拙者売ります~寛政捕物夜話7~

藤英二

拙者売ります(その1)

吉原裏の三ノ輪の辻から上野山下までを金杉通りという。

金杉通りの行き止まり近くの入谷に、真源院鬼子母神がある。

インドに、子供を奪って喰らう鬼子母神という悪い女神がいた。

お釈迦さまが、鬼子母神の末子をさらって隠し、子を失った母の悲しみを諭して改心させ、出産と育児の善い神とした。

大田南畝の狂歌『恐れ入谷の鬼子母神・・・』の洒落でも有名だった。

その入谷の鬼子母神で、時にガラクタ市が開かれる。

近隣の庶民が、文字通りガラクタを持ち寄って並べ、いい加減な値をつけたのを、買い手がケチをつけて値切り倒す、・・・いわば江戸っ子の粋なお遊びでもあった。

境内のいちばん隅っこの目立たないところに、『拙者売ります』と大書した板紙を首からぶら下げて座る、みすぼらしい牢人者がいた。

見物人は、それに気が付くと、「ぎょっ」としたが、見て見ないふりをして通り過ぎた。

掘り出し物をさがしにお新と連れ立ってやって来た浮多郎は、『これはまずいだろう』と鬼子母神の神職に事情をたずねたが、

「源太郎長屋の大家に無理に頼まれて・・・」

と口をもごもごするだけで、要領を得ない。

奉行所の岡埜さまから、お上の目付に話してもらうしかない、と思いつつ元へもどると、・・・牢人者がいない。

お新にたずねると、

「たった今、あだな年増がお買い上げよ」

と目を丸くして答えた。

「あれは、上野山下の質屋の後家だ。あのへんじゃ、いちばんのお大尽さね」

隣りで植木を並べる爺さんがニヤつきながら言った。

死神のように青白い顔に無精ひげだが、それなりに整った顔の若い牢人を思い浮かべ、合点がいった浮多郎は、爺さんから植木をひとつ買って泪橋へもどった。

―しばらくして、その質屋に押し込み強盗があった。

大金が盗まれた上に、質草がごっそり盗まれた蔵の中で、後家が心ノ臓をひと突きにされて死んでいた、と奉行所の岡埜同心が教えてくれた。

・・・青白い顔の牢人者の姿はどこにもなかった。

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