を見て気に入るくらいだ。きっと美人なんだろう。

 商家の長男ともなれば、女子の側から寄ってくる。

 そんな彼に気に入られた人。

 個人的にはとても気になるね。



 ***



 翌々日。

 もやが出ていて視界が悪い。

 僕らは、パン屋の対面にある店の角で、その子がやってくるのを待っていた。

 カッツの行動は早い。

 あんな美人は誰に目をつけられてもおかしくない、と熱く語るので、僕がしぶしぶ折れた形だ。

 もう少し声かけの練習をしてからが良かった。

 家でプニオンを相手に色んなパターンを練習するつもりだったのに。

 なんで、俺がそんなばかばかしいことに――と不機嫌そうに拒否したプニオンだったが、僕が肩を落として、鏡の前で「ここにはよく来るの?」とか練習していたら、「協力してやる」と言ってくれた。

 でも一日しかできていない。

 カッツは「こういうのは勢いで」と言うけれど、初対面の女子と雑談できるほど、僕のコミュニケーション能力は高くない。


「名前も知らないところからか……怖いなあ……」

「ここまで来たんだ。がんばってくれ。後々の合コンのために」

「……うん。でも、僕、その子の姿すら知らないけど。髪型とか特徴とかは教えてくれないの?」

「昔、それで失敗して別人と間違えたから前情報は言いたくないんだ。俺が、ちゃんと指さして教えるから」


 僕の心臓がどくどくと高鳴っている。耳奥で音が聞こえるほど。

 緊張はピーク。

 そして、今さらながら考えた。

 見知らぬ子に声かけができるなら、クラスの女子に声をかけるほうがハードルが低い気がする。


「でも、それだと変な勘違いされるしなあ」

「しっ、来たぞ、あの子だ」


 カッツの声が上ずっている。朝もやの中で、上げた腕が一直線に女の子を示す。


「頼んだ、ハルマ!」


 バン、っと背中を叩かれて角から出た。

 僕はぎくしゃくしつつ、足を運ぶ。まるで膝が凍り付いたように曲がらない。きっとブリキ人形みたいな歩き方だと思う。

 本当に制服を着ている。育成校の生徒で間違いない。

 身長は低めで、僕より小さい。

 彼女は小さな手に大きいベーグルを一つ持っていた。


「ベ、ベ、ベーグッル、お、お好きなんです?」


 かみかみだ、バカ。ちっとも練習の成果が出なかった。

 ポケットでプニオンがきっと大笑いしている。ブーブーとバイブレーションのようにうるさい。

 仕方ないだろ。初めての経験なんだから。こんなの緊張するに決まってる。


「ん?」


 束ねた髪がふわりと揺れた。

 さらさらの銀髪。彼女はゆっくり振り向いて、訝し気な瞳を向け――


「ハルマ?」

「……ルルカナ?」


 よく知る僕らは、時間が止まったように見つめ合った。

 張りつめていた緊張が、音をたてて崩れ落ちていった。

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