第10話 街道と河瓜


 トゥルルの溺れかけた支流を、東岸から北へ沿って半日、途中、河の西側からこれまで三人の越えてきた小川や、そうでないもの、次々と支流が合流して、この河は巨大な大河へと姿を変貌させつつある。


 そしてアクロの状態は、悪化の一途を辿っていた。


「んぅ、アクロつらそうなの。 そろそろ休む?」


 チャルルは心配そうに言うが、アクロは首を横に振り、


「僕のことは良いから、進んでくれていいよ。 どうせうまに乗っているだけだから平気だよ」


 丘をもう一回登るんだったらしんどいけれど、と笑いながら言う。


「あんまし強がってくれちゃっても、あたしたちが困るんだからねぇ? わかってんの?そこんところ」


 トゥルルが片頬を膨らませる。


 アクロは再骨折が響いて発熱していた。

騎乗していれば例の薬も使えず、彼は痛みに耐えながら居るのだ。


 だから彼は気を紛らわすために会話をし続けた。


「あの時点で河を渡らないと、こんなに広くなっちゃうんだね」


「んっ、それにあれより上流だと河原が無くなって、川岸が崖みたいに切り立ってくるから、渡ると言ったらあそこしかないと思うの」


「まだまだ、平渡側の大きな筋が流れ込んでないし、もーっと大きくなるわよぅ。 でも、ここが特別なのは他にもあんのよ」


 乾いた大地が視線の先で、河から横へ線引く様に緑に染まっていた。


「なるほど、この河は乾季でも水が無くならない部分か」


「そーよ、水の浸透する深さがすごーく浅い支流があって、その一つがここ」


「んっ、だから乾季になって、水量は落ちても枯れないの。 それを利用して、同じように水が浸透しない所を選んで水路が伸ばされて、ずーっと横に畑や果樹園が続いているの」


 つまり、本来は地中に隠されている川の姿がここだけは地上に剥き出しているのである。


 アクロは大きく頷いた。


そして、そしてその緑を育てる村と村を繋ぐ路こそが、


「見えて来たね、街道が」



 乾燥に強い作物に限定されるが、区切られた水路に流れる少なくない水は畑を青々と育んでいた。

時々、植わっている木がぽつぽつと実を付けて、あれは無花桑いちじくだろうか。

炎天下の最中、まばらに居る農民が作業をしている。

収穫期の真っ盛りであった。


 そしてその姿の向こう、水が届かなくなったところから、礫と白けた草の風景が始まっている。

まるで大地に刃物を突き立て、直線に切ったように鋭く、乾と水の世界が分かたれていた。


 トゥルルは水場を皆のものと言ったが、ならばここは、水場を戦って制した定住者が独占している、勝利者の土地と言えるのではないだろうか。


「んっ、河瓜すいかなの! トゥルル、あそこの農夫さんに掛け合って一つ譲ってもらうの!」


「だーめよ、関わらない方がいーの。 それより、山豸やぎが畑に入らないようにだけ、注意しないと、ほらそこ! それこそ殺されちゃうわよぅ」


 山豸やぎは作物に興味が津々で、隙あらば飛び出そうとして、二人に叩かれている。

こうして群れを制御できている主だと認められている限り、農夫は友好的で、遠巻きに静観する態度を取ってくれた。


 しかし、その中から一人、おーい、と声をかけ近寄ってくる存在が居た。

よく陽に焼けた肌をした男だった。


「嬢ちゃん達は、サルーキかい? その頭の頭巾は」


 それにチャルルが応対して、彼女の耳にあたる辺りが頭巾の中で跳ねた。


「んっ、そうなの。 もしかして、何日か前にも、他のサルーキがここを通ったりしてるの?」


 よく分かったね、と男は首を縦に振り、汗をぬぐった。


「四日ばかり前にも数人、それより前にはもっといたか、確かに通ったな。 大集団だったのはたしか、やけにデカい女が指揮を執ってたなぁ」


「と言うことは、それが天幕のほかの皆ってことかな」


 男の話にアクロが言うと、トゥルルが同意してくる。


「そんな感じっぽいわね。 どう、おじさんたちに、皆はめーわくかけなかった?」


 農夫は笑って首を振った。


「いや、全然。 最初はなんだか柄が悪くて、俺も心配してたんだがね。 そのデカい女ってのが一喝したら、あとは礼儀正しいもんだった。 あれが、お嬢ちゃん達の本隊って訳か」


「んっ、そういうことなの」


 それを聞くと農夫は同情の顔で頷いて、手近なところから河瓜すいかを持ってきて一つ、よこしてくれた。


「じゃあ君たちも陽布を撤退中なんだねぇ、辛い旅だろうが、これでも食って元気を出してくれ」


「ん~。 ありがとうなの! いただきまーす」


 一抱えもある河瓜すいかを貰って、チャルルはご機嫌だ。


 その男の話の内容を聞きアクロは表情を曇らせる。


「……今向かってる夏営地は、征辰軍が代わりに用意した代替地なんだね?」


 アクロがそう切り出すと、二人は頷いた。


「そーよ、だって、今までずっと山を下りてきているの、変だと思わなかった? 涼しい所を探すなら普通は山を登るじゃない」


「なんとなーく、引っかかっては居たんだけどね」


 去年、大総督の命令を受け、平渡総督が陽布を攻めた。

それまで陽布を治めていたのは、征辰軍と呼ばれる、大教国の東方防衛に充てられた組織が自治権を獲得して、大河に半独立した勢力だった。


 一方の大総督は、何十年か前にその征辰軍の派閥争いを期に、追い詰められた将軍の一人が独立し名乗った、自称の支配者だ。


 本来その襲来を防ぐべき外敵とで、大河の覇を競う三つ巴の戦いを続けていて、その戦いが陽布にも及んでいた構図になる。


「サルーキは征辰軍に雇われてる流浪の傭兵団だからねー。 男どもに付いて、あたしたちはあっちこっち、振り回されて、慣れっこなのよぅ。 だからアクロが気に病むことじゃないわよ。 ルマウさんにだって恨んでいやしないわ」


「んっ、チャルルたちは偉大な戦士の子なの! 敗北に言い訳はしないの」


「そう言ってくれると気が楽だよ、まあ、ルマウは故郷が戦火に晒されて、それこそ大変だったからね」


 そういえば、とアクロは男に問うた。


「今年の河水の量は、例年と比べてどんな感じですか?」


 男は、何を聞くんだこいつは、と眉を動かして、


「そうだなぁ、今年はだいぶ少なめかもな。 ここは大丈夫だろうが、水路の末端の連中や、この先々の村のどれか、もしかしたらこの夏はきついかも知れないな。 でもまあ、土地に縛られないお前らには、関係のない話だろ」


「そうでもありませんよ。 どちらかが飢えれば、そのどちらにも害は及びますから。 ありがとう御座いました」


 アクロがそう応えると、男は、そんなものか、とぼやいて、それから三人の旅路の安全を祈ってから作業に戻って行く。


「んぅ? 何を聞きたかったの」


「えーっ、チャルルわかんないのー? ってあんた、どうしてもう河瓜すいか切り分けてるのよ」


 サルーキの爪は鋭いの、と言って、いくつかに分けたうちの一片をチャルルはアクロに差し出してきた。


「食べるの。 甘いお汁で少しは気分が楽になるの」


「それじゃ一つ貰うね。 ありがとう、いただきまーす」


 アクロはその欠片を力なく肩の上まで掲げて、それからかじりつく。

青臭い瓜の匂いが抜けて、歯切れのよい音が歯で擦り潰れ、全身に響いた。

それから仄かに甘味のある水が滲みだして、喉を浸していく。


「あー、生き返る~」


 アクロは目を閉じて感じ入った。


「それで、さっきの話の続きだけど、要するにこの先の土地の連中は夏を越せないかもしれないって、焦ってるかのーせーがあるわけ、よねぇ?」


 トゥルルもチャルルから河瓜すいかを渡され、咥えながら、アクロに眼で確認をとりつつチャルルに言い聞かせる。


 アクロは肯定して、チャルルの目を見た。


「僕たちが襲われる確率は、かなり高まったってことだよ」

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