第9話 饂飩と煙草


 二人はらばを引いて渡らせた後、河原の近くに荷を降ろして露営を成した。

作った陰へアクロを運び込み、服をはぎ取り、毛布に包み寝かせ、しばらく安静にさせる。


 それが功を奏して、すぐにアクロの体は正常を取り戻したが、しかし今度はそれによって地獄を見ることになった。

使ってしまった足の患部が腫れて、熱を持ちすぎて痛み、体温が戻るにつれてその痛覚は鮮明の度合いを増していったのだ。


 鼓動が足に伝わる度に腫れが膨張していくように思え、アクロは気になって身を起こし、その箇所を覗いてしまう。

これは、と思わず声が漏れた。


「また折れちゃったかなぁ」


 赤黒くなった皮膚を見て唾を飲み下す。


 ずっと見ているとまた気分が悪くなりそうで、アクロは視線を陰の入口のほうにやった。

と、少女たちがその陰の際で、何やら普段は加熱用に使っている鉄板の上、白いものをこね始めている。

そしてこちらの視線に気付いたのか、チャルルが手で合図した。


「何を作ってるんだい?」


 アクロは脚を刺激しないように慎重に動いて、毛布を引きずりながら彼女らに少し近づく。


「んぅ、そこで見てるといいの。 あったかい肉饂飩うどんを作ってやるの」


 その言葉に、吐いてひっくり返ったアクロの胃に熱が巡ってきた。


「それは楽しみだ。 俄然、お腹がすいてきた」


 なるほど、河の水が使い放題なら麺麭パンに使う穀物粉で麺類も作れる。

何故なら生地を作るまでの過程がほとんど同じだからだ。


 それから、アクロは鉄板の端に乗せられている細長い円筒の葉物を見つけ、あれ? と声を出す。


「その草はどうしたの?」


「近くに山豸やぎが口を付けない草があってね、それがなんか香味草っぽかったから採ってみたのよ」


 大丈夫なのか、と思ったがそう言われてみると、アクロにも確かにそう思い当たる野草に見える。


「んっ、それじゃあ、お鍋のお世話してくるの」


 生地がある程度形になってくると、それをトゥルルに任せ、チャルルは向こうでいつの間にやらおこされていた火にかけられている鍋へ向かった。


 チャルルが混ぜている最中に杓子へ上がった具材は、肉を煮込んでいるようだが、アクロが見る限りそれはどう見ても干し肉だ。


「チャルル、そろそろ生地寝かせるから、もう一つ鍋おねがーい」


「んっ、りょーかいなの」


 もう一つの鍋を抱えて、チャルルは河へ走る。


 そこで一つ疑問が生まれ、そう言えば、とアクロはトゥルルに訊ねてみた。


「こんな水辺があるのに、どうして君たちは離れた場所に天幕を張って過ごしていたんだい?」


 トゥルルはが生まれてきた生地を丸めながら、言葉を探して答えた。


「そーね、餌場との順路で選ぶってこともあるけどぉ、一番は、水場は皆のもの、っていう考えがあるのかなーって」


 言うと、生地をひとまず置いて、トゥルルはアクロの隣に座る。


「私たち以外にも野生の動物とか、他の集団とか、みんなが水場を使うのよ? そこを、私たちが占領していたら、喧嘩になっちゃうでしょ?」


 そう言ってトゥルルは首をかしげて、アクロの顔を見る。

彼は頷いて、河の方を見た。

相変わらずの山豸やぎの様子がある。

この賑わいを警戒したり、あるいは逆に襲いに来る者が増えてしまうことは想像がついた。


「ふむ、あれが適切な距離だったってわけだね?」


 そして視界の真ん中、瀬から水を汲んできたチャルルが戻ってくる。

それを見てトゥルルは立ち上がった。


「私たちみたいに、他の土地からやって来た人狼はねー。 そこに居ることを許可してもらえないと、安心して過ごせないのよねぇ」


 本来、人狼は大河の東の草原に住んでいる。

その土地での戦いに敗れて、ここへ、大教国まで身柄を売られてきたり、一族ごと落ち延びてきたり、そうやって彼らは大河の端々に生きる領域を広げ始めているのだ。

と、そうアクロは知識だけで知っていた。

空いている場所にうまく入り込むしかない、と言うのが彼らの現状なのだろうか。


 チャルルは河水を酌んできた鍋と一緒に、河原の石を抱えてきていて、その石を積んだ上に鍋を置き、既にかかっている鍋の火から一部を拝借して新しい炉を作った。


 そのうちに、トゥルルが普段は麺麭パンを薄く延ばすのに使っているのし棒を使って、生地を大きな円に伸ばし始める。

十分に広がると、彼女は自分の五指に生える鋭い爪を長く剥き出して、引っ掻くように生地を細切りにした。

こういうところを見ると、二人が半人半獣だというのが思い出させられる。


「出来たわよ、チャルル、鍋は湧いてきた?」


「んぅー、もう少しなの」


 しばらくして新しい鍋が煮立ち始めると、チャルルが塩を何摘みか、トゥルルは鉄板の上に広がる細切りの生地を集め、鍋に投下した。




「もー良いころかしらね」


 トゥルルは杓子を使いまわして、ゆで上がった麺を肉の煮られている鍋の方へ移していく。


 そして麺の茹で汁の方へ、逆に肉の鍋から取った出汁を何杯も入れていき、さらに革袋から凝結乳ヨーグルトを投入する。


「んっ、そろそろ盛り付けるの」


と、チャルルが深めの大皿といつもの茶碗を出してきた。



 獣毛縮絨フェルトの絨毯が広げられ、その上に料理が並ぶ。

大皿には盛られた肉饂飩うどんの上に、刻まれた香味草が振られたもの。

茶碗には麺の茹で汁と肉の出し汁、凝結乳ヨーグルトを合わせた汁物。


 三人は祈りの言葉を口にしてから食事を始めた。


 大皿の料理は小分けせず、それぞれが手づかみでそこから取って食べる。

アクロは肉と一緒に麺をつかみ、垂れる汁気を少し切ってから口に運んだ。


 肉はやはり干し肉だったが、しかし出汁は肉のそれ。

干す際に付けられた塩味が溶け出していて、それらの絡んだ麺が心地よい弾力で歯切れて、舌の上で踊りながら、口内に肉のうま味を広げていく。


 そして肉の独特の臭みが香味草の鼻孔を突き抜ける香りと合わさり、お互いを良い方向に打ち消す。


「うん、美味い。 何か久しぶりに麺を食べた感じがするよ」


 アクロの言葉に二人は頷く。


「夏場はとくに、お乳で作ったものと麺麭パンで済ませちゃうことが多いからねー」

「んっ、チャルルは麺も良いけど、向こうに着いたら饆饠ピラフも食べたいの」


 次に茶碗を手に、肉の脂で喜ぶ口に汁を流していく。

酸味の爽やかさの後で、さらに肉の出汁が深まって口の中を行き渡る。

飲み込むと丸くなった塩味が染みた。

こうなると次は麺と肉を取りたくなる。


 いくらかそれを繰り返して、アクロの腹が満ちてきた頃。


「んっ? アクロ、なんだか汗の出方がおかしいの」


 チャルルがいぶかしげにアクロの顔を見つめる。


「え? 別にそんなこと……」


 そう言われてアクロが額を拭うと、脂質のやけに冷たい汗が手の甲を濡らした。

彼は顔を引きつらせる。


 それでトゥルルが何かに気付き、アクロの座って突き出している脚にかかった毛布を剥がした。


「ぅいってぇてて!」


 涙目になって、アクロは苦悶の声を上げた。

乱暴な衝撃が彼の患部に伝わって、脚から張り裂けそうな痛覚が伝わったのだ。


「んぅ、これは酷いの。 よく平気な顔でお饂飩うどん食べてたの」


「こんなになる前に早く言いなさいよねぇ? まったくまったく、早く横になりなさいよ」


 二人は目を見開いて、こんもりと腫らしたアクロの脚に驚いた。


 トゥルルは食器を周ってアクロの傍へ行き、座って、彼の身体を引いて倒させて、自分の膝の上に頭を乗せさせる。

アクロは抵抗しようとするが、トゥルルは彼の肩口を上から押さえて自由を奪った。


「ちょっとトゥルル、こんなの大げさだよ。 僕は大丈夫だって」


「チャルル、あれやったげて」


 んっ、と返事をして、チャルルは変形の瓶に管が付いた構造の煙管を、荷物から探し当てた。

そして、昨日丸薬を取り出した箱から、何かを練った粘り気のある、糊のようなものを指に、ひと掬い。

それを煙管の上部に、埋めるように入れ込んで、瓶の部分へ水を注ぎ入れ、天頂部に調理で使っていた炉から取った火を入れた。


 怪しい煙が立ち上る。


「何をする気なんだい、チャルル、ねえ」


 アクロはこれを知っていた。

嗅がせる形で使う、麻酔毒だ。


 それを持ってチャルルはアクロの傍に座り、管から煙を吸引して口に含むと、アクロに顔を近づけた。

彼女の唇がアクロの鼻頭を食み、そこから煙が注ぎ込まれる。

懐かしい心地と共に、アクロの意識が溶け始め、朦朧と景色がぼやけた。


「チャル……ル……」


 それと同時に痛覚も和らいでいって、アクロは体が浮きあがったように現実感が無くなる。


 そして眠りに落ちた。


「んっ、お休みアクロ。 明日には腫れが引いてるといいの」

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