第5話 夕食と地図


 気付けば周囲が暗くなってきて、三人の籠る日陰は早々に暗がりへと変わった。


 チャルルがランプを出してきて、打ち石で乾いた枯草をほぐしたものに火をつけると、その火を灯心に移した。

 弱い柔らかな暖色は、ようやく手元が明るくなる程度の光量しか得られないが、それでもお互いの顔が見えると落ち着く。


 トゥルルは乳酒のそれと似ているがまた別の革袋を開け、そこから粘り気の強い凝結乳ヨーグルトを酌みだす。

 それを茶碗三つにそれぞれ小さく盛ると、水で溶いて、それに一つまみの塩をまぶした。


 それから先ほどチャルルが出した包みの結び目を解いて、数枚重なった薄麺麭薄パンを広げる。


 と、麺麭パンとは違う固形の塊まで転がった。


「なーんだ、乾酪チーズが無くなったと思ってたら、巻き込んでたんじゃない」


「んぅ、気付かなかったの。 でもこれで晩御飯が様になるの」


 包みの毛織物を敷物に、三等分された乾酪チーズ凝結乳ヨーグルトの茶碗、薄麺麭薄パンが並ぶ。

 一様に白い。


 三人は夕食にありつけることに感謝の祈りを捧げ、それから食事を開始した。

 アクロはひとまず最初に茶碗の縁に手をかけた。


 凝結乳ヨーグルトは食べる、と言うより飲むと言った方が正しく、啜ると仄かな酸味が水とは違う清涼感を与えてくれる。

 周囲の気温は落ち着いてきたが、まだ熱の抜けきらない体はそれを美味いとうったえかけてくる。

 そしてわずかな塩気が後を引く昼の疲労を癒してくれる。


 麺麭パンは冷めきっているで、より硬く粉っぽさが増していたが、同じく常温で固めの弾力がある乾酪を巻いて食べると、対比でもちもちとした歯ごたえが生まれて悪くはない。

 味も淡泊と濃厚が合わさって、強い塩味が引き立つ。


 それらを交互に頂きながらアクロは思い出したように、そういえば、と話す。


「この辺りの地図なんか持ってないかな」


「んー? 無くはないけど、いったい何に使うのよ」


 トゥルルはいぶかしんで眉をひそめる。

 何も知らずにただ自分たちについてくればいい、という態度だった。


「夏営地に行く、とは二人の口から聞いてるけどさ、僕は僕らが今どこに居て、どこへ向かおうとしているのかを具体的に知らないから」


 それに対し二人は半眼で、疑いが確信に変わったような動きを見せた。


「そーやって逃げる気ね?」

「んっ、脱走されるの」


 アクロは両腕をそれぞれ二人に突き出して制止。


「そういう心算じゃないんだよ。 ただ、僕だって知識階級の端くれだったんだ。 きっと何かの役に立てるんじゃないかなって」


 少女たちはお互いに顔を見合わせて、仕方が無いから信じてやろう、とばかりに頷き合った。


「まー昔っから家にあったみたいな、古いやつならあるんだけどねぇ。 どこやったんだっけ、チャルル」


 トゥルルが膝立ちで籠を漁りだし、それをチャルルが後ろから覗いた。


「んぅ、確か丸めて取引証書と一緒に仕舞ったの」


 あった、と二人が声を同じくする。


 かなり古い物らしく、端々が擦り切れて傷んだ薄皮が取り出された。

 それを広げて表をアクロに見せて一言。


「これでいい? なーんか憶えのない場所に街の記述があったりすんのよこれ」

「んぅ、知ってる街も書いて無いの」


 それもその筈だろう、とアクロは頷いた。


「これは大教国がこの地域に到達してすぐの時期に描かれた地図だね。 だから消えた街が存在したり、入植して大きくなった村が書かれてないんだよ」


 位置さえ分かれば大丈夫だ、と二人に感謝する。

 受け取って眺めると、なるほど、古いが大体の位置は掴めそうだ。

 街の変化に比べれば土地の変化は緩やかだ。


 食事の上から三人の真ん中に広げて、アクロは地図の中心を下から上へなぞる。


「真ん中を南から北へ抜けている大河が、この地方の中央を流れる『大原』だね」


 トゥルルは頷いて、その川の上流、つまり地図の下方、まるで木の根のように枝分かれした支流の西と東の端、そこにそれぞれ書き込まれている二つの都市の、その間にぽっかり空いた空間を指さした。

 おおよそを簡略化すれば逆Y字の股の間になるだろうか。


「まー大体、私たちのいるのはこの辺りかな」


「じゃあ僕はこの周辺で捨てられていたわけかな、わざわざ山に捨てるだなんて相当逆鱗に触れてたんだ……」


 空間は山岳部を指していて、そこはあまり標高は高くはないのだが水が引きにくく、だからこうやってサルーキのような人々が点々と居を構え利用している土地だ。


 その西側の都市の北東側の空き地を指さしてアクロは二人の反応を窺った。

 その都市の南部には巨大な湖があり、そこを中心に人里が広がっている。

 これが大総督の本拠地、平渡で、この都市に構えた宮殿へアクロは出仕していた。


「んっ、多分……そうなの。 と言いたいけど、実はあんまり詳しく覚えてないの」


 人は土地を地図のように俯瞰して生活しているわけではない。

 拠点からこの距離に、大体何時間歩いたか。

 そういった目測めいたもので身の回りの環境を把握しているのだろう、とアクロは認識する。


 すると、と彼は続ける。


「この空間の中で、僕たちの位置も漠然としているわけだね」


「あたしたちもここを長く使ってるわけじゃないからねー。 でも、ルマウさんが歩いて帰ったってことは、その平渡の近くなんじゃない?」


 まあルマウは体力馬鹿だから信用できないけど、とアクロはぼやく。


 そしてまた地図を縦になぞり、


「すると河の本流を中線としたら、西岸側に居るわけだ。 きっと、ルマウがずっと平渡から使いに出てたのは、あいつの故郷、陽布かな。 陽布に留まって行き来が無くなれば来れなくなるし」


 前述の二つの都市の東側、そちらは広い河谷が上流の先端で平地のように開けて、こちらも河の一部が太くなり池のようになっている。

 その支流の南岸に書かれている陽布の文字をアクロは指さす。


 そこで、ルマウはもしかして川縁にある街道を沿わず、山間部を直進して移動していたのか、と気付き、彼の常人離れした行動を想像して呆れる。


 ――もしかして官吏じゃなくて軍人になった方が良かったんじゃないのか?


 もしくは伝令か何か、ルマウの話を聞く限り、官吏としてよりそう使われていたのではないかと思うところがある。


「それで、現状の位置は分かってきたけど、ここからどう移動するつもりなんだい?」


「んぅ、夏営地はここ。 武原の周辺を使うことを征辰軍に許してもらってるの」


 それは現状、大河の本流の東側に唯一、人間が構えた都市だ。

 国の東の末端であり、国境を引く街でもある。

 その東には延々と草原があり、野蛮な世界が広がると伝わっている。


「ずいぶん物騒なところに行くんだね、しかもこれ、街道を使っても家畜のある足じゃ二週間ばかしかかるんじゃない?」


「うーん、あの子たちがちゃーんと動いてくれれば、一週間半ってとこねー」


「んぅ、今いる場所から北に行くと大河の支流の細いのがあるの。 それを伝っていくと本流に合流出来て、そこから街道があるの」


 あー、と納得の声を出して、アクロは大きく縦に首を振った。

 大体の旅程が理解できたのだ。


「すると砂漠の縁水を掘って暮らしてる連中が一番危険そうだね」


 河の東岸を指でさする。



 ここで疑問が出てくるだろう。

 河川流域に何故砂漠があるのかと。


 一概に言えばこれは大原という大河の特性に問題がある。

 この河川の下にある地質は非常に水を通しやすく、上を流れる河水は常に地面に吸収されながら地表を滑っている。

 いや、正しくは地下深くに巨大な河が埋まっており、その一部が地面に見えている、と書いた方がいいだろうか。


 それらの河水は殆どは、山岳部に冬積もった降雪の解けた水、それが支流から寄り集まって流れているので、乾季になると極端に水量が落ちるのである。


 よって何が起こるかというと、乾季に地表面の河が消えて地面に潜ってしまう。

 このようにして大河の流域は水が地下に逃げて土地が乾燥し、岩砂漠の様を呈してしまっているのだ。


 しかし、このような構造をしている分、正しい場所を掘れば地下水が見つかるので、乾いた土地に忽然と人里が構えている、と言うこともこの流域にはあり得るのである。

 


「そー考えたから、最初は河を離れて山の尾根を沿って迂回して、砂漠の真ん中、水がない部分を進もうと思ったのよ」


「んっ、多分アクロ死んじゃうの」

「だろうね」


 満場一致。


 四の五のと渋っても、彼女たちに付き合うなら街道を進む以外に手は無いようだ。


「でも山豸やぎはどうなってるんだい、前のルートだと彼らにもこの旅程は辛すぎるんじゃ?」


「砂漠には人狼だけが知ってる水場が点々とあるの。 この鼻で水を嗅ぎ分けるの。 浅く掘るとすぐ水が出てくるから、そこを頼りに点を繋いで移動してたの」


 アクロは荒野を生きる人狼の生活につくづく感心する。

 山豸やぎは泥水でも平気で摂取出来てしまうので、このようなことが可能だったのだ。


「それで何かあんたが役に立てそーなとこ、あったわけぇ?」


 アクロは沈黙する。


「うん、無いかな」


「んぅ、雑魚なの」

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