拙者売ります(その5)
上野山下の質屋の手代を半月前に辞めた半次郎は、本所の長屋にいた。
長屋の近くの乾物問屋の大家は、
「気が短くて喧嘩っ早いが、いたって正直な若者です」
と人物を評した。
今は、大家が紹介した横山町の古着屋の手代をしているというので、浮多郎は日暮れを待って、再び大川橋を渡った。
「辞めてから、上野山下の質屋へ行ったかって?」
近くの蕎麦屋に入ってすぐ渡した小粒を素直に受け取った半次郎だが、
「俺を疑ってるんですかい。冗談じゃねえやい。・・・あれから上野に足を向けたこともねえ」
みるみる顔が赤くなった。・・・なるほど、気は短そうだ。
「主の後家と喧嘩して辞めた、と聞きましたが」
とたずねると、
「だれが、そんなことを!喧嘩なんかしてません。ただ・・・」
「何かあったんで?」
「見習いが終わったら給金を上げてくれる約束だったのが、いつまで経ってもその話が出ねえ。で、たずねたら、『じぶんが一人前と認めたら、はじめて見習いが終わる』みたいなことを後家が言うので、辞めるしかなかった。・・・だって仕事はぜんぶこっちに任せて、じぶんは遊び歩いてるんだから」
半次郎は、喧嘩はしなかったが、腹は立てたということか・・・。
浮多郎が、蔵の中の質草に付箋がつけられ、月別にきれいに並べられていた、と言うと、
「ああ、あれね。それまで後家さんがただ放り込むだけだったのを・・・全部じぶんが考えてやり直したんで。お手柄でしょ」
と半次郎は胸をそびやかせた。
「入ってすぐ左の上の棚はどんな仕分けでした?」
「ああ、あそこは次の月に流れる質草を置いておく棚です。あの棚で、このまま流したらよいか、もうひと月待って受け出しに来るのを待つかを、仕分けるのです」
半次郎は、すらすらと答えた。
「まだいる時に受け付けた質だと思いますが、あの左上の棚に何があったか覚えていますかい?」
「おぼろげには。・・・でも後家さんがこの半月で並べ替えたかも」
「手控え帖を見れば、すぐ分かりますか」
「それは、分かります」
「手控え帖は、帳場すぐ横の葛籠箱ですよね」
半次郎は、こくりとうなずいた。
明日は古着屋に半ドンをもらって、昼すぎに上野山下の質屋で手控え帖を見てほしいと頼むと、「ええっ」と嫌がったが、
「犯人を早く挙げないと、質屋強盗が続いて大変なことになります」
との浮多郎の説得に、半次郎は折れた。
―浮多郎は、そのまま八丁堀の岡埜の役宅へ出向いて、半次郎の話をした。
近辺の神社仏閣の塀の中で見つかった質草を元の質屋に戻す手配を願い出ると、独り手酌で酒をあおる岡埜は、「ふんふん」と上の空で聞いていた。
美人と評判の奥様は里へ帰ったまま、まだもどっていないようだった。
「『拙者売ります』の安島幸之丞だがな。目付から高崎藩に問い合わせてもらった・・・」
岡埜はここで一拍間を置いて、気をもたせたが、浮多郎は乗ってこない。
「安島は、一年前に脱藩していた。すでに籍は抹消したので、もはや素浪人。犯罪にかかわっていたなら処分は勝手、という冷酷な返事だった」
「神棚にあった安島の唯一の所持品の『論語』の中身はいかがでしょうか?」
表紙は『論語』だが、中身は手書きの出納帖のようなもののことを、浮多郎は口にした。
「うむ。ここ数年の藩の金の出し入れを写したもののようだ」
「高崎藩のものでしょうか?」
岡埜は、口を真一文字に結び、手刀で首を打つ真似をした。
―これは、めったなことを口にすると、お手打ちになるという脅しだった。
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