拙者売ります(大団円)
「なぜ、安島という牢人は、後家を殺した木場の博徒どもにやすやすと連れ去られたのかな?」
江戸湾から熱い海風が吹き込むせいか、うだるような昼下がりだった。
政五郎は壁に寄りかかり、しきりに団扇を使った。
五月興行の恋女房染分手綱で、山谷の肴屋五郎兵衛を演じた幸四郎を描いた、写楽の大首絵が団扇の絵柄だ。
「まるで生ける屍のようで、立ち向かう気力すらなかった、というところでしょうか」
何も聞いていない浮多郎は、安島幸之丞の気持ちを想像するしかなかった。
「根岸の質屋に押し入って放火したのも、あの腑抜け侍かい?」
「上野山下の質屋だけだと、あの壺が狙いと分かってしまうので、カド屋の新吉がどこでもいいので別の質屋を襲わせたのでしょう。質草の三味線を盗んだり、放火までして・・・牢人の安島が犯人と思わせる細工もしました。いかにも馬鹿丸出しの猿芝居です。壺を盗んだときも、同じ棚にあった五点の質草もいっしょに盗み出しました。しかも、すべて寺社の塀に投げ込む間抜けぶりです」
そこへ、裏の井戸で冷やした素麺を盛った笊を手に、お新が台所から顔を出した。
「どうして、三百文の値しかつかない素焼きの壺のために、殺したり火付けしたりしなきゃあならないの?」
お新の問いかけに、首をひとひねりした浮多郎だが、
「ひとつは、強盗を引き受けた博徒どもが、押し込み強盗に不慣れなので、抵抗されて逆上したか・・・。ふたつ目は、倅の千代吉から上野山下の質屋に質入れしたとは聞いたが、壺を三百文で質入れしたのは知らなかった」
「その壺に高い値がつくと、親の新吉は知っていた。たしかに、ただの素焼きの壺だけど、ものすごいお値打ちの骨董品だった、とかさ」
「お新ちゃんも、いいこと言うねえ。たしかにカド屋の床の間に麗々しく飾られた家宝の壺だった。倅の千代吉があの壺を、大金で質入れしたと思い込み、請け出す金がない。それで強盗を、・・・したのかな」
いつまでも、恋女房を「ちゃん」付けする浮多郎だった。
もっともふたりは隣家同志の幼馴染だったが・・・。
「手代の半次郎の目利きが、悪かったのだろうよ」
早く素麺を食べたい政五郎が、話をうまく収めた。
―翌日、浮多郎は件の素焼きの壺をひと目拝ませてもらおうと、奉行所に同心の岡埜をたずねた。
カド屋の納戸に隠してあった壺を押収し、今は奉行所の証拠品を収める蔵に置いてあるという。
岡埜が鍵で蔵を開け、入ってすぐ左上段の棚の素焼きの壺を背伸びして取ろうとしたその時、鼠が岡埜の足元をちょろちょろと・・・。
鼠に気を取られた岡埜が、取り落とした壺が派手な音を立て三和土に落ちた。
割れずに転がった壺を拾い上げた浮多郎が、縁を見ると素焼きがはげ落ち、下地が金色に輝いている。
調べ室に持ち込んで、表面の素焼きをすべて剥がしてみると、金色に光り輝く見事な金の壺に変貌した!
―再びカド屋の新吉に問いただすと、すらすらと自供した。
紀尾井町のさる大名屋敷の改修工事を請け負った新吉が、誤って納戸に入り込んだ時に、桐の箱に収められた金の壺を見つけ、人知れず盗み出した。
それをじぶんで泥をまぶして素焼きにし、床の間に飾っておいたということだった。
気の毒なのは、壺を盗まれたお大名で、だいぶ経ってから家宝の金の壺がなくなったと知らされ、夢にも新吉のことなど思い浮かばず、激怒して納戸係の仕業と決めつけ、お手打ちにしてしまった。
これは、カド屋の新吉と木場の悪党どもが獄門打ち首になってからだいぶあとの話だが、・・・倅の千代吉は、お手打ちになった納戸係をはじめ、質屋の後家と丁稚の霊を弔うため、仏門に入ったという。
一方、高崎藩で出納係のお調べがあり、公金の横領が発覚した。
『出納係を訴え出た安島幸之丞を誣告の罪で追放したのは、まちがいだった』と今になって認め、藩への復帰が赦された。
高崎へ出立する日の朝、なかなか姿を見せないのに業を煮やした長屋の大家が部屋に押しかけると、三畳間と土間一面は血の海で・・・。
安島幸之丞は、見事に腹を斬って死んでいた。
拙者売ります~寛政捕物夜話6~ 藤英二 @fujieiji_2020
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