第15話 第七王女の冒険 2

 王国の敷地には、数えきれないほどの店がある。

 食べ物を扱う店も、衣服を扱う店も、素材も、武器も、宝石も。ダンジョンから取れる物の数だけ、取り扱う店が増える。

 探闘者たちが手に入れたものが、店先に並び、商人が仲買として活動する。

 一店舗で客を呼べない店は、近くの店と協力して商店街を作ることもあるし、他とつるまない店が、どんどん大きくなってお屋敷みたいになった例もある。

 今日やってきた市場は、王国の中で三指に入る市場だ。

 ほとんどの店は、夕方頃まで営業する。

 もちろん、ちょっとルートを外れれば、飲み屋や食堂のような店が増える。材料を市場で仕入れて、すぐに店で出すのだ。


「ハルマ、私、ここ入ってみたい!」


 ナーシィは店の軒先に並んだ色んな商品を見て何度も足を止めている。

 自分の体と同じくらいの魚を怖がって僕の後ろに隠れたり、花柄のハンカチを「仮面につけたい模様かも」なんて真剣に悩むすがたは、とても可愛らしい。

 ただ、周囲や店員にとっては怪しいことこの上ない。

 片方は真っ白な仮面をつけたちびっ子。

 もう片方は、涙模様に黒い斜め線の仮面をつける僕。

 そんな二人が店先にしゃがみこみ、「このトゲトゲ、食べられるのかな?」「パイナップルって書いてあるから食べられるよ」なんて、のほほんとした会話をしていたら、どんな人間でも視線を向ける。


「冷やかしなら帰りな」


 なんて、こわもての店員からちょっと厳しい言葉を投げつけられるのは当然だ。

 僕は、ポケットから財布を取りだし、銀貨を数枚取り出した。


「ジュース、二杯もらえますか? 両方ともパイナップルで」

「お、おう……奥、あいてるから、待ってろ」


 まあ、お金を払う意思さえ見せれば大丈夫。だって、市場だから。ちゃんとした客には、ちゃんと対応してくれる。

 興味深そうにきょろきょろと店の中を見回すナーシィの手を引いて、奥に進む。

 四つほどの丸テーブルとがたがた揺れる椅子。

 誰もいないから貸し切りだ。

 ナーシィが揺れる椅子をおもしろがって足をぶらぶら揺らしては瞳を曲げる。

 なんでもないことが、とても嬉しそうだ。


「ハルマ、ハルマ、あれなに?」


 彼女が壁にかかっている道具を指さす。

 近くにはランプもある。


「……たぶん、メタルマッチだ」

「なにそれ?」

「金属と金属をこすって火を起こす道具だよ」

「魔道具じゃないの?」

「マナを使えない人が使うんだ」

「私みたいに?」

「色んな人がいるからね。マナが少ない人も、まったくない人も。そんな人たちには必需品なんだよ」

「へぇー」


 ナーシィが立ち上がり、メタルマッチをしげしげと眺める。

 すると、奥から店員が大きなグラスを二つ持ってやってきた。中にはたっぷりジュースが入っている。

 どう見てもサイズはLかXL。大人向けの量だ。

 しぼりたての甘酸っぱい果汁の香りが、狭い店内にふわりと広がる。


「こんなに!」

「飲めるかい?」

「まかせて。ジュースには自信があるの。食べるのは遅いけど」


 そう言って笑ったナーシィは、仮面越しにストローに吸いついた。

「おいしい!」と口を離した横顔が幸せそうだ。

 僕もスピードを調整しながら、彼女が飲み終わるのを待つ。

 ナーシィののどが、こくこくと鳴る。

 と、最初は飲む度に話しかけてきていたのが、だんだんと静かになっていく。

 どことなく苦しそうに見えてきたので、僕は自分の分をさっと終わらせて尋ねた。


「手伝おうか? あんまり飲むとおなか壊すよ。他にも回るんだろ?」

「……ほんのちょっとだけ、手伝ってもらってもいい?」

「もちろん」


 彼女は消え入りそうな声で答えた。耳が赤い。

 任せて、と胸をはった手前、ちょっと恥ずかしいのだろう。

 残りは三分の一ほど。

 僕はグラスをさっと引き寄せ、素早く飲み干した。

 でも、本当に量が多い。良心的な店ともいえる。


「はい、ごちそうさま」

「ハルマ……」

「ん?」


 彼女が視線を落としつつ近づいてきた。

 手招きされて、「どうした?」と耳を貸す。

 すると――


「これって……間接キスになる?」


 と、小声で尋ねられた。

 よく見ると、耳まで真っ赤だ。白い仮面の下ではどれだけ恥ずかしがっているのだろう。

 10歳でもそんなこと考えるんだなぁ――と、思いつつ、僕も少し女の子に配慮が足らなかったなと反省する。

 レディには遠いけど、未来のレディには間違いないのだ。

 本でそんな場面を読んだのかもしれない。

 少しだけ考えてから、言葉を選んで答えた。


「僕を大事な人だと思ってくれるなら、そうなるかもね」


 彼女の気恥ずかしさを、「そんなはずないだろ」なんてあっさり否定するのは良くないと思った。

 かと言って、10歳の少女に「当然だろ」という答えもおかしい。

 だから、自由に考えられるように「君次第だよ」とぼやかしたのだ。


「う、うん……ハルマ、いこっ! つぎ! つぎのお店に行きたい。時間なくなっちゃう前に!」

「了解」


 ナーシィは視線を合わさずに僕をせかして、慌ただしく手を引っ張った。

 どんな結論を出したのだろう。こうやって大人になるんだろうな――と親が娘を見るような気持ちで、彼女の後ろ姿を見つめる。

 きっと何もかもが楽しくて仕方ないのだ。

 今日はとことん付き合おう。


 服屋を回って、武器と防具を見て。野菜と宝石と魔道具に触れて。

 正体がばれたらまずいから、とお互いに呼び名も決めた――ナーシィが『ホワイト』、僕が『ブラック』だ。

 彼女に散々怖い場所だと吹き込んでから、賭博場を外から二人でのぞき込んで、意味もなく走って逃げたりもした。

『ブラック、怪しい人を発見した!』

『ホワイト、それは酒樽に棒をさして作った酒樽マンだ』

 なんて、かけあいができるほど仲良くなり、僕らは一日中笑った。

 とても楽しい時間になったと思う。

 だって、彼女の声はどんな場所でも弾んでいた。

 そして、夕方になった。

 気温が下がりはじめ、店じまいを始める店舗をちらほらと見かけるようになる。


「ハルマ……もう、そろそろ終わりかな?」


 ナーシィと出会ってから、最も沈んだ声だった。

 僕はそんな湿っぽい空気を壊すつもりで、頭をくしゃくしゃと撫でて笑った。


「また来たらいいさ」

「また……来れるかな?」


 不安を乗せた言葉だ。

 ナーシィは賢い。

 きっと、この後のことを考えているのだ。

 勝手に外に抜け出した罰は重いかもしれない。放置されている第七王女とはいえ、次は厳重な監視下に置かれるかもしれない。

 でも、彼女はすべてを分かっていて、外に出たがった。

 体が楽になったおかげで、外の世界に抱いていた期待が、押さえきれずにあふれてしまったのだ。

 これは、わがままとは違う。当然の望みだ。

 だから、僕のやるべきことは――この子の望みをこれからもかなえること。

 膝をついて、ナーシィの瞳を見つめる。


「誰かに『部屋にいろ』って言われたら、僕と一緒に買い物に出かけると言えばいい。ナーシィが『買い物に行きたい』と言えば、君に雇われた僕が必ず迎えに行く」

「……ほんとに?」

「もちろん。買い物係が、主の買い物に付きあうのは当然だからね」

「うん!」



 ***



「じゃあ、戻ろうか」

「二人とも、心配してるかな?」

「それは……心配してると思うよ」


 一応、置き手紙だけは残してきたけどね。

 さすがに、アントレットとミャナンに何も告げずに出かけるのは怖い。

 実は、すでに怖い。

 買い物係になってからの信用力で、大事になっていないことを祈るばかりだ。


「帰ったら平謝りから始めないとな。せめて甘い物でも手に入れて帰ったほうがいいかな」

「ハルマは、なんにも悪くない。私が頼んだもん。私がちゃんと謝るから」

「そうもいかないのが大人の事情ってやつで……え?」

「どうしたの?」


 人通りがまばらになった通路。

 その角の建物から、見知った人物が二人現れた。

 青いローブをまとう茶髪のラールセン。

 そして、橙の長髪を揺らす制服姿のアネモネだ。

 慌てて逃げ出そうとして、はたと立ち止まる。もう視線はぶつかってしまった。

 こっちは仮面姿だ。すでに怪しいのに、逃げればさらに怪しい。

 それに、ナーシィをここに置いていけない。

 僕は身を固くしつつ、ナーシィの肩を軽く叩いた。そして、小声で「あの名前で」とお願いする。

 彼女はとても聡い。

 ペアの二人と僕を見比べてから、こくんと頷いて、何事もない風を装って、歩き始めた。

 ラールセンとアネモネが並ぶ前を自然と横切る形。

 距離は二メートルほど。大丈夫。

 格好以外は不自然なところはない。

 君たちとは何も縁はない。無言で、無関心で、スルー。


「なあ、あんた」


 でも、うまくいかないわけだ。

 ラールセンの訝しむ声に、僕とナーシィはやむを得ず足を止めた。

 辺りはゆっくり薄暗くなっている。

 まさかの遭遇に、僕はかつてない鋭い視線をクラスメイトに向けた。

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