第10話 ラッセルドーン

 何か、流れがおかしい。いつもと違う。

 どこで、こんな話になったのだろう。


「ラッセルドーンって名前は知ってたけど、家が大きすぎだろ。ラールセンもこんないい場所に住んでるのか」


 僕は大きな屋敷を遠目に眺めて目を見張る。

 クラスメイトがいるとはいえ、王国でも有名人の家に来ることはまずない。まして招かれる学生なんてゼロだろう。

 リンゴのダンジョンの一件のあと、報酬は『おしゃべり妖精亭』からもらった。

 ハストンが申し訳なさそうに「ハルマ、ラッセルドーンが謝罪をしたいんだと」と苦笑いしながら、お金をさし出した時には意味がわからなかった。

 依頼は賊をやっつけること。何も謝罪されることはない。

 そのはずなのに、ラッセルドーンは息子のラールセンが無関係のクラスメイトを勝手に連れ込んだことを謝りたいらしい。

 きっと律儀な人なのだろう。

 娘のルルカナは我が事のように「ハルマの実力を認めて会いたいんだよ」と笑顔で言っていたが、違うと思いたい。

 有名人に目をつけられて良いことは無い。


「とは言ってもなあ……有名人の屋敷に、変装してやって来る僕ってどうなんだろ?」


 冷たいルーブ鋼の仮面を指でさする。

 まさかウインドが正体を明かして来るわけにもいかず、かといってそれに代わる適当な変装道具もなく、結局ハストンが作ってくれたフル装備で来てしまった。

 目立つのに。

 ここに来るまで、できるだけ人目は避けてきたけど、何人かには見られてしまったはずだ。


「どこかでクラスメイトが見ていませんように……」


 祈るようなつぶやきを虚空に投げ、意を決して門に近づく。

 高齢に差しかかった警備兵が「あっ」みたいな顔で驚いている。どうやら話は伝わっているようだ。

 どんな感じで伝えられているかは――聞きたくないね。


「ウインドという者ですが――」


 僕の精一杯低くした声に、警備兵が身を固くする。


「主よりうかがっております。どうぞこちらに」

「すまない」


 ラッセルドーンの屋敷を守る警備兵だ。きっと昔はとても強かったのだろう。にじみ出るマナの気配が並みの探闘者を越えている。

 なんてことを考えているあたり、僕も緊張気味だ。

 賊のアジトに踏みこんでいるような気持ちで、つい探りを入れてしまった。


「主がすぐ参りますので、しばらくここでお待ちを」

「……ここで?」


 警備兵は一礼してすぐに走り去った。置いてけぼりだ。

 案内された場所は、どう見ても屋外の運動場。室内に案内して、飲み物でもどうですか、という雰囲気はない。

 もちろん謝罪する場とは思えない。


「……決闘とかじゃないよね?」


 屋敷の外の広々とした空間に、声が溶けて消えた。

 ふと口にした疑問が、心の中でゆっくりと確信に変わっていく。


「どうして? ラールセンを守れてなかったから? でも、幻惑で傷ついたわけじゃないよね?」


 独り言をつぶやいた瞬間、ルルカナが言った「ハルマの実力を認めて会いたいんだよ」という言葉が脳裏に浮かぶ。


「そんなバカな……ラッセルドーンはそんな暇じゃな――」

「待たせた」


 屋敷につながる扉が開き、男の渋い声が聞こえた。

 さほど大きくないのに、よく通る声は自信に満ち満ちている。

 濃い茶髪、口ひげ、赤いネクタイに濃紺のスーツ。どこかラールセンと似ている顔つき。

 会ったことはないのに、その人だと直感できた。


「私がラッセルドーン。後ろの者はただの観客だ。気を悪くしないでほしい」


 男の後ろには、十人程度の集団がいる。探闘者、探闘者、探闘者――って一流のマナ使いばかりだ。

 どう見ても賊のアジトで囲まれているような状況。

 前の世界で罠にかかってのこのこ出向いてしまった時を思い出す。


「ラールセン……」


 その中に、なぜかラールセンまでいる。

 ラッセルドーンが苦笑いしてうなずいた。


「不肖の息子だ。こやつのせいで、先日は迷惑をかけた」


 大きな手が、ラールセンの頭を無理やり僕に向けて下げた。「すんませんでした」と小さな声が聞こえてから、ラッセルドーンが豪快な声で言う。


「これで、水に流してほしい」

「別に大したことはしていません」

「ウインドなら、そう言ってくれるだろうとは思っていた。良かったな、ラールセン。彼に感謝しておけ」


 ふてくされた態度で「けっ」と漏らしたラールセンは、僕から逃げるように離れた。

 代わりに、前に出てきたのはラッセルドーンだ。


「謝罪はこれくらいにして……ウインド、君が私のダンジョンを引き継ぐほどの力があるかぜひ見せてほしい」

「…………は?」


 唐突に告げられたラッセルドーンの言葉に、僕の思考は空白で埋め尽くされた。

 さっぱり意味がわからない。



 ***



「――ということだ」


 ラッセルドーンの説明が終わった。

 リンゴのダンジョンの管理者を息子に譲ろうと放棄したら、僕に取って代わられた。リンゴナと結託していたのではないか、と。

 そんなことは聞いていない、と。

 一言、言わせてほしい――僕も聞いていない。

 思わず頭を抱えたくなったが、今の僕はウインドだ。

 慌てふためくような様は、今後の評判にかかわる。努めてポーカーフェイト。声はバリトンを意識し、冷酷な殺し屋をイメージ。


「……事情は分かりました。リンゴナには勧誘されましたが、この事態は意図していないこと。そういうことなら、すぐに彼に譲りましょう」


 ちらちらと視線を向けてくるラールセンを一瞥する。なぜか照れた素振り。気のせいだろう。

 戦わずに譲る。誰も損をしない名案だ。

 リンゴナには心苦しいけれど、別に会えなくなるわけじゃない。ラールセンにきっちりと探索許可をもらえば済むことだ。


「だめだ。貴殿はリンゴナに勧誘され、不肖の息子は嫌われている。それは、ダンジョンの管理者にふさわしいのは貴殿であるという意味。ぜひ、その力を見せてほしい」


 僕の提案は、あっさりと否定された。

 連れてきた探闘者たち、そしてラールセンと、戦意満々のラッセルドーン。

 さすがにわかった。

 目の前の男は、僕と戦いたくてうずうずしているのだ。心の中では、ダンジョンの管理権なんてさほど重要だと思っていないのかもしれない。

 ただの口実に使っているだけだ。

 ポケットの中でプニオンが震えた。


「逃げられそうにないな。巧妙な罠だ」

「プニオンもそう思うよな」


 賛成票が一つ追加。もう間違いないだろう。

 僕は大きなため息をついた。

 ラッセルドーンが笑って、後ろの探闘者から抜き身の剣を受け取った。渡したのはヘンディだ。申し訳なさそうにこちらに会釈を一つ。予想は正解のようだ。


「わかってもらえたようだな。では、早速始めよう」

「あなたは優秀な探闘者と聞いています……無駄な戦いでは?」

「優秀だからこそ、危険な臭い、強い者の気配に敏感なのだよ。ウインド、楽しませてくれ」


 ラッセルドーンは短く言い終えると、構えを取る時間すら惜しまんばかりに、地を蹴った。

 ラールセンを含む観客が固唾を飲んで、見送った。



 ***



 ラッセルドーンがすさまじい速さで飛来する。腰に剣を構え、いつでも振り切れる体勢だ。

 途方もない量のマナが体を覆っていて、突進だけでも並みの探闘者なら吹き飛びそうだ。

 フェイントも、かけ引きもない、心地よいほどの直球。

 間合いを間違うことなく、銀閃が一筋の光となってきらめいた。

 僕はブーツに魔力を込めて後ろに下がる。

 爆発に似た音と共に土砂が飛び散る。


 ラッセルドーンはこれを見逃さない。

 視界を砂にふさがれたことを嫌ったのか、僕の左サイドに素早く移動し、また同じ攻撃。一閃。

 ルーブ鋼でできたローブに剣先がかする。

 ぱくり、と切れた。

 すさまじい威力。彼の『本当の武器じゃない』のに、剣速が図抜けているとこれほどの力を持つ。

 容赦ない銀閃が、何度も何度も空を駆けた。

 僕はその度に身を反らせ、足を動かし距離を稼ぐ。ローブは切らせても、かすり傷は受けない。

 けれど、ここら辺が『今の限界』だ。


「ふむ……戦い慣れているな。当たらん」


 ラッセルドーンは心底驚いた顔で刃に指をすうっと走らせる。もちろん傷はつかない。

 彼の体を覆うマナに対して、武器のマナが小さすぎるのだ。


「少し本気で行くぞ」


 薄青色に輝くマナの量が膨れ上がった。一気に十倍くらいか。

 筋肉が盛り上がり、スーツが内側から張りつめた。明らかにパワータイプの探闘者だ。

 手に持つ剣が、悲痛なきしみを発した。

 流れ込む莫大なマナに耐えきれなくなる時の音だ。

 ラッセルドーンの表情に好戦的な笑みが浮かぶ。楽しそうだ。


「くっ――」


 目の前から彼が消えた。桁違いの速度だ。さすがに王国で十指に入る探闘者だ。

 いつの間にか、右横にいた。獲物を捕らえたような喜悦の表情。

 刺し出される剣先を、僕も魔力を込めた右ひじで弾く。

 この世界でトップクラスの力と力のぶつかり合い。剣先と肘は、拳と拳が衝突したものと大差ない。

 爆風が舞い、仮面越しにラッセルドーンの瞳を睨み返す。


「なるほど」


 ラッセルドーンが柄を両手持ちに変えた。飛び下がり、再びこっちに突進。

 一薙ぎ、二薙ぎと襲いかかる刃を僕は籠手の堅牢さを盾にして魔力を流して受け止める。

 でも、これはきつい。

 今まで出会ったどの犯罪者や賊の一撃より重い。

 踏ん張っていた足が、受け止めるたびに後ろにずるずると押し下げられていく。

 と――ラッセルドーンが距離を取った。


「マナの量も、質も全然違うな」


 僕の魔力を見透かしたような言葉に、心臓が小さくはねた。


「だが、強い。ところで、なぜ攻撃してこない? 隙はあるだろ?」

「今の装備ではろくな攻撃ができないので」


 あなたと同じでね――という言葉を視線に乗せて、彼の剣を一瞥する。

 わかっていたか、と言わんばかりの笑みが返ってきた。


「剣も限界だ。次で最後にしよう」


 ラッセルドーンのマナがさらに膨れ上がった。爆発したと言ってもいい。

 剣の刀身が悲鳴をあげて、刀身に微細なヒビを数本走らせた。

 姿を消す速さで動いた彼は、空中に飛びあがって溢れたマナをその刀身に一気に集めた。

 コントロール力も並外れている。

 両腕の力を加えて、上段からの振り下ろし。


「力試しを越えてる」


 辟易した気持ちで、僕は小さく呆れ声をもらした。

 こんなものを地面に叩きつけたら大穴があく。

 飛び散った石や砂も弱い探闘者には攻撃にかわりない。


「まったく」


 全身に魔力を流した。

 ぶつけるためのものじゃなく、受け流すための操作。両腕から、体の中心を通して足から外に。そして放射状に大地に広げる。

 四段階目の魔力操作をマスターしていなければできない技だ。

 ずしっ――と青色の刃を両の手で受け止めた。

 爆発しかけたマナを魔力で覆って流す。

 ラッセルドーンの剣は、それを最後に刃をぼろぼろと崩した。彼のマナの量に武器が耐えられなかったのだ。


「器用なことをするものだ。威力を殺すとは」

「今の技は観客がいない場所でしてください。ラールセンもいる」


 僕の言いたいことがわかったのだろう。ラッセルドーンが目をぱちくりさせたあとに、豪快な笑い声をあげた。

 と同時に、僕のルーブ鋼の仮面がぴしりと音を立てて割れた。

 強大な力に金属が耐えきれないのは、僕の方も同じだ。

 ばらばらと崩れて露わになる顔。

 それを、ラッセルドーンは無言で眺めてから言った。


「ウインドの素顔か。若いな。知っている者は他にいるのか? 『おしゃべり妖精亭』の主くらいか?」

「まあ、そんなところです」

「……薄々思っていたが、ラールセンとは――」

「適当に想像してください」


 僕は微苦笑で返して言葉をにごす。

 と、ラッセルドーンが険しい瞳をすばやく僕の後ろに向けた。それは、近づこうとする人物への警告だった。


「来るな、ラールセン。お前が見るには早すぎる」


 厳しい声に、足を止める気配がした。

 僕はラッセルドーンに軽く頭を下げて、ストレージから予備の仮面を取りだした。こちらは、目から鼻までを隠すハーフタイプだ。


「なぜ隠す? その強さ……明るみに出て困るものでもないだろ?」

「僕の力は異質なので、ということだけお伝えしておきます。ところで、ダンジョンの件は?」

「もちろん君に譲るさ。元より、リンゴナが選んだのだ。もしラールセンが仮面を割れるくらいになったら、譲ってやってくれるとありがたいが」

「それくらいになった時には、多くのダンジョンを手に入れて、興味がなくなっているかもしれませんね」

「……違いない」

「では、僕はこれで。こんなことはこれっきりでお願いします」


 再び頭を下げた僕は踵を返して屋敷の出口に向かう。

 立ち尽くすラールセンを一瞥し、ヘンディたちに片手を上げて退散する。

 背中にラッセルドーンの声がかかった。


「息子の指導を頼めないか?」

「向いていませんよ」


 僕は興味なくひらひらと手を振った。

 格好つけてるように思われたかもしれない。

 でも心の底からそう思っているのだ。

 なぜ僕が学校のモテ男に指導しなければならない。こんな仮面をつけてクラスメイトに正体を隠しながら?

 むしろこっちが色々とレクチャーしてほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る