第13話 育成校の異変

 午前の授業が終わった。

 どこかで聞いたようなチャイムとともに、クラスメイトたちがぞろぞろと外に出て行く。

 僕はいつも通り、行きつけのパン屋のベーグルと、売店で買った牛乳をかばんから取り出して微笑を浮かべた。

 ナーシィを助けた日以来、彼女の体調は目に見えてよくなったらしい。

 今までは二週間に一度、王国雇われの医者がやってきて、マナを吸い取る魔道具を使っていたのだそうだ。

 けれど、ナーシィの話ではそれでは失うマナが少なすぎて、気持ち楽になる程度だったとのこと。

 アントレットとミャナンは彼女の体の状態の原因がよくわかっておらず、ベッドにふせるたびに、慌てて<回復薬>を飲ませていた。

 あれは体力とマナを同時に回復させてしまうので、外に排出できないナーシィにとっては良くない方法だったのかもしれない。


「でも、医者が止めそうなものだけど」

「呪い持ちの血族だからだろ」


 ポケットの中でプニオンが言う。

 王族の中で生まれつき呪いを持っていたのはナーシィだけだったという。誕生とともに与えられる武器や装備はなく、外出もほとんど認められない生活はつらかったろう。

 鏡に映る黒い紋様を見る度に、暗い気持ちになっていたと思う。


「最低限の治療だけこなしてれば、死んだっていいって考えてるってことさ」

「プニオン、言いすぎ」

「おっと、悪い」


 言葉に遠慮がなさすぎる。

 でも、王家にとってはたぶんその程度の認識だろうということは僕にもわかる。

 与えられた部屋は城の中でたった二部屋。ちなみに上位継承権を持つ息子たちの中には敷地内に建物を持つ者もいるという。

 付き人はアントレットとミャナンの二人だけ。雇われの僕や、もう一人の買い物係を除けば、あとは定期的にやってくる清掃人に限られる。

 冷遇。

 その言葉がしっくりくる。


「権力のかけらすらないお嬢ちゃんってこったな」

「そんなものは最初からまったく求めてないよ。それに……僕は、むしろやる気になった」

「物好きなことだな。だが、ハルマのやる気は怖いからほどほどにな」

「わかってる」


 僕は苦笑しつつ、ベーグルにかぶりついた。

 いつも冷たいのに、今日はほんのり温かかった。

 ゆっくり味わいながら窓の外に目を向けていると、がらんとした教室内に扉の開く音がした。


「いたいた。ハルマ、一緒にパン食おうぜ」

「カッツ? 食堂じゃなかったの?」


 人懐っこい笑みを浮かべた緑髪の同級生が購買のパンを片手に、つかつかと近づいてきた。

 混乱する僕をよそに、カッツは机を当然のように対面にくっつけ、素早くイスをセッティング。

 あっという間に友人との食事風景ができあがった。


「ちょっとばかりハルマと話がしたかったんだ。けど……もっと面白くなりそうだから、それはまた今度な」

「どういう意味?」

「もうすぐ人が来る――ってか、来たな」

「え? ちょっと意味が――」


 僕はそこまで言って口をつぐんだ。戸惑いを打ち消すようなにぎやかな声が廊下から聞こえてきたからだ。

 カッツは何食わぬ顔で扉が開く瞬間を計ったように、パンにかぶりついた。



 ***



「あら、人がいる」

「ええー、ユイ、いないって言ったじゃん」

「ごめんなさい。教室で食事する人っていないと思ってたから」

「まあいいじゃん。あの二人なら別に気にしなくても。時間ないし、もうここでしようよ」

「ねえ、どっちでもいいけど、荷物手伝って……死ぬ」


 かしましい声が響く。

 クラスの四強がなぜここに。

 ラールセンの取り巻きの二人、ミツとチルル。そして何度か言葉をかわした橙の長髪のアネモネと、良家の子女といった雰囲気の切りそろえた黒髪を揺らすユイ。


「ちょっと、先にパン置かせて」


 長身のアネモネが三人を後ろから押すように割って入り、手近な机にどんと置いた。


「ああ、重かった。みんなひどいよ。せめてユイっちは手伝ってくれると思ってたのに」

「成績順って決めたのはアネモネでしょ?」


 うらみがましいアネモネの瞳を、ユイが涼しい顔で受け止める。

 そうこうしている間に、ミツがさっさと机を四つ引っつけ、団らんの場を作ってしまった。

 え? ここで食べるの?


「別にいいよね?」


 僕の疑問に答えるように、アネモネが首を傾げて言った。

 代わりに返事をしたのは、カッツだ。

 こうなることを知っていたはずなのに、彼はとても自然体で答える。


「いいって、いいって。俺らは空気だから」

「カッツ……空気って」

「ハルマも気にすんな。パン食おうぜ、ほら」


 カッツが手短に言って窓の外に視線を向けた。

 本当に空気でいるつもりらしい。

 僕も今さら外に出て行くわけにいかず、結局ベーグルにかぶりついた。

 そして――

 この場は安全だと判断した女子四人が会話を始めた。



 ***



「え? ラールセンのこと冷めちゃったの?」


 ひそひそ話が続くと思いきや、アネモネの大きな声がその雰囲気を壊した。瞬く間に全員のボリュームが上がり始める。


「冷めたっていうか、ちょっと引いた……みたいな?」

「一番追いかけていたミツが? 前のダンジョンの件から?」


 ユイが静かに問いかける。

 アネモネ、ユイが隣同士、ミツとチルルがその対面だ。


「ラールセンって、俺はがんばらなくても強いんだ、的なところがいいじゃん? あの余裕っていうの?」

「私はがんばる方がいいけど」

「アネモネの意見は聞いてない。うちは、あいつのそういうところが一番だったわけ」

「あと、家の力でしょ?」

「チルル、うっさい……でも、ダンジョン行って、木登りしながらリンゴひとりじめしてるあいつ見たら、なんか急に冷めちゃってさ。子供じゃんって思って」


 アネモネが小さく飲み物をふき出した。

 唖然としているようにも、笑っているようにも見える。


「ラールセンが木登りしたの? 彼が?」

「ほんとに?」


 アネモネの言葉に続いて、眉を寄せたのはユイだ。人形のように整った顔の彼女は、何をしても様になる。


「まあね。色々あったんだけど、ラールセンがしばらくおかしくなっちゃって……いや、あっちが素かな? 木登りして、俺のリンゴは渡さないってみんなに言ってさ。もちろんうちらにも」

「へえー、ラールセンってそんなところもあるんだ。ミツはそれで、ダメになっちゃったんだ」

「ダメじゃないけど……今はちょっと距離取ってる」

「だよね。いつもなら屋上行ってるもんね」


 飲み物をストローで吸ったアネモネの隣で、ユイがパンをちぎって口に運び、静かに飲みこむ。

 そして、ミツの話に神妙な顔で相づちを打つチルルに話を振った。


「あなたも、それで距離を取ってるの?」

「私はミツの件にプラスして、最近の彼の様子」

「どういう意味?」

「彼さ……『俺は赤い宝石が好き』って言ってたわけ。学校が支給する灰色のローブじゃ、かっこ悪いって、自分で真っ白なローブ持ってきてたっしょ? それはユイも知ってる?」

「知ってるわ。ラピスラズリの青と、ローブの白……首には宝石の赤が似合う、だったかしら?」

「それそれ。でも赤色だけがしっくりこなくて、いくつも宝石変えてて」

「チルルもプレゼントしたのだったわね?」

「使ってもらえてないけどね。まあ、それはもういいとしてさ……リンゴのダンジョンから帰ってきて何日かたったら、突然『青が好きになった』とか言うの」

「……青? ラピスラズリの青ってこと?」


 チルルが「ちがうの」とあきれ顔で首を振った。


「ラピスラズリの青じゃないっていうの。もっと深くて、白が混じったように輝いて……とか言い出して、今持ってる剣にも納得してないって」

「よくわからないわ。とても高価な剣だって自慢していたのに」

「でしょ? 白いローブも、青のローブに変えてきてさ。首元の宝石なんて、まったくつけなくなった代わりに、別の物を探してるらしいの」

「何を?」

「……仮面だって」

「……仮面?」

「青色の仮面がいいんだって。おかしくない? そんなのなんでほしいの?」



 ***



 僕は盛大に牛乳をふき出した。

 気管に飛沫が入り込んだのか、ゴホゴホと何度もせき込んで、最後に大きく咳をした。

 慌ててハンカチで色々とぬぐう。


「……ハルマ、大丈夫か?」


 視線の先で、カッツが眉をハの字に曲げている。

 片手を上げて大丈夫と返事し、視線を向けている女性陣にも、「大丈夫だから」とかすれた声で、答えた。


「ラールセンのやつ、そういや最近ちょっと変わったよ」


 カッツがぽつりと言って、したり顔を作る。


「……どの辺が?」

「授業なんて興味ないって顔してたくせに、最近は誰よりも早く訓練場に来てるし、先生にめっちゃ質問してる。気づいてなかったか?」

「うん……ラールセンの周りっていつも誰かがいるから。僕は全然近づくことないし」

「そっかそっか。ハルマはそうかもな。でも、本当に変わったんだぜ。良くも悪くも、周囲がだいぶ入れ替わったはずだ」


 僕はのどの渇きを潤すように牛乳を流し込む。

 カッツは女性陣をちらりと盗み見し、声を潜めて言った。


「取り巻きの一人が、授業態度が急に変わった理由を聞いたそうだ。そしたら、ラールセンな……『ずっと気になってる人がいるから、その人に振り向いてほしいんだ』って、言ったらしい」


 僕は、またも牛乳をふき出した。

 ありえない。

 あってはいけない。

 ローブも仮面も青色の人間に憧れるなんて。

 そんなフラグはまったく必要ない。

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