第12話 遠吠
「急ぐんだ、向こうも、気付いたみたいだ」
アクロは急かすが、だからと言って既に全力の速度を早められるものではない。
一行は街道の踏み固められた道程を外れ、ひび割れ脆くなった土を踏みしめて疾走していた。
河水の不足はアクロが予測していたよりはるかに深刻で、周囲が緑の色を完全に失い、街道の東域は完全に渇いている。
作付けに失敗して枯れた苗を越え、畦道に乗り上がり、そしてまた向かいの畑へ降りる。
「んっ、後ろからくる人の匂いが全然遠のかないの」
初めにこの状況に気付いたのはチャルルだった。
村を出立してから数日の後、風に流れてきた複数の臭いが遠巻きに集まってきていることを指摘し、彼らは街道の向かう先を無視して一斉に北へ進路を取ったのだった。
眼前に広がる一帯、砂漠と畑との境界はもはや曖昧になっていたが、人の手の加わっていない場所へ抜けた先が、恐らく人里との境界だった付近なのだろうか。
それまでアクロには枯草の陽に焦げた香りしか分からなかったが、そこにたどり着いてから背後を確認して、やっと視覚で追跡者たちの姿を捉えた。
農具を構えて徒歩で走ってきているのかと想像していたのだが、追跡者の姿は完全武装で
追跡者たちの
数は目視できるだけで二十そこそこ、野盗としては十分な規模だろう。
「なんであんな格好で来るのよ! 鍬とか片手に走ってきなさいよぅ!」
「たぶん、征辰軍が退却時に、放置……していった装備を、回収して、使ってるんじゃ、ないかな」
トゥルルの毒づきに答えるアクロの息は、自分はただ
少女たちは彼がそろそろ持たないのだと察し、追ってくる姿を牽制しに反転しようとする、が、それを見てアクロは咄嗟に引き留める。
「ダメだ、構っちゃいけない。 走らないと」
でも、と不安の視線を向けられたアクロは続ける。
「いいかい、絶対に殺しちゃ、だめだ。 一人でも傷ついて、いたら、台無しになりかねない、んだよ」
「はぁ? 何の事を言ってるよ、もうすぐあいつらが追いついてくるのにぃ。 相手の方が多いのに、そんな惚けたこと言ってる場合じゃなくない?」
トゥルルは声を荒げる。
「それでもダメだ。 いざとなったら……山豸を明け渡してでも、身を守ってほしい。 とにかく、時間さえ、稼げれば、命以外は後で、取り戻せるはず……だから」
「んっ。 アクロは何か作戦があって動いてるの?」
アクロは
「そう。 あと、出来れば、
彼が指す北、三人の目的地である武原が構える方角ではあるが、まだまだ数日以上の道のりを残しているはずだ。
ここから声を上げて何が起こるというのか、と二人は怪訝な表情を、ひっ迫している状況で隠せなかった。
「んぅ。 注文が多いの……んふぅ、走りながら吼えるの大変だけど」
「そーね、ここまで付き合ったなら、最後まであんたを信用してやるしかないわね」
二人は応えて、交互に甲高い声を響かせ合う。
しかしその彼女らの覚悟をあざ笑う声が後ろに、敵がそこまで迫っていた。
走って縦に伸びた列の後尾、逃げ遅れ始めた
荒れた畑はもはや背後、荒野を走り、周囲に主張するのは礫とわずかな灌木。
気付くと前方に走るにつれ、わずかばかり傾斜が上がっている。
遠くからでは分からなかったが、行く先は緩やかな丘だったらしい。
敵は
三人を捕えてから丸ごといただく魂胆なのだろう。
アクロはそれで好都合だと思った。
ならば、自分たちが捕まるまでは
しかし、丘の傾斜の先が見えなくなり、そこからを境に下りとなる、その頂点に乗り上げる寸前、
「まずい! うわぁっ」
滞空しながら、この場合手綱を握ったまま引きずられるのが一番最悪な状況だと判断し、しがみ付くことなくそれから身を離し、彼は頭を抱えて身を丸めた。
「アクロォ!」
二人は悲鳴を上げ、足を止めて反転してしまう。
ダメだと言ったのに、と思いながらアクロは背に落下の衝撃を感じ、瞬間、肺にまで衝撃が及び呼吸が止まる。
声にならない呻きと共に、肺から空気が吐かれた。
そのままアクロは地面をしばらく転げて、走ってきた
それが柔らかく受け身を取ってくれたおかげで、彼はそれ以上身を打ち付けずに止まった。
しかし、なかなか吐いた空気を吸えずに足をばたつかせる。
そして咳き込んでから少しだけ息を肺に入れた頃に、少女たちがその周りに屈みこんだ。
「アクロ大丈夫!?」「なの」
彼はなんども頷くが、とてもそうには見えない状態だ。
と、そうしている間にも追跡者は距離を詰めて、もはや目前という状況に、しかし、
その視線は丘の下った先、登っている最中は分からなかったのだが、下りには登りと違いかなりの傾斜が付いていて、頂点に至るまでその先が目隠しされていたのだが、その底を見ている。
三人もその異常に気付き、視線をやる。
砂埃が立ち込めていた。
一陣の風が吹き、煙が流れるとそこから多数の
そして、その
赤い頭巾の集団だった。
それまでアクロ達に吹き付けていた追い風が反転し、正面から流れる大気に交じり、おびただしい数の遠吠えが響きだす。
「ゴホッ、ゴハッ……ま、間に合ってくれたか」
「み、皆っ」「んっ、ん――んーっ」
北方の荒野から枯れた河を乗り越え、サルーキの軍勢が少女たちの声へ駆けつけていた。
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