第13話 敗走と膠着


 一寸の場の硬直を最初に破ったのはチャルルだった。

 追撃者が挙げた腕から惰性で振り下ろした、目標の定まらない斬撃。

 彼女はそれを爪で弾いて一蹴した。


 武器は敵の手を離れ、宙を二三転し、音を立てて刃から地面に突き立つ。


 完全に勢いを削がれた追跡者は攻撃の手段を失い踵を返すと、背後の仲間たちと合流しよう、という動きを見せた。

 その様子に、後方で後れを取っていた他の敵たちも状況の異変に気が付き、うまの脚を止める。


 チャルルは退く敵を追わずに、アクロの傍に寄り添い、膝をついた。

 その横でトゥルルがアクロを抱き起こすが、彼は事がまだ終わっていない、と表情で二人に告げる。


「サルーキの、部隊の長に、話があるんだ。 ここに連れてきてくれないかな」


 そう、アクロは肩で息をして整わない呼吸のまま言葉を吐いた。


「んっ、チャルルが行ってくるの」


 と言うと、屈んでアクロを覗き込んでいたチャルルは、跳ねて身を伸ばして、そのまま丘の下りの起点まで飛び移り、動きの勢いを殺さず砂煙へ走っていった。


「あたしたち、位置の連絡なんて皆と取ってなかった筈なんだけど。 あんたが呼び寄せたわけ?」


 ああ、とアクロは肯定する。


「武原まで、手紙を出したんだ。 届いてすぐ、走ってくれたみたいだね、あれは。 あと、呼び寄せるのに、二人の名前を勝手に使ったんだ。 事後報告になるけど、ごめん」


 いいわよべつに、とトゥルルはアクロを抱き寄せる。

 空の頂点、昼の焼ける陽から、アクロが陰になる様にそうして位置を替えてやった。


「ほーんと、ドジで手がかかるんだから」


 重なる二人のそば、うまが落ちた主人の元へ、心配そうに戻ってくる。

 脇を走り去って逃げていた山豸やぎらばたちは、その群れを越して走るチャルルを目標に認めて、追って援軍へ吸収されていく。



 アクロは首から力を抜き、顎が上がって空を仰ぐ。

 湿りを感じさせない薄い雲が空を流れている。


 と、そこにチャルルの顔がのぞき込んだ。


「んぅ、サーム連れてきたの」


「早かったね、ありがとう」


 トゥルルの肩を借りて上半身を完全に起こし、座ったアクロは、チャルルに伴ってきたうまを見上げた。


 うまに跨った女の姿。


 それはサームという名の大女で、何度か天幕で応答したことがある知った顔だ。

 トゥルルとチャルルの叔母だったか、とアクロは記憶を呼び起こす。


「教国者、アタイらを呼びつけておいてまだ何か、注文するつもりでもあるのかねぇ」


 サームがそう言う背後を、サルーキの部隊が続々と通過する。

 遁走したらしい敵へ追撃を開始しているのだろう。


「今、するつもりになりました。 すぐ走っていった彼らを呼び戻してください」


 命令するアクロに、サームは牙をむきだして拒否感を露にした。


「アタイの妹分に手を出したんだ。 それがどういうことか、分からせてやるのが筋ってもんさね?」


「あのまま追い続ければ犠牲が出ますよ」


「んぅ、突貫で来たみたいだけど、サルーキはあんなのに負けるほど柔じゃないの」


 アクロの言葉をチャルルが否定する。


 しかし、サームより先に事の是非を判断したのは、当の追撃部隊だった。

 逃げる敵への戦列が横へ広がったと思いきや、一瞬で転進して駆け戻ってきたのだ。


「大将ぉ! 南から軍勢が向かってきてます。 大総督の旗です!」


 サームが視線を指し示された方へ向けると、この場で二つ目の砂煙が巻き起こっていた。


 そして、報告はするが、サルーキたちはサームの指示を待たず、既に逃げの態勢に入っている。

 その動きは散り散りだ。

 サルーキはたとえ相手が集団の長でも、他人に自分の命を預けない。

 そのため統率は無いが、各個の判断が早かった。


 サームはすかさずアクロを見る。


「呼んだのはアタイらだけじゃないって訳さね?」


「ええ。 あれと接触せずに、出来れば二人だけでも連れて武原まで、逃げ返ってくれませんか」


 返事をせず、後で覚えていろ、とサームはアクロへの眼光を強めた。


「馬鹿言ってるんじゃないわよぅ。 引き摺ってでもあんたも連れて行くわ」

「んぅ、それこそ全部台無しなの」


 怒るサームを尻目に、トゥルルはアクロの体を背負い、チャルルがアクロのうまの手綱を引いた。

 そしてチャルルはうまへ飛び乗ると、上から手を伸ばし、トゥルルをアクロごと引き上げる。


「んぅ、行くの」


 サームとチャルルは北へうまを走らせた。



 一方、街道の南。

 砂埃から現れた軍団はサルーキたちが逃げ去るのを見つめていた。


 武装した農民たちが逃げる行く手を阻まれたまま、彼らに次々と確保され、軍団の長の面前へ引っ立てられている。


「隊長、捕縛した野盗はこれで全てです」


「ご苦労。 サルーキは追うなよ。 奴らと一戦交えるにはまだ時期が早いからな」


 報告に応えていたのはアクロの親友、ルマウだった。


「はっ、しかしながらあの程度の輩、命令さえいただければ直ぐにでも掃討して御覧に入れますが」


「貴様は閣下の赦しもなく、ここで征辰軍と開戦するつもりか? 密告にあった通り、征辰軍の傭兵どもが我々の領域を侵しているのを発見し、我々はこれを追い返した。 それで十分ではないか」


 はあ、とルマウの言葉に黙り込む部下へルマウは新しい命令を下す。


「敵の規模やこの辺りの状況をまとめておけ。 陽布に帰り次第、総督に報告せねばならん。 この辺りの防備を見直していただく必要もある」


 と、ここまでがアクロの描いた筋書きだが、とルマウは心中で続ける。


 街道の名士から、敵の侵入を予告する書状がルマウの元へ送りつけられたのは一日前だった。

 筆跡は見知った人間のそれで、ルマウはこれが誰の企てか一瞬にして見抜いた。

 しかし、彼はそれを名士の報告として陽布総督の耳に入れ、飽くまで念のためとして少々の手勢を借り受けると、すぐさま指定された場所へ向かったのだ。


「それにしてもアクロの奴、抜け目なく大総督に復讐していったな」


 ルマウは呟いて、枯れた街道を見る。

 敗走させた征辰軍の駐留する武原へ、腹を見せる形で伸びるこの路を守るには、少なくない兵力を割かれることになるだろう。


 今まで、征辰軍はすっかり反攻する力を失って武原に籠っている、と専ら噂されており、間者の報告も概ねそのような物だった。

 これを根拠に大総督は兵力を一点へ集結させて、武原への総攻撃に当てる予定だったのだ。


 しかし、ルマウがこの一件を上へ報告すれば、敵は折れずに機会を窺っていて牽制をしかけてきている、とこれを疑わざるを得ない。

 進路の側面を警戒して、計画に遅延が生じることは明白だった。

 アクロはしてやった訳である。



 走るうまの背に三人。

 狼二人と、その家畜になり下がった一匹がもたらした大河の膠着は、やがて大総督の権勢を削ぎ、大教国をも崩壊へ陥れることになる。

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狼二人と馬鹿一匹 イビキ @ibiki

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