拙者売ります(その7)
―その夜、吉原から遅く帰ったお新が、「なか」での出来事を話した。
「京町一丁目の吉川屋で大立ち回りがあってさ・・・」
馴染みの若い客が、幇間と芸者のお新を呼んで花魁と四人で宴会をはじめた。
しかし、どうにも酒癖の悪い客で、「今夜、俺と心中しておくれ」と、泣きながら花魁を掻き口説くので、これはただ事ではないと番頭が駆けつけた。
「家宝を質に入れて親に勘当され、熱海に逃げたが、にっちもさっちもどうにもならない。惚れた花魁と死のうと舞いもどった。さあ、いっしょに死んでおくれ」と、懐に隠し持った匕首を振り回すので、幇間と若い衆と三人がかりで縛り上げ、面番所に突き出した・・・。
それで帰りが遅くなった、と言い訳するお新に、
「そいつの名前は?」
浮多郎が喰いつくようにたずねた。
「ああ、・・・花魁が、『千代吉さん』と呼んでいたような」
しまいまで聞かず、浮多郎は鉄砲玉のように飛び出していった。
―吉原大門すぐ横の面番所の小部屋で、縛られたままの千代吉は、まだ酒の匂いをぷんぷんさせていた。
頬のあたりにまだ乳臭さが残る男は、女をたらしこむ色っぽい目つきで、浮多郎を見上げた。
「千代吉さんで?」
若い男はうなずいた。
「『家宝を質に入れて勘当された』とおっしゃっていたようですが、もしかして、それは上野山下の質屋で、質草に持ち出した家宝とは、素焼きの壺ではないですか?」
『この若い目明しは、どうしてそんなことまで知っているのだ』と言わんばかりに、千代吉はとろんとした目を大きく見開いた。
「受け取ったのは、三百文でまちがいないですか?」
これで観念したのか、千代吉は大きくうなずいた。
面番所の同心は、
「そんなこと、この若造と何のつながりがある?」
と怪訝な顔で、たずねた。
「壺のせいで、後家の主人と丁稚が殺されやした!」
浮多郎の啖呵に・・・、同心よりも千代吉のほうが驚いた。
木場の材木商で大工仕事も請け負うカド屋の新吉が父親、と聞き出した浮多郎は、その夜のうちに八丁堀の岡埜の役宅へ走った。
―翌朝、奉行所に召し出された新吉は、ドラ息子の千代吉とともに、厳しい取り調べを受けた。
「へい、倅の千代吉が家宝の壺を盗み出して質入れしたのは、まちがいありません」
「質店にその壺を盗みに押し入って、ふたりも殺すとは極悪非道なやつ。三百文で請け出せば済む話ではないか」
「ひと殺しなどしちゃいません。・・・それに、三百文などまったく知らないことで」
「何を申しておる!」
―拷問にかけられた新吉は、その日のうちに『木場に巣食う博徒の悪党どもに壺を盗むのを頼んだが、荒っぽいやつらで質屋の後家と丁稚を殺してしまった』と白状した。
すぐに、武装した与力が、捕縛の下役を従えて木場へ向かった。
・・・浮多郎が駆けつけると、騎馬に跨った与力の梶原勝之進が、数珠つなぎに縛った木場の悪党どもを引き連れ、意気揚々と引き上げるところだった。
それとは別に、白鉢巻き白襷姿の捕物役に引き立てられる、安島幸之丞の哀れな姿があった。
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