第18話 第七王女の冒険 5
「遅かったね……」
「待たせて悪かった……意外と奥に片づけててな」
「この前、一緒に入った時は手前に置いてたけど。右手の棚に置いてたよね?」
「い、いや……あれから……使わないと思って奥に片づけたんだ。それをてっきり忘れてて……」
「ほんとに?」
「嘘なんかつくわけないだろ」
ハストンはきりっと瞳を細めた。
転生してイケメンに変わった元仲間は、くやしいけどかっこいい部類に入る。
映画俳優のような彼が作る真面目な顔には、嘘がないように見える。
でも――怪しい。
僕の直感はそう訴えかけている。
部屋の奥から、ずっと機会をうかがっていたんじゃないかと、疑っているのだ。
「それにしても、<強欲の天秤>を使うのは久しぶりだなー」
彼の棒読みの台詞に、僕は唇をとがらせたあと、気持ちを切り替えた。
ナーシィのことが優先だ。
「ちゃんと動くの?」
「寝てるだけだ。魔力を流せば反応する」
ハストンはそう言って、くすんだ金色の天秤をどんとテーブルに載せた。
天秤はシンプルなものだ。
垂直に立った軸に交差するアーチ形の腕部。ぶら下がる左右の皿。その皿にはキューブ型の物体がのっている。実は皿とくっついている。
そして、天秤には必要のない中央のボール大の金の玉。
それは、本当なら目盛りがあるべき場所で、存在を主張している。
ハストンが、金の玉に手を当ててわずかに魔力を流した。
すると――
「――っ!」
二人の少女が慌てて僕の後ろに隠れた。
金の玉の中央が横に裂けて、同じ色の目玉が現れたからだ。
ぎょろぎょろと動く目玉は店内のあちこちを眺め、のんびりした口調で言った。
「吾輩は、<強欲の天秤>なり。求める者よ、その底抜けの欲望を示すが良い。吾輩がいかなる欲望も満たしてみせよう。数え切れぬほどの欲望を充足させてきたことは、吾輩の誇りである。その記念すべき一例目は――」
目玉はどこを見ているかわからない様子で、つらつらと語り始めた。
呆気にとられるナーシィとルルカナを眺めつつ、ハストンが苦笑いする。
「この前口上が、相変わらず長いのなんの」
「変わらないね」
「いかなる欲望とか言いつつ、人の物欲には興味ないくせにな」
「そうだった。ハストンが頼んだあれだって――」
「思い出すな! 仕方ないだろ……何でも与えるって言うんだから」
ハストンは頬をかいて気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
と、そんな話をしているうちに<強欲の天秤>が意識を覚醒させたようだ。
「汝らは、吾輩に何を望む?」
男性とも女性ともつかない声が、静かに響き渡った。
僕はナーシィの手を引いて、左側の皿に載る金のキューブに触れさせた。
これがスタートになる。
「イールランド=ナーシィの呪いの解除を」
淀みない一言。ナーシィの強い視線を感じる。
きっとびっくりしているだろう。立場が逆なら、得体の知れない天秤にそんなことができると信じられないと思う。
「心得た」
<強欲の天秤>の瞳が明滅した。金の玉が発光し、光が腕から支柱へとゆっくり広がっていく。
そして、ガシャンという音と共に、天秤の腕が左に大きく傾いた。
ハストンが上から天秤を覗き込む。
「おっ、結構重いな。そんなにか? 嘘ついてるんじゃないか?」
「ハストン、これに限ってそれはないよ」
瞳を細めるハストンの顔を、天秤の瞳がぐるっと動いて射抜く。
「公正公平が、吾輩のモットーである。その不変の誓いはいかなる状況でも――」
「ああ、わかったわかった。悪かった。<強欲の天秤>様はずるしないってこと、忘れてたんだ」
「わかればよろしい」
ハストンは疲れた顔で片手を振った。と、天秤をながめながら、表情をゆっくり引き締めて僕に尋ねた。
「どっちがやる?」
「もちろん僕がやる。今回は必要な量も多いしね」
「この振れ幅だと――丸一日以上動けないな」
「だろうね……まあ、仕方ない。ナーシィのためにも明日は学校を休むさ」
「あの……何をするの?」
ナーシィがおずおずと声を上げた。ルルカナも聞きたそうにこっちを見つめる。
僕は微笑を浮かべて答えた。
「<強欲の天秤>に魔力を与える。こいつは振れ幅に対応するだけの魔力がないと願いをかなえてくれないんだ」
ハストンが頷いて補足する。
「安易に使えるものじゃないぞ。天秤は、願ったら必ず対価を要求する。『払えないからやめた』っていうことを許さない。だから、俺やハルマのいないところでは絶対に手を出すな」
「……払えなかったらどうなるの?」
「聞きたいのか?」
ハストンのもったいぶった低い声に、ナーシィがぶるりと身を震わせて首を振った。
僕もその判断に賛成だ。ろくなことにはならない。
ルルカナが天秤に一歩近づいて、金色の瞳をのぞきこむ。
「呪いを消すために、ハルマの魔力を分けるってこと?」
「そうだよ」
「それ……私にやらせて」
「え?」
僕とハストンは同時に目を見開いた。
さっきまでナーシィといがみあっていたルルカナの言葉とは思えなかった。
ハストンが「ダメだ」と切り捨てる。
「子供の仕事じゃないんだ。危険だ」
しかし、ルルカナはハストンを無視して僕のローブの裾をつかむ。
「パパはいつも同じことばっかり。ハルマから見て、私の魔力じゃ足りない? 本当のことを教えて?」
ルルカナの瞳には強い意思がある。ぶれない視線に、たまらず僕は逃げた。
逃がした視線の先にはハストン。
ルルカナの父親は、むっつりした顔で腕組みをしている。
けれど何も言わない。
黙って娘の横顔を見つめるだけだ。
「ハルマがナーシィを助けるなら、私も力になりたいの。学校の成績は良くないけど、魔力を使うならできる。毎日、魔力を増やす練習だって欠かしてない。でも、パパは全然私を見てくれないの。ハルマは? ハルマならわかるでしょ? 私の魔力じゃ少ない? ほんとにダメ?」
熱のこもった言葉は本気さをうかがわせる。
ハストンが見ていられないとばかりに視線を落とした。
そして――
「わかった。俺の負けだ。だからルルカナ、ハルマに聞くのはやめてやれ」
「ハストン……いいのかい?」
「もうここら辺が限界だ。お前に責任を負わすわけにもいかないしな。ルルカナ、パパが認めてやる。やりたいならやってみろ。でもな――」
ハストンが眉を寄せて心配そうに尋ねた。
「明日、ひどい後遺症に苦しむことになる。パパやハルマは慣れっこだが、最初はきつい。我慢できるのか?」
「もちろん! それで、ハルマやパパと同じになれるならなんだって我慢する!」
「はあ……どこで育て方間違ったんだろ……」
「ハストン、それは違うんじゃない? ここまでルルカナが言うんだ。あとは尊重してあげようよ。それに――」
僕は膝を折ってルルカナと視線を合わせた。
緊張気味の彼女の頭を撫でて、少し耳をくすぐって強張りをほぐしてやる。
優しく言った。
「ルルカナの魔力は十分足りる。それは、僕が保証する。ナーシィのために力を貸してほしい」
「うん! 私、がんばる! だから、ハルマ、見てて!」
目を輝かせるルルカナは僕の胸に飛び込んでぎゅうっと細い腕を首に回した。
背後でナーシィの息を呑む音が聞こえ、視界の端ではハストンがわなないているのが見えた。
僕はルルカナの手を引いて、天秤に向けた。
「じゃあ、始めようか。ルルカナ、<強欲の天秤>の右の皿のキューブに指先を当てて」
「……これでいい?」
「うん。魔力の放出はできるかい?」
「あんまりうまくないけど……」
「少しでもできれば大丈夫。あとは<強欲の天秤>が勝手に魔力を吸い取るから」
「……ハ、ハルマ……その、近い。体、当たる……」
「ごめんね、でもこうしないと危ないんだ」
僕はルルカナの背後に回って腰を支えた。
天秤が魔力を引き抜くのは一瞬だ。彼女が魔力を大量に失った経験はないはず。
たぶん気絶して倒れると思う。今回の振れ幅だと間違いないだろう。
「ハルマ、ハルマ! お、俺が代わるから!」
なぜかハストンが引きはがすように僕を押しのけた。
わけもわからず「そう? じゃあお願い」と場所を譲る。代わりに僕は心細そうに立つナーシィに寄った。
彼女がそっと僕の手を握る。
視線の先では、これ見よがしにルルカナがため息をついた。
そして、背後をひと睨みして「パパ、離れて」と辛らつな口調で言う。
ハストンの顔がみるみる歪む。
「お前が気絶するかもしれないから必要なんだ」
「立ってたら危ないってこと? じゃあ、座ってやるから天秤下ろして」
「……え? い、いや……でも、さっきハルマが……」
「もういい。自分で下ろすから」
「お、おう……じゃあ……支え、いらないか。パパ、頭打たないように後ろにいるから……」
「ハルマ、始めるね!」
にっこり笑うルルカナと、傷心のハストン。彼のあんな気の抜けた表情を見るのは初めてだ。よっぽど娘に弱いらしい。
僕は、そんな思いをおくびにも出さず、「お願い」と頷いた。
ルルカナの魔力が流れ始める。
苦手とは言ってたけど、量も調節できているし、十分合格だ。
反応して<強欲の天秤>が輝きだした。傾いていた腕がじりじりと均衡しようと動き始める。
そして、突如室内に光が満ちた。
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