第7話 リンゴナと招かれざる者

 子どもはリンゴナと名乗った。


「ね? だからリンゴナが言ったでしょ? そんなに心配しなくて大丈夫だって。行く場所は決まってるから。別に害もないよ」

「そういう問題じゃないんだ。クラスメイトもいる。意識が混乱してる状態はまずい。危険がないわけじゃない」


 僕の移動速度は数分前から目に見えて上がっていた。

 それもそのはず。

 ヘンディやラールセンの集団が、突如走り出したからだ。

 事の発端は、最後尾に戻ろうとしたターニャが足下の真っ赤なリンゴを掴み上げたことだった。

 両手にすくうように持ち上げ、しげしげと眺めた彼女は「お宝リンゴはっけーん!」とキャラクターが変わったかのような喜びにあふれた声をあげた。

 僕は思わず「え?」と間の抜けた声を漏らしたほどだ。

 毒々しく赤いリンゴは、ターニャの声に反応して、ぼふっと音を立てて真っ赤な粉になって飛び散った。

 飛散範囲は、ヘンディたちを丸のみするほど。

「ターニャ、どうした?」と振り向いたラールセンの目がうつろになり、続いて案じ顔で足を止めたヘンディの視線が合わなくなった。

 僕は、それを離れた位置で、何が起きたのかわからずに見ていた。

 リンゴナがあきれ顔で言う。


「あちゃあ、あの子知らないんだ。このダンジョンは、手を出しちゃいけないリンゴがあるのに」

「そんなものあるの?」

「真っ赤なリンゴ、青いリンゴ、紫のリンゴは取っちゃダメ。緑のリンゴはオッケー」

「そんなの普通はわからないぞ」

「お兄ちゃんくらい強かったら見えるんじゃない?」


 リンゴナと名乗る赤いワンピースの少女は、にこにこと見上げる。

 まるで確信しているように。

 僕は二の句が継げなかった。

 確かに僕には見えていた。見えるというより感じると言った方がいいかもしれない。

 ヘドロのように黒い何かを、そこら中に落ちているリンゴの中から感じるのだ。こいつは触れちゃいけないものだと。

 本当のリンゴじゃないと。


「ねえ、お兄ちゃん、やっぱりここのダンジョンの管理者にならない? それだけの力があったら、リンゴナも安心なんだ」


 リンゴナはそう言って後ろ手に組むと機嫌をおもねるように笑顔を見せる。

 この少女は、リンゴのダンジョンの管理者らしい。

 ダンジョンとの意思疎通は、一つでもダンジョンを管理したことがある者には常識らしいが、僕は初めての経験だ。

 しかも、なぜか勧誘されている。


「ここの管理者はラッセルドーンのはずだろ? 管理者が二人いるなんて聞いたことがない。それに……もうすぐ、ラールセンに譲るって聞いてる」

「ダメ」


 リンゴナは僕のルーブ鋼のローブの裾を、小柄な片手でつかんで首を振った。


「あいつじゃダメ。いくらラッセルドーンの子供でも、全然ダメ。将来性がないの。お兄ちゃんくらい強くないと」


 リンゴナの表情に真剣さがにじむ。

 これだけ期待されるのはうれしい。でも僕にはできない理由がある。

 僕の力の源は、この世界では異質な『魔力』。技も能力も含めてオープンにできない。筋肉痛中は動けないから、命の危険にもつながる。

 それに、数少ない同類たち――ハストンやルルカナにも迷惑がかかるかもしれない。


「ごめんね、リンゴナ。僕にはやっぱりできないよ。このダンジョンは有名すぎるんだ。あっ――」


 視線の先で、まるで何かに誘導されていたかの集団のスピードがさらに上がった。

「すげえでかいリンゴだ!」と一際大きな声をあげて走り出したラールセンの目は危ない人間のそれだ。

 彼の両腕を奪い合っていたミツとチルルの目は輝き、競って何かを追いかけている。恋する乙女から野獣へと変貌したように。

 探闘者集団はさらに危ない顔だ。


「赤いリンゴは、幻惑効果があるから……ヘンディって人が、「緑のリンゴ以外は触らないように」って注意してたのにね」


 そうか。

 ヘンディが途中で振り返って注意してたのは、それを伝えるためだったのか。ターニャは僕の近くに来ていて聞き逃した――

 僕は、勢いよく駆け出した。

 彼らの視線の先には小さなオアシスがある。隣には大きな川が、よく見えない向こう側に流れている。崖か?

 透明度の高い湖のそばには、鈴なりに実った緑のリンゴ。

 でもそこに――

 モンスターのいない平和なダンジョンに似つかわしくない重装備の十人ほどの男たちが、我が物顔で陣取っていたのだ。


「あいつらが賊よ。勝手に入ってきて、荒らすの。ラッセルドーンにずっと助けてって言ってたのに、本人じゃなくて、来たのが彼らでほんとにがっかりした……でも、お兄ちゃんに出会えたのはうれしいな。ダンジョンの管理者やらない? 私、ずうっと尽くすよ? もっとおいしいリンゴも作るから、どう? お兄ちゃん、ダンジョン持ってないよね?」

「悪いけど、その話はあとにしてくれ」


 ラールセンやヘンディたちが、奪いあうように連なる緑のリンゴに手をかける。

 と同時に、賊と思しき男たちが手早く縄を取りだし見事な腕前で四肢を縛り上げていく。

 だが、そうしてオアシスに放り出されても、ラールセンたちの瞳はぶら下がるリンゴしか見ていない。

 賊はやすやすと自分たちを捕らえにきた探闘者を捕縛し、しかも人質のできあがりだ。

 ラッセルドーンに、息子を返してほしければダンジョンをかけて決闘を申し込むこともできるだろう。


「リンゴナ、あの幻惑効果って、どれくらい続くんだ?」

「弱いよ。一時間くらいじゃないかな?」

「なら、早めに対処しないとな」


 都合が良い。

 全員が幻惑効果にかかっている。何よりラールセンやターニャの意識が僕に向いていない状況が最高だ。


「ハルマ、あんなの自業自得じゃねえか?」

「元はと言えば、原因はターニャだ。僕にも責任がある。それにクラスメイトを放っておけない」

「……損な性格してるぜ」


 ポケットでプニオンがめんどくさそうに言う。

 それを、何か事情を知っているような顔でリンゴナがにこりと笑って聞く。


「お兄ちゃん、ハルマって言うんだね。ぜえったい忘れないよ」

「いや……だから、勧誘されても僕はやらないって。今は、あの賊を何とかするのが先で……ね、って聞いてる?」

「あの賊が使う能力聞きたくない? 私、知ってるよ。知ってたら、お兄ちゃんのクラスメイトも安全じゃないかな?」

「それは……」


 リンゴナは純粋な子供の顔で提案する。

 しかし、その顔の裏には、何としても僕をダンジョンの管理者にしたいという思惑があって、素直にうなずけない。

 その痛いところを、リンゴナは「大丈夫」とローブをぽんぽんと叩いて頷いた。

 任せて、と言わんばかりの満面の笑顔で。


「正管理者じゃなくて、副管理者で手を打つ。これなら、ラッセルドーンが表に出るのは変わらないでしょ? お兄ちゃんは裏の管理者みたいなものだけど、別に何も変わんないみたいな」

「……副管理者なんてあるの?」

「無かったから、今、私が作った」

「は?」


 えへへとあっけらかんと微笑むリンゴナは、「どう?」とその場での判断を迫る。

 ちらりと遠くに見える光景。

 クラスメイトの身に迫った危険、そしてウインドに憧れるヘンディたちの想い。

 僕に裏切るようなことはできない。


「わかった……じゃあ、それでいいから」

「やった! ありがと! お兄ちゃんだーいすき!」


 リンゴナは飛び上がって両手をたたくと、その小さな腕で目いっぱいの愛情表現を行った。

 仮面越しにほっぺたに軽いキスの感覚。ほんとうに喜んでくれている。


「じゃあ、彼らの能力を教えてくれ」

「はーい、副管理者ハルマの望みとあらば」


 リンゴナは折り目正しく腰を曲げて、うやうやしく真っ赤なワンピースの裾を持ち上げた。



 ***



 賊の頭領ガインは、笑いをこらえきれなかった。

 ラッセルドーンの右腕と呼ばれるヘンディが、よりにもよってニセリンゴの幻惑にかかってオアシスにやってくるとは。

 自分がかけた罠に自分でかかるほどの滑稽さだ。ダンジョンのリンゴの罠を知らないはずがない。

 いつも一緒にいるパトロールメンバーも全員幻惑されている。

 しかも、弱っちい息子のラールセンというお土産つきだ。学生服を見る限り、小娘どもはその友人だろう。

 実家が力を持ってるなら、まとめて脅迫材料に使える。

 久しぶりにヘンディとダンジョン内で全力のバトルかと緊張していたのが嘘のようだ。

 一転して、部下たちと酒盛りに早変わりだ。


「こいつらもやきが回ったな。ガキ連れでのこのこやってくるとは」


 いまだに樹にぶら下がるリンゴを眺めるヘンディたちを鼻で笑い、ガインは見せつけるようにリンゴにかぶりつく。

 みずみずしい感触は悪くない。

 オアシスで取れるのは緑のリンゴだけじゃない。リンゴ酒も、ジュースも、毎日大量に手に入る。

 だが、こんなものじゃないことは、よく知っている。

 ダンジョンの最奥では、リンゴというリンゴのすべての料理、外で育てるための苗木なども手に入る。

 まだ見ぬリンゴ料理は、例外なく美味だろう。

 この世界にはそんなダンジョンの秘宝を金に糸目を付けず買うものたちがいる。


「まさかラッセルドーン本人が出てくるとは思わなかったが、幻惑状態の右腕と会えるとはな……ヘンディのやつ、今回の件でクビになるんじゃね?」

「頭領の言うとおりっすよ。全然役に立ってないうえに、足引っ張るだけっすから」


 部下の一人が嘲りながらリンゴ酒をあおる。

「違いねえな」と腹をゆすって笑ったガインだったが、ざっという足音と共に現れた一人の男を見て、目つきを変えた。

 それは、奇妙な人間だった。

 目元と口元を出した青みがかった金属の仮面。白と青の中間のような長い髪。深い青色のローブ。

 異様な風貌だ。

 ガインたち全員が立ち上がる。


「誰だ? ……関係者か?」

「頭領……こいつ、『ウインド』じゃないっすか? 神出鬼没で仮面つけてるやつって、聞いたことあります」

「『ウインド』? あの、ウインドか!」


 男たちが殺気立つ。

 ウインドの名は伊達ではない。悪事をたくらむ探闘者を何人も騎士団に突き出しているのは有名な話だ。

 王国が抱える裏の探闘者という噂もあるが、その割には大して重要でない案件でも出くわすことがあるという謎の人物。

 しかし、男はガインの視線をたいして驚きもせず受け止める。

 どうでもいいだろ。瞳がそう物語っていた。


「俺も噂は知ってるぞ。ラッセルドーンがよこしたのか」

「そういうのは、あとでゆっくり考えてくれ。こっちには色々と時間が無いんだ。本当に……時間がない。一秒が惜しいんだ。だから許してほしい」


 ウインドの声は若い。しかも、何か焦りを隠している。

 人数の差に腰が引けている? いや、噂にきくウインドともあろうものがそんなはずがないか。

 ガインには理由がわからない。それさえわかれば、こっちが有利になるかもしれないのに。

 そう考えた時には――部下の一人が宙を舞っていた。

 体を覆う青い『マナ』が粉みじんになって消えていた。


「なにしやがった!?」


 隣にいた男が驚愕の顔で、ずしゃっと音を立てて落ちた部下を見つめた。

 驚くのは当然だ。

 産まれた時から体のマナと同調させてきた武器は、唯一無二の力を持つ。

 市場で売っている武器よりも、ダンジョンの最奥で手にいれた武器よりも、自分の体に合った武器は最強だ。

 意のままに自分のマナと反応して増幅し、敵を斬りつけ、そして――常に自分の体を覆う強固なマナの盾を作りあげる。

 だからこそ、時間を積みあげてきた探闘者という人種は桁外れに強いのだ。

 自動の盾、強力な武器と特殊能力。

 この集団には選りすぐりの探闘者を集めているとガインは自負している。

 なのに――


「二人目だ」


 背中をなでる風とともに、ウインドの声が通り抜けた。

 と、二人目の部下がマナの破片を飛び散らせて空を舞う。

 また一撃。

 ウインドは拳を突き出しているだけだ。マナを腕にまとって、青い光とともに、ただ殴る。

 その動作が強すぎるのだ。

 三、四、五、六人――

 ガインは為す術なく散っていく部下から慌てて視線を切り、人質を『取り込もうとして』能力を使用する。


「<がらんどうの瓶>」


 ガインの収納系能力。何を収納するかはガインの意思次第。自分すら収納して隠すことが可能だ。

 ダンジョンの許可を得た探闘者と交渉して、<がらんどうの瓶>を持ちこませて中で暴れる。簡単なダンジョンの生産物の横取り。

『ダンジョン維持機関:ホープ』の型通りの検査など、これで解決だ。


「吸え!」


 片手の上に現れた灰色の瓶。大きさを無視するそれは、ヘンディやラールセンを生きたまま捕らえるために必要なもの。

 腰に佩いた長剣が持つ固有の能力は、武器にマナを慣らしてきたガインにしか使えない。


「その瓶が、あなたの能力か」


 いつの間にか、背後にウインドが立っていた。

 まったく気づけなかった。

 背筋が泡立つ感覚とともに、ガインの右上から太く鋭い灰色の針が瓶を貫通していた。

 ぴしりと瓶がひび割れる。


「<千変鋼:一針>。これで武器も終わりだな」

「お……おっ、お前……俺の……大事な、大事な武器を!」

「自業自得だ」


 ウインドは冷めた声で言い、ガインの背後にとんっと掌底を当てた。

 本当に優しい一撃。

 けれど、効果は絶大だった。

 ガインの全身が震え、体を守っていたマナの壁が跡形もなく粉砕された。

 そして腰の長剣も、同じく形を保てなくなったように、がらがらと細かい破片へと変わり果てた。

 ウインドは、小さく息吐くと、ヘンディやラールセンの意識がまともに戻る前に、すばやく賊を縛り上げた。

 その速度は、姿をとらえられないほど早かった。

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