第24話 禁断の依頼 4
「うーん、登っていったのはいいけど、僕はどうするべきか……まさか後をぴったりついていくわけにもいかないしなあ」
「かと言って、帰るのも違うと」
ポケットでプニオンが震える。
「ルルカナもいるし置いていくわけにもなあ……」
僕は頭を悩ませる。
ラールセンの親へのあこがれを聞いたのは初めてだった。彼は彼なりに強すぎる親に思うことがある。
だから、理由があってウインドを追いかけていた。
かっこいい――って言葉はいらなかったけど。あの手前までなら、彼の前に現れてもいいかな、って少し思ってた。
「でも、どうしてラールセンなんだ。リンゴのダンジョンにいたのは彼だけじゃないはずなのに……」
「クラスメイトの女もいたんだっけ?」
「ミツとチルル、ターニャって子がね。あんなにラールセンが憧れるんだから、一人くらいは……って思わないでもないかな」
僕は思わずあの三人に囲まれている場面を想像してしまう。ラールセンのように腕を取られて、わいわい話しかけられている様子だ。
顔が、かっと熱くなった。
危険な妄想を振り払う。僕にハーレム願望はないんだ。
でも、考えれば考えるほど、頬が緩んで閉まらない。ぱしっと叩いて痛みで現実に戻る。
と、離れたところから声がかかった。
「ハルっち、見つけた!」
アネモネだった。
橙の長髪を揺らしながら、とてとて駆けてくる。別のゲートからここまで来たのだろう。
彼女は、「ちょっと体温まったかな」とまぶしい笑顔を浮かべた。
僕はなぜか気まずくて視線を外したけれど、彼女はまったく気づかなかった。
「ルルカナって子、すごいね。びっくりするようなスピードで登っていっちゃった。もしかしてラールセン危ない?」
驚いて目をぱちくりさせる様子が可愛いくてドキっとする。
ふと、さっきの妄想にアネモネが加わった。
振り払うために慌てて首を振ると、「さすがにないよねー」と勘違いした彼女が舌を出す。
「ハルっちの知り合いなんだっけ?」
「まあね」
ルルカナがどれだけ魔力を使って駆け上っていったのかが目に見えるようだ。たぶん明日は筋肉痛だろう。この山なら動けないほどじゃないだろうけど、痛むのは間違いない。
「私たちも上に行こうか」
「やっぱり行った方がいいかな?」
「っていうか、ラールセンにはそこまで頼まれてるの。なんか、格の違いを見せてやるって息巻いていた」
「そ、そんなにがんばらなくてもいいのに」
「私もそう思うけど、あいつ最近おかしいから。こっちのゲートから行こっか」
アネモネが離れた場所を指さした。
そこはラッセルドーンがさっき作った直線ルートだ。
障害物がすべてなくなった坂道。確かにショートカットできそうだ。ラールセンとルルカナには悪いけど、楽をさせてもらおう。
***
早朝の森の中。気持ちいい空気が満ちている。
でも――
言葉が続かない。
会話がない。
僕にうまい話題を振る力はない。
歩いて三分ほどで、痛感した。
アネモネがあちこち眺めて、「やっぱりおじさんすごいなぁ」とか「朝は冷えるねー」なんて話を振ってくれるのに、僕は「うん」だけしか言ってない。
会話スキルなんてものがあるなら欲しい。
前の世界でもパーティメンバー以外とはろくに会話できなかった。<強欲の天秤>に一度頼んでみようかと思うくらいだ。
ポケットの中でプニオンがばたばたしてる。
きっと、「もっと話をしろ!」とやきもきしてるんだと思う。僕もできるならそうしたいさ。
「ラールセンがおじさんに反抗する気持ちは知ってるけど、これ見ちゃうとねー」
アネモネが折れた大木の前で足を止めて「うわー」と眉を寄せる。
細い指で幹を撫でている何気ない姿もかわいい。
「ア、アネモネ」
僕はか細い声で名前を呼んだ。
このままじゃダメなんだ。
こんなチャンスはめったにない。アネモネの周りにはいつも誰かがいる。僕と二人なんて状況を大事にしないと。
クラスで何度も声をかけてくれたじゃないか。アネモネが冷たい態度を取ることは――たぶん、ないはず。
ハストンも言っていた。
「自分から話しかけて、初めてチャンスが生まれる」って。「イケメン以外は相手が興味を持ってくれることを期待するな」って。
今思えばひどい教えだけど、外れてはないはずだ。
「ん?」
アネモネが髪を耳にかけながら振り返った。その動きに目を奪われそうになって、僕はごまかすように早口で言った。
とにかく何かしゃべらないと、と焦った結果だった。
「ラ、ラールセンのこと、好きなの!?」
ポケットでブーブーとプニオンが震えた。
僕も言い切ってから、これ以上ないくらいに赤面する。
何を聞いてるんだ?
ほとんど初対面みたいなものなのに。
もしアネモネに「えっ、気づいてたの!?」なんて反応をされたら、どうすればいい。
森の中をそよ風が走り抜けた。
数秒がとても長かった。
「えー、ないない。あいつ暑苦しいもん」
アネモネはため息とともに言った。
僕の体から一気に力が抜けた。最悪の返事じゃない。
あんなに近くにいるから、もしかしてとは思ったけれど、彼女にそんなつもりはないんだ。
ほうっと安堵の息が漏れた。
でも、それと同時に僕は息を止めた。
彼女が、にやあっと口端を上げて顔を覗き込んできたからだ。
「ハルっちって、そんなこと気になるの?」
「ち、ち、違うよ! 二人は幼馴染って聞いたから……もしかして……そういうのかなって……」
強い否定の言葉が力なく消えた。
顔から火が出そうだ。こんなことを聞くんじゃなかったと後悔する。
アネモネは「そっか、そっか」と表情をころころ変えながら言う。
「外から見てると、そう見えるのかあ」
「ま、まあ……僕以外もそう思ってるんじゃないかな……」
「うーん、私は何も思ってないからなあ。ラールセンもたぶん一緒。距離が近すぎるもん」
それは結構危険なことじゃない、という言葉は寸前で飲みこんだ。
距離が近いと、何かきっかけがあれば――みたいなことがあるんじゃないだろうか。
彼女の真意がわからず、僕は首を傾げたが、
「それにラールセンって、ウインドって人にべったりでしょ? たぶん、他の誰も眼中にないよ」というセリフに、「確かに」と頷いた。
「近すぎるから、お互いに話せないこともあるし。私だってそう……」
「アネモネ?」
「あいつには話してないけど、私も――追いかけてる人がいるから」
「えっ?」
僕は唖然と口を開けた。そこに倒れている大木に頭を打ち付けたい気分だった。
凛とした横顔に、本気の感情がにじんでいて、冗談とは思えない。
アネモネはきっと嘘を言ってない。
憧れの人、いるんだ。
「そ、そっか……」
そうつぶやくのが精いっぱいだった。唇がかさかさに乾燥していた。
思考は混乱してぐちゃぐちゃで、想像の中で、顔の無い男にアネモネが近づいていく。ショックだ。
きっと、かっこいい大人に違いない。
不思議と、年上だろうなと思えた。
でも――
「ウインドって人」
「……へ?」
思考が止まり、ぽかんと空白ができた。
彼女は何て言った? ウインド?
それは――僕だ。別人か? 聞き間違い?
「も、もう一回聞いてもいい?」
「ん? ウインド……ラールセンが追いかけてる人と同じ」
「なんで……? え? アネモネも会ったことあるの?」
「ううん。私はないよ」
「なら、どうして?」
僕の質問に、アネモネが真剣な表情を見せる。
意思の強そうな顔――いや、闘志を感じる顔と言った方がいいかもしれない。
「捕まえたいの」
「捕まえたいっ!?」
「うん。捕まえて、おじさんにリンゴのダンジョンを返させるの。それで牢で罪を償わせるの」
アネモネが照れくさそうに頬をかいた。
僕はもちろん凍りついたように立ち尽くしている。
「おじさんと戦えるくらいだから、私じゃ無理かもしれないけど……正義は曲げちゃダメ」
彼女は何を言ってるんだ。
「あっ、うん……で、でもダンジョンを……ウインドが奪ったの?」
「リンゴのダンジョンは奪われたんだ、って皆が噂してる。『ダンジョン維持機関:ホープ』でずっと名義の書き換えをしないから。譲るときは、早いうちにしちゃうでしょ? あのラッセルドーンが戦って負けるはずがないし、きっとウインドが汚い手を使って奪ったんだって」
「そうなんだ……」
知らない。聞いてないぞ。
誰だそんな噂をしたやつは。
ダンジョンを手に入れると手続きが必要なんて、まったく知らない。
おかげで冷や汗が止まらない。ひどい噂だ。
僕とハストンが積み上げてきたものが――やばい。
早く手続きしないと。
これが終わったら、すぐに『おしゃべり妖精亭』に行かないと。
「私はそういうの許せない。正義の味方として」
「そ、そうだね……」
「あっ――」
アネモネが自分の口に手を当てた。「言っちゃった」みたいな気まずそうな顔だ。
「あの、正義の……むにゃむにゃ、って言葉は聞かなかったことにして。な、なんか……この年齢で恥ずかしいって思うでしょ?」
「全然、全然! ぼ、僕も……なんていうか……に、似たような正義の味方っぽいものに憧れるから……」
脳裏に自分の変装姿が映る。
仮面にかつらに青いローブ。どっちかというと殺し屋にイメージは近いけど、やってることは表の仕事が多い。
正義の味方気取りではないけど、気持ちはほんの少しわかる。酔っていないかと言われると、怪しい瞬間もある。
アネモネがさらに近づいてきた。口元に手を当てて、こそっと言った。
「ハルっちも? も、もしかして、将来『ホープ』で仕事したいって思ってたりする? 悪い探闘者を捕まえて活躍……みたいなこと思う?」
「もちろんだよ! アネモネの言う通り、悪い探闘者は野放しにしちゃいけない。誰かが……泣くことになる」
アネモネがはっとした顔で瞳を潤ませた。
僕も泣きたい。
「ふえぇ……こんなところに同士がいたなんて!」
アネモネが一瞬、体を震わせた。本当に喜んでいる。探闘者たちがウインドに向ける顔と同じだ。
――ダメだ。話を合わせたらあとに引けなくなった。「誰かが泣くことになる」なんてかっこつけなきゃ良かった。
彼女の弾んだ声が続く。
「わ、私ね……学校でそれとなく、ユイや友達に話したことがあるの。でも、みんな『悪い探闘者を自分で捕まえるなんてありえない』って感じで。ちょっと、自分がおかしいのかなって思ってて……」
「アネモネはおかしくなんてない」
「ハルっち……いい人だ」
きらきらした瞳から放たれる視線が、僕にぐさぐさと刺さる。申し訳なさが容赦なく襲い来る。
どうしてこんな時だけ舌が回るのか。引っこ抜いてやりたい。
それも余計な言葉ばかりで嫌になる。
アネモネが高揚したように頬を染めた。
「ありがと。ハルっちと話せて良かった。ラールセンに呼ばれたときはうんざりしてたけど……うん、仲間に会えてうれしい。こんなにうれしいのはいつ以来だろ」
「ほ、ほんとに……僕も……うれしい……かな」
「あっ、良かったら、今度一緒に訓練しよっか? 私たちってライバルみたいなものだよね」
「ええっ!? で、でも……僕、成績良くないから、迷惑かけると思うし……」
「だから、私が教えるんでしょ。大丈夫! これでも教えるのは得意なんだ。それに……もしかしたらハルっちが気づいてないだけで、すごい才能が眠ってるかも。うちにそんな本がいっぱいあるから、今度貸してあげる! きっと自信つくと思う! 『雨の日に踊る悪』って本は、読んだことある? 傑作だよ!」
「あ、ああ……あれね! 雨の日に悪人が捕まるっていう話だっけ」
「捕まるんじゃなくて全身から血を吹いて死ぬんだって!」
アネモネはこぼれるような笑みを浮かべた。
雨の日に踊る悪? 全身から血を吹いて死ぬの? ハードすぎるでしょ。
しかもアネモネに失望されたくなくて、全然知らないのに、適当に話を合わせてしまった。
屈託なく笑い、優し気な表情を浮かべる彼女は非常にテンションが高い。
罪悪感はすごいけど、こんな姿を見られて嬉しい。
自分の趣味を理解できる人と初めて会えた――そんな気持ちだろうか。
笑顔が魅力的で、それを見たくて近づく男たちは多いはず。僕だってもっと彼女と話がしたい。
でも――もうダメだ。やってしまった。
アネモネの中で、僕は正義のヒーローを目指す仲間に認定された。
「ハルっちって、武器は短剣だっけ?」とか「得意なことある?」とか、親身になって考えてくれる。
今さら知らないフリはできない。
何より、
「がんばって、二人で強くなってウインドを捕まえよ!」
なんて、満面の笑みで言われると、「がんばろう!」と心で泣きながら即答するしかないのだ。
「死んだな」
ポケットから、プニオンの聞き取れないほど小さなつぶやきが聞こえた。
その一言は頭に浮かんだ思いとまったく同じで、
「そうだね……」
はしゃぐアネモネを見ながら、僕は認めるしかなかった。
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