第11話 手紙と饆饠


 道草を食う、と言うが、山豸やぎはまさに路傍に生い茂る草を刈り取りながら進んでいる。

 しかし文字通りの意味はなく、旅程は極めて順調に運んでいた。

 ただ道なりに邁進できるという、この一点だけでこうも進捗が違うものか、とアクロは実感してる。


「それで、襲われるって分かってるのにこのまま進んじゃって、へーきなのね?」


 トゥルルが度々確認をとるから、


「ああ、ちょっと僕に考えがあるから、任せてもらえないかな」


 アクロはこう返す。


「んっ、いざって時のために爪だけは研いでおくの」


 頼りにしているよ、とアクロは口にして道なりに視線をさまよわせる。

 と、一つの集落に差し掛かったところ、日干しレンガを積んで泥で固めただけの家々が目立つ中で手の込んだ屋敷を見つける。


 広い塀こそ他の家と変わらず、泥を盛った様子だったが、門構えには木の柱が使われ、その柱には幾何学模様の意匠が丹念に刻み込まれ、材木を寄せて作った精巧な扉でそれが閉じられている。


 アクロは目的のものを見つけて、二人に切り出した。


「二人とも、実は脚がかなり辛いんだ。 そろそろ休ませてくれないかな」


 その言葉にトゥルルが眉を引き上げた。


「どーゆー風の吹き回しよ。 そんなにつらい訳? じゃー、早くどこかに停まらないとね」


「んぅ、畑の外の砂漠まで一度出て露営する?」


 二人の提案を、アクロは手を横に振り制した。


「あそこの一際大きな館が見えるかい? ここの顔役の屋敷のはずなんだ。 一晩部屋を貸してもらえないか、掛け合って見ても良いかな」


「サルーキを迎えてくれる家なんて無いわよぅ?」


 んぅ、とチャルルまで漏らし拒否感を露にされたが、アクロはその話を撤回することはしなかった。


「君たちは、サルーキだけど。 一応、僕にも名前があるからね。 しばらく待ってて」


 そう言ってアクロは駒を走らせて、街道をそれて村の中に一人、立ち入っていく。

 残された二人は顔を見合わせ、不満そうに口角を下げた。



「街道に居を構えて客をもてなすのは、言わば義務のようなものですから」


 快く三人を受け入れた館の主である初老の男は、村の端々にも話を付け、家畜たちを村の集会場に使っている広場へ入れることまで了承してくれた。


 そして自らが応対して、彼らを応接間へ案内する。

 決して広い部屋ではなかったが、赤く清潔な絨毯敷き、座布団クッションを屋敷のあらゆる部屋からかき集めてその上にならべ、男は三人を座るよう促した。

 三人の視界、壁にも同じように柄の入った絨毯が飾られ、壁に入ったひび割れがその都度丹念に補習された痕跡は、この家がささやかながら余裕のある暮らしを送っていると看取できるだろう。


「ご歓待ありがとう御座います。 急な訪問へこんなによくしていただいて」


 アクロが謝意を示すのに男は頷いて返し、脇で室内の隅々に物珍しそうな視線を巡らせるサルーキの双子を一瞥する。

 二人は少し気まずそうにして、居住まいを正した。


「クアフ先生のお弟子さんと仰るなら、私の弟弟子でもありますから。 師の恩に報いるためにも、お世話させていただきますとも。 其れにつけても、よく私の居場所が分かりましたね」


「玄関に目印をして、来訪した同門へ門戸を開放し互助に努めるべし。 貴方のような立派な方が先生の垂訓を実践していらっしゃるのに、感服いたしました。 僕は先生への書面の取り次ぎをいくつか任されていましたから。 当時の記憶を頼りに、あとは貴方が印を掲げていらっしゃることをにここまで」


 男は目を細めた。


「そうでなくとも、砂漠でこの水の恵みを受けている者として、旅人には出来る限り応対する努力はしておるのですよ。 ただ、サルーキのお客様を迎えるのは初めてですがね。 家内に食事を用意させていますから、お嬢さんたちももう暫くご辛抱を」


「んぅ~、ご馳走になりますなの」


「こんな汚い身なりの私たちも、お家に入れてくれるものなのねー、ありがとう、おじーちゃん」


 そこで、男ははっとして手を打った。


「そうだ、私はなんて気が利かなかったんだろうね。 おぉい、誰か、桶に湯を張ってくれぇ!」


 ただいま支度いたします旦那様、という声が奥から聞こえて、


「お嬢さんたち、食事の前に御髪の埃を落としてきなさい。 今用意させているから」


 男の家族と思しき女に二人を案内させ、部屋はアクロと男の二人だけになった。


「んっ、お風呂なの!」

「へぇっ、気が利くじゃない」


 などと吐いて退出していく少女たちには、もう少し礼儀を覚えてほしい、とアクロは顔をしかめた。



 さて、と男が切り出す。


「私は君に宿を貸し与え、小汚いサルーキまで受け入れた訳だ。 先生の弟子であるなら、君も何か手土産の一つくらい、持ってきているんだろうね?」


 そこにあるのは利と益を計る貌だった。


 アクロは笑いを作り、


「今年は水量が少ない、と西の方から聞き及んでおります」


 男は、ほう、と口をすぼめ。


「それを君が何とかしてくれる、と言うのかね?」


 いやいや、とアクロは冗談めかして手を胸の前で振る。


「僕が言わんとしている事は、もう分かっていらっしゃるんじゃありませんか?」


「と、言うと?」


 言ってみろ、と男は片眉を上げ笑う。


「あちら、平渡側の水量が少ないということは当然、陽布側の水量、いや、この大河流域の全体で、今年は水量は少ないのではないですか? 暖冬でしたからね」


 男は頬杖をつき、黙ってアクロの言葉に耳を貸す。


「ここから東の村はこれから苦労することになるかもしれません、が、これはまだ可能性があるだけです。 しかし、確実に言えることが一つだけあります」


「それは?」


 アクロは言葉をつづけた。


「東、大河の地下水の影響を受ける国境の草原は、既に草の生育が追いついていないはず。 つまり野蛮の民はこれから行き場を失い始めます」


「なるほど、つまり、私たちの心配事を一つ取り払ってくれる訳か」


 男は膝を手で一つ打った。


「征辰軍が陽布で敗退して、ここからも守備兵を撤退させてしまったから、我々は気が気ではなかったのだ。 それで、君に頼むと、大都督は征辰軍がそうしていたように、ここもしっかりと侵略から守ってくださるのかな?」


「大都督に今、そうする腹積もりがあるか、と仰るなら否です。 閣下は新しい攻撃を準備している最中にあります。 末端の防備に兵を割くような男ではありませんからね」


 ではどうしようと言うのか、と男は表情を険しくすると、なだめて落ち着かせるようにアクロは首を振った。


「ですが、そうせざるを得ない状況を作り出すことは可能です。 僕には陽布に官吏の友人が居ります。 急ぎで彼に一筆書かせていただければ、必ずここの守備を厚くするように、お約束できますよ。 それに、何しろ彼もクアフ先生の弟子であり僕と同期なのです」


 ふむ、と男は頷いて、紙と筆を物入れから取り出し始めた。

 そこにアクロは注文を付ける。


「紙は二枚お願いします。 もう一枚は武原に、必ず届けてください」


「構わんが、何をする気なのかね? ただ嘆願書を書く、と言う訳ではないのかな?」


 男の疑問に、アクロは答えなかった。


「それは貴方のお返事を頂いてからにいたしましょう。 両方確実に、出来る限り早く届けてください。 やっていただけますか」


「何もしないで気を揉みながら夏を過ごすよりは、それでもいいだろうな。 よし、企てに協力しよう。 話して見なさい」



「んっ! 饆饠ピラフなの! 揚げ麺麭パンもあるの」

果実水ジュースまであるじゃない。 すっごい豪華!」


 お湯で髪を洗えたお陰か、二人の髪は鮮やかで、少し獣臭い体臭も鳴りを潜めていた。

 二人は並ぶ大皿の前ですっかりはしゃいでしまっている。

 来た当初、少し緊張していた面持ちも、すっかりお湯に融けてしまったのだろうか普段通りだった。


「それじゃあ頂きましょうか」


 全員が姿勢を正すのを見て、男は祈りの言葉を口にした。

 皆がそれに続けて唱える。


 食事の席には男の家族も参加して、皆、サルーキが珍しいのか、最初は何か二人を見下すような目もあったが、二人がいつもの調子でアクロを弄るのを見ると、すっかりその様子に笑っていた。


 だが……、


「ん~っ、お米のパラパラと丸豆のしっとりコロコロと玉ねぎのつーんと甘いのが美味しいの! お肉も甘いの~。 ……でも獣参の薬味っぽい風味は苦手なの」


 と言いながらチャルルは饆饠ピラフを次々と口に頬張り、


「んっ、アクロ全然食べてないの。 チャルルが食べさせてやるの」


 掬った手をアクロに近づける。


「いいってチャルル、僕は自分で食べられるから、もが」


 言って開いてしまった口にチャルルの指ごと突っ込まれる。


 具材と一緒に舌と柔らかな指が絡み、指先の鋭い爪が舌の縁を優しくなぞった。

 そしてチャルルがアクロの口から指を抜き取ってから残りを自部で舐めとるのを見ると、部屋がしんとして固まる。


 アクロは居たたまれなくなって、果実水ジュースを取って口にした。

 搾られた柑橘のさわやかな甘みが広がっているのだろうが、どうにも今の彼には酸味がきつすぎる心地がする。


 トゥルルだけが気にせず揚げ麺麭パンをかじっていた。

 生地で肉を包んで揚げたものだが、堅めの皮の中から滲みだす肉汁で口元を脂濡れにして光らせている。


「上等なお肉ねこれ、まだ温かいしさいこーよ」


 その様子で男の家族に話しかけるから、解けた印象がまた固まったのをアクロは悟った。

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